3年生 その88 驚愕
88 驚愕
3月第1週、エリックは5カ月ぶりに学園に行くと、中等部1年生として後期試験を受けた。力を隠す必要がなくなった第2公子の成績は授業を受けていないにも拘らず、上位の結果を得た。財務卿代理としての仕事ぶりが広く伝わっていたため、学園内で学生たちに驚かれる事は無かった。
そして、後期テスト終了後の3月8日の昼食時に公爵邸のエリックの元をロイドが訪れた。
「ロイド兄さん。」
「驚かせてすまないが、良い話をしに来た。悪い話をしに来たわけではない。」
大食堂の家人たちに大きな声で宣言をした宰相の孫は公爵代理へと近づいていった。
「一緒に食事はどうですか。」
「ああ、せっかくだから、もらおう。あ、セバスも座っていてくれ。自分のは自分で取るから。」
公爵邸に来る時、ロイドの表情は笑顔であった。悪い情報をもたらす場合でも、婚約者に会いに来るのだから、悲しい表情を見せる事は許されなかった。ただ、婚約者が留守である公爵邸に来る場合は、何らかの問題が発生して表情に苦々しさを浮かべる事が多かった。そのロイドが明らかな笑顔の表情を見せているのであれば、余程の朗報ではないかとエリックは考えていた。
「一口だけ食べさせてくれ。その間に、飲み込んでおいた方がいい。驚く事になるぞ。エリック。」
「ん、あ、楽しみです。」
「フェレール国への外交使者の件だが。第2王子ジェイク様が、留学する事になった。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
貴公子と老紳士はお互いに視線を合わせてから、もう一度情報を運んでくれた青年に視線を向けた。
「国王陛下から祖父に対して、正式な命令が出た。」
「兄さん、使者ではなくて、留学ですか?外交使者の方はどうなったのですか?」
「何でも、フェレール国からも王子の1人が留学するために来るとの事だ。相互の王子の行き来で友好を深める事になったため、特別な外交の使者を立てる事は無いとの事だ。それぞれの王子が、外交使節を兼ねることになると思うが。」
セバスチャンとロイドに交互に視線を送ってから、青い瞳をテーブルのシチューへと向けて考えてみた。第2王子に外交の実務をさせる事で功績を上げさせれば、後継者として前進できるが、留学となると全く状況が違った。
「兄さん、留学の期間はどのくらいですか?」
「少なくとも2年。向こうも18歳で王都学園の卒業となるから、それまでと考えると3年間という事もありうる。」
「え。陛下は、第2王子をフェレール国の王女と結婚させるお考えですか・・・。」
「確か、同じ年齢の王女が1人おられる。3年間となると、向こうで婚約者を探すだろうから。王女以外はいや、向こうは公爵家が数家あるからな。王女ではない場合もあるかもしれないが。」
「陛下は、第2王子を後継者にしたいの?したくないの?」
「うーん、本当にどうお考えなのだろうな。」
「ケネット侯爵派の勢力が落ちる可能性が出てくると思うけど。」
「ジェイク殿下の婚約は、貴族家を繋ぎ止めるための大きな鍵にもなるからな。ただ、妃は1人とは限らないから。勢力維持の問題と言うのなら、これから2年間の不在そのものだな。旗印となる人間がいないのだから、まとまりがなくなる事は間違いない。それに、私たちのように陛下のお気持ちが分からないと感じるケネット侯爵派閥の貴族が出て来るのが問題になるだろう。第1王子が王位を継ぐかもと考えると、ケネット侯爵派に居て良いのかと不安になる者も出て来る。」
「宰相は動くのですか?」
「しばらく、様子を見てからになるだろうが、間違いなく動くと思う。エリック、派閥に関する事は任せてくれ。」
「うん。兄さんに任せる。セバス、情報収集の方だけはしっかりと頼む。」
「畏まりました。」
留学の情報が駆け巡った時、王都の侯爵派の貴族達は慌てふためていたが、第2王子ジェイクは淡々と発表祭の準備をしていただけで、派閥に対してのテコ入れのような動きは全くしなかった。
公爵領の新開拓地ベリスは、500人規模の町としての設備をすでに整えていた。異例の開発速度だったのは、大量の人員と物資と金貨をギルバード公爵が集めたからだった。そのギルバード公爵が来訪すると、街の住民の全てが広場に集合して歓迎会が開かれた。
開拓地らしく、青空の下の食事会でしか歓迎できない事を、住民たちは心配していたが、笑顔で楽しそうに食事をしている最上級貴族を見て安堵した。そして、イシュア国の大英雄を間近に見る機会に興奮していた。公爵一家の面々も興奮を与えたが、共に開拓地で過ごすうちに、特別なものではなくなっていた。その延長で、公爵への興奮はそれほどではないのかもと思っていたセーラは、住民の興奮ぶりに驚いていた。
「お父様は人気があるのね。」
「大英雄の上、美男子ですから、旦那様は。」
巨体のザビッグが側で肉を飲み込んでから答えた。
「そうだね。」
