僕らのままで
*1*
「あついっ!!」
そう叫んだのは、波流だった。
「どうした?」
僕は、とっさにトングを鉄板の上に放り出し、彼女の元へ駆け寄った。
それは、本当に瞬間的なことだった。
──別に、カッコつけようとした訳じゃない。ただ、波流の上げた悲鳴に驚いた。彼女の身に、何かが起こるのが、怖かった…──それだけだ。
紅葉が、はらはらと散った。花の如く、絶え間なく。その隙間から差し込んでくる光は、和やかに優しかった。
「あ…」
波流が、小さく声を出して、身じろぎした。
「───ありがと。涼クン…」
気が付くと、僕は彼女を抱き抱えるようにして、パチパチと爆ぜる焚き火から引き離していた。
そこに、意識の流れというものは全く無かった。彼女が悲鳴を上げた瞬間──脳に思考する暇も与えないほど素早く、僕の身体は波流へと向かっていたのだ。
バンガローの周りは、しん、と静まり返っていた。
肉やらジャガイモやらを抱えた仲間達は、みな唖然として僕と波流を見比べている。
「涼クン…離して…」
恥ずかしがるように、波流が言った。擦れた、小さな声だった。
「…息できないよ…」
「あっ。ご、ごめん」
僕はハッとして、慌てて波流から手を離した。無意識の行動は、強く強く、彼女を抱き締めていたのだ。
途端に、ヒューヒューと野次が上がり始めた。仲間達が、最初のショックから回復したらしい。
「オイ、やってくれるじゃねぇか涼」
「波流チャンのこと好きなのかよーっ」
「お前なんか、波流ちゃんに釣り合わねえぞぉっ」
「うっ、うるさいッ。大きなお世話だ!!」
僕はムキになって怒鳴った。けれど、仲間達は軍手を叩き合わせて、ゲラゲラと笑うばかり。
波流の友達・美亜だけが、複雑な顔をして僕らを見ている。
「ごめん…波流…」
僕は、自分の余りの腑甲斐なさに、へなへなとその場にへたりこんだ。
「オレ、そんなつもりじゃ…」
一筋のそよ風が、柔らかく僕の前髪を撫でていく。
ああ、情けない。
波流を想う気持ちが、とっさに前面に出てしまった。
でもまさか、仲間達全員に知られてしまうなんて。
ずっと、隠してきたことなのに…。
「涼クン」
ふわん、とレモングラスの匂いがした。波流が傍らにいるのだ。
どんちゃん騒ぎと口笛が空気を覆い尽くす中で、彼女は逃げることも、否定することもせず、僕の隣にいる。アイツらにからかわれることが、判っているのに───。
「涼クン。行こ」
波流の細い指が、僕の腕を握った。
「立って…」
言われるがままに、僕は立ち上がった。僕を見下ろしていた波流の顔が、すぐさま僕を見上げた。
「行こ」
強い口調で、彼女は言った。
「…ウン」
僕は、まるで木偶の坊になったように、ただ頷いた。もっとマシな反応が出来れば良いのに。僕は、どこまでも腑甲斐ない。
その時。
鼻腔を、ツン、と焦げた匂いが襲った。
「あーっ。隆志、トング貸せ!焦げてる!!」
「バカッ、何見てたんだよ!!」
ガヤガヤと騒ぎ声がしたかと思うと、ジュウウッ、と水が鉄板に注がれた。
「アホか──!!俺の、俺の焼おにぎりがぁぁぁ!!」
哲が、絶望の悲鳴を上げている。美亜は唇をキュッと結んだまま、消えかけの焚き火に薪をくべ始めた。
「今だよ。涼クン」
波流が、僕を急かして歩きだした。
「あ、あぁ」
オドオドした返事しか出来ないまま、僕はそれに従った。
────季節は、秋。
高校2年生の僕達には、まだまだ『読書の秋』は似合わない。本とは、来年イヤというほど付き合わなければならないだろう。
僕達は、野獣的な本能を満たすため──もっとも、波流と美亜にはそんな言葉は似合わないが──『食欲の秋』を満喫している所だった。
富士五湖の一つ、西湖。
釣りで有名なこの湖畔に、バンガロー村がある。仲間の一人・隆志のじいちゃんが経営しているんだそうだ。ここで、僕らはバーベキューをすることにした。
都会と違った、綺麗な澄んだ空気、高い秋空。
静かなさざ波の立つ湖面の向こうには、色付き始めた山の端。
そして、チラッと頭を覗かせる富士山。
秋を満喫するためには、これ以上無いほど素晴らしいロケーションだ。
そんな湖のほとりに立ちながら、僕と波流は、さっきから互いに黙りこくったまま、もじもじしていた。
ふたりっきりだ。
───何か、話さなきゃ。男だろ!?
