EP2-7:アオイイナヅマ
「はあぁーーー……!」
あおいは全身で一つ大きなため息を付くと空を仰ぎながら言う。
「岸先輩、桃田先輩のことめっちゃ好きじゃないですかあ…!」
「う、うん」
爽風はあおいの言動に戸惑いながらも素直に答える。
「岸先輩、真面目でおとなしそうな人かと思ってたら、すっごい優しいし、考え方とか大人だし、意外と頑固だし……」
「そんなこと……」
あおいは爽風の言葉を遮り、爽風に向き直って真剣な顔で尋ねる。
「岸先輩!」
「な、なに?」
あおいは両手で爽風の両肩をしっかり掴むと
「惚れました! 小さくて可愛いのに、めちゃくちゃ熱くて格好いい! 好きです岸先輩! 推させてください! 岸先輩と桃田先輩お似合いです! カップルで推させてくださいッ!!」
と爽風の目を真っ直ぐ見つめて一息に捲し立てた。
「あ、え……えッ!?」
あおいの勢いに圧倒されていた爽風は、その言葉を理解しきれずに慌てふためく。
あおいはそんな爽風に構わず、爽風の両肩をしっかりと掴みながらもう一度言う。
「岸先輩! 好きですッ!!」
「え? ええーーーーーッ!?」
爽風の絶叫がプールサイドに響き渡ったとは露知らず、男子二人はシャワーを浴びるべく更衣室へと向かっていた。
「さっき岸さんにもライン送ってもらったし、そろそろ女子組みも撤退準備に入るんじゃね? ファミレスでも寄ってくか桃田?」
乾が司郎に提案する。
「…そう、だな……爽風と鬼頭は一緒に戻ってくるだろうし……」
「なあ、桃田…何かあったか?」
乾はいつも明快な司郎が口籠ることに違和感を覚えて訊き返した。
「ん? んー……」
司郎は煮え切らない返事をしながら、更衣室の前まで来て足を止める。
「乾、着替えながらでいい。ちょっと話、聴いてもらえるか?」
乾はそんな司郎を訝し気に見ながら、更衣室に入って扉を閉める。
「なんだよ改まって……あ! まさかお前、また何かやらかしたんじゃ……」
司郎は乾のその言葉に慌てて否定する。
「ちげえよッ! いや、まあ、ちょっと色々あったんだけど…」
そこまで言うと少し間を置いてから話を切り出す。
「……俺さ、鬼頭に好かれてたらしい」
「はあッ!? あかねちゃんにィっ!!?」
司郎の言葉に乾が思わず声を上げる。
「違う違う、妹のほう。あおいって言ったか。シャワー浴びるぞ」
「あおい……ちゃん……」
乾は呆然と反芻する。
「ちょ、ま……マジで……?」
「ああ。さっき爽風から聞いた」
「……そんな素振りあったっけ?」
司郎は少し間を置いて答える。
「正直あんま分かんなかった。でも、今日一緒に遊んでてなんとなくそう思った」
あおいが自分に好意を寄せていたことを確信した司郎は少しの沈黙の後、シャワーのノズルを回し、降り注ぐ水音と共に口を開く。
「……俺さあ」
「うん?」
そんな司郎を不思議そうに、自らも隣のシャワー室へと入り水を出す乾。
「人を本気で好きになったのって、多分爽風が初めてでさ。だから……爽風以外の人から自分に本気の好意を向けられた時、どうしたらいいか、分かんねえ……」
司郎が深刻そうな声で呟く。爽風のことを本気で好きと言った司郎の言葉に、乾は胸がチクリと痛むのを感じた。
「あおいちゃんに、返事とか……したんか?」
「……いや、してない。ていうか本人から聞かされてもいないしな」
二人の間に僅かな沈黙が訪れる。シャワーの水がタイルに弾ける音だけが狭いシャワー室に響く。
「乾、お前…爽風のこと、好きだったんだよな?」
「……ああ」
「俺のこと、恨んでるか?」
司郎は隣にいる乾に向き直り、真剣な表情で問う。乾もそんな司郎の様子を見て真剣な面持ちで答える。
「……いや、お前を恨むとかいう気持ちは全くない。今俺が好きなのはあかねちゃんだしな!」
乾は今の司郎には嘘偽りない気持ちをぶつけるべきだと判断し、真摯に答える。
「じゃあ、まだ爽風のこと、好きか?」
「………」
「………」
「……ああ。一度好きになった人だ。振られたというだけで嫌いになる必要もないしな。でもな桃田、勘違いしてくれるなよ?」
「……」
「俺は岸さんのことが好きだった。今も好意はある。が、それはもう友達としての、同じ部活仲間としての好意だ。今は俺もあかねちゃんという素敵な彼女ができた。だから俺の女の子に対する“好き”は全部あかねちゃんに向けられている!」
「……そっか。ありがとな、乾」
「お前に礼を言われる筋合いもない。お前はお前が好きになった人の幸せを第一に考えれば、それでいいんじゃあないか? 俺は……俺なら、そう思う」
