SP4:シロウトイケン
クリスマスも明々後日に近付いた曇天の午後。俺は寒空の下、この空模様のような心持ちで一人街をゆく。
周りを見渡せば一面華やかなクリスマスカラーに染まっていて、道ゆく人々もどこか浮き足立っている。
しかし、そんな楽しげな空気は今の俺にとって取るに足らない景観の一つだった。
「……はぁ」
思わずため息が出る。
今俺はものすごい自己嫌悪に陥っていた。
先日の、アレはマズかった…
口では爽風のこと大事にしたいとか言っておきながら、いざ爽風の裸を目にしたら理性のタガが完全に吹っ飛んでしまった。
爽風も満更では無いような雰囲気ではあったが、あのまま流れに任せて俺は彼女を抱いてしまってよかったのだろうか? いやよくない!
何と言うか、こう、もっと先のことを一緒に話すべきではなかったのではないか?
将来結婚したいとは言った。この気持ちに嘘はない。だが爽風には返事を濁されてしまった…
俺自身に、欠けているもの、まだ気付けていない大事なものがきっとあるんだ…
そんな考えがここの所、俺の頭の中をぐるぐると回っている。
「はぁ…」
またため息が出る。
「桃田君? どうしたの? そんな暗い顔、珍しい…」
「え?」
そんな俺の正面から突然声がかかった。
俯いていた顔を上げるとそこには保健室の先生――花崎鳩子先生が不思議そうな顔で俺を見ていた。
花崎先生は襟元に温かそうなファーをあしらったロングコートに身を包んではいたが、コートの裾からスラッと見える細い脚に薄茶のロングブーツ姿で相変わらずシュッとして格好いい出で立ちだった。
それに、最近前髪を分けてはっきり見えるようになったその顔にも自然ではあったが上品なメイクが施されていて、以前より明るい印象を受ける。これからデートの約束でもあるのだろうか?
「花崎先生…? こんちゃス」
奇遇だなと思いながらも俺はとりあえず挨拶をする。
「こんにちは。今日は爽風ちゃん、一緒じゃないのね?」
「いやぁ……ちょっと、色々ありまして……」
俺はきまり悪げに頭を掻きながらそう答える。
「……なにか、悩んでる? 相談、のろうか?」
花崎先生はゆっくり近付くと俺の顔を覗き込みながらそう言った。
やや近い距離感にどぎまぎする俺に構わず、花崎先生は言葉を続ける。
「これでも一応、人生の先輩だから、ね」
花崎先生のその言葉に俺はふと思い至る。
そうか……相談できる人は、周りにいるじゃないか……しかも、専門家だ。
「あのー、先生」
「うん。なぁに?」
「…ちょっと時間ありますか?」
俺の問いかけに先生は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに微笑んで言った。
「…うん。あるよ」
「で? どうしたの?」
俺と花崎先生は先生の行き付けだと言う近くの喫茶店『Caf'e Sylphide』に来ていた。
「実は……その……」
俺は恥も外聞も捨てて、先日の爽風とのことを先生に話した。
先生は俺が勢いのまま話すのを真剣な顔付きで黙って聴いてくれる。時折「うん」とだけ相槌を入れながら。
俺が一頻り話し終えると、花崎先生は静かに口を開いた。
「なるほど……」
「俺……爽風を大事にしたいとか口では調子のいいこと言っておきながら、本当は爽風としたいだけなんじゃないかとか、自分でも自分の気持ちが分からなくなっちまって……」
俺の言葉に先生は少し考え込んでからこう言った。
「爽風ちゃんは、嫌がらなかったんだよね? しかも、一緒にゴムまで買いに行って…」
「は、はあ……まあ…」
先生は穏やかに目を細め俺を真っ直ぐ見て微笑む。爽風も美人だと思うが、先生にはまた爽風とは違った大人の女性の美しさがあるように思えて、俺は恥ずかしくなり目を逸らしそうになるが、なんとか踏みとどまり先生の視線を捉える。
「桃田君は、爽風ちゃんのどんなところが、好き?」
目の前の美人先生が俺に突然そんな質問をしてきた。
「え? それは……その、全部です」
俺は思わずそう答えてしまったが、先生は俺の答えに満足しなかったようでさらに続ける。
「うん、素敵だね。じゃあ、その好きなところをもう少し詳しく教えてもらえる?」
俺は今まで散々恥ずかしいことを先生に告白してきたので今更だと思い、考え、思い付いたことから口に出していく。
「えっと、優しい所とか……」
「うん」
「笑顔が柔らかい所とか」
「うん」
「真面目な所とか」
「うん」
「見た目も、俺なんかには勿体ないくらい美人だと思うし」
「うん」
「あと、あいつ意外と頑固なんです。そんなところもしっかりしてて好きです!」
俺はもうやけくそになって爽風の好きな所を思いつく限り挙げていく。
「うん。うん」
先生はそんな俺を微笑みを崩さないまま優しく頷き聴いている。
「余り人に弱さを見せないんスよ。本当は気付いてもらいたいって思ってるくせに。格好いいと思いますけど、俺は、頼って欲しい!」
「そうだね」
「普段はおとなしくてクール振ってるんですけど、言いたいことはハッキリ言うし、割りと感情的で表情豊かだし…」
「へえ」
「人のことを一番に考えてくれる、格好いい奴なんです!」
