EP4-6:カレハハコブ
八月もお盆が過ぎて、学生はまだまだ夏休み。
鳩子は月イチのプールの水質検査のため出勤していた。
既に検体を取り終えていつもと変わらない白衣姿で保健室でまったりとコーヒーを啜っていた。
すると、記憶に新しいドタバタした足音が近付いて来た。
「失礼しまっス! ほらやっぱりいた! 先生こいつ――」
それはいつぞやの金髪の水泳部男子だった。そしてまた傍らには体操着姿の男子部員を一人伴っている。
幸いなことに今回彼は体操着を上に着て来ていた。鳩子は取り乱さなくて済むと思い、ホッと胸を撫で下ろす。
「どうしたの?」
鳩子はその金髪の生徒の顔を見るなりきょとんとした顔でそう訊き返した。
すると隣の体操着姿の男子が申し訳なさそうに口を開いた。
「すいません先生…こいつがさっきプールサイドで先生の姿を見たって言って……軽い切り傷だから別にいいって言ったんですけど」
「バイキンでも入ったら大変だろ? 先生がいるなら診てもらった方が良いって言ったんスよ!」
金髪の生徒が得意気に言う。鳩子は納得がいった顔で訊き返した。
「うん。バイキンは怖いよ? 消毒しよう。見せて?」
「え、あ……はぃ……」
男子生徒は少し恥ずかしそうにしながら鳩子の前に座った。
鳩子は素早くディスポーザーグローブを装着し、膝を押さえていたタオルを取って、患部を見た。タオルには若干の血痕が付着していた。
「うん。浅い。大丈夫。消毒するよ? ちょっと染みるけど、我慢して」
そう言うと鳩子は鮮やかな手付きで消毒からガーゼ、包帯と処置をしていく。
「はい。お終い。ほとんど止血してたから、今日お風呂入るまで固定して、後は消毒だけで大丈夫だと思うよ」
鳩子は笑顔でそう返した。男子生徒は恥ずかしそうに
「あ、ありがとうございます!」
としっかりと言ったが、すぐに金髪の彼がその肩に腕を乗せてきた。
「な? 言ったろ!? 花崎先生はスゲー手際いーんだよ!」
「分かったって! 助かったよ!」
そんなやり取りを見て、鳩子は小さくクスと笑った。それから少し間を置いて口を開く。
「……で、君は? この前も他の子運んで来てたけど」
男子生徒の後ろにいた金髪の生徒を手で示しながらそう言った。
「あ、はい。俺も水泳部ッス」
彼が答えると今度は運ばれて来た男子が口を開いた。
「俺、片付けあるからちょっと先行くわ! 先生、ありがとうございました!」
男子生徒は彼と鳩子二人を残し、足早に保健室から退室して行った。
それを二人してぽかんと見送り、再度向き直る。
「水泳部、なのは知ってる。この前水着だったし……」
鳩子は赤く染めた頬に気付かれないよう、前髪を片手で弄りながら彼に問う。
「あ、そうでしたっけ!? 俺、今怪我してて本気で泳げないからみんなのサポートに回ってるんスよ」
「そう、なの…」
彼は説明しながら後頭部を掻く。鳩子は前髪を弄る手を止めて神妙な面持ちで彼に向き直った。
「怪我、大丈夫?」
鳩子が心配そうにそう訊いた。彼は鳩子の顔を改めて見てから、少し照れ臭そうな仕草をしながら口を開いた。
「あー……春に左腕靭帯断裂やっちゃいまして……でも、もう大分よくなったんスよ! 練習にも参加出来るようになったし!」
そんな彼の返答に鳩子は安堵の表情を浮かべた。
「そっか。治療に部活に、両方頑張ってるんだね…」
笑顔で彼を労う鳩子。しかし彼は少しバツが悪い顔をして
「まあ、今でこそそうなんスけど……それまではちょっと荒れたりしてて……」
鳩子はそれを聞いて表情を曇らせた。彼は慌てて言葉を繋ぐ。
「あ! でも! 最近一人ですごい頑張ってた奴に会って、変われたんです俺! 前より前向きになれたと言うか、そいつのお陰でまた水泳が楽しくなったんです!」
その言葉に鳩子は表情を戻し、少し照れた様子で口を開く。
「それは……良かったね。その人も、喜んでると思うよ」
その言葉を聞いて彼は満面の笑みで
「はい! ありがとうございます!」
と返した。すると丁度チャイムが鳴り出したので彼は立ち上がり保健室を出ようとする。
「あ、先生…」
出て行こうとするところで彼が足を止め、何か言いたそうに口を開いた。そして鳩子の顔を見てから言葉を続けた。
「今度は、相談だけしに来てもいいっスか?」
鳩子はその言葉に少し驚いた表情を浮かべて金髪の生徒の顔を見上げる。彼は恥ずかしそうにしながら続けた。
「……その、俺、今気になってる人がいて……」
それを聞いて鳩子の表情に喜びの色が灯る。そして満面の笑みを浮かべて彼にこう返した。
「…うん! いつでも相談に来て!」
その言葉に今度は彼が照れ笑いを浮かべながら小さくお辞儀して保健室を出て行った。
(良かった……)
鳩子は一人になった保健室で金髪の生徒との会話を振り返りながらそう思った。
(今日は、上手く話せたかな? 怪我してても、みんなのサポートに回るとか、偉いなあ……私だったら、挫けちゃいそう……私に相談したいって言ってくれてたな。私、頼られてる? 頼られて大丈夫かな… だめだめ! 自信持たなきゃ! 折角私を頼って言ってくれたのに、私がしっかりしないと! ……悩み、気になる人がいるって言ってた。恋の、悩み? 誰の事なんだろう……まさか、私!? ってことは、ない、かな…?)
鳩子は一人、頬を染めてそんなことを思い巡らせた。
そしてまたも一人で「はあぁ……」と小さな溜め息を吐いたのだった。
「あッ!」
鳩子は自分しかいない保健室の中で一人小さく声を上げた。小さく口を開けたまま暫く呆けて
(また名前聞くの、忘れちゃった…)
と、少し後悔の色を顔に浮かべた。