そう自分に呼び掛けてみるものの、話すべきネタが見つからない。いつもはムダに動き回っている舌が、口のなかに貼りついてしまったみたいなのだ。
「…あの、さ…」
口火を切ったのは、やはり波流だった。
華奢な身体を、ちょっと固くして僕を見上げている。ココア色の髪が、顎のラインで遊んでいるのが何とも言えず可愛らしい。透けるように白い肌は、白とブルーのストライプ模様が入ったワンピースに包まれて、とても清楚だ。
「あのさ…」
彼女は、もう一度呟いて、くりくりっとした目を下に逸らせた。『あのさ』とは言ってみたものの、続きが出てこないようだ。
波流が僅かに動くと、微かにレモングラスの香りがした。彼女の、お気に入りの香水の匂い。初夏の日溜まりのような、芳ばしさを持っている。
その香りに誘われて、僕はおずおずと波流の頬に触れた。
マシュマロのような、ふんわりした感触。
僕の指が触れた瞬間、波流は怯えたように身を強ばらせた。まるで、小さなウサギだ。
「…さっき。油、撥ねたの??」
彼女から手を離した時、ようやく、僕の唇が言葉を生み出してくれた。
「さっき?──さっきって…ぁぁ…」
波流は思い出して、ちょっぴり笑った。
「ありがと。心配してくれたんだよね」
「大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。ちょっと熱かったよ。最初はね。けど、…だけど───」
波流は、急に口籠もってしまった。
その先に何を言わなければならないか、彼女は気付いたのだ。何か言いかけていた唇は、その言葉を飲み込み、きつく結ばれてしまった。その代わり、白い頬がうっすらと桃色を帯びた。
「だけど?」
僕は聞き返した。
言ってしまってから、『しまった』と思った。どうして、こんな意地悪なことをしてしまうんだろう、僕は。
「…だけど…」
波流は、真っ赤になって俯いてしまった。
「あの……っ」
「ごっ、ごめん。なんでもないよ」
僕は、慌てて誤魔化した。
そして、遠い湖の向こうへと視線を送るふりをした。
──そうでもしないと、波流が可哀想だった。彼女の緊張は、1メートル程離れて立つ僕にも、ビンビンと伝わってきたから。
仲間の前で堂々としていることも出来ないくせに、頬に触れるなんて大胆なことをしでかした自分が、ますます許せなくなった。
鳶が鳴いた。
チャプ…チャプ…
湖が、そっと波を岸に寄せる。
僕は、何気なく汚いスニーカーを脱いで、岸に腰をおろした。
白く小さな石がゴロゴロしている地面。手をつくと少し痛かったけれど、すぐに慣れた。
そのまま、両の爪先を水に入れてみる。
チャプン…
すでに冷たくなった山の水が、ゼリーのように僕の足を包み込んだ。
「冷てー…」
思わず、小さく呟いた。
すると、波流が近寄ってきた。まだ頬は薄桃色をしている。
「つめたい?」
彼女が、小声で問い掛けてきた。
「うん。でも、気持ちいいよ」
僕は、必死に何でもない顔を装った。本当は、波流が近くにいてくれることが、嬉しくて嬉しくて堪らなかったのだけれど…。
「あたしも…やってみようかな」
波流が、呟いた。
おもむろにムートンのブーツを脱ぎ始める。
思わず──僕は、その一連の動作に見入った。
毛糸の暖かそうなソックスを脱ぐと、彼女の真っ白で細い足が現れた。足首には、金の華奢なアクセサリーが纏いついている。足に比べて、大きめのサイズのようだ。
「あっ、ダメだ───」
僕は声を上げた。
けれど、遅かった。
彼女が足を湖に入れた瞬間、金のアクセサリーはふわっと浮き上がった。そのまま波に乗り、彼女の足首から逃げていく。
「あっ、あぁ───あ」
波流の悲鳴も虚しく、アクセサリーは波に弄ばれながら運ばれていった。
沖へ、沖へと…。
「──残念…お気に入りだったんだけどな」
ため息と共に、波流がしんみりと言った。
その横顔は、見ているだけで僕を淋しくさせて。
なぜか、僕を突き動かした。
僕は、立ち上がった。
恐らく、撥ねる油から波流を守ろうとしたときと同じ、無意識の内に────。
*2 side波流*
「涼クン!!」
私は、びっくりして叫んでいた。
いきなり立ち上がった彼。何をするのかと思ったら、ジャブジャブ音を立てながら、湖の中へと足を進めていく。
「涼クン、待って!危ないよ!!」
私は、必死に彼を呼んだ。立ち上がろうとしたけれど、湖畔の石が手足に当たって、すごく痛い。
「大丈夫。待ってて」
涼クンは、はにかんだ笑顔をチラッと見せた。
──何しようとしてるの?
