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僕らのままで

作者: 奥山メイ
掲載日:2010/01/27

*1*


「あついっ!!」


 そう叫んだのは、波流(はる)だった。


「どうした?」


 僕は、とっさにトングを鉄板の上に放り出し、彼女の元へ駆け寄った。



 それは、本当に瞬間的なことだった。



 ──別に、カッコつけようとした訳じゃない。ただ、波流の上げた悲鳴に驚いた。彼女の身に、何かが起こるのが、怖かった…──それだけだ。



 紅葉が、はらはらと散った。花の如く、絶え間なく。その隙間から差し込んでくる光は、和やかに優しかった。



「あ…」

 波流が、小さく声を出して、身じろぎした。

「───ありがと。涼クン…」



 気が付くと、僕は彼女を抱き抱えるようにして、パチパチと爆ぜる焚き火から引き離していた。


 そこに、意識の流れというものは全く無かった。彼女が悲鳴を上げた瞬間──脳に思考する暇も与えないほど素早く、僕の身体は波流へと向かっていたのだ。


 バンガローの周りは、しん、と静まり返っていた。

肉やらジャガイモやらを抱えた仲間達は、みな唖然として僕と波流を見比べている。


「涼クン…離して…」

 恥ずかしがるように、波流が言った。擦れた、小さな声だった。

「…息できないよ…」


「あっ。ご、ごめん」

 僕はハッとして、慌てて波流から手を離した。無意識の行動は、強く強く、彼女を抱き締めていたのだ。



 途端に、ヒューヒューと野次が上がり始めた。仲間達が、最初のショックから回復したらしい。


「オイ、やってくれるじゃねぇか涼」

「波流チャンのこと好きなのかよーっ」

「お前なんか、波流ちゃんに釣り合わねえぞぉっ」



「うっ、うるさいッ。大きなお世話だ!!」

 僕はムキになって怒鳴った。けれど、仲間達は軍手を叩き合わせて、ゲラゲラと笑うばかり。

 波流の友達・美亜だけが、複雑な顔をして僕らを見ている。


「ごめん…波流…」

 僕は、自分の余りの腑甲斐なさに、へなへなとその場にへたりこんだ。

「オレ、そんなつもりじゃ…」


 一筋のそよ風が、柔らかく僕の前髪を撫でていく。

 ああ、情けない。

波流を想う気持ちが、とっさに前面に出てしまった。

でもまさか、仲間達全員に知られてしまうなんて。

ずっと、隠してきたことなのに…。



「涼クン」

 ふわん、とレモングラスの匂いがした。波流が傍らにいるのだ。

 どんちゃん騒ぎと口笛が空気を覆い尽くす中で、彼女は逃げることも、否定することもせず、僕の隣にいる。アイツらにからかわれることが、判っているのに───。


「涼クン。行こ」

 波流の細い指が、僕の腕を握った。

「立って…」


 言われるがままに、僕は立ち上がった。僕を見下ろしていた波流の顔が、すぐさま僕を見上げた。


「行こ」

 強い口調で、彼女は言った。

「…ウン」

 僕は、まるで木偶の坊になったように、ただ頷いた。もっとマシな反応が出来れば良いのに。僕は、どこまでも腑甲斐ない。



 その時。

鼻腔を、ツン、と焦げた匂いが襲った。


「あーっ。隆志、トング貸せ!焦げてる!!」

「バカッ、何見てたんだよ!!」

 ガヤガヤと騒ぎ声がしたかと思うと、ジュウウッ、と水が鉄板に注がれた。

「アホか──!!俺の、俺の焼おにぎりがぁぁぁ!!」

 哲が、絶望の悲鳴を上げている。美亜は唇をキュッと結んだまま、消えかけの焚き火に薪をくべ始めた。


「今だよ。涼クン」

 波流が、僕を急かして歩きだした。

「あ、あぁ」

 オドオドした返事しか出来ないまま、僕はそれに従った。



 ────季節は、秋。



 高校2年生の僕達には、まだまだ『読書の秋』は似合わない。本とは、来年イヤというほど付き合わなければならないだろう。


 僕達は、野獣的な本能を満たすため──もっとも、波流と美亜にはそんな言葉は似合わないが──『食欲の秋』を満喫している所だった。


 富士五湖の一つ、西湖。

釣りで有名なこの湖畔に、バンガロー村がある。仲間の一人・隆志のじいちゃんが経営しているんだそうだ。ここで、僕らはバーベキューをすることにした。


 都会と違った、綺麗な澄んだ空気、高い秋空。


 静かなさざ波の立つ湖面の向こうには、色付き始めた山の端。


 そして、チラッと頭を覗かせる富士山。


 秋を満喫するためには、これ以上無いほど素晴らしいロケーションだ。



 そんな湖のほとりに立ちながら、僕と波流は、さっきから互いに黙りこくったまま、もじもじしていた。


 ふたりっきりだ。



 ───何か、話さなきゃ。男だろ!?


