EP2-4:イイキヅカイ
試合は乾一人の頑張りでは女子とは言え運動部の二人には勝てるはずもなく、爽風とあおいペアの圧倒的な勝利で幕を下ろした。
乾は今あかねを慰めることに精一杯で、あかねは半べそをかきながらベンチに腰掛けて分かりやすく落ち込んでいた。
「岸先輩、たくさんアシストありがとうございました」
あおいが爽風に向き合い、深々と頭を下げる。
「いいえ、全部あおいさんの実力よ。ほら、私背低いからスパイクとか無理そうだったし」
あおいの礼に爽風も微笑みながら答える。だがあおいは解っていた。
爽風が自分を援護するように動いてくれていたことを。
「そんなこと、ないですよ。岸先輩のおかげで上手く動けました」
「ふふ、ありがとうあおいさん。楽しかったね?」
爽風があおいに微笑みかける。
あおいも爽風につられ笑顔になった。
(……岸先輩って、大人だな…)
あおいは素直にそう思った。
背は小さいが小顔でスタイルが良く、艶やかな長い黒髪を後ろで一つに纏めている姿は日本人形のように美しい。
そして何よりも、その優しそうな笑顔の中に一つ芯があるところが魅力的だと感じたのだ。
「……はい! またやりましょう!」
あおいは笑顔でそう答えた。
「じゃあ、あたしもお姉ちゃんを慰めて来ます!」
あおいはそう言うとあかねの元へ走っていった。
爽風は走り去るその後ろ姿を笑顔で見つめる。すると頬に突然冷たい感触が当てられた。
「きゃッ!?」
爽風は余りの冷たさに思わずその場で飛び上がってしまった。
「へへっ! ほら」
後ろから司郎が爽風にスポーツドリンクを差し出し、爽風はそれを受け取りながら司郎の方へ向き直す。
「もうッ! 司郎くん! びっくりしたでしょ!」
「すまんすまん!」
爽風は頬を膨らませて司郎を軽く睨み付けたが、司郎は笑って詫びた。
「たく……でも、ありがとう」
爽風はもう一度司郎に微笑むとスポーツドリンクを一口飲み、ふぅと息を吐いた。
「試合お疲れ。爽風、カッコよかったぞ!」
司郎も爽風の隣に立ちスポーツドリンクの蓋を開けて飲み始める。
「あ、ありがとう……ちょっと恥ずかしいな。司郎くんも審判ありがとね?」
爽風が恥ずかしそうに司郎に礼を言い、ドリンクを口に含む。
「いいってことよ!」
司郎は屈託の無い笑顔でそう爽風に答えた。爽風はその素敵過ぎる爽やかな笑顔から目を逸らそうと再びスポーツドリンクを飲むと、司郎がじっと自分を見つめていることに気付いた。
「……あの、なに?」
「あ? いや、今日まだゆっくり話せてないなと思ってさ」
司郎はそう言うとベンチに座り、爽風の手を引き、自分の隣に座らせた。
「ちょっと! まだみんな近くにいるのに……」
爽風はドリンクのペットボトルを胸に抱きながら恥ずかしそうに身をよじる。
「一緒に座るくらい平気だろ? 俺達付き合ってるんだし」
「そ、それはそうだけど……まだ慣れてなくて……」
爽風は照れて顔を赤くしながら下を向いてしまう。
「正直、俺もすっげー恥ずかしい! でも、それ以上に嬉しい!」
そんな爽風を見て司郎はそう言いながら爽風の頭をニコニコ顔で撫でる。
「……もう…」
爽風が上目遣いで司郎に抗議の視線を送る。
「まだ言えてなかったな」
「何を?」
「爽風、めちゃくちゃ綺麗だ! 水着も、その……よく似合ってる…」
司郎は急に真剣な眼差しで爽風に向き直ると、真っ直ぐ爽風を見据えてはっきりとそう伝える。
「そ、そそそそそそう? あ、ありがと……」
店頭で二時間も迷い選んだ水着が似合っていると褒められ、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる爽風。だがそれ以上に目の前で自分をしっかり見てくれている彼氏の言葉に胸の奥が熱くなるのを感じていた。
