3年生 その86 決定
86 決定
戦勝祝いの宴以後、第3王子レイモンドは貴族達への働きかけをやめた。もともと事件絡みで公爵家が工作活動をする事はなかったため、処罰賛同運動は第3王子個人が行っていたため、ここに完全に停止した。その対立軸の赦免運動が盛り上がったかと言うと、こちら側も落ち着いてきた。国王陛下の裁断に従うと言う姿勢を公子と第3王子が示した以上、第2王妃と第3王妃も動く事ができなくなった。すでに一定の成果を得ていたため、必要を感じなかったというのも大きかったが、これ以上の運動は、国王陛下の裁断への過剰な介入で、王権を傷つける行為になる可能性があると判断した。
「セバス、王宮の方は何か動きがあったか?」
「王宮の方では動きは何もありません。」
公爵邸の執務室の応接セットのソファーに座っている貴公子に書類を手渡しながら、老家令は収集した情報を報告した。
「戦勝祝賀会から10日が過ぎたが・・・。」
「陛下の決断が遅いとお考えですか?」
「うん。遅いと思う。もしかして、ケネット侯爵の引退を命じるおつもりなのか?」
「エリック様は、引退はさせずに、領地で一定期間の謹慎だとお考えですか?」
「それが妥当だと考えている。国王陛下のお立場ならば、引退をさせるのは難しい。」
「ケネット侯爵派も一つにまとまっている訳ではありませんが、元々の勢力基盤が大きいですから。3枚目をご覧ください。貴族街区と商業ギルドからの、貴族情勢の報告書があります。」
「思った以上に赦免に賛成する貴族が多いな。何らかの罰則を与える事に賛成する貴族もいるが、引退は避ける方が良いと考えている者が多いのか。」
「先代とは違って、かなりの人望を得ています。それに代替わりをした貴族家は、先代の所業を情報として知ってはいても、実体験していない者も多いですから。ケネット侯爵派が黒いと考えている者の方が少ないです。」
かつて乗っ取りや取り潰しを仕掛けられた貴族達は一族で恨みを抱いていたが、傘下に入った者達には、侯爵派は十分な支援を行っていた。一時的に恨みを買っても、結果としてよかったと考える貴族たちも多かった。数多くある侯爵家の中でも、筆頭と呼ばれるように派閥を成長させた手腕は見事と言えた。先代の悪名を巧みに利用した事になるホイラー・ケネットは、第2王子に王位を継がせたいという願望がなければ、優れた政治家として、イシュア国を支える柱になれる人物ではあった。
今、大事件の責任を問われる状況になっていたが、巨大に成長したケネット侯爵派閥が崩壊する事は無かった。
「その事がこれで良く分かった。今の自分達が大切なのは皆一緒だ。過去の恨みだけで動くと考える方が間違いだな。当時の憤りは、その時のものでしかないのだな。所属して利益を得ることができれば、それを守る選択もするのだな。」
「はい。良くも悪くも、それが人だと思います。」
「これだけの赦免賛成があるのに、陛下は何をお悩みなのだろう。王都の屋敷で謹慎させるのか、領地で謹慎させるのかを迷っておられるのだろうか?」
王都の謹慎はすでに実行しているため実質赦免とも言えるが、責任がある事を認める裁断ではあった。領地での謹慎は明確な罰として与える事になり、期間によってはケネット侯爵派に打撃を与える事になるが、それは年単位の長期謹慎が命じられた場合だけで、現状では長くても半年程度だとエリックは考えていた。
「エリック様、私の予測を申し上げても良いでしょうか。」
わざわざ意見を具申するということは、自分の意見とは異なる意見である証だったが、エリックは自身の予測が大きくずれているとは思えなかった。自分の願望とは全く違うが、上げられてきた情報を考慮すると、自分の予測は妥当だと考えた。
「もちろんだ。」
「陛下は、実行犯のみに厳しい罰を与えて、ケネット侯爵に罪なしとするのではないかと思われます。」
「!!!罪なしとは、謹慎処分もなしという事か!」
「すでに自粛している事で処分は終了という形になるかもしれません。」
「公爵家を蔑ろにする裁定を、陛下が下すはずがない。」