 そう自分に呼び掛けてみるものの、話すべきネタが見つからない。いつもはムダに動き回っている舌が、口のなかに貼りついてしまったみたいなのだ。


「…あの、さ…」


 口火を切ったのは、やはり波流だった。


 華奢な身体を、ちょっと固くして僕を見上げている。ココア色の髪が、顎のラインで遊んでいるのが何とも言えず可愛らしい。透けるように白い肌は、白とブルーのストライプ模様が入ったワンピースに包まれて、とても清楚だ。


「あのさ…」


 彼女は、もう一度呟いて、くりくりっとした目を下に逸らせた。『あのさ』とは言ってみたものの、続きが出てこないようだ。



 波流が僅かに動くと、微かにレモングラスの香りがした。彼女の、お気に入りの香水の匂い。初夏の日溜まりのような、芳ばしさを持っている。


 その香りに誘われて、僕はおずおずと波流の頬に触れた。


 マシュマロのような、ふんわりした感触。


 僕の指が触れた瞬間、波流は怯えたように身を強ばらせた。まるで、小さなウサギだ。


「…さっき。油、撥ねたの??」


 彼女から手を離した時、ようやく、僕の唇が言葉を生み出してくれた。


「さっき?──さっきって…ぁぁ…」

 波流は思い出して、ちょっぴり笑った。

「ありがと。心配してくれたんだよね」


「大丈夫だった?」


「うん、大丈夫。ちょっと熱かったよ。最初はね。けど、…だけど───」


 波流は、急に口籠もってしまった。


 その先に何を言わなければならないか、彼女は気付いたのだ。何か言いかけていた唇は、その言葉を飲み込み、きつく結ばれてしまった。その代わり、白い頬がうっすらと桃色を帯びた。



