3年生(2回目) その89 ご褒美
89 ご褒美
半年ぶりに公爵邸の門を通ったセーラは、改めて屋敷の大きさに驚いたが、幌馬車を操っていた新参のザビッグはしばらく言葉を失う程に驚いていた。
「父さん、母様、姉様、姉さん。お帰り。」
「ただいま帰った。」
騎馬を降りた4人に駆け寄ってきたエリックは、兄アランが公爵領に残る事は書簡で聞いていたので、4人だけの帰還を純粋に喜んでいた。
「今日はアイリスが来る日ではなかったの?」
「屋敷の中にいるよ。ここで長話をする事もないから。中で待ってもらっている。早めの食事にする?」
「先に湯浴みをしてからがいいわ。その後、食堂の方で食事をしながら、皆に帰還を報告する事にしましょうか?」
「はい。お母様。」
妹が頷いている中、姉が不満気に周囲を見渡していた。
「レイティア姉様、ロイド兄さんは、昼食に合わせて来る予定だから。もうすぐ会えるよ。日付は聞いていたけど、時間は分からなかったから。」
「そうね。」
「奥様、お嬢様、お帰りなさいませ。」
「エリックの事、ありがとう、ゼバス。」
「はい。ここで話を始めると、長くなってしまいますので、とりあえず屋敷内へお入りください。」
「ええ。」
「エリック、代理、良くやってくれた。」
「うん。」
父親に頭を撫でられた代理は、その任を解かれた。
帰還した日から3日間は、公爵邸内は慌ただしい時間に包まれていた。公爵と公爵夫人の両者が半年間不在であったため、生活を支える家人達が半年前に戻るのにも時間がかかった。その上、王都内各地から無事の帰還を祝う貴族の使者達が次々と訪れていた。
第2王子ジェイクが留学のためにフェレール国に出立したのに加えて、ホイラー・ケネット侯爵が息子に侯爵位を譲った事で、ケネット侯爵派が崩壊していた。筆頭侯爵家が以前の求心力を持つ事がないと判断した貴族達は、宰相に接近を図ったが、そもそも派閥を作りたくなかった宰相は、ケネット侯爵派だけでなく、自分の派閥である宰相派とも、役目上の接触以外を拒絶した。
2大派閥であるケネット派と宰相派が機能不全に陥った結果、中立派と呼ばれていた派閥だけが貴族間の関係を維持するためのネットワークを保っていた。その中心である公爵家に繋がりを求めて、貴族が集まるのは当然であった。
「派閥として動くつもりはないが、皆の意見も聞いておきたい。アランには書簡を送って意見を聞いてみるが。」
公爵家晩餐後の家族会議で、金髪の公爵が意見を求めた。
「私は旦那様のお考えに従います。」
公爵夫人の意見は明確で、今までならこれで公爵家の方針が決まる事になっていたが、今回は違っていた。子供達は皆、一人前の貴族としての実力と実績を持っていた。それに、これから先の公爵家を支えるのは子供達であって、その意見は軽いものではなかった。
「派閥として動かない事には賛成ですが、まとまりがなくなった両派閥の貴族達が対立するような状況を作るのは良くないと思います。両派閥が司令塔を失って力を持たなくなったと言っても、貴族1人1人や、数名のグループで力を持っている者達もいます。この者達が愚かな争いをするような事がないように手を打つべきかと思います。」
「お姉様、それは公爵家が中立派の派閥首領として動くという事ではないのですか。」
妹の質問は当然であった。制御をするという事は、派閥としてまとめ上げて傘下に収める事を意味していた。
「権力争い、勢力争い、後継者争い、そういった派閥としての動きはしないけれども。これまで対立していた貴族達の融和を進めたいと思っているの。」
「1つの大きな派閥を作るのではないのですか?」
「セーラがそう思うのは最もだと思うわ。先に、具体的な方法を説明した方がいいわね。ロイドとも相談したのだけど、対立していた貴族間の婚約を勧めるために、両方の勢力を招いての社交パーティーを開こうと思うの。派閥と言われれば、派閥活動になるのかもしれないけど。活動そのものはパーティーの開催や、婚約に関する調整だけをするの。」
水色のドレス姿の姉はいつも輝いていたが、この提案をした時は青い瞳も輝いていたようにセーラには思えた。