書類から視線を白髪緑目の老紳士に向けた美公子は、同じ紺色の紳士礼服に身を包んだ知恵袋をしばらく見つめた。様々な分野の師であり、祖父とも言える老師が鋭い視線を見せる時、その意見が間違った事は無かった。
「セバスチャン、ソファーに腰かけて。もっと聞かせて欲しい。僕は自分で思ったほど大人ではなかった。言葉遣いだけを直しても意味がないのが分かった。」
「はい。お話します。ただ、ここからは私の予測でしかありません。特に証拠はありません。」
「証拠はないのに、そう考えるだけの根拠はあるんだ。」
「はい。エリック様、陛下は誰を後継者になさろうとお考えだと思いますか?」
「コンラッド殿下か、ジェイク殿下のどちらかで迷っておられると思うけど。」
「第2王子のジェイク殿下を後継者にしたいと考えておられます。私の予測ですが。」
「剣や学問が上だから?コンラッド殿下も実績を上げている。国を率いる者としてはコンラッド殿下の方が上だと思っている。陛下が迷っているというのなら、分かるけど。どうして、そう断言できるの?」
「ケネット侯爵がいるからです。2王子の人物だけであれば、後継者としての評価は伯仲しております。ですが、国は1人で動かす訳ではありません。現時点において、ジェイク王子にはケネット侯爵と派閥の人材が付いています。ジェイク王子が後継者になれば、派閥が後押しをして国はスムーズに動きます。一方、コンラッド殿下は後継者になった場合、相当の反発が考えられます。内乱という事はないでしょうが。王家と貴族の対立が発生することになるでしょう。」
「ジェイク殿下が後継者になった場合も、それなりに反発する貴族もいると思うけど。」
「それでは、エリック様は、ジェイク殿下が後継者になったとの発表があった時、公爵様がそれに異を唱えるとお考えですか。」
「あ、そういう事か。」
「はい。公爵家が反対しない場合、ジェイク殿下の後継者に反対する貴族は1つもないでしょう。それどころか、新国王に皆が協力するはずです。当家も、王が決まれば、その下でイシュア国の武を支える事になります。」
派閥として対立構造を作っているが、それぞれの派閥の性質は全く違っていた。一方は激しい抗議活動を警戒しなければならなかったが、もう一方は理不尽な攻撃を仕掛けなければ反撃してこなかった。混乱を避けるという一点だけを考えても、ケネット侯爵派閥を優先する方が国としての利益は多かった。
「公爵家が、王家に逆らうことはないのだから、陛下としては、ケネット侯爵派閥が暴走しない事を優先するのか。」
「そうなると思います。」
政治に触れた駆け出しであっても、ここまで説明されれば、政治としての判断があり得ることは理解できた。ただ、今の国王陛下が、第2皇子だけを特別扱いしているという話は一度も聞いたことはなかった。
「国王陛下は、コンラッド殿下の事を、どうお考えなのだろうか?それに、第1王妃様とは恋愛結婚、第2王妃様、第3王妃様とは政略結婚と聞いたことがあるけど。特別な思いはないのだろうか。宰相と公爵家が後援すれば、コンラッド殿下の立太子は可能だと思うけど。」
第1王子の立太子は可能ではあるが、ケネット侯爵派の切り崩しや取り込みを行わなければ、安定した王政を実行するのは難しかった。一方、第2王子の立太子については、公爵、宰相、兄王子の3人が許容するだけで全てがうまく行く事が明白だった。
「エリック様、陛下はコンラッド王子の幸せを考えて、第2王子を後継者にと考えているのかもしれません。」
「コンラッド殿下の幸せ?」
「はい。陛下は、国王になる事が幸せになるとはお考えではないのかもしれません。」
「ケネット侯爵派との抗争での苦労が予測されるからって事?」
「はい。1つはそれです。抗争では、粛清しなければならない事もあり、つらい決断をしなければならないかもしれません。」
はっきりとは言えなかったが、最悪の場合は第2王子を葬る事で派閥を完全崩壊に追い込む選択肢があると、セバスチャンは公爵代理に突きつけた。
「そうかもしれない。だが、コンラッド殿下が、自ら国王の座を望んでいるのであれば、それを無視するような事はしないと思うのだが。違うのか。」