「だけど?」

 僕は聞き返した。



 言ってしまってから、『しまった』と思った。どうして、こんな意地悪なことをしてしまうんだろう、僕は。



「…だけど…」

 波流は、真っ赤になって俯いてしまった。

「あの……っ」



「ごっ、ごめん。なんでもないよ」

 僕は、慌てて誤魔化した。


 そして、遠い湖の向こうへと視線を送るふりをした。


 ──そうでもしないと、波流が可哀想だった。彼女の緊張は、1メートル程離れて立つ僕にも、ビンビンと伝わってきたから。



 仲間の前で堂々としていることも出来ないくせに、頬に触れるなんて大胆なことをしでかした自分が、ますます許せなくなった。



 鳶が鳴いた。



 チャプ…チャプ…


 湖が、そっと波を岸に寄せる。


 僕は、何気なく汚いスニーカーを脱いで、岸に腰をおろした。


 白く小さな石がゴロゴロしている地面。手をつくと少し痛かったけれど、すぐに慣れた。


 そのまま、両の爪先を水に入れてみる。



 チャプン…



 すでに冷たくなった山の水が、ゼリーのように僕の足を包み込んだ。



「冷てー…」


 思わず、小さく呟いた。

 すると、波流が近寄ってきた。まだ頬は薄桃色をしている。


「つめたい?」


 彼女が、小声で問い掛けてきた。


「うん。でも、気持ちいいよ」

 僕は、必死に何でもない顔を装った。本当は、波流が近くにいてくれることが、嬉しくて嬉しくて堪らなかったのだけれど…。



「あたしも…やってみようかな」

 波流が、呟いた。

おもむろにムートンのブーツを脱ぎ始める。


 思わず──僕は、その一連の動作に見入った。


 毛糸の暖かそうなソックスを脱ぐと、彼女の真っ白で細い足が現れた。足首には、金の華奢なアクセサリーが纏いついている。足に比べて、大きめのサイズのようだ。



「あっ、ダメだ───」


 僕は声を上げた。


 けれど、遅かった。


 彼女が足を湖に入れた瞬間、金のアクセサリーはふわっと浮き上がった。そのまま波に乗り、彼女の足首から逃げていく。


「あっ、あぁ───あ」



 波流の悲鳴も虚しく、アクセサリーは波に弄ばれながら運ばれていった。


 沖へ、沖へと…。



「──残念…お気に入りだったんだけどな」

 ため息と共に、波流がしんみりと言った。


 その横顔は、見ているだけで僕を淋しくさせて。


 なぜか、僕を突き動かした。



 僕は、立ち上がった。

恐らく、撥ねる油から波流を守ろうとしたときと同じ、無意識の内に────。

*2 side波流*


「涼クン!!」


 私は、びっくりして叫んでいた。



 いきなり立ち上がった彼。何をするのかと思ったら、ジャブジャブ音を立てながら、湖の中へと足を進めていく。


「涼クン、待って!危ないよ!!」


 私は、必死に彼を呼んだ。立ち上がろうとしたけれど、湖畔の石が手足に当たって、すごく痛い。


「大丈夫。待ってて」

 涼クンは、はにかんだ笑顔をチラッと見せた。



 ──何しようとしてるの?


 私は、恐々と彼を見つめた。


 決して暖かくはない水温。むしろ、目が醒めるくらい冷たい。そんな中に、涼クンは膝まで浸かって、更に沖へと行こうとしている。


「待ってて。とってくるから」

 彼は、俯きがちにそう言うと、完全に私に背を向けてしまった。



 チャプ…チャプン…


 彼が足を進める度に、水が軽やかな音を立てる。



 彼の周りで、水の珠が散っては遊ぶ。



 ───『とってくるから』って…まさか、あのアクセサリーを?


 

 痛みを我慢して小石を払って、私は何とか腰を上げた。でも、もう遅かった。

彼はもう手が届かないほど沖に出てしまっていた。



 私に出来ることといったら、叫ぶことだけ。


「りょーくーん!!」


 ──確かに、アクセサリーが流されちゃったのは、残念なことだった。



 だけど…だからって、涼クンがそんなことしなくてもいいのに…。



 彼のオレンジ色のTシャツ姿は、どんどん遠ざかっていく。決してたくましくはない背中。


 

 光をキラキラと反射する湖面に、飲み込まれていく彼の背中。



 見ていて、不安で不安で堪らなくなる。



「涼くーん!」



 声を限りに呼ぶけれど、涼クンは止まってくれない。聞こえてるのかさえ、わからない。


もう、彼の背中は半分以上水に吸い込まれてしまった。


 怖い。


 怖いよ、涼クン。


 このまま、涼クンが見えなくなっちゃったら──私、どうすればいいの。



 アクセサリーなんて、どうでもいいよ。そんなことより、私をこれ以上怖がらせないで。



 すると、ふっと彼がこっちを振り向いた。



 くしゃっとした表情。

遠くからでも見えるのは、泣きだしそうな瞳。



「ごめーん。…とれなかった…!!」



 こちらに向かって叫ぶ、涼クンの声。


 パシャン、と少し強めに打ち寄せる波の音。


 そのコントラストが、妙に私の気持ちをかき乱した。


 締め付けられるような、それでいてくすぐったいような。そんな感覚が、心臓から血管を伝って、全身へと運ばれていく。


「戻って…きて…」


 叫ぶつもりだった私の声は、擦れて自分でも聞き取りにくい。


「涼クン…」


 彼の名前を呼んだとき、さわさわっと風が吹き抜けた。



 雲一つない、高い高い秋の空。


 それを背景に、涼クンが立てる細かな水飛沫。



「ごめん…」


 戻ってきた彼は、下を向いたまま言った。

胸までびしょ濡れになって。まるで、川で遊んだ小さな男の子みたいに。


「あれ以上は…行けなかった」

 涼クンが悔しげに続ける。

「途中で、急に水が深くなってて。波流の大事なモノ──取れなかった…」



「…な…」

 何言ってるのよ。


 私は、自分の身体が小さく震えてしまったのが判った。


「あんな物の為に…ばか…」



 心配させないでよ。



 私、本当に怖かったんだから。涼クンが戻って来られなくなったら、どうしよう、って…。



 ───でも、どうして。


 どうして、こんな気持ちになるんだろう。涼クンが居なくなることが、こんなにも…怖いなんて…。


 もしかして、私───




「波流?」

 涼クンが、私の顔を覗き込んでいる。


 それが、何だか恥ずかしくて。


「何でもないよ───」


 私は、ニッコリと嘘をついた。


 きっと、誤魔化せてはいないと思う。私の頬が、熱くて、真っ赤になってしまっているだろう事を。



「──ありがと──…」



 呟いた言葉は、


 自分が発したものじゃないように聞こえた。


 私が、本当に言いたいことって…なに?

この身体の熱さは、気持ちのざわめきは、なに?



「涼クン…」


 続けるべき話題も無いのに、呟いてしまう彼の名前。私、本当にどうしちゃったの?



