EP1-2:ヤバイウワサ
翌朝、俺は歯を磨きながら母親に尋ねた。
「なあ母ちゃん。この金髪ってそんなに似合ってない?」
鏡で自分の金髪頭をまじまじと見る。自分ではようやく見慣れてきたのだが、周りの奴らの反応を見ているとどうも気になってしまう。
「似合ってないよ! てゆーか学校は髪染めるの禁止だろ? この前先生から電話掛かってきたんだから!」
母親は少し怒ったようにそう言うと、洗面所から出て行った。
俺は口を濯ぎながら自分の金髪頭をまじまじと見る。
やっぱり似合ってないんだな……
一限目の予鈴が鳴る前に何とか登校出来た俺は自分の席へと行く途中、既に着席して授業の用意も済ませている岸と目があった。
「はよう」
同じ部活仲間でもあるしクラスメイトでもある岸に、俺は社交辞令とばかりに短い挨拶をする。
「おはよ…」
岸からも短い挨拶が返される。そしてそのまま彼女の視線は俺から外された。
やっぱり避けられてんのかな?
そんなことを考えながら、俺は自分の席へと向かった。
岸の席は俺の右斜め前だ。授業中に彼女の後ろ姿をたまに見ることがあるが、クラスの他の女子と比べても少し小柄に見える。
そんな彼女は普段、授業の妨害にならない程度に髪を括ってアップにしていたりするのだが、今は髪ゴムで軽く後ろで一本に纏めているだけだった。
長い髪だからこそ出来るアレンジなんだろうな……
いつの間にかそんな分析をしていた俺だったが、ハッとして慌てて頭を横に振りその思考を振り払うと、授業に集中するのだった。
四限目が終わり、今は昼休みだ。俺は弁当を鞄から取り出して机の上に置くと、ふと岸のことが気になって彼女の方を窺い見た。
彼女は鞄から弁当を取り出すでもなく、かといって席を立つ訳でもなくただ座っているだけだった。
そう言えばあいつっていつもどこで飯食ってんだろ……
そんな疑問が浮かんだ俺は、少し悩んだが思い切って聞いてみることにした。
背中までの髪を後ろで一つに下ろしながら読書をしている岸の席まで行き、声を掛ける。
すると岸は驚いたのか一瞬肩をビクッとさせた後、恐る恐るこちらを振り返った。
その目には涙が溜まっているようにも見えてしまう。
「な、何?」
岸が弱々しい声で尋ねてきた。
その声を聞いて、俺は一瞬言葉に詰まってしまう。
「あ、いや。飯食わないのかと思ってさ」
俺の問いに岸は暫く黙った後、小さな声で答えた。
「食べるわよ。もう少し空いたら購買に行くの」
「ふーん」
会話終了。俺がその場を去ろうとすると、岸が声を掛けてきた。
「ねえ……なんで金髪にしたの?」
俺は足を止めて少し考えた後、ありのまま答えた。
「…似合うと思ったからだよ……」
「……そう。昨日も言ったけど、似合ってないから」
岸はそれだけ言うと読書の続きを始めたようだ。俺も自分の席へと戻ることにする。
まあ、そりゃそうだよな……
俺は心の中でそう呟く。岸とはほとんど会話もしたことないし、何より俺自身がこの金髪を気に入る理由が見当たらないんだから。
…でも、なんであんなこと言ってきたんだ?
その疑問は残ったままだったが、購買で昼飯を買ってきた奴らが合流したので俺はそれ以上考えず弁当を広げることにした。
その日の部活は何故だか知らないが、俺の目は岸を追ってしまっていた。
正直、自分でも理由は分からない。ただ何故か彼女の一挙手一投足が気になって仕方なかった。
それは部活の終了時間になっても変わらずで……
結局、俺は岸に声を掛けることにしたのだった。
更衣室から荷物を取ってきた俺がプールサイドに出ると、既に部員達は帰ってしまっていた。
辺りを見回すが、岸の姿も見当たらないので先に帰ったのだろうと思い踵を返す。しかし――
俺の足はそこで止まってしまう。何故なら、プールサイドの端にあるベンチに腰掛ける岸の姿を見かけたからだ。
唯でさえ背が低い方なのに、何故だか今日の岸の背中は殊更小さく見えた。
彼女はこちらに背を向けて座っていたので、俺が来たことには気付いていないようだった。
俺は少し悩んだ後、意を決して岸の元へと歩み寄って行った。
ベンチの前まで行くと、そこに腰掛ける岸の姿全体が視界に入ってくる。
岸は濡れた水着姿のままベンチに腰掛けていた。そしてただ前だけを向いて座っている。その目はどこか虚ろで焦点が合っていないようにも見えた。
何か……あったのか?
