EP1-3:レンタヒーロー
部室で俺達は帰り支度を済ませると校舎を後にした。因みに俺は徒歩での下校。
校門を出て少し歩いた所で、俺は岸に話し掛ける。
「なあ、お前、帰り歩きなの?」
「…最寄り駅まで歩き。そっから電車」
「ふーん……最寄りって南梅原?」
「そう」
「なら俺の帰る方向と一緒だ。駅まで話せる」
「そう…」
岸の素っ気ない反応に、俺は思わず苦笑いしてしまう。
まあ、噂の件で落ち込んでるんだろうし……
しかし俺は今まさにそのことをこれから訊き出そうとしている。なんて声を掛けていいものか……
俺が隣で唸っていると、岸の方からさっきの話題を切り出してくれた。
「…彼氏なんていないし、そういうことだってまだしたことない……」
岸は俺から顔を背け、呟くようにして言う。しかし直ぐにバツの悪そうな顔をして俺の方をチラリと見ると、再び前を向いてボソリと言った。
「でも……噂になり始めたのは今年の春頃から」
「その頃、何かあったのか?」
俺は思わず聞き返してしまう。岸はそんな俺の反応を見て再び前を向いてしまうが、心なしかさっきよりも声が小さい気がする……
そして一言だけ、彼女は呟いたのだった。
「……振ったの。告白してきた男子を」
「あらら…」
何となく話が見えてきたかも知れない。そのまま岸の話に耳を傾けると、その内容はやはり俺が予想したような内容だった。
男を振ったことが、その男を好きだった女子の耳に入り、その女子の妬みから、岸がそういう噂を流されてしまったという事らしい。
「でもさ、それってお前が悪い訳じゃないよな? どう考えても悪いのは変な噂を流したその女子だろ? 話せば皆だって分かるだろうし、信じる方も信じる方だ!」
俺が半ば呆れてそう言うと岸はまたもバツの悪そうな顔をして俺を見る。しかし今度は直ぐに視線を逸らすと、少し間を置いて答えた。
「……女子は噂が好きなのよ……」
そして彼女は続ける。
「それに、誰かと組むのも大好き。組まれるとどんな白でも黒になっちゃう……」
そこまで言うと岸はまたも黙りこんでしまう。そして突然立ち止まってしまった。俺もそれに釣られて足を止めてしまう。
岸が立ち止まったのは駅の入り口だった。岸は俺の顔を一瞬チラリと見ると、そのまま俯き加減に話を続けた。
「なんか、変な話聞かせてごめんね……」
そう言って彼女は改札の方へ顔を向けようとする。それを俺はまたも慌てて止めた。
「いや! 全然変な話じゃないし、むしろ話してくれてよかった!」
岸はそんな俺の反応を見て一瞬キョトンとするが、直ぐにクスクスと笑い出した。
「な、なんだよ……」
「だって桃田君、必死過ぎ」
岸はそう言って笑うが、その笑顔に少し元気が出てきたように見えて俺は内心ホッとする。
そんな俺の様子を察してか、岸は今度は目を線にして柔らかい笑顔で俺に言うのだった。
「でも……ありがとう」
「必死にもなる……同じ部活でクラスメイトの女子の名誉の問題なんだからな…!」
俺は照れ隠しにそう強がってみせた。すると岸はまたクスクスと笑ってくれたので、少し安堵する。
「また明日、一緒に帰れる?」
「俺でよければ話を聴く! まだ何が出来るか分からないけど、一人で塞ぎ込むようなことはやめてくれ」
俺が必死にそう言うと、岸は元々細い目を更に線にしてこう言ったのだった。
「久し振りに見たな。そういう桃田君…」
家に着いて、晩飯の前に毎日の日課である筋トレのメニューを消化しながら俺は考えていた。
岸の名誉の為に何かしたいとは思ったが、具体的に何をしたらいいのか思い付かない。イケメンや物語の主人公ならこういう時、ヒロインを救い出す上手い手口が直ぐに見つかるのかも知れないが、今が思春期真っ盛りの平凡な男子高校生の俺にとってそんな考えは浮かばなかった。
医者から決められた日課分以上に筋トレを消化した俺は汗を流すために風呂場に入る。そしてシャワーを浴びながら俺は自然と浮かんできた言葉を口に出した。
「俺が岸を救う? いや、救うって何だよ……おこがましい」
そこからは考えるでもなく勝手に言葉が口から溢れてきた。それはまるでシャワーの水と一緒に俺の思考回路も流れ落ちていくようだった……
何の見返りもなく人の為に何かをするなんて、偽善じゃないか?
俺は岸に見返りを求めてる?
見返り?
……ッ!
あわよくば付き合いたいとか!?
いや馬鹿な!
そもそも、あいつはそういうことしたことないって言ってたし。
……ということはつまり、処…ッ!
って、そっち方面から一旦離れろ!
えーと……何考えてたんだっけか?