「…びしょ濡れ。風邪引くよ」

 私が何とか絞りだした言葉は、ありきたりの会話だった。

「バンガローにタオルがあるから。髪だけでも拭かなきゃ」


「そだな…」


 涼クンが、ちょっと遠い目をして頷いた。その柔らかい、ビターな色の髪から、水滴がポタポタと零れ落ちている。


「もう──無茶、しないでね」



 出来る限り優しく言うと、私は涼クンに顔を見られないように、先を行き始めた。



「何、急いでんの?」


 涼クンの声が、追い掛けてくる。



 もうっ。ホントに、女の子の気持ちに疎いんだから…。



 ねえ、涼クン。気付いてないでしょ?



 私、


 ドキドキしてたんだよ──…。

*3 side美亜*



「おーい、美亜」

 哲が、いきなりあたしの名前を呼んだ。


「なにー?」

 ちょっとイライラしながら返事する。うちわを動かす手は止めない。

「あたし、忙しいんだけど」


 隆志が水をかけたせいで、消えかけてしまった焚き火。それにもう一度勢いを蘇らせるのは、至難の業。


 本当は、男の子がやるべき仕事だと思う。だけど、ここにいる男共ときたら、食べることにしか目が無い。哲なんて、自分の焼おにぎりが水浸しになったからって騒ぎまくって、なにもしてない。


 結局、火を起こすのはあたしの役目になってしまった。


 さっきからずっとしゃがみこんでいるせいか、腰が痛い。


「美亜ー。なんか怒ってる?」

 わざと甘えた声で聞いてくる哲。


 ええ、そうですよ。

 怒ってますよっ!!


 自分は食べてばっかりで、いいご身分よねっ。

あたしなんか、まだお肉食べてないっていうのに。


 普通、こういうアウトドアって、男の子がリードするものなんじゃないの!?


 あたしだって…あたしだって、食べたいわよおっ。


 思わず、うちわをぶん投げてやりたくなる。


「美亜ってばー」


 また哲だ。


「みーあーちゃんっ♪」


「何ようるさい!!用があるならハッキリ言いなさいよっ」

 あたしは焚き火から顔を上げて、じゃがバタに舌鼓を打っている哲を睨み付けた。


 つ、と汗が頬を伝う。あんまり長い間、火の側にいたから。きっともう、メイクはぐちゃぐちゃだ。



 あたしの剣幕に驚いたのか、哲は刈り込んだ坊主頭を撫でながら、パチパチと瞬きをした。


「焼きりんご…食わねぇかな、と思ったんだけど…」


 そう言って、紙皿を差し出してくる。そこには、いかにも甘そうな蜜をたたえた焼きりんごが一つ、アルミホイルに包まれていた。



「お前、さっきから何も食ってないだろ」



 うそ…──。



 ──気付いてたんだ…。



 一瞬だけ、うれしくなった。



 だけど、ほんの一瞬だけ。



「気付いてんなら、仕事代わってよ!!あんたは食べてばっかりじゃないっ」


 気が付くと、自分の口からはそんな言葉が飛び出していた。


 言ってしまってから、プチ・後悔。


 ──『ありがとう』って、言えたらよ買ったのに。


 残念ながら、あたしはそんな可愛らしい性格じゃない。


 だから、いつも波流と比較される。


 女の子らしくて、可愛いくて清楚な波流は、気遣いもいい。男の子にとっては、理想のタイプ。

『守ってあげたくなる』ような…。



 それにひきかえ、あたしは。


 ちっとも女の子らしくなくて、言葉遣いは荒っぽくて。すぐ怒るし…。


『守ってあげたい』どころじゃない。むしろ、恐れられているような気がする──。



「───ごめんな」


 哲が、ポツッと言った。


 ええ、ええ、本当に。

その言葉が欲しかったわ。


 ────って、



「えええぇぇ!?」


 あたしは、大声をあげてしまった。


「てっ、てっ、哲…──もしかして今、謝ったのっ!?」


「そーだよ」

 憮然として、哲は言った。

「そんなに意外か?」


「意外だよっ。幼稚園の頃から、あたしに謝ったことなんて一度たりともなかったじゃないっ」


「そういやそうだな」


 哲は、あたしに手を貸して立たせようとする。


「俺、代わるよ。ちょっと休んでろ」



 ───何よ、その優しい言葉は。似合わないわよ。



 あたしには珍しくドギマギしていると、哲は力強い手であたしの腕を掴み、支えた。

「立てよ」



「あ…うん…」


 言われるままに、立ち上がる。けれど、ずっと座っていたせいか、腰が固まってしまったみたいに重い。


 おまけに、一瞬くらあっと目の前が見えなくなった。


「美亜?」

 哲が、あたしの名前を呼ぶ。

「大丈夫か?」


 あたしは、───倒れまいとして、思わず───



 哲にしがみついた。




「美亜」

 哲の声が、すぐ耳元で聞こえる。

「立ちくらみした?」



 何よ…なんで、なんでこんなに優しいの??




