EP4-8:ヒカレルサキハ
――夏休みも終わりに近付いた、ある日の保健室。
鳩子は新学期に備え、備品の発注や管理簿の記入等の業務を早めに終わらせるため出勤していた。
デスクワークがひと段落した鳩子は席を立ち、両手を上げて「ん〜」と背伸びをする。そして外を見る。
朝日の射し込む保健室はエアコンをつけてはいるものの、少し蒸し暑い空気で満ちていた。
「……そろそろ、かな」
鳩子が独り言のようにそう呟くと同時に、廊下から元気な声が届いた。
「花崎せんせー! こんちゃス!」
その声は紛れもなく金髪の彼のものだ。鳩子は苦笑し、立ち上がると保健室の扉を開けた。
「やあ。部活は終わった?」
「はい! それで、今日先生来てるの見えたから、前に言ったアレ、時間があったら聴いてもらいたいなーと思って…」
彼は珍しく真剣な面持ちでそう告げる。
「うん。大丈夫だよ。今、ベッドで休んでる子がいるから、ちょっと部屋の隅に行こうか」
鳩子が小声で応えて椅子を保健室の隅の方に持っていく。
「あ、はい。済みません、仕事中に」
「大丈夫。じゃあ、話を聴くよ?」
彼は差し出された椅子に座ると、目の前の鳩子にぽつりぽつりと話し始めた。
「はい……あの、俺、最近ずっと悩んでることがありまして……」
「うん」
彼は鳩子の相槌を聞くと少し間を置いて続けた。
「その、この夏の始めに、好きな人が出来たんです」
「うん」
その相談事とは、鳩子が予想していた通りの恋愛相談のようだ。鳩子は一つ深く息を吸い込み、心がこれ以上ざわつかないよう努める。
「でも俺、誰かを本気で好きになったことって今まで多分一度もなくて……いざ好きになってみて、これから何をすればいいのか、何を言ったらいいのか、まだよく分かんなくて……」
「…うん」
「それで、その……先生なら、何か良いアドバイスをしてくれるんじゃないかと思って……ほら、先生っていつも真剣に生徒の話聴いてくれてるじゃないス!」
彼はそう言うと少し恥ずかしそうに俯いた。そんな彼を見て、鳩子は優しく微笑む。
「ふふ。そっか。でも、ごめんね? 私は恋愛下手だから、あまり参考にならないかも…」
「あ! いや! そんな! こうして時間とって聴いてもらってるだけでもありがたいっス! こんな相談誰にしていいか分からなくって」
そんなやり取りの後、二人は少しの間沈黙する。そして先に口を開いたのは鳩子だった。
「君は、その人に、何を求めるの?」
「え?」
鳩子からの突然の問いに、彼は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「……あ、いや……俺はその、ただ一緒にいられたらそれだけで嬉しくて、幸せだなって」
彼がそう答えると、鳩子はまた質問を返す。
「君は、今のままで満足してるんだよね? なら別に無理に何かする必要はないんじゃない? それとも、何かしたいの?」
「…………」
彼は鳩子の問いかけに暫し無言になる。その顔は真剣に思いを巡らせているようで、表情から何かを読み取ることは出来ない。
「……俺は……もっと近づきたいです。その人に釣り合う男になって、胸張って彼氏として隣に立ちたい」
そんな彼の答えに鳩子は優しく微笑む。
「うん。そっか。なら、その気持ちを素直に伝えればいいと思うよ」
「え? あ、でも……」
彼は鳩子のアドバイスに少し驚いた様子だったが、すぐにまた俯いてしまう。そんな彼を見て、鳩子はさらに続ける。
「大丈夫。君ならきっと出来るよ」
「……」
彼は再び沈黙するが、やがて顔を上げると、鳩子に少し赤らめた顔で礼を言った。
「先生……ありがとう…!」
そんな彼に鳩子は笑顔で返す。
彼は小さく深呼吸をすると、気持ちを切り替えるように告げる。
「じゃあ! 言わせてもらいます!」
「えッ!?」
――その日、爽風は朝から体調が思わしくなかった。月のものも二日目で今日は部活を休もうかとも思ったが、ここのところ皆のサポートを一生懸命している彼の姿を見せられ、プールには入れないが自分も応援くらいは出来るだろうと部活に参加する為に登校したのだ。