私は、恐々と彼を見つめた。
決して暖かくはない水温。むしろ、目が醒めるくらい冷たい。そんな中に、涼クンは膝まで浸かって、更に沖へと行こうとしている。
「待ってて。とってくるから」
彼は、俯きがちにそう言うと、完全に私に背を向けてしまった。
チャプ…チャプン…
彼が足を進める度に、水が軽やかな音を立てる。
彼の周りで、水の珠が散っては遊ぶ。
───『とってくるから』って…まさか、あのアクセサリーを?
痛みを我慢して小石を払って、私は何とか腰を上げた。でも、もう遅かった。
彼はもう手が届かないほど沖に出てしまっていた。
私に出来ることといったら、叫ぶことだけ。
「りょーくーん!!」
──確かに、アクセサリーが流されちゃったのは、残念なことだった。
だけど…だからって、涼クンがそんなことしなくてもいいのに…。
彼のオレンジ色のTシャツ姿は、どんどん遠ざかっていく。決してたくましくはない背中。
光をキラキラと反射する湖面に、飲み込まれていく彼の背中。
見ていて、不安で不安で堪らなくなる。
「涼くーん!」
声を限りに呼ぶけれど、涼クンは止まってくれない。聞こえてるのかさえ、わからない。
もう、彼の背中は半分以上水に吸い込まれてしまった。
怖い。
怖いよ、涼クン。
このまま、涼クンが見えなくなっちゃったら──私、どうすればいいの。
アクセサリーなんて、どうでもいいよ。そんなことより、私をこれ以上怖がらせないで。
すると、ふっと彼がこっちを振り向いた。
くしゃっとした表情。
遠くからでも見えるのは、泣きだしそうな瞳。
「ごめーん。…とれなかった…!!」
こちらに向かって叫ぶ、涼クンの声。
パシャン、と少し強めに打ち寄せる波の音。
そのコントラストが、妙に私の気持ちをかき乱した。
締め付けられるような、それでいてくすぐったいような。そんな感覚が、心臓から血管を伝って、全身へと運ばれていく。
「戻って…きて…」
叫ぶつもりだった私の声は、擦れて自分でも聞き取りにくい。
「涼クン…」
彼の名前を呼んだとき、さわさわっと風が吹き抜けた。
雲一つない、高い高い秋の空。
それを背景に、涼クンが立てる細かな水飛沫。
「ごめん…」
戻ってきた彼は、下を向いたまま言った。
胸までびしょ濡れになって。まるで、川で遊んだ小さな男の子みたいに。
「あれ以上は…行けなかった」
涼クンが悔しげに続ける。
「途中で、急に水が深くなってて。波流の大事なモノ──取れなかった…」
「…な…」
何言ってるのよ。
私は、自分の身体が小さく震えてしまったのが判った。
「あんな物の為に…ばか…」
心配させないでよ。
私、本当に怖かったんだから。涼クンが戻って来られなくなったら、どうしよう、って…。
───でも、どうして。
どうして、こんな気持ちになるんだろう。涼クンが居なくなることが、こんなにも…怖いなんて…。
もしかして、私───
「波流?」
涼クンが、私の顔を覗き込んでいる。
それが、何だか恥ずかしくて。
「何でもないよ───」
私は、ニッコリと嘘をついた。
きっと、誤魔化せてはいないと思う。私の頬が、熱くて、真っ赤になってしまっているだろう事を。
「──ありがと──…」
呟いた言葉は、
自分が発したものじゃないように聞こえた。
私が、本当に言いたいことって…なに?
この身体の熱さは、気持ちのざわめきは、なに?