 いつもと違うよ。




 哲────



 あたしをたぶらかしたって、何も出ないよ…。




 だんだんと、視界が晴れてきた。


 そして見えたのは、予想以上に近くにある、哲の顔。


 野球少年らしい、ハッキリとした凛々しい面立ち。


 いつもケンカしてたから、気付かなかった。こいつ、結構…男らしい…。



 哲────。



「!!」


 そこまで考えて、あたしはハッと我に返った。



 あたし、なんか変だ!!


 今、絶対に哲にときめいてたっ!!


 なんで!?


 なんで哲なんかに!!


 馬鹿じゃないの、あたし!?


「…もっ、もう、大丈夫みたいっ」

 あたしは、慌てて哲の腕から離れた。


「りんごは?」


 哲が不思議そうに聞いてくる。


「…食べるっ」


 あたしは、差し出された紙皿を乱暴に受け取った。

いつものように。




 ───なんで。



 なんで優しくなれないの?あたしは…



 りんごを口に運ぶと、バターと果実の甘味が、ふわんっと口中に広がった。



「…おいしー…」


 呟くと、哲が嬉しそうに笑った。


「よかった」



 あたしは、こんなにもぶっきらぼうなのに。


 優しくなんかなれないのに。



 哲は、いつも、あたしを受けとめてくれる。



 時にはからかわれたり、拗ねられたり、嫌味を言われたりするけど。



 でも、哲は、いつもあたしを見ていてくれる──。



 なのに。




 ごめんね。


 『ありがとう』の一言が言えない。



 こんなあたしで、ごめんね…───。



 あたしは、大きく口を開けて、ガブッとりんごにかぶりついた。


 

 それが、溢れてきた涙を隠すためだなんて───



 哲には、気付かれたくない。

*4 side哲*



 りんごは、美亜によく似合う。


 …美亜が焼きりんごを食べるのを身ながら、そんなことを考えていた。


 甘いけれど、ちょっと酸っぱい。


 りんごは、美亜そのものだ。


 …本当は、もっと早く仕事を代わってやりたかった。美亜が、何か食べたそうにしているのも、判っていた。


 だけど、俺は───出来なかった。


 動けなかったんだ。


 一生懸命に火を起こしている美亜の横顔が、とても綺麗に見えたから。




 美亜のことは、ガキの頃から良く知っている。



 だけど、あんなに綺麗な美亜の表情を見たのは初めてで。


 メイクも崩れてしまっていて、汗だくだったけれど、そんな美亜が、本当に綺麗だと思った。



 それは、『顔立ち』とか『気立て』とか…そんなものよりも、どこか高貴だった。



 何かに一生懸命になっている人というのは、こんなにも心に強く訴えかけるものなんだと、身に染みて感じた。



 俺と美亜は、幼なじみ。

 ずっと、一緒に育ってきた。


 だからと言っちゃなんだが、ケンカは日常茶飯事で、時には俺が泣かされたこともある。


 だけど、美亜が泣いたのを見たことは、一度しかなかった。


 忘れもしない、中学校の卒業式。


 みんなバラバラの高校に行くことになって、それぞれが別れを惜しんでいたときに、美亜だけは一人、どこかへと姿を消した。



 俺は気になって、こっそり跡をつけた。



 これは、今でも後悔している。なぜって、辿り着いた教室で、一人で嗚咽を洩らしている美亜を見たから。


 見てはいけないものを、見てしまった。


 美亜は、泣くところを、人に見られたくは無かったんだ。


 でも、俺は見てしまった…───。



 なあ、美亜。


 お前、色々自分の中に溜め込んぢまうんだろ?