「姉様の狙いは、今の対立している当主たちではなく、次の世代の当主たちを仲良くさせるという事でいいの?」
「そうよ。エリック。」
「政略結婚こそ、派閥活動の中の、勢力争いにつながると思うけど。」
「エリック。パーティーで恋に落ちたら、政略結婚ではないでしょ。」
「それはそうだけど、姉様、物語ではないんだから、パーティーを開催しただけで恋に落ちるなんて事はほとんどないよ。」
「一目惚れで婚約まで成した公子様のお言葉とは思えませんわ。ほほほ。」
「いや、僕の場合はそうだけど、特殊と言うか・・・。いや、良い考えだとは思うけど、数家の婚約ができたからと言って、対立の融和にはならないとは思うんだけど。」
深い紺色の紳士礼服をまとった貴公子は、姉の意見そのものには反対していなかったが、効果の低い策であれば、他の策を考えた方が良いと考えていた。
「お父様、お母様はどう思われますか。」
「うん、悪い考えではないが、融和を実現するには、多くの婚姻が必要になると思うが。」
「エリックの一目惚れは珍しい事だから、うまく行くとは思えないわ。」
「セーラはどう思う?」
「お姉様の提案はうまくいくと思います。」
「どうして、そう思うの?」
妹の援護射撃が嬉しくて、詳細まで聞きたいと質問をしたが、セーラに詳細はなかった。
「ロイドお兄様と相談なさったと仰っていたから・・・。」
「ああ、そうだね。ロイド兄さんの案でもあるから、成功の可能性はあるのだと思う。でも、僕には、父様と母様が婚姻を取り持つような事ができるとは思わない。今までに、そういう話を聞いたことがないし。公爵家の力で婚約を命じる様な事はできないから。難しいと思うんだけど。」
「ロイドが信頼されているのは嬉しいけど。私は信頼していないって事なの?」
「違います。お姉様、そんな事は・・・。」
「ああ、セーラ、そんな顔をしないで。責めている訳ではないのよ。」
薄黄色のドレスに真っ赤な髪と瞳を浮かべている妹が、耐えるのではなく、様々な表情を自然に見せるようになった事は嬉しかったが、申し訳なさそうな表情を見るのは楽しいものではなかった。
「はい。」
「セーラもお父様も、お母様も、エリックも、ロイドの事を信頼してくれるというのであれば、ロイドと私にこの件を任せてもらいたいの。パーティーの主催者として。」
「それは、ロイドとレイティアの2人が、婚約の後見人にもなるという事か。」
「はい。お父様。そのつもりです。」
レイティアの宣言は、公女としてではなく、次期宰相の妻としてのものだった。現在の派閥が崩壊したからと言って、将来も派閥のない事が保証されている訳ではなかった。すでに小さなグループが緩やかな協力体制を作っていた。それは新しい派閥の苗床ができたとも言えた。
そして、10年後か20年後かは分からないが、宰相の座に夫が付いた時、祖父と同じように派閥のバランスを取る事だけに腐心するような未来をレイティアは避けたかった。そのための布石として、ロイドが取り仕切る新派閥の準備、もしくは派閥を作らせないための杭を各貴族間に打ち込んでおきたかった。
7年後に訪れる暗闇の暴走を乗り越えた後の事を考えるのは、次の世代の役割であり、使命だった。その使命を自覚しての提案であれば、成功の見込みがあるかどうかではなく、当人達に意志があるかどうかで判断するべきだと公爵は考えた。
「陛下から、モーズリー高原の功績への報奨金を賜った。エリス、アラン、レイティア、セーラの4人にそれぞれ金貨100枚を受領した。」
お茶を飲んでいたセーラはむせて、咳き込んだ。
「セーラ、大丈夫?」
「はい、お母様。驚いてしまって。」
「戦場での貢献度を考えれば、守備隊の皆と同じだけの金貨をもらって当然よ。お父様、自由に使っていいのですか?」
「ああ。レイティアは欲しいものがあるのか。」
「はい。家を買おうかと思います。」
家族に加えて、老家令と巨体家人も驚きの表情を見せた。学園卒業と同時にロイドと結婚する意志は聞いていたが、新居を作るという話は初めてであった。そもそも、なぜ新居が必要なのかを誰も理解していなかった。
「レイティア、結婚したら、ファロン伯爵夫人になるのよ。」