「涼クン…」
続けるべき話題も無いのに、呟いてしまう彼の名前。私、本当にどうしちゃったの?
「…びしょ濡れ。風邪引くよ」
私が何とか絞りだした言葉は、ありきたりの会話だった。
「バンガローにタオルがあるから。髪だけでも拭かなきゃ」
「そだな…」
涼クンが、ちょっと遠い目をして頷いた。その柔らかい、ビターな色の髪から、水滴がポタポタと零れ落ちている。
「もう──無茶、しないでね」
出来る限り優しく言うと、私は涼クンに顔を見られないように、先を行き始めた。
「何、急いでんの?」
涼クンの声が、追い掛けてくる。
もうっ。ホントに、女の子の気持ちに疎いんだから…。
ねえ、涼クン。気付いてないでしょ?
私、
ドキドキしてたんだよ──…。
*3 side美亜*
「おーい、美亜」
哲が、いきなりあたしの名前を呼んだ。
「なにー?」
ちょっとイライラしながら返事する。うちわを動かす手は止めない。
「あたし、忙しいんだけど」
隆志が水をかけたせいで、消えかけてしまった焚き火。それにもう一度勢いを蘇らせるのは、至難の業。
本当は、男の子がやるべき仕事だと思う。だけど、ここにいる男共ときたら、食べることにしか目が無い。哲なんて、自分の焼おにぎりが水浸しになったからって騒ぎまくって、なにもしてない。
結局、火を起こすのはあたしの役目になってしまった。
さっきからずっとしゃがみこんでいるせいか、腰が痛い。
「美亜ー。なんか怒ってる?」
わざと甘えた声で聞いてくる哲。
ええ、そうですよ。
怒ってますよっ!!
自分は食べてばっかりで、いいご身分よねっ。
あたしなんか、まだお肉食べてないっていうのに。
普通、こういうアウトドアって、男の子がリードするものなんじゃないの!?
あたしだって…あたしだって、食べたいわよおっ。
思わず、うちわをぶん投げてやりたくなる。
「美亜ってばー」
また哲だ。
「みーあーちゃんっ♪」
「何ようるさい!!用があるならハッキリ言いなさいよっ」
あたしは焚き火から顔を上げて、じゃがバタに舌鼓を打っている哲を睨み付けた。
つ、と汗が頬を伝う。あんまり長い間、火の側にいたから。きっともう、メイクはぐちゃぐちゃだ。
あたしの剣幕に驚いたのか、哲は刈り込んだ坊主頭を撫でながら、パチパチと瞬きをした。
「焼きりんご…食わねぇかな、と思ったんだけど…」
そう言って、紙皿を差し出してくる。そこには、いかにも甘そうな蜜をたたえた焼きりんごが一つ、アルミホイルに包まれていた。
「お前、さっきから何も食ってないだろ」
うそ…──。
──気付いてたんだ…。
一瞬だけ、うれしくなった。
だけど、ほんの一瞬だけ。
「気付いてんなら、仕事代わってよ!!あんたは食べてばっかりじゃないっ」
気が付くと、自分の口からはそんな言葉が飛び出していた。
言ってしまってから、プチ・後悔。
──『ありがとう』って、言えたらよ買ったのに。
残念ながら、あたしはそんな可愛らしい性格じゃない。
だから、いつも波流と比較される。
女の子らしくて、可愛いくて清楚な波流は、気遣いもいい。男の子にとっては、理想のタイプ。
『守ってあげたくなる』ような…。
それにひきかえ、あたしは。
ちっとも女の子らしくなくて、言葉遣いは荒っぽくて。すぐ怒るし…。
『守ってあげたい』どころじゃない。むしろ、恐れられているような気がする──。
「───ごめんな」
哲が、ポツッと言った。
ええ、ええ、本当に。
その言葉が欲しかったわ。
────って、
「えええぇぇ!?」
あたしは、大声をあげてしまった。
「てっ、てっ、哲…──もしかして今、謝ったのっ!?」
「そーだよ」
憮然として、哲は言った。
「そんなに意外か?」
「意外だよっ。幼稚園の頃から、あたしに謝ったことなんて一度たりともなかったじゃないっ」
「そういやそうだな」
哲は、あたしに手を貸して立たせようとする。
「俺、代わるよ。ちょっと休んでろ」
───何よ、その優しい言葉は。似合わないわよ。
あたしには珍しくドギマギしていると、哲は力強い手であたしの腕を掴み、支えた。
「立てよ」
「あ…うん…」
言われるままに、立ち上がる。けれど、ずっと座っていたせいか、腰が固まってしまったみたいに重い。
おまけに、一瞬くらあっと目の前が見えなくなった。
「美亜?」
哲が、あたしの名前を呼ぶ。
「大丈夫か?」
あたしは、───倒れまいとして、思わず───
哲にしがみついた。
「美亜」
哲の声が、すぐ耳元で聞こえる。
「立ちくらみした?」
何よ…なんで、なんでこんなに優しいの??