 強がるなよ。



 もっと、俺を頼れよ。



 誰よりも美亜のことを知ってるのは、俺なんだからさ…──。



「…哲」


 ふいに、美亜が言った。


 りんごを食べ終えて、アルミホイルをきれいに畳んでいる。


「どうしたら…優しくなれるのかなあ?」


「は?」

 思わず、聞き返してしまった。

「優しく?」


 うん、と美亜は頷いた。

「波流みたいに、優しくなりたいのに。どうしても、なれない」



 …美亜。



 お前、そんなこと考えてたのかよ。


「バーカ」

 俺は、わざと茶化して言った。

「優しい美亜なんて、気味悪いって」


 これが、大失敗だった。


 美亜はグッと目を見開いて、俺を睨み付けた。

「ほらねっ!!やっぱり、哲もあたしのこと優しくないって言ってるんだ!!」


「ちっ、ちげーよ。俺が言いたかったのは…」


「哲のバカ!!」


 美亜は叫ぶと、うちわを俺の腕に押しつけた。


「哲は、あたしのこと──何も判ってないっ!!」


 あんまり大声で怒鳴るから、隆志たちがワラワラと集まってきた。


「どうした?」

「またケンカかー?」



「ああ、いつものだよ。気にすんな」

 俺は、ニッコリを装って、隆志たちに答えた。

「すぐ終わるから」


「…そうか?」

 隆志は、トング片手に、汗で額に貼りついた前髪を掻き上げた。

「それなら良いけどよ。哲、お前もう少し美亜に優しくしてやれよ?」


「あ…あぁ…」


 俺は、生返事をした。


 隆志達は、早速バーベキューへと戻っていく。

 一方の美亜は、俯いたまま、小さく震えていた。



 …俺は、アホだ。



 何を言っても、結局は美亜を傷つけてしまう。


 美亜に『頼ってほしい』なんて思いながら、俺は美亜を判ってやれていないのかも知れない。



 …俺は、無力だ───。



「美亜…」



 ごめんな。

 支えてやれなくて──



 ただただ俯く美亜。



 俺が、傷つけた。



 一番、判ってやらなきゃいけないのに。



 美亜にこんな顔、させちゃいけないのに…。




 守ってやりたいのに。




「俺だって…優しくねえだろ…」


 小さく、呟いた。


「“優しく”なんて。なろうと思っても、なれねーよ…」


「…」

 美亜は、黙ったまま、地面を睨み付けている。



「でもさ…」

 俺は、深く息を吸い、そして吐いた。



 胸が苦しい。



 不思議な感覚だった。


 ただ、ひたすら、美亜に伝えたかった。




 どんなにぶっきらぼうでも、ケンカしても、美亜は美亜だと。



 決して、他の誰にも劣りはしないのだと。



 だけど。


 俺も、不器用だから…



 どうしたら、巧く伝えられるのか、わからない。



 言葉が脳内で迷子になっているんだ。



 どうしたら、


 わかってもらえるかな。



 美亜…───



 俺は、


 気取ったりしない、ありのままのお前が───




「好きだ…」

*5 side波流*



 バンガローの中は、煙の匂いもしなくて、涼しかった。


 くすんだ色のフローリングに、窓から舞い込んだ紅葉が散らばっている。


 真っ赤な葉。

 黄色い葉。

 サッと手で集めて、テーブルに乗せてみると、葉っぱのグラデーションができた。


「ね、涼クン。見て…」


 綺麗でしょ、と言おうとしたけど、私は口をつぐんだ。



 涼クンは、タオルで濡れてしまった身体を拭いている真っ最中。


 オレンジのTシャツを脱いで、上半身が顕になっていた。



 細身の涼クン。


 だけど、意外にもその身体は筋肉質で───。



 そのギャップに、私はちょっぴりドキッとした。



 さっきから、私は変だ。


 まだ何となく顔が熱いし、ちょっとした会話でも、大きく反応してしまう。



 こんなことは、初めてだ。


 涼クンが、あたしを火から庇ってくれてから───彼を、今までとおなじように見ることが出来ない。



 目を、合わせられない。



 気恥ずかしくて。



「波流…?」


 私が彼の背中を見つめていると、視線を感じたのか、涼クンは振り返った。



 やだっ。

 恥ずかしい…。



 サッ、と目を紅葉に戻す。


 もうっ。

 早くTシャツ着てよ…



 ドキドキが、治まらないから───。



「波流…」


 呼び声がして、涼クンが近寄ってくる気配がした。


 身を固くしていると、彼は私の隣に立って、紅葉の葉をいじりだした。


 もう、ドライヤーで乾かしたTシャツを着ていたから、私は少しほっとした。


 これ以上ドキドキしたら、きっと…涼クンに、ばれちゃう…。



「綺麗だな」


 涼クンは、一枚の紅葉を目の高さに持ち上げた。



「うん」

 私も、同じことをした。



 目の前に、小さな紅葉がふたつ、並んだ。



「波流は、気にしてる?」

 突然、涼クンが聞いてきた。


「みんなの前で…あんなことして」


 私は、小さく首を振った。


「…気にしてないよ。びっくりしただけ」


「そっか。…なら、良かった」


 それから、再び沈黙の時間が訪れた。



 どうしてだろう。


 全然、会話が続かない。


 ここに来る前は、何の意識もせずに喋ってたのに…。



 今は、些細なことにも気持ちが揺れる。



 すごく、言葉を選んでしまう。


 だけど、沈黙は辛くて。


 何か喋んなきゃ、って必死になってる自分がいる。



 どうしよう。


 涼クンが隣にいるだけで、何だか息苦しい…



 苦しいよ…。



 ドキドキするよ…。



 堪らないくらい───



 

