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公爵家物語(オズボーン家)  作者: オサ
3年生(2回目)
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3年生(2回目) その90 買い物

90 買い物


王都の北西に公爵邸があり、その周辺地域である西区は元々空き地であった。そこを街区として整備を行ったのは公爵家であり、その地域に集まってきたのは庶民と騎士爵階級の者達だった。公爵邸の近辺は未だ空き地が多かったが、王都の中央部に近づくと、そこには賑わいがあった。

緑のワンピース、腰を結ぶ茶色の紐、深紅の髪を一本に束ねる黄色のリボン、貴族の豪華さが全くない第二公女は、誰もが振り返る美しさを誇っている訳ではなかったが、少女から女性へと成長する時の、16歳の瑞々しさを持っていた。

公爵邸から繁華街へと向かう途中まで、セーラは右側の父親と左側の母親の顔を見る事ができなかった。言いたい事があって、言えなかった言葉を拒否された時の恐怖が大きかった。拒否されるはずはないと後になれば理解できたが、この時の次女には恐怖が存在していた。

「セーラ、手を繋いでもいいか。」

「・・・・・・。」

「いや、すまない。」

「はい。お父様。」

 立ち止まって右手を差し出した公女は、公爵の手に握り締められた。金髪青目の美公爵の父親は、紺のズボン、白いシャツ、茶色のベストと庶民の服装だったが、隠しきれない英雄の風格があった。だが、今のセーラにはその風格ではなく、父親と手を握れるという一事によって圧倒されていた。

 手が震えたらどうしようと思うと同時に、剣蛸で硬くなった手を握った父親が何を考えるのだろうかと考え始めると、頭の中に様々な思考が駆け巡った。

「セーラ、私も手を握ってもいい?」

「はい。」

 左側から触れられた感触と声に公女は落ち着きを取り戻した。自分と同じような瑞々しい姿の母親に振り返ると、可愛らしい水色と金髪の妖精に微笑んでいた。

 同じ身長になったセーラの釣り目とは違った柔らかい眼差しの女神は、灰青色の瞳を潤ませていた。腰まで伸びている金髪を一本に結んでいる青色のリボンも庶民のものと変わりはなかったが、美の女神だけは服飾に関係なく輝いていた。それは娘という存在になった今でも変わらないお母様への感想であり、変わらない事実だった。


「この髪飾りはどうかしら。」

「ああ、似合うよ。」

「さっきから、似合っているばかり、きちんと考えてください。旦那様。」

「いや、似合うのだから。あ、これは似合わないと思うぞ。」

「赤色の髪飾りがセーラに似合うはずがありません。」

「この黄色のがいい。」

 小さな装飾品の店に入った夫婦は娘の頭に添えながら、贈り物を選んでいた。

「そうね。これでいいかしら。」

「はい。でも、買うのは、帰りの時に・・・。」

「ああ、分かった。他の店も見ようか。」

「はい。」

 3件目の店に入った時、公爵夫妻は娘の望んでいる事が理解できるようになった。一番大切なのは、3人で一緒に買い物をする事であって、娘は何かが欲しくて街に来た訳ではなかった。贈り物の値段は重要ではなかったようで、両親が選んでくれた物であれば何でもセーラは喜んだ。両親に選んでもらう事が大切で、それが髪飾りでも服でも、ペンでも何でも良かった。入った全ての店で、セーラは自分に似合うかどうかを聞いていた。両親が考える赤髪の女性に似合う何かを選んでもらっていた。

 西区の繁華街を歩く3人は、注目を浴びていたが、店員以外に話しかけられる事はなかった。セバスチャンが商業ギルドに連絡を取って、親子が自由に街を歩く事ができるように手配をしていた。全ての住民に話が伝わった訳ではなかったので、大英雄に話しかけようとした者は何人かがいたが、全力で楽しんでいる娘の様子を見て、大英雄に話しかけてはいけないのだと自粛していた。

