EP3-6:ガイハウンド
些かハプニングに見舞われたものの、その後爽風もゆっくりと湯船に浸かって旅の疲れを癒やした。
そして入浴を終え部屋に戻ると丁度夕食が運ばれて来たところだった。
「おう爽風。夕飯用意してもらったぞ」
司郎は浴衣の襟元を直しながらにこやかに爽風に声を掛ける。
「あ、うん! ありがとう。こっちも丁度上がったとこだよ」
爽風は先程の風呂での一件のせいで司郎の顔が真っ直ぐ見られずにいた。
「さっきはありがとな。姉ちゃんたちに付き合ってもらって」
すると司郎から爽風に意外な言葉が掛かった。
「え? あ、うん……ごめんね」
司郎の言葉に爽風は少し申し訳無さげに答える。非難されるかと思っていたのに彼から投げ掛けられた言葉は、感謝だった。その懐の広さに爽風は胸が締め付けられる思いだった。
「なんで爽風が謝んだよ? まったく、姉ちゃんたちには困ったもんだぜ。風呂くらいのんびり入らせてくれよなー?」
そんな司郎に爽風は再び申し訳なさそうな表情で答える。
「……うん、そうだね」
「爽風…」
爽風の様子に何かを察した司郎は、再び笑顔で爽風の手を取る。
「ありがとな、姉ちゃんたちと仲良くしてくれて。あれでも、俺の大事な家族なんだ。爽風が俺の家族と仲良くしてくれてるのを見ると、何だか俺、すげー嬉しいんだ!」
「司郎くん……」
「だから爽風が謝ることなんてない。むしろ感謝してるんだぜ!」
司郎の真っ直ぐな言葉に、爽風は思わず涙ぐむ。そんな爽風に司郎は優しく微笑むと、そっとその涙を拭った。
「ほら、泣くなって。飯が不味くなるぞ?」
「うん…!」
そう言って笑う司郎に、爽風も笑顔で応えるのだった。
そんな二人の様子をやはり柱の影から二つの顔が覗いていた。
「ねえ、私達、ただの厄介者になってない?」
「ぐぬぬ……しろちゃん、なんていい子なのー…」
そして四人で夕飯を囲んで色々な話をした。司郎の小さい頃の話や爽風との学校生活の話など、話題は尽きなかった。
「チロはねー、ほんっと可愛くてねー、オムツも替えてあげたし、お風呂にも入れてあげてねー」
「ちょっと友加ねえ? 少し飲み過ぎじゃないか? ほら水!」
司郎が慌てて友加里に水を渡す。
「むうー、大丈夫らよー」
そう言いながらも既に呂律が回ってない様子に司郎は溜息を吐く。しかしそんな司郎をよそに桃田姉妹は楽しそうに話を続ける。
「ほんと、あの頃のチロったら可愛くって可愛くって!」
「そーお? 今のしろちゃんだって可愛いよねえ?」
そんな話をしている二人を見て爽風が微笑ましそうに笑う。
「ふふ、二人とも司郎くんが大好きなんですね」
「「うん! 大好き!」」
そんな爽風に友加里と季美が笑顔で答える。そんな二人を見て司郎は恥ずかしそうに頭をかいた。
「小さい頃は『友加里お姉ちゃんと結婚するー』ってよく言ってたのに、大きくなるにつれて言ってくれなくなって…」
友加里が酔い醒めやらぬまま、どこか遠い目をして誰にともなく溢す。
「そりゃガキの頃の話だろー? 十も歳が離れてたんだ。友加ねえのこと多分大人っぽく見えてたのかもな」
司郎が付き合って友加里に応える。すると直ぐ様友加里が
「十も離れてませんー! 九つですー!」
とおかしな口調で怒って返した。
だが、トロンとした目で友加里は今にも寝落ちしてしまいそうだ。
「…私は、ただチロが可愛いかった。季美も……妹弟だから、それはもう、愛した………だから…きみも……」
友加里は誰にも聞こえないくらいの声でブツブツと呟くと、その瞼が落ちた。
「ったく……ほら、そろそろ酒はお終いだ。酒弱いのになんで今日は飲んだんだよ友加ねえは……」
そう言って司郎が立ち上がると季美も一緒に立ち上がった。
「しろちゃんおしっこー」
「うわ! 分かった! 分かったから抱き着くな季美ねえ! トイレな? ったく。爽風、ちょっと季美ねえトイレまで連れてってくる。友加ねえのこと頼んでいいか?」
「あ、うん! 気を付けてね」
爽風の声を背中に聴いて片手を上げ彼女に応えると、司郎は季美に肩を貸しトイレ目指し歩き出した。
「チロ〜〜〜……むにゃ」
友加里は爽風に膝枕をされ、寝言ともうわ言とも判断のつかない言葉を発する。
「ふふ、友加里さん、寝ちゃった? 今日は運転もしてもらったし、お疲れ様です…」
そんな友加里の顔を覗き込みながら爽風は優しく微笑むのだった。
「う〜ん……むにゃ……きみ…」
寝てる友加里の眼鏡を外してあげようと手を伸ばした時、爽風は友加里の目の端に光るものに気付いてしまった。
(友加里さん……泣いてる……)
爽風は友加里を起こさないようにそっと眼鏡を外すと、それを畳んでテーブルに置いた。
(……私なんかじゃ、司郎くんの彼女、荷が重いですか?)
