EP4-9:ハトコセンセイ
――そして、今に至る。
恐らく、司郎は今から想い人である私の名前を鳩子の前で出すのだろう。
爽風は瞬時にその後のことも考えた。鳩子は司郎の口から放たれる名前はきっと自分のことだと思っているに違いない。
そんな最高潮の心持ちから爽風の名前を聞かされては鳩子は失意のどん底に突き落とされてしまうだろう。
あの時、ファミレスでちゃんと説明していなかったばかりに、目先の苦痛から逃げたばかりに、今鳩子に司郎の口から最悪の形でその真実が告げられようとしている。
爽風はベッドを囲っているカーテンを勢いよく開け、司郎に制止の声を投げ掛けようとした。
だが、それよりも早く、この場を制した者がいた。
「桃田司郎君、だよね?」
鳩子はそんな司郎を見て優しく微笑む。
「あ? えッ!? 先生、俺の名前知ってたんスか?」
司郎は鳩子の言葉を受けて心底驚いたといった顔で返す。そんな司郎に鳩子はクスと笑う。
「ふふ。知ってたよ、君の名前。私のお友達の、彼氏、なんだよね?」
その鳩子の爆弾発言に今度は爽風の方が目を剥く番だった。
そんな爽風のことなど知らず、司郎は鳩子に聞き返した。
「え? 友達!?」
「うん。友達。今、“爽風ちゃんを迎えに来た”って、言おうとしたんでしょ?」
それを聞いて司郎はぽかんとして答える。
「あ…ええ。俺、爽風を迎えに来たんス…そのついでに相談聴いてもらおうかなって。あいつ、調子どうです?」
その司郎の答えに鳩子はさらに表情を綻ばせる。そしてベッドの方に振り向き、さっきは司郎の名前を確信していたが改めて爽風に確認を取るように聞いた。
「ね? 合ってたでしょ? その顔色だと、大分善くなった、かな?」
鳩子がベッドから顔を出して来た爽風にそう話しかけると、爽風は慌てて返事をした。
「あッ! はい! あ、あの、私……ッ!」
だがそんな二人のやり取りを見た司郎が不思議そうに言った。
それはそうだろう、自分の相談をしようと保健室に来たら。何故か先生は自分の彼女の友達だったと言うのだから。
「え? 二人、知り合いだったんスか?」
その司郎の疑問に鳩子は少し困ったように答えた。
「うん……まあ、ね」
そんな二人の会話に爽風は慌てて割って入る。
「鳩子さん! 司郎くんの事、黙っててごめんなさい! 決して鳩子さんを傷つけたかったわけじゃなくて!」
爽風の悲壮な声に鳩子は少し驚いた顔をしたが、すぐにまた優しい笑顔を見せた。
「爽風ちゃん? 爽風ちゃんは全身で語ってくれてたよ、桃田君のこと。だから私は彼がその桃田君だって気付けたし、二人を心から祝福したいと思ったんだから」
「鳩子さ……」
爽風は鳩子のその言葉に胸を打たれる。そしてそんなやり取りを理解出来ていない司郎が口を開いた。
「え? あ……まさか、爽風の言ってた“最近できたステキな友達”って、先生?」
そんな司郎の疑問に今度は爽風が答えた。
「うん……そう。まさか今日、こんな形で司郎くんに紹介することになるとは思ってなかったけど…」
爽風はそう言うと少し涙ぐんだ。そんな爽風に鳩子は優しく微笑む。
「ふふ。桃田君? 爽風ちゃんと、これからも仲良く、ね?」
「えッ! あ、はい!」
司郎が鳩子の言葉に背筋を伸ばして答える。
「先生、あの……俺、この爽風と付き合ってるんです」
その告白に鳩子は優しい笑顔で短く「うん」とだけ返す。
「さっき相談してたの、こいつとのことで…」
「うん。知ってた」
「…………」
司郎は今更になって彼女の友達に恋の相談をしていた事実に気付き、赤面して言葉を失った。