いつもと違うよ。
哲────
あたしをたぶらかしたって、何も出ないよ…。
だんだんと、視界が晴れてきた。
そして見えたのは、予想以上に近くにある、哲の顔。
野球少年らしい、ハッキリとした凛々しい面立ち。
いつもケンカしてたから、気付かなかった。こいつ、結構…男らしい…。
哲────。
「!!」
そこまで考えて、あたしはハッと我に返った。
あたし、なんか変だ!!
今、絶対に哲にときめいてたっ!!
なんで!?
なんで哲なんかに!!
馬鹿じゃないの、あたし!?
「…もっ、もう、大丈夫みたいっ」
あたしは、慌てて哲の腕から離れた。
「りんごは?」
哲が不思議そうに聞いてくる。
「…食べるっ」
あたしは、差し出された紙皿を乱暴に受け取った。
いつものように。
───なんで。
なんで優しくなれないの?あたしは…
りんごを口に運ぶと、バターと果実の甘味が、ふわんっと口中に広がった。
「…おいしー…」
呟くと、哲が嬉しそうに笑った。
「よかった」
あたしは、こんなにもぶっきらぼうなのに。
優しくなんかなれないのに。
哲は、いつも、あたしを受けとめてくれる。
時にはからかわれたり、拗ねられたり、嫌味を言われたりするけど。
でも、哲は、いつもあたしを見ていてくれる──。
なのに。
ごめんね。
『ありがとう』の一言が言えない。
こんなあたしで、ごめんね…───。
あたしは、大きく口を開けて、ガブッとりんごにかぶりついた。
それが、溢れてきた涙を隠すためだなんて───
哲には、気付かれたくない。
*4 side哲*
りんごは、美亜によく似合う。
…美亜が焼きりんごを食べるのを身ながら、そんなことを考えていた。
甘いけれど、ちょっと酸っぱい。
りんごは、美亜そのものだ。
…本当は、もっと早く仕事を代わってやりたかった。美亜が、何か食べたそうにしているのも、判っていた。
だけど、俺は───出来なかった。
動けなかったんだ。
一生懸命に火を起こしている美亜の横顔が、とても綺麗に見えたから。
美亜のことは、ガキの頃から良く知っている。
だけど、あんなに綺麗な美亜の表情を見たのは初めてで。
メイクも崩れてしまっていて、汗だくだったけれど、そんな美亜が、本当に綺麗だと思った。
それは、『顔立ち』とか『気立て』とか…そんなものよりも、どこか高貴だった。
何かに一生懸命になっている人というのは、こんなにも心に強く訴えかけるものなんだと、身に染みて感じた。
俺と美亜は、幼なじみ。
ずっと、一緒に育ってきた。
だからと言っちゃなんだが、ケンカは日常茶飯事で、時には俺が泣かされたこともある。
だけど、美亜が泣いたのを見たことは、一度しかなかった。
忘れもしない、中学校の卒業式。
みんなバラバラの高校に行くことになって、それぞれが別れを惜しんでいたときに、美亜だけは一人、どこかへと姿を消した。
俺は気になって、こっそり跡をつけた。
これは、今でも後悔している。なぜって、辿り着いた教室で、一人で嗚咽を洩らしている美亜を見たから。
見てはいけないものを、見てしまった。
美亜は、泣くところを、人に見られたくは無かったんだ。
でも、俺は見てしまった…───。
なあ、美亜。
お前、色々自分の中に溜め込んぢまうんだろ?