離れた位置で町の民に囲まれている父親をセーラは見つめていた。英雄として民衆に囲まれている父の姿を見たのは初めてであった。社交界で貴族達に囲まれる父親を見た事があるが、囲んでいる貴族達に高揚感を見る事はできたが、熱狂的な興奮を持つ者はいなかった。今、貴人としてではなく、単純な英雄として民衆に慕われる親の姿を初めて見ていた。その父親にどんな感情を持てばいいのかが、セーラには分からなかった。
父親の存在を知ってから4年が過ぎていた。最初の1年間は、娘の存在を知っても、会いに来てくれなかった父親を恨んでいた。母ミーナの幸せを奪い、自分達母娘に寂しさしか与えなかった男性を、父親とは思いたくなかった。だが、1年後に母ミーナが大切であるとの公爵家の言葉を信じる事ができるようになり、公爵邸に行くことを決めた。
そこで初めて会った父は英雄には見えなかった。それからも、仕事場や社交場では公爵としての威厳に満ちた表情を見せてくれたが、公爵邸での父親は、公爵夫人エリス程ではないと言うだけで、新しい娘にどう対応していいのか分からずに困っていた。実際にはどう考えていたのかは分からなかったが、セーラにはそう見えていた。そして、それは年頃の娘にどう対応していいのかわからない父親の姿であって、英雄の姿ではなかった。
「公爵様の側に行かれてはどうですか。」
「え。どうして、そんな事を言うの?」
「英雄として民に囲まれるお姿をご覧になるのが初めてのようなので、近くで見ては、と思いまして。私も、子供達に家で見せていた姿と、戦陣での姿は違っていて、それを見せた時は、子供達に興味を持たれました。」
「・・・。少し離れた所で、皆に囲まれているお父様を見ていたいから。」
嘘ではなかったが、側に行って、どういう表情で話しかければいいのかがセーラは分からなくなっていたから、遠くで眺める事を選択した。
今までの3年間でセーラは本当の家族になれたと考えていた。公女として活躍をする事ができたと実感を持てたことが一番大きかった。公爵家の一員としての資格を得たと思える事実がセーラには大切な事だった。次に大きかったのは、第2王子に失恋した事だった。今後も苦い思い出にしかならないだろうが、告白する事を家族が許してくれた事がセーラにとっては、家族の証になっていた。
告白が成功して、婚約するような事になれば、公爵家は第2王子派になっていた。それはケネット侯爵派と共に歩む事を意味していて、今までの公爵家の立ち位置とは全く違っていた。自分の思いを公爵家の方針よりも優先してくれた事は、究極の我儘を許してもらったようにセーラには思えた。この我儘を許してくれた公爵家を本当の家族と言えるのかと疑問を挟む事が、愚かしい事にしか思えなくなった。
疑う余地のない家族の愛を感じることができたのは、第二公女にとっても、公爵家にとっても幸福な事だった。ただ、セーラには新しい悩みが出てきた。自分が公爵の娘であるかどうかという最大の疑問が解消できたことによって、次の疑問を問題として捉える事ができるようになった。
「母さんは愛されていたのかな・・・。」
「・・・セーラお嬢様、何かおっしゃいましたか?」
「え、私が何か言った?」
「何かをおっしゃったと思いましたが。お声が小さかったので。」
「うん。お父様と並んだお母様がとても嬉しそうに見えたから、お母様嬉しそうって、声になったみたい。」
「そうですね。奥様は、あのような笑顔を見せるのですね。」
「今までの笑顔と違うように見える?」
「えっと、今までお嬢様方に見せる笑顔は、母親のそれで、今の奥様は、妻としての笑顔のように思えます。」
「そうなんだ。」
母ミーナの事をギルバード公爵はどう思っているのかを考える時間が増えてきた。父親である公爵に一言聞けば解決する事だとは分かっていても、セーラは聞く事ができなかった。セーラの思考の中では、2人の間には夫婦としての愛情は存在していないとの結論に達していた。
ミーナが妊娠を知ったと同時に屋敷を出た事実は、妹とも考えていたエリスに対する愛情の深さを証明すると同時に、ギルバード公爵への愛情が、それよりも下である事も証明していた。公爵家の主人としての敬愛を向けていたであろうが、これは恋愛感情とは全く別のものだった。恋愛という観点から言えば、ミーナがギルバードに向けていた恋愛感情は0だったとセーラは信じていた。もし、少しでも恋愛感情があれば、妊娠した事で公爵邸と公爵の心に自分の居場所があると考えて、屋敷から逃げ出す事はしなかったとセーラは思った。第2王子に失恋した経験が、愛するという感情に支配された時、それ以外のものを捨ててもいいと判断する気持ちになる事をセーラに教えた。
公爵に愛情が少しも無かったからこそ、夫人であるエリスのために屋敷を出て、出産後はセーラのためだけに生きる事ができたのだと思った。そして、その母の自分への愛情を嬉しいと感じると共に猛烈な寂しさを覚えた。自分という存在が愛情によって生まれたのではないと考える時、胸の奥がぎゅっと握られるような痛みを感じた。