爽風は少し悲しげな顔で友加里の髪を撫でる。すると、その感触で目を覚ましたのか友加里がゆっくりと目を開いた。
「ん……あ、私寝ちゃってた?」
まだ寝ぼけている様子の友加里に爽風が笑顔で答える。
「もう少し休んでてください。大丈夫ですから」
友加里はそう言う爽風の声色と、頭の下の膝枕の心地良さから、まだ寝惚けた頭でその状況を理解した。
「あ……うん……」
友加里は爽風の言葉に甘えることにしてそのままの体制を維持する。
「…爽風さん、今日はごめんね?」
「え?」
唐突な友加里の言葉に爽風は思わず驚きの声を上げる。
「いきなり旅行連れ出したり、チロとのこと邪魔したり……結局今日だって私一人浮かれちゃってさ……」
そんな友加里の言葉に爽風は優しく微笑んで答える。
「ううん、そんなことないですよ。私も皆さんと旅行出来て楽しいです」
「……」
爽風の優しい言葉に少し安心したように微笑む友加里。
「チロが好きになるわけよね……私、爽風さんの嫌いな所、一つも見つけられなかった……」
「え……?」
爽風は友加里の言葉に思わず声を上げる。すると、そんな爽風の戸惑いを察したのか友加里が慌てて口を開く。
「ち、違うの! あ、いや……嫌いな所がないって所は違わないけど……そうじゃなくて……」
上手く伝えられない自分に苛立ちを感じながら友加里は再び言葉を紡いだ。
「……私ね? 小さい頃からチロのこと、好きだったの」
「……はい」
そんな友加里の唐突な告白に爽風は今更驚きもせず、友加里の告白に耳を傾ける。
「それはやっぱり、恋愛感情とかとは違ってて、多分、姉弟愛とか母性とか、そう言う感情だったんだと思う……チロにはいつもウザがられてるけど」
そう言って自嘲するように笑う友加里に爽風は優しく微笑む。そして少し考えるような仕草をしてから口を開いた。
「……司郎くんは、その気持ち分かってると思いますよ?」
「……え?」
その言葉に友加里は思わず目を丸くする。そんな友加里をよそに爽風は自分の想いを語り始める。
「司郎くんは、いつも相手のことを想って、優しく出来る人なんだと思います。だから、きっと友加里さんたちの気持ちにも気付いてて、こう言ったら傷付けてしまう、だからこれは言わない、とか、割と頭の中では考えているような気がします」
「爽風さん……」
「友加里さんの優しい気持ちは、きっと司郎くんにも伝わってますよ。大切な家族だって、司郎くん言ってましたもの」
そう言う爽風の言葉に友加里は思わず泣きそうになったが、ぐっと堪えて笑顔を作った。そしてそんな爽風の優しさに甘えることにしたのだった。
「……ありがとう。チロの彼女からそんな事言われて、長年の自分のブラコン性分にやっと区切りが付けられそう……」
爽風の膝枕から起き上がると友加里はパンパンッと自身の頬を叩き、気合を入れた。そして爽風に向き直ると笑顔で答えた。
「爽風さんありがとう! お陰でスッキリした!」
そんな友加里の様子に爽風も嬉しそうに笑う。
「ふふ、よかったです」
友加里は真面目な顔をして爽風に向き直ると、徐ろに正面から彼女を抱きしめた。
「友加里さん!?」
突然の出来事に戸惑いを隠せない爽風に構わず、友加里は彼女の肩に顔をうずめて続ける。
「……ありがとう爽風さん……チロを、好きになってくれて……」
友加里のそんな呟きに爽風は思わず胸が熱くなる。そして、そんな友加里に爽風は瞳を潤ませ微笑み返すのだった。