「この食堂がいいの?」

「はい。お母様、ここの魚料理が美味しいんです。」

「魚料理は食べた事はなかったな。」

「とても美味しいです。お父さん。」

「そうか。では、入ろう。」

「はい。」

 繁華街の人気食堂は大きく、すでに客が大勢入っていた。4人掛けのテーブルに腰かけると、緊張感で震えている給仕役の少女が近づいてきた。

「何になさいますか?」

「魚の焼き料理と煮物を大皿で。お父さんは何がいい?」

「ああ。料理に合うパンは何かな?」

 正面の娘の笑顔がこれ程嬉しさに満ちていたのを初めて見た公爵は、笑顔を崩さないまま、3年間の自分自身を振り返っていた。存在に気付かずに次女を放置した最低の父親は、この3年間も最低であった事を知った。ただ、街へ買い物に出かけるというだけの事すら、セーラに与えていなかった。その機会さえ与える事も無かった。娘の願いを何でも叶えるという放置を強く後悔していた。

そして、家族として当たり前の願望を伝えるためだけに、公女は命がけの戦いを2度乗り越えた功績の褒美と引き換えにした。与えられなかったものを手にするために戦う事は戦士の誉れではあったが、娘が命がけで手に入れたものは、特別なものではないはずだった。

公爵自身も父親のいない寂しさを知っていた。誕生直後に病死した父親の事を母親に尋ねた事は一度も無かったが、それはセバスチャンを始めとした家人達が話をしてくれたからだった。英雄である父を誇らしく思いながらも、一度も会う事がなかった存在に寂しさを感じて、それを堪えた事は何度もあった。エリスが12歳の時に婚約者として公爵邸に住み始めた時、公爵には義父と義母できた。そして、義父ができた事を、エリスを婚約者とする事よりも喜んでいた。同じ剣士で、勇者である義父を実父に重ねて見ていた。それほど、父を欲していた自分がセーラの境遇を作り出し、今まで娘の願望を無視していた事が最低だった。

父親の名も知らず、生きているか死んでいるのかさえ知る事が無かった娘が、父親の存在を知ってから1年間、公爵邸に来るのを拒んだのは、娘を直接迎えに来なかった父親に会いたくなかったからに違いなかった。会いたいと思われる父親ではなかった事を、公爵自身がよく分かっていた。

公爵が王都を公務以外で離れる事が禁じられているとは言っても、密かに会う事はできたはずで、会いに行った事を咎める事ができる唯一の国王陛下がそれを責めるはずがないと公爵は分かっていた。何よりも国を思う国王であったが、情を知らぬ君主ではないし、お互いに国の頂点にいる存在としての友誼もあった。

公務と言うのは完全な言い訳だった。ただ、娘にどんな顔をして会って、何を言えばいいのかが分からなかったから逃げただけだった。

浮気とも言えない一時の情事をどう伝えるのか、どう伝えればいいのか。そんな事を何度も考えながら、答えの出ない問答を繰り返している間に、公爵家の思いに応えてくれた娘は、母と瓜二つの赤髪の少女だった。

その少女が日々の成長で女性に変化する事は嬉しい事だったが、自分の罪を懺悔して、許しを請う機会を遠ざけていった。近づかなければならないのに、近づけないという壁を勝手に作ったのは公爵自身だった。罪を許してもらうのではなく、罪を償う事を優先するべきであった事にようやく気付いた。

ミーナとセーラへの罪は許してもらう事ではないという自分の中で結論が出ている事を何度も考え直していた。対象の1人は鬼籍に入り、謝罪も償いもできなかった。そして、第2夫人が望むであろうことは、セーラを娘として愛し、育てる事であろう事は疑いようがなかった。