娘のために全てを捧げた母親は賞賛されるのかもしれないが、恩返しの親孝行ができなくなった娘にしてみれば、自分が母を苦しめたと考えていた。実際に自分が居なければ、ミーナと言う女性が公爵邸を出る事はなく、その後に個人の幸せを手にする機会は与えられるのは間違いなかった。
食堂で働き、お金を稼ぐ努力をし続けたのは、そのお金で娘に貴族の教育を施すためだったと今ならよく分かった。高価な本や紙を買って、文字を覚えさえ、本を読み聞かせて、色々な本を読む機会を作ってくれた。共通語もフェノール語も、成人後に公爵邸に行くための準備だった。姿勢を正す事、食事のマナー、庶民として生きる上でも役立つという理由で教えてもらった事も、公爵の血を引いている娘に対する必要な教育であった。そして、セーラを出産後に、男性の過剰な接近を拒否し続けた事は、セーラの出生を公爵家から疑われないためだった。
セーラに真実を話し、公爵邸に行ってみたいと意思を示した時、セーラが公爵の娘である事を証明できるのは、ギルバードとミーナの証言しかなかった。しかも、セーラが公爵の娘である事を証明する事は難しく、辛うじて公爵以外の男性と関係を持たなかったと主張できる状況だけが、証言の信ぴょう性を僅かに増してくれる事だった。
ほんのわずかな可能性のために、女性として男性を愛し、愛される機会をミーナは捨てていた。その事は、セーラ以外の人間からは賞賛されるだろう事かもしれなかったが、セーラだけは賞賛できなかった。母が娘のために犠牲になるのを厭わない気持ちは理解できたが、娘として母親が自分の犠牲になることは喜べなかった。
たった一度だけ、母ミーナが苦しそうな表情をした日の事をセーラは忘れていなかった。自分に父はいないのと聞いた日の、あの表情をセーラは忘れる事ができなかった。
成長して恋を知り、社会の仕組みも人の心も前より分かるようになった。その事でセーラは笑顔しか見せようとしなかった母の強さと思いを理解する事ができるようになった。でも、それは嬉しい事でも何でもなかった。
だから、セーラは救いを求めていた。実母ミーナが、公爵に愛されていた。そういう非現実的な何かにセーラは救いを求めていた。今の自分に多くの幸せを感じさせてくれた母が、ただ寂しいだけの人生だったと思ってしまう事が辛かった。
歓迎会が終わると、公爵家に割り当てられた宿舎に5人は入った。明後日に王都に向けて出発して、10日後にはエリックに会えると思うとセーラは嬉しかった。家族が一堂に揃っての晩餐を、次女は大好きだった。公爵が中央に座して、その左右に男性陣、女性陣が並んで居る姿が、家族を強く意識させてくれた。
「父上、願い事があります。」
「言ってみなさい。」
「私が公爵邸に戻らず。新開拓地で公爵領の行政の仕事をする事を許していただきたいのです。」
「え!」
もう1人の弟が目の前に座っている姿を想像していたセーラは、思わず声を出した。
「すいません。」
「セーラ姉上、母上、レイティア姉上、相談しなかった事、申し訳ありませんでした。自分で考えて、決めたかったのです。父上、よろしいでしょうか?」
「まずは理由を聞こう。」
「開拓地だけではなく、公爵領全体の開発に貢献できるからです。次期公爵である自分が陣頭指揮の形で公爵領にいる事で、領民たちや商人達が安心して投資をしてくれます。3つの開拓地がこの速さで開拓できたのは、私たちやメルヴィン卿が開拓地で働いていたからだと考えます。」
「その通りだと思う。これまで公爵邸からの指示、そして報告だけで領地運営をしていた経験から言えば、今回の開拓地の成長は信じられない速さだった。アランの指摘が正しいのだろう。今までの行政官も優秀ではあったが、人材と金貨を動かす力に制限がかかった状態で頑張っていてくれたのだろう。」
「父上、ご許可を頂けますか?」
「訓練はどうする?」
「公爵邸ではなくても、強くなれる方法を学びました。それを実践して、手応えはあります。」
「どうすれば。あ、申し訳ありません。」
強くなる事は公爵家の一員として当然の責務であり、庶民として戦士の道を歩き始めた赤髪の少女は、常に家族に遅れているという現実に焦っていた。それを上手に隠していたが、公爵邸以外で強くなる方法があるというのであれば、自分も早急に強さを獲得できるのではないかと期待した。
「セーラ、アランの方法は、まだセーラには早い。いずれ、時が来れば教える。」
「はい。お父様、会話に割りこんでしまって、すいませんでした。」
「うん。」
「旦那様、アランがある程度自由に行動ができるのは、成人前の時間だけです。公爵領のためにも、領地に残る事を許してあげてくださいませんか。」
母親の後押しで、アランは1年間公爵領に在住して、公爵代理として領地経営を任される事になった。