「いいえ、お母様。ロイドは当主の嫡孫ですから、私が伯爵夫人になるのは未だ先です。それまではファロン伯爵邸とは別の所に住むのが慣例です。」
「では、伯爵邸の敷地内に別邸を建てるという事なの?」
「いいえ。公爵邸の近くの空き地に建てるつもりです。2階建ての10部屋で、料理人とメイドを1人ずつ住み込みで雇うつもりです。ファロン伯爵邸で働いている2人には、すでに話をしてあります。」
「レイティア、新居の件はロイドと相談して決めて良いのだけど。宰相には話を通してあるの。公爵家としては、近くに住んでくれることで、レイティアと朝の訓練が一緒にできるし、私は嬉しいのだけれど。ロイドは宰相府で働くのだろうから、通うのに時間がかかってしまうわよ。」
「お母様。宰相には内緒にしてください。新居を阻止するために手を打たれるのは困りますから。今までに散々、ロイドに仕事を押し付けたのですから、警戒しないと。お父様も、内緒にしてください。お願いします。」
「あ、ああ。できれば、宰相に話を通した方がいい。」
「もちろん、時期が来たら私の方から話をします。でも、準備が整ってからです。」
末子のエリックはいくつかの疑問を持っていたが、長女に問い正さない事を選択した。後で問題が起こりそうだが、押しの一手で突き進む姉を止める事ができる人間がいないのだから、ここで自分が不要な壁になるのを回避した。
「お姉様、2階建てで10部屋となると、今回のご褒美では足りないのではありませんか。」
「今までに貯めていた分もあるし、足りない分はロイドにも出してもらうから大丈夫よ。」
「レイティア、ファロン伯爵家に嫁入りするのだから、公爵家として相当の持参金を持たせるつもりだから。その中で。」
「お父様。持参金は正式に伯爵夫人になった時にもらいます。それまでは、私とロイドで何とかします。結婚式の費用は出していただく事になると思いますから、その時はお願いします。」
「分かった。」
レイティアが明確に描いている未来は彼女にとって輝かしいものであった。半年間の戦陣生活で、学園最終学年を卒業できずに留年した事も、恋人ロイドと同学年として同じ教室で過ごすための褒美だと考えていた。
「セーラ姉さんは、どう使うの?」
「うん。大金だから・・・。」
「送るのでも構わないぞ。今すぐに決めなければならない訳ではないから。しばらく預かっておく事もできる。」
「はい。お父様。少し考えさせてください。」
公爵邸で家令セバスチャンの元で執事職を学んでいるザビッグは、公爵家の豪華な晩餐後の光景が信じられなかった。家族団欒の場にいる公爵の雰囲気も行動も、大英雄ギルバードとは全く違った。家族だけしかいない空間の中で、父親としての姿を見せているだけかと最初は考えたが、それとは全く違う別のものがあるように思えた。
「そうか。」
「母様は何に使うのですか?」
姉と父の会話の間を埋めるために発言したように感じたが、母は自分に話を振ってきた次男の意図を正確に理解した。願望を押し通す我儘さはなかったが、自身の願望がそれとなく実現する布石を打つのが得意な子だった。
「・・・旦那様、私の分をエリックに譲ってあげても良いでしょうか?留守を守ってくれた褒賞として、私から与えるという形にはならないでしょうか?」
「それは構わない。エリックにも褒賞を出そうと考えていたから。それで何か使いたい事があるのか?」
「うん。アイリスに絵画の道具を贈りたいんだ。」
「分かった。明日にでも渡そう。いくらぐらい必要なんだ?」
「金貨100枚。」
「ん。絵画の道具や絵具は高価な物だが、そこまでかかるものだったか?」
「アイリスの分だけを買うなら、全部揃えても金貨2枚で足りるんだけど。アイリスは自分の趣味に関する道具を、公爵家の力を借りて手に入れたいとは思っていないんだ。王都には絵画の用品の専門店が2件あって、その内の1つが、庶民にも販売をしているけど。そこでも、庶民や騎士爵階級の家庭では高過ぎて手が出ないんだ。それで、その店に投資をして、大量に仕入れてもらう代わりに、販売額を安くしてもらう交渉をしようと思うんだ。そうすれば、アイリス自身の力で手に入れることができると思うんだ。」