「…それと、桃田君? 一つ、私から忠告」
「あ、はい! なんスか!?」
鳩子のその忠告という言葉にギクリとし、司郎は咄嗟に鳩子に向き直る。鳩子は相変わらずそんな司郎を慈しむように見つめ、言う。
「彼女がいるのに、他の女の子に“可愛い”って言葉、使っちゃ、ダメ。覚えておいて?」
「わ、分かりました!」
そんなやり取りを心配そうに見つめる爽風の顔に鳩子は気付き、無言で優しい顔を向ける。
「鳩子さん……も、司郎くんの、こと……」
爽風のその言葉を遮るように
「何のこと、かなあ……」
と、窓の外にそっと視線を向けた。
「さあ。岸さんももう立てるようだけど、まだふらつくといけない。桃田君、しっかり岸さんを支えて一緒に帰ってくれないかな?」
鳩子が二人を見ながらそう声を掛けてきた。
「え? あ、はい! 大丈夫か、爽風? ほら、掴まれよ」
司郎が爽風に肩を貸すように自分の右肩を差し出す。
「う、うん。ありがと…」
爽風も少し頬を赤らめ司郎の肩を掴もうと近寄る。それを見ていた鳩子がプッと少し吹き出し言う。
「違う違う。なんだ、君たち…お互いの支え方もまだ知らないの? ほら、こうやる」
鳩子は二人の前まで来て二人の手を取るとそれを握らせた。
初めて手を握った司郎と爽風はお互いの顔を見合わせると、プシューと音が聞こえてきそうな程、一瞬で更にその顔を真っ赤にさせた。
そんな二人の初々しい姿を一歩引いたところで満足そうに見つめる鳩子。
そんな彼女の白衣は、窓からの陽射しを受けて一際眩しく輝いていた。
――九月一日。澄水高校二学期始業式。
蒸し暑い体育館で二学期開始の挨拶を手短に済ませてくれた校長に全校生徒が安堵していた。
そして、生徒たちから離れた列に立ち並ぶ教員たちの中にもその事に安堵していた人物が一人。
(…校長先生の話、早く終わってくれて、良かった。長くて貧血の子とか出ると可哀想だし。何より、私が早く保健室で涼みたいし……)
始業式が終わり生徒たちが体育館から退場していく。その列の中から自分を見て軽く会釈をくれる生徒が何人かいた。
鳩子はそんな生徒を見掛ける度、右手を胸の前に上げ小さく振る。前髪を横に流し、双眸を顕にしたその表情は今日の空のように澄み渡り輝いていた。
鳩子は想う。
あの日、二人が保健室に来たあの時からこの二学期はきっと何かが変わると。
夏が終わっても秋が来ても冬が来ても。できる事なら、これからの人生を共に歩んでいって欲しい二人を側で見守りたいと。
そして自分もまた、少しずつでもいい、あの二人のように前向きに変わっていけたらと思えるようになった。
(爽風ちゃん、桃田君。誰かを好きになって、その人の事を大切に思えることは、とても尊いこと。そんな忘れかけてた気持ちを思い出させてくれて、ありがとう。私もきっと――)
そんな誓いを胸に秘めた鳩子は今日も“ちょっとミステリアスな保健室の先生”として彼ら学生を支えて行くのだ。
【エピソード4 完】
ご覧いただきありがとう御座います。
気の向くままに書き下ろした短篇の四本目です。サブヒロインと趣向を変えて不定期に続きます。
今回は学校のアイドル、“保健室の先生”が登場しましたが如何でしたでしょうか。
未だアイドルと呼ぶには、知名度も理解者も少なく、これから学生たちと共に先生自身も成長していってくれたら作者冥利に尽きます。
少しでも感じて頂いたところ御座いましたら一言でも構いません。ご意見ご感想いただけますととても励みになります。
普段はXにおりますのでお気軽にお声がけください。
乱文失礼致しました。