「そう、かな……」
「そうだ。だからお前は、好きになってくれたあおいちゃんに感謝こそすれ、負い目に感じることは一つもない。あおいちゃんが桃田に好意を寄せたのも、お前が岸さんを好きになったのも、全部個人の意思だ」
「……そっか」
司郎は乾の言葉を噛み締める様に反芻する。そしてあおいに自分の想いをどう伝えようか考えを巡らせていた。
「まあ……俺は岸さんに振られた時、正直ショックだったよ。だからあおいちゃんの気持ちも分かる気がする」
「……」
「でもな桃田、そんなあおいちゃんに同情だけはしてやるなよ? 彼女が真剣なら尚更、正面から振ってあげるのも、一つの優しさなんじゃねえかな?」
「……分かった。お前、中々いいこと言うじゃんか」
「だろ? 伊達に本気で振られてねーよ」
二人がシャワー室を出て着替え、プールサイドに戻ってくると爽風があおいに腕を組まれ戯れつかれていた。
「あ、あおいさん? そろそろ着替えないとみんな着替え終えて出てきちゃうわ?」
「だってー。もっと爽風先輩と一緒に遊んでたいんですもんー」
あおいは爽風の腕をぶんぶん振り回しながら甘えるような声色で答えた。
「鬼頭? お前……」
あおいの変わりように司郎は戸惑いを隠せない。
「あ、桃田先輩! 乾先輩! もうお帰りですか? お疲れ様です!」
あおいは私服に着替えた司郎と乾を視認すると笑顔で声を掛ける。
「いや、別に今直ぐ帰るわけじゃないけど……鬼頭、随分と爽風と仲良くなってんな……」
司郎があおいの変わりように戸惑いながら問う。
「はい! 元々仲いいですよー? あ、桃田先輩、ちょっといいですか?」
「ん? ああ…」
爽風から腕を放し、司郎のもとへと小走りで寄ってくるあおいを見て、乾が着替えを終え合流したあかねに怪訝な表情で呟く。
「なんか……あおいちゃんってあんなキャラだったっけ?」
「…いい意味でも悪い意味でも、素直なのよね、あの子は……」
あかねは頭を抱えて項垂れた。
あおいは司郎の前まで来ると少しモジモジしながら上目遣いに言う。
「桃田先輩、あの……」
「う、うん?」
司郎はそんなあおいの仕草にどぎまぎしながらも平静を装って対応する。
「今日、楽しかったですね! 爽風先輩とも仲良くなれて良かったです!」
あおいの横では爽風があおいの様子を苦笑しながら見守っていた。
「ああ、そうだな」
あおいの言葉を受けて司郎も笑顔で返す。
「あの、それで……」
あおいはそこで言葉を詰まらせるが、意を決したように続ける。
「……また一緒に遊んでくれますか?」
「え? ああ……うん。爽風がいいなら…」
あおいの申し出に司郎は横目で爽風を見て少し戸惑いながらも承諾した。
「ほんとですか!? やったー! 約束ですよ?」
あおいは満開の笑顔を咲かせ、司郎と爽風を交互に見ながら念押しする。
「ええ、また遊びましょ」
あおいの喜びようを見て爽風は少し引きつった微笑みを返した。
あおいは満足した表情で司郎と爽風に向き直った。
「それじゃ、桃田先輩! 乾先輩! 着替えてきますね!」
深々とお辞儀をして挨拶すると爽風の手を引き更衣室へと消えていった。
そんなあおいの後ろ姿を眺めながらあかねがしみじみ呟く。
「……あたし、あおいのあんな生き生きとした表情、初めて見たかも…」
乾も司郎の肩をポンと叩き言う。
「…だそうだ、桃田。あの調子ならお前が余り気にすることもなさそうだな」
司郎は今まで張り詰めていた心の葛藤が薄らいでいくのを感じながら
「…は、はは……なら、よかったよ……」
と、一人口の端を引きつらせていた。
最大瞬間風速で駆け抜けたその夏の嵐は、まるで一筋の蒼い稲妻のように、それぞれの心に強烈な思い出を刻みつけて行ったのだった。
――その嵐の名は鬼頭あおい。水泳部一年。
鬼頭あかねの実妹であり、恋に恋していたイマドキの少女。
そして、推しカプに豊かな妄想膨らますコレカラの乙女である。
【エピソード2 完】
ご覧いただきありがとう御座います。
気の向くままに書き下ろした短篇の二本目です。サブヒロインを変えて何故か続きました。
メインヒロインとは既に恋人同士ですので、今後も書いてみたいサブヒロインが出てきたらまた続くかも知れません。
少しでも感じて頂いたところ御座いましたら一言でも構いません。ご意見ご感想いただけますととても励みになります。
普段はXにおりますのでお気軽にお声がけください。
乱文失礼致しました。