「分かった。明日に渡そう。好きに使うといい。お金の価値も使い方も今回の事で学んだのだから。」
イシュア国の税務改革は、公爵と前財務卿によって準備がされたものであったが、最も困難が生じる導入期に陣頭指揮を執ったのはエリックで、単なる功績を得ただけでなく、行政官としての信用も得ていた。好き放題に街を駆け巡っていた公爵家の末っ子の印象は真逆のものになっていた。単に楽しくて駆け巡っていただけの幼少期の姿が今や、民情や商売を視察するための活動であると言われるようになっていた。
長男によく似た次男の利発さに目を見張っていた巨体の執事は自分に視線を向けてきた末っ子にポットを持って近づいていった。紅茶のお代わりを注いでいると、とても小さな自分にしか聞こえない声で姉さんを助けてあげてと言われた。
公爵家の中で、家族だけではうまくいかない関係が1つだけ存在していることを気にしていたザビッグは、賢い末っ子の望みが分かった。
「旦那様、ご家族での団欒中申し訳ありませんが、お話させていただきたい事がございます。」
「ん。お茶が終わってからでは駄目なのか。」
「今、お話させていただきたいと思います。」
「分かった。話してみなさい。」
「はい。ありがとうございます。では、セーラお嬢様に話があります。旦那様にお願い事があるのではありませんか。せっかくですから。今、お話をした方が良いかと思います。」
エリック以外の全員が驚いた。元敵兵で、今は新参の執事見習いが、セーラから秘密を話してもらえる程に信頼されている事に驚いた。戦場で出会い、戦士として魅了されて忠誠を誓ったザビッグが絶大な信頼を向けるのは理解できるが、公女の方が絶大な信頼向けているのに驚いた。そして、その事に嫉妬も覚えていた。
だが、実態は少し違っていた。ザビッグは教えてもらったのではなく、気付いていただけだった。特殊な事情を抱えた第2公女を、世間一般の少女という視点で見ることができれば、理解できるものであった。
提案を受けたセーラが一瞬だけ驚いた表情を見せたのは、自分の願望を知られていた事に対してだった。誰にも言った事がない事をなぜザビッグが知っていたのかは次女にとって謎だった。
自分の願望を言っていいのかどうかをセーラが姿に、公爵夫妻は娘がいつものように我慢をして、自分のやりたい事を言う事を躊躇っているのだと確信した。明確な武功に対しての褒賞についても、願望を言い辛いのであれば、それは言わない方に問題があるのではなく、聞く側に問題があった。2人はそれを反省しながらも、ここでは押しの一手しかないと判断した。
「セーラ、願い事と言うのは何だい。言ってごらん。」
「そうよ。できる事とできない事があるけど、言ってみないと、できるか、できないかも判断できないわ。教えて、セーラ。」
「・・・・・・今度の太陽の日に、お父様とお母様と、お買い物に行きたいです。」
「ああ、その日の仕事はない。うん、買い物に行こう。何か欲しい物があるのか。いや、1つでなくてもいいし。たくさん、買い物をしよう。ただ、ドレスとかだと、時間が掛かるから、業者を屋敷に呼んだ方が良いのか。どうする?」
「え。」
思い切って言えたことに安堵していたセーラは赤い瞳を潤ませていた。安堵しきっていたため、その後の公爵の提案を聞いていたが、ほとんど頭に入っていなかった。業者を呼んで屋敷で買い物がしたい訳ではないのに、会話がその流れになりそうな気がするけれども、それをどう押し止めればいいのかが分からなかった。
「旦那さま。セーラお嬢様は、街で買い物がしたいのです。旦那様や公爵夫人に直接選んでもらいたいのです。」
「そうなの。セーラ。」
「はい。お母様。」
「分かった。街で買い物をしよう。エリックとレイティアも一緒にどうだ。」
「僕は、アイリスと約束があるから。その日は行けない。」
「私も、未だロイドと約束はしていないけど。2人で過ごすつもりだから。一緒には行けないわ。」
公爵夫妻と次女は3人だけで王都での買い物に出かける事になった。
セーラは晩餐室を出る時、ザビッグに小さな声でお礼を言った。




