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EP4-2:ケダルイニチヨウ

 夏休みを直ぐ後に控えた日曜日。

 閑静な住宅街のとある一軒家からいつものように母親の元気な声が聞こえてくる――


「はーちゃん、そろそろ起きたらー? 天気のいい日曜日よー?」

 母親が階段下から二階へとそう声を掛ける。しかし返事は無い。

「はーちゃーん!」

 一階から、今度は少し大きめな声で母親が呼びかける。それでもやはり返事は返って来ない。


「……まったく」

 母親は溜息をつきながら階段を上がり、二階の突き当たりにある部屋の前まで行くと、その扉を勢いよく開いた。

「はーちゃんもうお昼前よー? そろそろ――」

 部屋に入った途端、エアコンの冷気と共にカーテンが開け放たれた窓からの日差しが目に入り、母親は思わず目を細める。


「……おはよう、ママ」

 長い前髪の隙間から母親を認識した鳩子はボソと口を開く。ベッドの上にはネグリジェ姿の鳩子が気怠そうに上半身を起こし座っていた。

「おはようはーちゃん。起きてたのね? 朝ごはん…もうお昼ごはんね、食べに降りていらっしゃい?」

 そんな鳩子に母親は変わらずの調子で返す。そしてそのまま部屋の扉を閉め出て行った。


 少し経ってから鳩子はようやくベッドから這い出し、ネグリジェを脱ぐ。

 白く細い肢体が夏の陽に当てられ余計に白さを増した。浮き出た(あばら)が波模様をその影を肢体に造る。

 レースカーテンの隙間から射し込む光に目を細めながら鳩子はクローゼットから適当に服を選び、身に着ける。

 黒のスポーツブラにTシャツ、七分丈の細身のパンツ姿に着替えた鳩子は一階へと降りていき洗面所で顔を洗いリビングへと向かった。


「おはよう」

「……おはよ」

 食卓に着くと、新聞に目を落としていた父親が顔を上げ鳩子に朝の挨拶をした。その一言に短く鳩子が返すと父親はまた直ぐに視線を新聞へと移す。

 母親が「はーちゃんパンでいい?」と訊いてきたので鳩子はコクンとだけ頷いた。暫くして焼き立てのパンとコーヒー、卵サラダが出てきた。

「いただきます…」

 パンを一口食べコーヒーを啜っていると父親が眉間に少し皺を寄せ、鳩子の方を向いた。


「鳩子、今日はどこか出掛けたりしないのか?」

「? 特に予定はないよ」

「日曜なのに、家にいるのか?」

「うん」

「………」

 そんな父親と娘のやりとりを母親も眺めていた。そして父親と鳩子両人を見てから口を開く。

「はーちゃんが友達とか連れてきたらママ嬉しいけどなぁ?」

 父親はその言葉にちらりと鳩子の方へ目を移す。だが当の鳩子は無表情でコーヒーを啜るだけだった。

「うん…」

「ね? はーちゃん? 気になる男の子とかいないの?」

 母親は少し身を乗り出すように、鳩子にそう尋ねた。


「……」

 しかしやはり鳩子は無表情でコーヒーを飲むだけだった。

「…母さん、もういいだろう。人には人のペースがある」

「そう? でも、はーちゃんももう二十五だもの。彼氏の一人や二人連れて来てもいいと思うのよ」

 そんな母親の言葉に、鳩子は思わずパンを喉に詰まらせそうになった。


「……っ、コホッ!」

 なんとかパンとコーヒーを飲み込み、鳩子は母親に無言で抗議の目を向ける。しかし母親はそんな視線など気にもせず話を続けた。

「ママね、はーちゃんには幸せになってもらいたいの。だからはーちゃんが誰かのことを好きになったっていうなら、全力で応援しちゃうッ!」

「……」

 鳩子は無言でパンを食べコーヒーで流し込んだ。

「…ごちそうさま」

 鳩子は席を立ち、食器を片付けると再び二階へと上がって行く。その後ろ姿に母親が声を掛ける。


「はーちゃん、今日は家にいるのー?」

「……うん」

「じゃあお夕飯はママが美味しいの作るからねー!」

「……分かった」

 そんな母親の言葉に少し振り返りそう返すと、そのまま自室に戻った。



 自室のドアを後手に閉め、鳩子は立ち尽くしたまま大きな溜息をつき、それからベッドに腰掛けた。

「はぁ……」

 鳩子は前髪をくしゃくしゃと掻き上げ、そのまま頭を抱える。

(…心配掛けちゃってる、な……)

 鳩子は先程の両親の会話を思い出していた。


『はーちゃんが誰かのことを好きになったっていうなら、全力で応援しちゃうッ!』


 そんな母親の言葉に鳩子は内心冷や汗をかいていた。

(恋愛だけが幸せじゃないのは、もう知ってる……)

 だが、あの自分の将来を心配する両親の目を見ると、鳩子はどうしても思ってしまうのだ。

(パパとママは、私が誰かと恋愛して、結婚して、家庭を持ってもらうのが、幸せなんだよね?)