爽風は今日ここに来た時から思っていたことを司郎に話そうと口を開いた。
「あの、司郎くん。あおいさんのことなんだけど――」
「爽風さーん!」
突如、爽風の後ろからあかねが抱きついてきた。
「わっ! あ、あかねさん!? どうしたの?」
突然のことに驚く爽風だったが、半べそをかいているあかねは後から来るあおいを指差し
「あの妹、姉に向かってヒンソーって言うの! 鬼よ! 鬼だわッ!」
と、爽風に抱きつきながら訴えてきた。
「ヒンソー?」
爽風は首を傾げながら司郎の隣から立つとあかねの方をチラリと見る。
「いや、お姉ちゃん文芸部でしょ? もう少し体動かさないと育たないよって言ったんだけど」
やって来たあおいが補足するように説明するが、それを聞いても爽風はピンと来ていない様子である。
「桃田先輩もそう思いません? やっぱり女の子は出るとこ出てた方がいいですよね?」
あおいが司郎に同意を求めるように聞く。司郎は答えづらそうにしていたが、そこに爽風が割って入り
「でも、あかねさんは身長もあってスラッとしてるし、とても綺麗。私は羨ましいな。ね、乾君?」
爽風が遠慮がちにそう答え、乾に同意を求める。
「そ、そう! あかねちゃんはマジでスタイルよくて、き、キレイだよ!」
乾も爽風に便乗してあかねを褒める。
あかねは二人のその言葉に気を良くしたのか俯いていた顔を上げる。
「あ、ありがとう…爽風さん、乾くん……」
あかねと乾がお互いを見つめて照れる中、あおいはつまらなそうに司郎の側に詰め寄る。
「ねえ桃田先輩、今度はスライダー行きません?」
あおいが司郎の左腕を取り、自分の胸を押し付ける。二つの胸の膨らみが形を変え司郎の腕を挟み込む。
流石の司郎もその柔らかさには直ぐに気付き注意する。
「おい鬼頭! くっつくな! その、アレだ!?」
司郎が自分の体で動揺していることを感じ取ったあおいは甘い瞳で満足気に言葉を続ける。
「行きましょうよお、スライダー」
「あ、ああ…スライダーかあ……痛ッ!」
その時、司郎が顔をしかめ左腕を押さえた。
あおいは咄嗟に自分が仕出かしてしまった事態を悟り、青い顔でその手をどけた。
「大丈夫。何ともない」
あおいに心配させまいと笑顔で答えるが、司郎の眉は少し歪んでいた。
「……あの、桃田先輩……ご、ごめ……ごめんなさい…!」
あおいは涙目になり不安気に司郎を見上げオロオロと謝罪を述べる。
そこへ爽風がやってきてそっと司郎の左腕に触れる。爽風はゆっくりと顔を上げ、司郎の顔を覗き込む。司郎の顔は少し苦痛に歪んではいたが、笑顔だった。
爽風は瞳を閉じて少し唇を噛み締めた後、再びその唇を弧に戻しあおいを見て言う。
「二人乗りの浮き輪で滑るスライダーもあるみたい。あおいさん、良かったら私と一緒に乗らない?」
あおいは爽風のその言葉に少し驚いたが、直ぐにその目を一度拭い
「は、はい! お願いします!」
と、笑顔を取り戻し嬉しそうに答えた。
「あかねさんは乾君と一緒でいいかな? 司郎くんは、下で観ててもらえる?」
爽風はあかねにそう提案し、司郎の右側にまわり彼の右手をそっと握った。
「あたし、出来るかなあ……」
「大丈夫だよあかねちゃん! 俺と一緒にやろう!」
「でもぉ……」
あかねと乾はあーだこーだと駄弁りながら、滝の方へ向かう。
爽風と司郎は握り締めたお互いの手の温もりを感じ、熱い頬のまま見つめ合うと直ぐにその手を離しあおいに向き直る。
「じゃあ、下で観ててやるから、しっかり滑って来い!」
司郎が腰に両手を当て笑顔で爽風とあおいを送り出す。
爽風はあおいの方を見て力強く頷くと、二人乗りの浮き輪を持ちスライダーを滑る準備に取り掛かった。