あの時、間近で見た岸の水着姿が脳裏をよぎる。
夕陽に照らされて紅く輝く素肌に濡れて貼り付いた水着――
男のそれとは全く違くて、触れたい欲求が溢れ出す緩やかな曲線をつくる二つの胸の膨らみ――
他に考えを巡らせようとすればする程、ドツボにハマっていき結局思考が停止してしまう。
そして何故か下半身の俺自身だけが自らをアピールするかのように、ほぼ直立の状態でそこにいた。
俺はシャワーを止めると一つ大きな溜息をついたのだった。
翌日、昨日と同じ時間、俺は同じ場所である人物を待ち伏せていた。
その人物とは勿論岸だ。
チャイムと共に部活が終わり、人が捌けた部室の入り口で待つ。
そして岸はやはり今日も一番最後に着替え、部室から出てきた。
「よう。駅まで一緒に行こう」
俺は岸にそう声を掛けると、さっさと歩き出す。すると俺の思惑通り、彼女も俺の隣に並んで歩き出した。
「あのさ、無い頭で色々考えようとはしたんだけど、上手く考えが纏まらなくてさ……昨日あんな啖呵を切っておいて、済まん」
俺は隣を歩く岸に詫びる。岸はそんな俺を横目で見ると、ボソリと呟いた。
「ううん……こっちこそごめんね。変に負担かけちゃって…」
「負担なんかじゃねえよ! 何か手伝えたらいいなって思ったから、こうして一緒に帰ろうって誘ったんだから」
「……そっか。ありがと」
元々無口っぽい岸相手だ。こっちから話しを切り出さなきゃ進むもんも進まないぞ!
俺は意を決して思い付いたことをそのまま岸に言っていくことにした。
「友達に相談して嘘だと拡めてもらうのは?」
「もし友達が巻き込まれちゃったらイヤだからないかな…」
「学校に相談してみる」
「学校は一生徒の問題事にいちいち首突っ込んでこないわよ…」
「俺が一緒にその噂流した女子に会ってみる」
「私だけじゃなく、桃田君も悪い噂の標的にされるのがオチね…」
「本当の彼氏を見せ付けて噂の信憑性を失くす」
「ッ!? 彼氏なんか今までいたことないわよ…」
う〜ん……こりゃ相当な……
今聴いたことで分かったことがある。
――岸。
こいつはかなりの強情っぱりだ!
色々提案してみたものの、その全てに否定的な意見が返ってきた。というか、この強情な性格のせいでここまでの事態に陥ってるんじゃないか?
だから俺は考えたのだ。そして足を止め、岸に振り返り、言った。
「お前の言い分は分かった! 岸……え〜と、岸、何さん、でしたっけ?」
「は? 今更?……爽風。爽やかな風って書いて爽風よ」
岸の表情が呆れ顔になる。俺は構わず続けた。
「よーし岸爽風ッ! 友達が巻き込まれるのは嫌と言ったな! その点俺は友達じゃないから巻き込まれても何と言うことは無い! そして、学校は一生徒の問題に首を突っ込まないと言ったな! 俺にとってお前は一生徒じゃない! 部活の仲間でクラスメイトだ! だから首を突っ込む! 噂を流した女子に会うのは止めておけとも言ってたな!? だったら尚の事、俺が彼氏の振りをして会いに行ってやる! どうだ岸爽風!? 大船に乗ったつもりになっただろう!?」
岸は俺の長々とした演説を、呆気にとられた顔で聴いていた。しかし俺の話が終わると同時に、彼女はプッと吹き出した。
「何よそれ……大船どころか泥舟じゃないの?」
「う、うるさい! これでも一生懸命考えたんだ!」
「でも桃田君? そんな嘘ついても直ぐにバレるわよ?」
「バレなきゃいいんだろ? バレないようにするさ」
俺はそう断言すると再び歩き出すのだった。そして少し行った所で後ろから声が掛かる。
「桃田君?」
振り返ると岸が笑顔で言う。
「ありがと。すごく、頼もしいよ…」
俺はその笑顔に照れて視線を外すと、そのまま返事を返すのだった。
「……おう」
って、俺、何意識してんだ?
岸を駅まで送って、ふと我に帰る。そして思い付いたことを、また思い付いたままに岸にぶつけた。
「じゃあよ? 嘘がバレないように、明日の土曜、時間あったら彼氏の修行に付き合ってくれよ」
「嘘がバレないように……って、もしかして本当に彼氏の振りをするつもりなの!?」
岸は俺の言葉を本気に捉えていなかったのか、少し驚いた顔になる。俺は慌てて付け足した。
「そう。だから修行! 俺、女子と付き合ったりしたことねーもん」
「…私だってないわよ……」
「えッ!? 高二なのに?」
「桃田君も同じでしょうッ!?」
お互いに顔を突き合わせると、途端にどちらからともなく笑い声の花が咲いた。
「ふふっ! …たく。残念なことに明日は予定はないの」
岸が笑いを堪えながら俺を見て言ってきた。
「それは残念だったな。俺と出掛けることになっちまうなんて。で、岸はどこか行きたいとこあるか?」
俺も笑いを堪えながら冗談交じりに会話を進めていく。
「そうね……桃田君は水族館とか好き?」
「水族館? ああ。嫌いじゃあない」
「そう!? なら私、水族館に行きたい」
岸はそう言うと楽しそうに目を輝かせた。そして弾んだ声で続けるのだった。
「明日の十時に南梅原駅の改札に集合でいい?」
「おう、分かった。じゃあ、また明日な!」
俺はそう言って手を振りながら岸に別れを告げた。
そして一人になった帰り道でふと思う。
……あれ? 俺、明日デートするみたいになってないか!?