そこまで分かっていたのに、どうすればセーラの父親になれるのか、などという愚かな事を考え始めたため、公爵は何もできずにいた。何をすれば父親になれるかではなく、父親として行動するだけでよかった事に今更気づいた。レイティア、アラン、エリックの3人に対して小さい時に行った事をするだけで良かったのに、それをしなかった。父親としてすることを実体験していたのに、赤髪の娘に対してはそれをしなかった。

普通の親子ではないというのであれば、きちんと話を聞けば良かった。仮に、ミーナの人生を滅茶苦茶にしたと罵倒をされたとしても、それは言われて当然の事であって、逃げてはいけなかった。どんな行為も謝罪にならないのだから、その居心地が悪い場所に踏み込むべきだった。

今日もそれを自分からはできていなかった。

そして、親子と言う輪の中に踏み込んでくれたのは、セーラの方であって、命がけの功績を掲げなければ入る事ができないと思わせる程の高い壁が、幻想ではあるがセーラの前には立っていて、それを打ち破ることに娘は必至だった。その事に気づいて、セーラの方に一歩歩み寄るだけで、強固な壁という幻想は瞬く間に消えていた。

「セーラ、唇の所に、魚が・・・。」

「あ。」

「ああ、そのままで、エリス、ハンカチで拭いてあげて。」

「はい。セーラ、少し、顔を近づけて。」

「はい。」

 食事は綺麗に食べる事と姿勢についてだけは厳しく注意されてきたセーラは、母親に拭いてもらえる事を心地よいと感じていたが、小さな子供のようにはしゃいでいた自分が少し恥ずかしかった。

「綺麗に食べた方がいいけど。少し位は構わない。私だって、酒場で騎士達と食べる時は綺麗に食べている訳ではないから。気にする事は無い。」

「はい。」

 父親が嬉しそうに笑っているのを見つめながらセーラは、自分が第2公女と呼ばれている貴人である事を忘れていった。


 西区の繁華街から少し離れたところに、第2初等学校があった。発表祭の余韻が残っている店を通り過ぎて、休日の学校の中へと3人は入っていった。美しく整えられた中庭は、セーラが親子3人で歩いてみたい場所だった。

 特別な何かがある中庭ではなく、校舎と校舎に挟まれた通路で、芝生が敷かれただけの場所だった。そこには3人以外はなく、誰の視線を気にする事も無かった。自分と父と母の3人だけの空間で、手を繋いで歩く事ができるのは、無人になる休日の学校しかなかった。

 両手を強く握った瞬間、2人共少しだけ強く握り返してくれたことが嬉しくてたまらなかった。手だけではなく、心がつながっているような気がして嬉しかった。想像する事さえできなかった3人の姿が今は現実になっていた。

「楽しいね、お父さん。」

「ああ。楽しいよ。」

「帰りは、どこのお店から見ようか。お母さん。」

「そうね、お昼を食べた所に戻る前に、髪飾りの店、刺繍の材料のお店を回って・・・・・・。」

 公爵夫人の右手を握りしめていた公女の笑顔が一瞬硬直した後、徐々に恐怖に支配されたような怯えた表情に変わっていった。

「あ、私・・・。お母様のこ、と、を。」

娘の手の力を感じなくなった時、エリスは離れていきそうな手をぐっと握り締めて離さなかった。

「どうしたの?セーラ。」

 優しく響く声が断罪の宣告に聞こえたセーラは、震えを抑える事ができなかった。自分を愛してくれているお母様を裏切った現実を気付かれたら、公爵邸での生活が終わると思うと逃げ出したかった。だが、それをエリスお母様は許してくれなかった。灰青色の瞳が鈍く輝いているように見えた時、美しい女性は人ならざるような印象を与えた。レイティアのような輝く青ではない瞳は、見る側の心情をそのまま映すような灰青色だった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。お母様。許してください。」