強がるなよ。
もっと、俺を頼れよ。
誰よりも美亜のことを知ってるのは、俺なんだからさ…──。
「…哲」
ふいに、美亜が言った。
りんごを食べ終えて、アルミホイルをきれいに畳んでいる。
「どうしたら…優しくなれるのかなあ?」
「は?」
思わず、聞き返してしまった。
「優しく?」
うん、と美亜は頷いた。
「波流みたいに、優しくなりたいのに。どうしても、なれない」
…美亜。
お前、そんなこと考えてたのかよ。
「バーカ」
俺は、わざと茶化して言った。
「優しい美亜なんて、気味悪いって」
これが、大失敗だった。
美亜はグッと目を見開いて、俺を睨み付けた。
「ほらねっ!!やっぱり、哲もあたしのこと優しくないって言ってるんだ!!」
「ちっ、ちげーよ。俺が言いたかったのは…」
「哲のバカ!!」
美亜は叫ぶと、うちわを俺の腕に押しつけた。
「哲は、あたしのこと──何も判ってないっ!!」
あんまり大声で怒鳴るから、隆志たちがワラワラと集まってきた。
「どうした?」
「またケンカかー?」
「ああ、いつものだよ。気にすんな」
俺は、ニッコリを装って、隆志たちに答えた。
「すぐ終わるから」
「…そうか?」
隆志は、トング片手に、汗で額に貼りついた前髪を掻き上げた。
「それなら良いけどよ。哲、お前もう少し美亜に優しくしてやれよ?」
「あ…あぁ…」
俺は、生返事をした。
隆志達は、早速バーベキューへと戻っていく。
一方の美亜は、俯いたまま、小さく震えていた。
…俺は、アホだ。
何を言っても、結局は美亜を傷つけてしまう。
美亜に『頼ってほしい』なんて思いながら、俺は美亜を判ってやれていないのかも知れない。
…俺は、無力だ───。
「美亜…」
ごめんな。
支えてやれなくて──
ただただ俯く美亜。
俺が、傷つけた。
一番、判ってやらなきゃいけないのに。
美亜にこんな顔、させちゃいけないのに…。
守ってやりたいのに。
「俺だって…優しくねえだろ…」
小さく、呟いた。
「“優しく”なんて。なろうと思っても、なれねーよ…」
「…」
美亜は、黙ったまま、地面を睨み付けている。
「でもさ…」
俺は、深く息を吸い、そして吐いた。
胸が苦しい。
不思議な感覚だった。
ただ、ひたすら、美亜に伝えたかった。
どんなにぶっきらぼうでも、ケンカしても、美亜は美亜だと。
決して、他の誰にも劣りはしないのだと。
だけど。
俺も、不器用だから…
どうしたら、巧く伝えられるのか、わからない。
言葉が脳内で迷子になっているんだ。
どうしたら、
わかってもらえるかな。
美亜…───
俺は、
気取ったりしない、ありのままのお前が───
「好きだ…」
*5 side波流*
バンガローの中は、煙の匂いもしなくて、涼しかった。
くすんだ色のフローリングに、窓から舞い込んだ紅葉が散らばっている。
真っ赤な葉。
黄色い葉。
サッと手で集めて、テーブルに乗せてみると、葉っぱのグラデーションができた。
「ね、涼クン。見て…」
綺麗でしょ、と言おうとしたけど、私は口をつぐんだ。
涼クンは、タオルで濡れてしまった身体を拭いている真っ最中。
オレンジのTシャツを脱いで、上半身が顕になっていた。
細身の涼クン。
だけど、意外にもその身体は筋肉質で───。
そのギャップに、私はちょっぴりドキッとした。
さっきから、私は変だ。
まだ何となく顔が熱いし、ちょっとした会話でも、大きく反応してしまう。
こんなことは、初めてだ。
涼クンが、あたしを火から庇ってくれてから───彼を、今までとおなじように見ることが出来ない。
目を、合わせられない。
気恥ずかしくて。
「波流…?」
私が彼の背中を見つめていると、視線を感じたのか、涼クンは振り返った。
やだっ。
恥ずかしい…。
サッ、と目を紅葉に戻す。
もうっ。
早くTシャツ着てよ…
ドキドキが、治まらないから───。
「波流…」
呼び声がして、涼クンが近寄ってくる気配がした。
身を固くしていると、彼は私の隣に立って、紅葉の葉をいじりだした。