 助けて。

 もう、どうしたらいいか、全然わかんないよ…。

*6 side涼*


 波流は、何も喋らない。


 沈黙の時間だけが、ゆるやかに流れていく。



 ───僕の心のなかは、不思議と安らかだった。


 波流と、こうして一緒にいられることが、幸せだった。


 ずっと、彼女のことを想ってきた。高校1年の時、初めて出会ってから、ずっと。


 でも、想いを伝えることは出来なかった。


 …僕が、臆病だからだ。


 想いを伝えたとき、波流に拒絶されるかもしれないことが、怖かった。


 友達のままでいい。


 …そう思った。


 友達のままなら、気兼ね無く一緒にいられる。


 一緒に笑っていられる。


 だから、僕は自分の気持ちを包み隠した。


 自分の本当の気持ちを顕にしたら、波流に嫌われてしまうかもしれない。


 それが、怖かった。



 でも、今。



 僕は、究極の崖っ淵にいる───。



 このままストレートに、想いを伝えるべきか。

 それとも、友達のままでいるべきか。


 正直、どちらを選んだとしても、後悔してしまいそうな気がする。



 …どうしたらいいんだろうか…。


 迷いに、キリはない。


 不甲斐ない自分に、本当に腹が立つ。


 しっかりしろよ、自分。 情けないぞ!!




「あのさ…」

「あのね…」




 僕と波流が口火を切ったのは、全く同時だった。



「あ…ごめんなさい」


 小さな声で、波流が言った。真っ赤に火照った頬は、まるで夕日を思わせる。



「いいよ。…先に喋って」

 僕は、順番を譲った。レディ・ファーストだ。


 波流は、何やら思い悩んでいる様子だった。右へ左へ、行ったり来たりする視線。浅い息遣い。



 やがて、彼女はおもむろに唇を開いた。



「苦しい…」



「え?」



「苦しいよ…」




 …えーと。

これはどういう意味なんだろう。


 僕が混乱していると、波流は激しく首を横に振った。今にも泣き出しそうな表情で。




「苦しいよ、涼クン…」




「は…波流…?」




「涼クンのせいで…私、おかしくなっちゃったよ…!!」




 叫ぶなり、彼女は僕の胸に飛び込んできた。


「わゎっ!!」


 僕は、焦った。


 波流が、何を言いたいのか全然わからない。


 こんな時、どうすればいいのか、僕は知らない!



 パニックを起こしかけた自分自身を、深呼吸して何とか落ち着かせた。



 波流は、僕の胸にしがみついたまま、じっとしている。


 彼女が、こんな感情的になるのは、初めてだ。




 僕は、恐る恐る波流の背中に腕を回した。




 細くて華奢な波流の背中。力を入れすぎたら、折れてしまいそうだ。



 ふわ、とレモングラスの香りがした。



 日だまりの匂い。




 僕の大好きな、波流の匂い───。



 そう。


僕が、伝えたいのは。


不甲斐ない僕が、それでもシッカリと伝えたいのは。



「波流…───」




 もう、迷わない。

自分の意志に、従うんだ。


「波流…───」



 波流が、細かく震えながら、顔を上げた。



 僕は、小さく息を吸った。



「好きだよ────」

*7 side美亜*


「え…────」



 息ができない。



 何も見えない。

 何も聞こえない。



 すきだ、って。



 哲が?



 あたしのことを?