「うん」
俺は爽風との思い出を振り返りながら、花崎先生に爽風の好きな所を伝えていく。
「そんなところ、全部……好きなんス……」
「ふふ」
俺の言葉を聞いた先生はまた優しく微笑む。そして、少し間を置いてから言った。
「……じゃあ、桃田君、爽風ちゃんの、嫌いなところは?」
「え?」
先生の言葉に俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。そんな俺を先生は変わらず穏やかな顔で見ている。
「嫌いなところ、です、か?」
そんな先生の言葉を聞いて俺は急に考える。爽風の嫌いな所……
「えーと……嫌みっぽい所……とか?」
俺が頭に思い浮かんだことをそのまま言うと先生は微笑んで言った。
「うん。他には?」
「え? あ、うーん……名前が“爽やかな風”って書く割にはカラッとしてないと言うか、ジメッとした風と言うか……人情深いんですよね。あ、これは好きなところか」
先生に促されるままに俺は爽風の嫌いなところを考えようとするがなかなか出てこない。そんな俺の様子を見た先生はまた優しく微笑むと言った。
「余り、無いのかな?……じゃあね、桃田君、爽風ちゃんを“美人”だと思うのは、どんなところ?」
「え? あ……それは……顔?」
「顔? もう少し、具体的に言える?」
「…輪郭がスッキリしてて、切れ長の目だけど少し目尻が垂れてて優しげなところとか。顔も小さいな。背もちっさくて可愛い。手も俺なんかと違って小さくてさ、すっごい、女の子なんだなって思える」
「うん」
俺は花崎先生に促されるままに爽風の綺麗な所を挙げていく。
先程爽風の嫌いな所を訊かれた時より自分でも不思議なほどスラスラと言葉が出てくる。
「あと、肌も白くてさ、きめ細かいし。唇は……ちょっと薄めだけど形が良くて……でも少し小さいかな? あ、鼻筋が通ってて、顎のラインもシュッとしてて……」
「うん」
「……髪も綺麗だよな。サラサラで真っ直ぐな黒髪が背中まであるから、歩く度に髪が揺れてさ。俺、爽風の髪、サラサラしてて好きなんス。それで、あの長い髪が風に靡くのも……すごい綺麗だなって……」
「うん」
「……体もさ、スラッとしてんのに柔らかくって……その……胸とかも、こう……柔らかそうで……触りたくなる…」
「うん。そうだね」
先生は俺の言葉を聴いて満足そうに頷いてから一呼吸置き改めて俺の目を見て言う。
「桃田君、それはね? 思春期の男の子なら誰しも女の子に対して抱く感情だよ。君が特別なんじゃないの。むしろ、そんなに爽風ちゃんのことを好きで好きで堪らないって、すごいことだと思うよ」
「そ、そうスか?」
花崎先生の言葉に俺は思わず照れる。先生はそんな俺を見ながら続ける。
「……うん。その人を好きになって、恋をして、同じ時間を過ごして、いずれそれが愛になって、結ばれるんだと思う。私はまだそこまで人を好きになったことがないから、あまり言えたことではないんだけど、ね」
そして、先生は俺を真っ直ぐ見据えて言う。
「桃田君」
「はい」
俺は先生の言葉をじっと待つ。
「爽風ちゃんも思春期の女の子。心のバランスは崩しやすいし、将来に不安だってあると思う」
「はい」
俺は花崎先生の言葉を一言も聞き逃さないようにじっと聴く。
「…そんな爽風ちゃんが、君になら体を許してもいいと、その覚悟までして、君と一緒にゴム、買いに行ったんだよ?」
「あ……」
俺は花崎先生に言われて思い出す。
そうだ……爽風は俺とならそうなってもいいと言ってくれていたんだ……!
「うん。桃田君は今までも、そしてこれからも、きっと変わらないと私は思うよ? でも、もし君が爽風ちゃんのことを本当に大切にしたいと思うのなら、その気持ちをちゃんと明確に伝えてあげて欲しいな」
「先生……!」
俺の中で何かが大きく動くのを感じる。それはまるで、今まで俺の中で眠っていたものが目を覚ましたような、そんな感覚だった。
俺は花崎先生に向き直り、溌剌と返した。
「先生! ありがとうございます!」
「うん」
先生は優しく微笑むと俺に言う。
「君なら大丈夫。きっと爽風ちゃんを幸せにしてあげられるよ」
俺は先生のその言葉に大きく頷く。
そうだ……俺は爽風を絶対に幸せにする……!
「……あ、でも、これだけは忘れないで? 女の子の体と心はとても繊細。必ず、優しく、心も一緒に抱いてあげてね?」
そんな先生の言葉に俺は赤面しながら頷く。
「う、ウス!」
先生はそんな俺の様子を見てクスクス笑いながら続ける。
「ふふ。それじゃ、私この後予定があるから、そろそろ失礼するね?」
そして先生は柔らかい笑顔を向けたまま俺に言う。
「保健の先生がこんなこと言っちゃダメかも知れないけど、桃田君、応援してる。私の友達を、爽風ちゃんを、よろしくお願いします」
「はいッ! ありがとうございました!」
俺がそう答えると花崎先生も嬉しそうに笑った。そして先生はそのまま席を立つと俺の分まで会計を済ませて先に店を出て行った。
「先生……ありがとう……」
俺は先生の背中を見送りながら、思わずそう呟いていた。
俺の中で確かになった思いがある。それは――