「セーラ、どうしたの?何も悪い事はしていないわよ。どうして、謝るの?」

 赤い瞳が地面を見つめた時、王都での生活を全て捨てる覚悟をした。裏切り者へ罰を与える事は当然であって、優しい第1夫人にはその権利があった。そして、娘は誤魔化す事ができないと判断して、自分をそのまま伝える事にした。

「私は、お母様ではなく、ミーナお母さんが一緒に居てくれればと、学校に入ってからずっと、お母様ではなくて、お母さんが、居てくれればって、そう考えていて。お母さんと3人だけで、こうやって、手を繋いでいたいとずっと思っていて。」

 第1夫人エリスをお母様、第2夫人ミーナをお母さんと呼ぶのは、第2公女の中の決まり事であり、明確な区別があった。

 セーラは単なる言い間違えをしたのではなかった。自分の左手を握ってくれているのが、亡き実母だと思っていた。剣士の手を握っていたのに、セーラの頭の中から完全にエリス第一夫人は消えていた。セーラの願いは、親子3人で手を繋いで街を歩きたいのではなく、セーラとミーナとギルバードの3人で街を歩く事だった。そして、永遠に叶う事のない願いを叶えるために、左手を握ってくれていた優しいお母様の存在を頭から抹消していた。生さぬ仲の自分を実娘と同様以上に気をかけて、愛してくれて、地位も名誉も与えてくれて、その母であるミーナにも死後としては異例の配慮を与えてくれた第一夫人の恩義だけでなく、存在すらも忘れようとした自分がどれだけ酷い事をしたのかとセーラは後悔した。

「そう。セーラの願いが叶ったのね。良かったわ。」

「え。」

 セーラは顔を上げて、美の女神がいつもと同じ穏やかな笑みを自分に向けていることに驚いた。

「もしかして、ミーナを私に重ねて見ている事が悪いことだって、セーラは考えたの?」

「は、はい。」

「確かに、誰かに重ねて見られるというのは寂しいとは思うわ。でも、セーラを生んだ母親はミーナだから。セーラが、私よりもミーナを大切にするのは当然の事よ。セーラがミーナを思う気持ちを、私のせいで抑えなければならないというのなら、その事は私にとっても辛い事よ。」

「・・・・・・。」

「ミーナはもういない。だから、セーラが私とミーナを重ねて見るのは・・・。嘘はいけないわね。セーラも本当のことを言ってくれたのだから。寂しいのは本当だから、いつも重ねて見られるのは辛い。でも、時々なら我慢はできるわ。それに、ミーナがセーラにできなかった事、それを代わりにできるのは嬉しい事よ。セーラの母親ではなくて、ミーナの家族の1人として、私にとっても、それは嬉しい事なの。」

「・・・・・・。」

罪悪感を伝えてればいいのか。それが緩和されつつあることを伝えればいいのか。緩和された事によって心を満たし始めた満足感を伝えればいいのか。何を、何から、どのように伝えてればいいのかが、セーラには全く分からなかった。

「セーラ、今日は楽しかったかい?」

「・・・・・・。」

「未だ、買い物があるけど。今までは楽しかったかい?私は楽しかったし、初めて、セーラに父親らしい事ができて、嬉しかった。」

「私も、楽しかったです。」

 振り返らずにセーラは答えた。目の前の母親から目を逸らしたら、またその存在を忘れてしまいそうになるかと思って、セーラは背中を向けて父親に応えた。

「セーラ、お父さんの方を向いて、答えてあげて。今日は、お母さんと呼ばれても寂しくは思わないわ。ミーナがここにいるように思える事は、私にとっても嬉しい事だから。ね。父さんの方を向いてあげて。」

「はい。」

 祝福の外で生まれ育った娘と、祝福の外に娘を放置し続けた父は、同じ輪の中に入って、初めて同じ幸せを掴んでいた。お互いという家族を握りしめる事がもっと早くできていればと言う後悔をしながらも、心の中でしか輪の中に入れない愛しい女性の事を思いながら、2人は父娘として正面から向き合った。


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