 うそ。

 嘘だよ。



 そんなこと、あるはず無いじゃん…───




「ホントだよ」

 哲が言った。

「嘘じゃねーよ…」



 あたしは、何も答えられなかった。ただ、哲を見つめた。


 怒りが、スウッと引いていく。


 代わりに、混乱があたしを襲った。




「一生懸命なお前が…ありのままのお前が、好きだ…」



 紅葉が、はらはらと散る。




「好きだよ、美亜…」



 何度も、何度も繰り返す哲。



「い…いつから…そんな…」

 あたしは、まともに喋ることすら出来ない。


 哲に。

 哲に告白された…。



「中学の卒業式から」


 哲が答えた。


「ずっと。ずっと好きだった」


 近くで、仲間たちがワイワイとバーベキューを楽しんでいるのが聞こえる。


 けれど、それはまるで別世界の出来事。

ずっと遠くから聞こえてくる音。



「美亜を…守りたいって、思った」



 哲が続けている。



「一緒にいて、楽しいひとだから。一緒にいて、安らげるひとだから」



「哲…」



「ケンカもする。お互いぶっきらぼう。だけど…俺は、美亜が好きなんだ…」



 繰り返される言葉。



 『好き』



 こんなにも温かい響きだとは、知らなかった。



 まさか哲から言われるとは思ってなかった。



でも────



 あたしは、それを嬉しく思っている自分に気付いた。


 ウソみたいだ。


 あたしが、哲に心を許してるなんて…。


 でも、ウソじゃない。


 ホントに、ホントに、胸があったかくなって。



 泣きたくなるくらい、感激している自分がいる。



「嬉しい…」



 あたしは、小さく呟いた。


 素直に言うのは、気恥ずかしいけれど。




「嬉しいよ…───ありがと、哲」




 ようやく、その言葉ばあたしの唇から放たれた。



「美亜は?」


 不安げに、哲が聞いた。

「美亜は、俺のこと───どう思ってんの…?」



 あたしは、クスッと笑った。

 心配そうな哲の顔が、すごく可愛らしかったから。


 でも、ここはからかったりするシチュエーションじゃないよね。



 『伝える』場なんだよね。


 あたしの、


 素直なキモチを。





「あたしも。好きだよ。

哲…────」




「美亜…」




 あたし達は、見つめあった。


 哲の瞳の中に、あたしが映ってる。


 きっと、あたしの瞳の中にも、哲が住んでる。




 きっと、これからもずっと───。



 ふいに、哲の顔が近づいてきた。



 あたしは、微笑んで、目を閉じた。




 ねえ、哲。



 あたしたち、これからも沢山ケンカするんだろうね。



 だけど、ね。




 いつまでも、忘れないよ。



 あんたが、こんなあたしを、丸ごと好きだって言ってくれたこと。




 そんなことを考えてる間に、


 

 優しいキスが、

 

 


 あたしを包み込んだ────。

*8 side波流*


『好きだよ…』



 その言葉は、竜巻のように私を襲った。



 苦しいよ。

 苦しいよ、涼クン。


 なんで、私をこんなに苦しくさせるの??



 意地悪だよ…。



*side涼*


 その言葉を吐き出した途端、波流がビクンと震えた。



 あぁ、


 もう後戻りは出来ない。


 時間は巻き戻せない。



 僕は、何も言えないまま、波流を抱きしめる腕にギュッと力を込めた。


 折れてしまいそうな波流の背中は、とても熱い。



 声をかけることも出来ないまま、僕は波流を抱きしめ続けた。




 波流は、何も言わない。


 けれど、僕の腕から逃げていくこともしない。



 二人の間にあるのは、沈黙と温もりだけだった。




 レモングラスの香りが、僕を優しく包み込んでいた───。



*side波流*


 ぎゅっ、と抱き締められて──私の思考は、終わった。


 湖畔から抱えてきた胸のざわめきが、すうっと癒されていく。


 息苦しいことに変わりはないけれど、でも……



 それはもう、心地よい息苦しさへと変質していた。


 涼クンに抱き締められることが、こんなにも安らかなものだなんて。


 私は、彼の温もりを感じた。


 そして、彼の鼓動を感じた。


 生きている証。


 誰かのことを、好きになれる証。



「涼…」



 私は、彼の名前を呼んだ。


 初めての『呼び捨て』。



 くすぐったい恥ずかしさも、温もりの内に薄れていく。



「波流───」



 涼も、私の名前を呼んだ。


 言わなくても、伝わっているよね?


 気付いているよね?



 私の気持ち…。




 ずっと手に摘んでいた紅葉の葉が、はらりと落ちた。



 その時、


 私の唇は、柔らかな暖かさに触れた。



 涼の、唇だった。



 生まれて初めての、キス───。




 私たちは、いつまでもそうしていた。





 紅葉散る、湖畔で…。


*End*


こんにちは、

奥山メイです!!

初の短編、楽しんで頂けましたでしょうか??


舞台のバンガロー村は、西湖に実在します。秋には、本当に紅葉が美しい場所です。機会がありましたら、是非行ってみて下さいね*

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