俺は岸に声を掛けようとする。しかしその前に岸の方が口を開いた。
「何? また桃田君?」
岸はわざとらしく小さな溜息をつくと、少し苛ついた感じで言った。
「あなたも私を責めるの?」
それはまたしても予想もしてなかった言葉だった……
俺は岸の言葉に驚いて立ち尽くす。今、岸は何て言った?
“あなたも私を責めるの?”
全く予想だにしなかった言葉と、岸の艶っぽい水着姿に動揺して思考が上手くまとまらない。
そんな俺の様子を見兼ねてか、岸が続ける。
「何? 図星? 私帰るから」
岸は勝手に決めつけると自嘲気味にそう言ってみせ、スクっと立ち上がり出口へと向かって行った。
俺は訳が分からず、一人立ち去るその背中を見送りそうになるも、ハッと我に返り背中から声を掛けた。
「待て! まてまて待て! 岸ッ! 話が見えねえッ!」
俺は岸に追いつこうと、フェンスに掛けられた『走るな』と書かれた看板を気にも留めず大声で言う。
「ちょっと待て岸! 俺にも考える時間を与えろ! お前が何を言ってるのか、ぜんっぜん分かんねえッ!」
岸が女子更衣室のドアに手を掛けるより先に、俺は彼女の前に回り込み更衣室に入るのを阻止する。
大柄な俺の体を前にすると、岸の頭は丁度俺の肩ぐらいの高さで、俺は見下ろすように岸の前に立つ。
そんな俺をジト目で上目遣いに見てくる岸の無言の圧力よ……
女子に睨まれることに慣れてない俺には、ちょっと怖い……
「どいてよ。着替えられないでしょ?」
「その前に、俺の話を聞け。いや、お前の話しを聞かせろ!」
俺は岸の目を真っ直ぐ見ながら言う。岸は暫く俺を見つめていたが、やがて諦めたように溜め息を吐くと更衣室から少し離れてくれた。
俺も岸の前に立つと、改めて彼女に尋ねる。
「で? 何なんだ? その、岸を“責める”って?」
「知らないの桃田君? 今私、女子の間で噂になってるのに……」
「だから、何がだよ?」
岸は少し間を置いて答えた。その目はどこか悲しげだ。
「私が、その……男子を取っ替え引っ替えしてるって……」
俺は一瞬、岸の言葉の意味を理解出来なかった。しかし直ぐにその意味が分かると、思わず大声で叫んでいた。
「はああッ!? そうなのかッ!?」
「そんなわけないでしょッ!」
俺の叫びに岸は間髪入れず反論してくる。
「なら噂は嘘じゃないか! なんでまたそんな……」
「知らないわよ! ただ、私が色んな男子と……その、してるって噂が立ってるの」
「はあ? なんだそりゃ? 質悪すぎだろ!?」
俺は思わずそう口にしてしまう。岸は俺の言葉を聞いても俯いたまま、それ以上何も話そうとしない。
そんな岸に俺はどう声を掛けて良いか分からず、暫く沈黙が続いた。
そして先に口を開いたのは岸の方だった。
「……ねえ。取り合えず着替えてきてもいい?」
俺は岸に言われて自分が女子更衣室前に居たことを思い出し、慌てて後ろへ飛び退く。
「あ! わ、悪い!」
岸はそんな俺を見て一瞬クスと笑うと、
「待ってて。一緒に帰ろ」
と言い残し、そのまま更衣室の中へと消えて行った。
一人残された俺は紅くなり始めた夕陽に今の想いを馳せる。
……なんか俺、ヤバいことに首突っ込んじまった?