もう、ドライヤーで乾かしたTシャツを着ていたから、私は少しほっとした。
これ以上ドキドキしたら、きっと…涼クンに、ばれちゃう…。
「綺麗だな」
涼クンは、一枚の紅葉を目の高さに持ち上げた。
「うん」
私も、同じことをした。
目の前に、小さな紅葉がふたつ、並んだ。
「波流は、気にしてる?」
突然、涼クンが聞いてきた。
「みんなの前で…あんなことして」
私は、小さく首を振った。
「…気にしてないよ。びっくりしただけ」
「そっか。…なら、良かった」
それから、再び沈黙の時間が訪れた。
どうしてだろう。
全然、会話が続かない。
ここに来る前は、何の意識もせずに喋ってたのに…。
今は、些細なことにも気持ちが揺れる。
すごく、言葉を選んでしまう。
だけど、沈黙は辛くて。
何か喋んなきゃ、って必死になってる自分がいる。
どうしよう。
涼クンが隣にいるだけで、何だか息苦しい…
苦しいよ…。
ドキドキするよ…。
堪らないくらい───
助けて。
もう、どうしたらいいか、全然わかんないよ…。
*6 side涼*
波流は、何も喋らない。
沈黙の時間だけが、ゆるやかに流れていく。
───僕の心のなかは、不思議と安らかだった。
波流と、こうして一緒にいられることが、幸せだった。
ずっと、彼女のことを想ってきた。高校1年の時、初めて出会ってから、ずっと。
でも、想いを伝えることは出来なかった。
…僕が、臆病だからだ。
想いを伝えたとき、波流に拒絶されるかもしれないことが、怖かった。
友達のままでいい。
…そう思った。
友達のままなら、気兼ね無く一緒にいられる。
一緒に笑っていられる。
だから、僕は自分の気持ちを包み隠した。
自分の本当の気持ちを顕にしたら、波流に嫌われてしまうかもしれない。
それが、怖かった。
でも、今。
僕は、究極の崖っ淵にいる───。
このままストレートに、想いを伝えるべきか。
それとも、友達のままでいるべきか。
正直、どちらを選んだとしても、後悔してしまいそうな気がする。
…どうしたらいいんだろうか…。
迷いに、キリはない。
不甲斐ない自分に、本当に腹が立つ。
しっかりしろよ、自分。 情けないぞ!!
「あのさ…」
「あのね…」
僕と波流が口火を切ったのは、全く同時だった。
「あ…ごめんなさい」
小さな声で、波流が言った。真っ赤に火照った頬は、まるで夕日を思わせる。
「いいよ。…先に喋って」
僕は、順番を譲った。レディ・ファーストだ。
波流は、何やら思い悩んでいる様子だった。右へ左へ、行ったり来たりする視線。浅い息遣い。
やがて、彼女はおもむろに唇を開いた。
「苦しい…」
「え?」
「苦しいよ…」
…えーと。
これはどういう意味なんだろう。
僕が混乱していると、波流は激しく首を横に振った。今にも泣き出しそうな表情で。
「苦しいよ、涼クン…」
「は…波流…?」
「涼クンのせいで…私、おかしくなっちゃったよ…!!」
叫ぶなり、彼女は僕の胸に飛び込んできた。
「わゎっ!!」
僕は、焦った。
波流が、何を言いたいのか全然わからない。
こんな時、どうすればいいのか、僕は知らない!
パニックを起こしかけた自分自身を、深呼吸して何とか落ち着かせた。
波流は、僕の胸にしがみついたまま、じっとしている。
彼女が、こんな感情的になるのは、初めてだ。
僕は、恐る恐る波流の背中に腕を回した。
細くて華奢な波流の背中。力を入れすぎたら、折れてしまいそうだ。
ふわ、とレモングラスの香りがした。
日だまりの匂い。
僕の大好きな、波流の匂い───。
そう。
僕が、伝えたいのは。
不甲斐ない僕が、それでもシッカリと伝えたいのは。
「波流…───」
もう、迷わない。
自分の意志に、従うんだ。
「波流…───」
波流が、細かく震えながら、顔を上げた。
僕は、小さく息を吸った。
「好きだよ────」
*7 side美亜*
「え…────」
息ができない。
何も見えない。
何も聞こえない。
すきだ、って。
哲が?
あたしのことを?