「……はぃ…ッ! 私の方こそ……ッ……」
酔いが醒め始めた友加里は辺りを見回すと司郎と季美がいないことに気付いた。
「あれ? 季美とチロは?」
「あ、今お手洗いに行ってます」
「ふーん……」
友加里は上手く思考の纏まらない頭で暫し考え、やがて一つの恐ろしい結論に至った。
「えッ!! あの季美をチロと二人きりにさせたのッ!?」
突如大きな声を上げる友加里に爽風は驚いたような顔をする。
「え? は、はい。司郎くんが季美さんに肩を貸して行きましたけど…」
しかし、そんな爽風にお構いなしに友加里は続ける。
「…今のあの子はチロのこと“好き好き大好き”な“発情モード”なのよ……そんな季美をチロと二人きりにさせようものなら……」
「…させようものなら?」
爽風がゴクリと息を飲む。
「姉弟というモラルなんて今のあの子の前には意味を成さない……ただ意中の雄を仕留めようとするハンターと化すわッ!」
「ッ!?」
そんな友加里の叫びに爽風は戦慄する。
二人は顔を上げるとトイレへと向かい全力で駆け出したのだった。
トイレまでの廊下がやけに長く感じる。爽風は友加里の手を取って走りながらそんなことを考えていた。
トイレの前に辿り着くも、二人の姿は見当たらない。焦燥感だけが爽風と友加里、二人に重くのしかかって来る。
「…まずいわね……もうトイレにいない……」
「周囲を捜しましょう!」
トイレを後にし、二人は手分けして邸内を探し始めた。
すると中庭の池に架かった橋の上で司郎と季美の姿を発見したのだった。しかし、二人の様子はどこかおかしい。
「爽風さん、様子を伺いながら近づく…! 何か少しでもおかしな挙動があったら突っ込むわよ!」
「は、はい!」
二人はそう小声で会話すると、司郎たちに気付かれない程度に距離を保ちながら二人の様子を伺うことにした。
池の橋の上では季美が顔を赤らめてどこかそわそわしていた。
そんな様子の季美に、何か言葉を掛けるわけでもなく淡々と前を歩く司郎に爽風は少し心配になってきたのだった。
(……司郎くん、何を考えてるんだろう? 季美さん……)
暫く歩き続けやがて橋の終点にまで来た所でようやく季美が司郎に話し掛ける。
「あ、あの……しろちゃん」
その呼びかけに司郎は立ち止まり振り返る。
「ん? 酔い、醒めたか?」
相変わらずの素っ気ない反応を返す司郎に、季美は俯きがちになりながら続けた。
「…最初から酔ってないよ……嘘ついてごめんね。ちょっと二人きりになりたかったんだ……」
「………」
「……わたしね? ずっと昔から、しろちゃんのこと、大好きだったの……」
司郎はそんな季美の言葉にドキともせず、いつも聞かされてきた言葉に、いつもの調子で答えた。
「ああ、俺も季美ねえのこと好きだぞ?」
「……ッ」
その司郎の言葉に爽風は違うと思っていても思わず息を飲む。そして同時に自分の胸がチクリと痛むのを感じた。
「ふふ……ありがと……」
季美はそんな司郎の反応に少し悲しげに微笑み返すと、今度は真剣な眼差しを司郎に向けて言葉を続けた。
「でも違うの……しろちゃん。ちゃんとこっちを見て…!」
司郎が振り向き季美に向き直ると、季美は今まで前髪を上げていたヘアバンドを外してその手に握っていた。
夜風にサラサラと靡く前髪の隙間から、妖しく光る季美の鋭い双眸が司郎を射抜いた――