と。

 そしてそんな両親に心配掛けまいと、鳩子はいつも“友達”や“気になる人”の話題を極力避けていた。


(…恋愛なんて、もう仕方も忘れちゃったよ……学生時代の友達とも、最近会えてないな……結婚、かあー…)

 と、鳩子は自分が結婚するところなど想像付かないと言うように自嘲気味に笑う。

 ころんとベッドに寝転びつつ、先日のプールサイドでの告白風景がふと思い出された。



(男の子が告白して、女の子がそれを受け入れて……もう付き合い始めたのかな、あの二人……)

 鳩子はベッドに仰向けになりながら、男子の告白を受ける女子をぼーっと思い浮かべた。

 遠目だったこともあり、背の低い黒髪の少女だったことくらいしか思い出せなかった。もう一人の男子に至っては群衆に囲まれ姿は全く見えずじまいだった。

 少し首を傾けると、その白い首筋が露になり、そこを一筋の汗がつたい落ちた。


「…幸せになって欲しいなあ……」

 そんな自分一人しかいない自室で、鳩子はぽつりと呟く。そして目を閉じると、何故かあの日のことが思い出された――


『先生、可愛いッスね!』


 その言葉を思い出した瞬間、鳩子はガバっと勢いよくベッドの上から起き上がった。胸に手を当てると妙に落ち着かず、鳩子は深呼吸をし胸に手を当てたまま暫く動かなかった。

「……」

 そして少し落ち着いた後、鳩子は再びベッドに仰向けに寝転んだ。


「はぁ……」

(…髪が金髪な割りには、不良っぽくなかった。むしろいい子そう。人懐こい笑顔で……熱中症の当人より慌ててやって来て、それも水着で…! ……胸板、厚かったな……いやいや! そういう意味でなくて! 私が痩せてる分、ガッチリした人に憧れるというか……いやいや! 私が彼に憧れてるとかいう話でもなくて! だって生徒でしょ? 歳だって幾つ違うのよ……恋愛に歳の差なんてってよく言うけど……だ・か・らぁ! そういう話ではないんだって私! 欲求不満なの!?)

 と、鳩子は誰に対してという訳でもなく頭の中で弁解する。


(でも……私の容姿じゃなくて、心遣いを可愛いって言ってくれたのは……初めてかも……嬉しかった、な……)

 そんなことを思い出しながら、鳩子は再びベッドをゴロゴロと転げ回った。そして一旦動きを止めると天井を仰ぎ見つつ、再び胸に手を当てた。


「はぁ……」

(……心臓がどきどきしてる……男の人の裸、久々に見たな……)

 そんなことをぼんやり考えているうちに段々と鳩子の細い指が下腹部に伸びていく。

(…水泳やってるだけあって、引き締まってて……あんなガッチリした腕に抱かれたりなんかしたら……)


 指が遂には下着の隙間に入り込もうとしたその時、鳩子はそんな行為をしようとしていることに罪悪感と虚しさ覚えるとハッキリと意識を覚醒させた。

「やっぱりダメっ!」

 ガバっと勢いよくベッドから起き上がり、窓を開けた。熱気とセミの声が部屋に飛び込んできたが気にせず鳩子は深呼吸をした。

「いい大人が日曜日の昼下がりからこんな……さすがに、ダメ……!」

 と、自らの行いを戒めるように呟く。


(よし!)

 鳩子は再びクローゼットを漁り、ベージュのロングカーディガンを着て、薄めのメイクと日焼け止め、お気に入りの腕時計とネックレスを着けた。

(うん、大丈夫。普通)

 鳩子は鏡の前でポーズを取ると、そのまま一階へと降りて行った。

 リビングのドアを開けるとワイドショーを観ていた母親に声を掛ける。


「ママ、ちょっと出掛けてくる」

「あら? デート?」

「違うからッ、もう。ちょっと街までお散歩してくる」

 母親の軽口に鳩子は少し顔を赤らめながらそう返すと玄関へと向かった。その後ろを母親が付いてくる。

「外は暑いから気を付けてね? 帽子持った?」

「うん、持った。行ってきます」

「はーい、行ってらっしゃい」

 鳩子は母親が手を振りながら見送る中、玄関を開け家から出た。

 外の熱と太陽の眩しさに一瞬目を瞑ると、鳩子は気怠そうな足取りのまま最寄りの駅まで歩いて行くことにした。

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