うそ。
嘘だよ。
そんなこと、あるはず無いじゃん…───
「ホントだよ」
哲が言った。
「嘘じゃねーよ…」
あたしは、何も答えられなかった。ただ、哲を見つめた。
怒りが、スウッと引いていく。
代わりに、混乱があたしを襲った。
「一生懸命なお前が…ありのままのお前が、好きだ…」
紅葉が、はらはらと散る。
「好きだよ、美亜…」
何度も、何度も繰り返す哲。
「い…いつから…そんな…」
あたしは、まともに喋ることすら出来ない。
哲に。
哲に告白された…。
「中学の卒業式から」
哲が答えた。
「ずっと。ずっと好きだった」
近くで、仲間たちがワイワイとバーベキューを楽しんでいるのが聞こえる。
けれど、それはまるで別世界の出来事。
ずっと遠くから聞こえてくる音。
「美亜を…守りたいって、思った」
哲が続けている。
「一緒にいて、楽しいひとだから。一緒にいて、安らげるひとだから」
「哲…」
「ケンカもする。お互いぶっきらぼう。だけど…俺は、美亜が好きなんだ…」
繰り返される言葉。
『好き』
こんなにも温かい響きだとは、知らなかった。
まさか哲から言われるとは思ってなかった。
でも────
あたしは、それを嬉しく思っている自分に気付いた。
ウソみたいだ。
あたしが、哲に心を許してるなんて…。
でも、ウソじゃない。
ホントに、ホントに、胸があったかくなって。
泣きたくなるくらい、感激している自分がいる。
「嬉しい…」
あたしは、小さく呟いた。
素直に言うのは、気恥ずかしいけれど。
「嬉しいよ…───ありがと、哲」
ようやく、その言葉ばあたしの唇から放たれた。
「美亜は?」
不安げに、哲が聞いた。
「美亜は、俺のこと───どう思ってんの…?」
あたしは、クスッと笑った。
心配そうな哲の顔が、すごく可愛らしかったから。
でも、ここはからかったりするシチュエーションじゃないよね。
『伝える』場なんだよね。
あたしの、
素直なキモチを。
「あたしも。好きだよ。
哲…────」
「美亜…」
あたし達は、見つめあった。
哲の瞳の中に、あたしが映ってる。
きっと、あたしの瞳の中にも、哲が住んでる。
きっと、これからもずっと───。
ふいに、哲の顔が近づいてきた。
あたしは、微笑んで、目を閉じた。
ねえ、哲。
あたしたち、これからも沢山ケンカするんだろうね。
だけど、ね。
いつまでも、忘れないよ。
あんたが、こんなあたしを、丸ごと好きだって言ってくれたこと。
そんなことを考えてる間に、
優しいキスが、
あたしを包み込んだ────。
*8 side波流*
『好きだよ…』
その言葉は、竜巻のように私を襲った。
苦しいよ。
苦しいよ、涼クン。
なんで、私をこんなに苦しくさせるの??
意地悪だよ…。
*side涼*
その言葉を吐き出した途端、波流がビクンと震えた。
あぁ、
もう後戻りは出来ない。
時間は巻き戻せない。
僕は、何も言えないまま、波流を抱きしめる腕にギュッと力を込めた。
折れてしまいそうな波流の背中は、とても熱い。
声をかけることも出来ないまま、僕は波流を抱きしめ続けた。
波流は、何も言わない。
けれど、僕の腕から逃げていくこともしない。
二人の間にあるのは、沈黙と温もりだけだった。
レモングラスの香りが、僕を優しく包み込んでいた───。
*side波流*
ぎゅっ、と抱き締められて──私の思考は、終わった。
湖畔から抱えてきた胸のざわめきが、すうっと癒されていく。
息苦しいことに変わりはないけれど、でも……
それはもう、心地よい息苦しさへと変質していた。
涼クンに抱き締められることが、こんなにも安らかなものだなんて。
私は、彼の温もりを感じた。
そして、彼の鼓動を感じた。
生きている証。
誰かのことを、好きになれる証。
「涼…」
私は、彼の名前を呼んだ。
初めての『呼び捨て』。
くすぐったい恥ずかしさも、温もりの内に薄れていく。
「波流───」
涼も、私の名前を呼んだ。
言わなくても、伝わっているよね?
気付いているよね?
私の気持ち…。
ずっと手に摘んでいた紅葉の葉が、はらりと落ちた。
その時、
私の唇は、柔らかな暖かさに触れた。
涼の、唇だった。
生まれて初めての、キス───。
私たちは、いつまでもそうしていた。
紅葉散る、湖畔で…。
*End*
こんにちは、
奥山メイです!!
初の短編、楽しんで頂けましたでしょうか??
舞台のバンガロー村は、西湖に実在します。秋には、本当に紅葉が美しい場所です。機会がありましたら、是非行ってみて下さいね*