だが、やはり無理がきかず登校早々保健室のお世話になることになってしまった。幸いにも今日は養護教諭の鳩子が出勤していて、ベッドに休ませてくれた。
「爽風ちゃん、気持ちは分かったけど、生理の日は無理はしないで? 女の子にとって色々バランスが崩れてる日だから…」
横になる爽風を心配そうな瞳で見つめる鳩子。
「はい……すみません」
爽風はそんな鳩子に申し訳なさそうに謝る。だが、鳩子は微笑みながら首を振った。
「ううん。爽風ちゃんのそういう気持ちは、とても尊いと思う。本気で好きなんだね、彼のこと…」
「先生……」
そんなやり取りをした後、二人は少し沈黙する。そして先に口を開いたのは爽風だった。
「…先生、“岸さん”じゃなくていいんですか?」
爽風のその言葉に鳩子はハッとしたが、暫し無言で考えると爽風に向き直り柔らかな顔で言う。
「今日は夏休みだし、他に人いないから、大丈夫、かな?」
そんな茶目っ気あることを言う鳩子に爽風はクスリと笑う。
「ふふ、そうですね」
そんな爽風の様子を見て鳩子は安堵の表情を浮かべた。
「あ。爽風ちゃん、もしかしてこれから私に相談があるって子が来るかも知れないの。そのまま休んでていいんだけど、もし聞こえちゃったら、聞こえなかったことにしてね」
「分かりました。大丈夫です。人のプライバシーは守ります」
爽風が真剣な顔で返すと鳩子は微笑んで返した。
――それから、少し間をおいて入って来た金髪の生徒こと、桃田司郎の相談事が始まったのだ。
爽風は最初入って来たのが司郎だったことに驚いた。布団を頭まで被り、なるべく二人の会話が聞こえないように努めた。
だが、その相談事とやらはどうも自分に関係のあることのようだった。
爽風は司郎に悪いと思いつつも、布団の中からそっと聞き耳を立ててしまう。
「俺は……もっと近づきたいです。その人に釣り合う男になって、胸張って彼氏として隣に立ちたい」
そんな司郎の言葉に爽風は布団をギュッと握り締める。そして考える。自分も始めて彼氏彼女という関係になれたものの、それがどういった意味を言うのか、また、どういったことをしていいのか、未だ曖昧な認識だった。
それは司郎も同じだったことを知り、それを人に相談してまで改善していきたいと言う司郎に改めて好意を抱かざるを得なかった。
「うん……あ、でもごめんね? 私は恋愛下手だから、あまり参考にならないかも……」
鳩子が少し困ったような声色で返す言葉を聞いて爽風はハッとなる。
鳩子は多分、過去に辛い恋をして傷付いたことがある。
だから恋愛で悩む司郎に親身になって相談に乗ってあげているのだろうが、そのことが逆に彼女の心の傷を抉って傷つけてしまうのではないだろうか。
「あ、でも……君は、今のままで満足してるんだよね? なら別に無理に何かする必要はないんじゃない? それとも、何かしたいの?」
そんな鳩子の言葉に爽風はまたハッとなる。
そうなのだ。自分が今すべきことは、これからの自分たちの恋を探り、育てることではないだろうか。
自分はまだ司郎のことをあまり知らないし、これからもっと知っていきたいと思っている。彼のことを知った上でやりたい事を一緒に探して行けたら良い。
爽風は布団から顔を出す。すると、ちょうど司郎が意を決したように鳩子に告げるところだった。
「先生……ありがとう…!」
――鳩子はきっと、司郎に惹かれている。
爽風は先日ファミレスで鳩子と語り明かした恋バナの流れから、鳩子がその水泳部の男子のことを少なからず良く思っていて、淡い期待を抱いているように感じていた。
だが、爽風は言えなかったのだ。
その男子こそ私の彼氏、桃田司郎なのだと。その事を鳩子に告げればきっとまた鳩子に傷心の辛い思いをさせてしまう。
そんな負い目から爽風はあの時、どうしても鳩子に司郎のことを言えないでいた。
「じゃあ! 言わせてもらいます!」
「えッ!?」
そんな爽風の心配もよそに、司郎の決意に満ちた声が保健室に響いたのだった。