「陛下が、コンラッド王子が国王となった時に起こりそうなことを予測して、それが王子の幸せにならないと判断している場合、殿下の意向を無視する事はありえます。」
「幸せとは、本人が決めるものであって、やってみないと分からない。と多くの親ならば、そう考えるのではないか。と思う。」
貴公子には老師の言葉がすんなりと理解する事ができなかった。生まれて今日まで、理不尽と思える我儘を言った事は無かったからか、公爵家の末っ子は何でもする事が許されてきた。注意を受ける事は何度もあったが、禁止させるような事は一度も無かった。彼にとって親とは、心配して見守ってくれるものではあるが、歩くべき先を誘導するものではなかった。
公爵と公爵夫人が普通の親だとは思わないが、やり方が違っているだけで、親とは子供の手を引くのではなく、背中を押す存在であることは共通していると、エリックは考えていた。
「エリック様、ミーナ様のお話をしてもよろしいでしょうか。」
「うん。」
「ミーナ様が御懐妊中にお屋敷を出て行ったのは、エリス様、ギルバード様、レイティア様、お三方の家庭を壊したくなかったからだと思います。」
「うん。皆の話を聞いて、セーラ姉さんを見ていれば、そうだと思う。」
「ミーナ様は、セーラ様に出生について語る事がないままお亡くなりになりました。それは公爵家のためを思っての行動として賞賛されています。ですが、ミーナ様がセーラ様の事を考えないはずがありません。父親がいない、誰なのか分からない、それを寂しく思っている娘を見ていたミーナ様が、どうして公爵邸に戻ってこなかったのかと考えてみてください。」
「・・・・・・。」
「戦後の公爵邸には余裕は全くありませんでした。ですが、5年後は違いました。アラン様が生まれ、エリック様が生まれ、レイティア様がロイド様と婚約を結んでいました。あの時、ミーナ様がセーラ様を連れて戻ってきたら、公爵邸は受け入れる事ができたと思います。ミーナ様もそう考えた事はあったでしょうし、それがセーラ様のためにもなると考えた事があったかと思います。」
「でも、ミーナ母さんは、そうしなかった。僕たち家族が壊れる事は無くても、嫌な気持ちを抱くかもしれないと考えたのかな?」
「その気持ちはあったと思いますが、セーラ様の幸せを考えたのだと思います。」
「屋敷に戻らない事が、セーラ姉さんの幸せに・・・。」
「ミーナ様は、18歳になったら、父親を教えると一度だけセーラ様におっしゃったそうです。いつか真実を語る事は決めていたのでしょう。ですが、18歳まで待つ理由を考えると、セーラ様を戦士として育てる事を避けたのではないかと私は思います。」
「・・・・・・。」
「ミーナ様は、エリス様がどのような少女時代を過ごしたのかをよくご存じです。それが、普通の貴族の令嬢の幸せとは違う事もご理解していたと思います。貴族社会で、庶子の地位は低いものです。侮りの対象にすらなります。そんな中で、幼少期から戦士としての訓練を受ける姿に、セーラ様自身の幸せを見出す事はできなかったのだと思います。18歳になってから公爵邸に戻ると言うのは、訓練をしても戦士としての成長が期待できない年齢に達するかだと思います。」
「そうか。僕達だって、セーラ姉さんが、こんなに強くなるとは思っていなかったから、来たばかりの頃、訓練を始めた頃は、戦いの道に入って欲しくなかった。それが、姉さんのため、姉さんの幸せになると思っていた。」
「幸せかどうかは、本人が決める事です。ただ、子供達の未来が幸せか、そうでないかを考えるのが親です。そして、全てを与える事ができない場合、何かを捨てて、何かを与える選択をします。子供にはできない選択を、代わりに親が選択する事もあります。子供の幸せを願って。」
「後継者の決定は陛下しかできない。だから、コンラッド殿下の将来の事であっても、陛下が御自分の責任で決断しなければならないんだ。そして、殿下の幸せは何かを考えながら、選択をすると言う事なのか。」
「はい。そうだと思います。」
「・・・・・・。セバス、ミーナ母さんは、セーラ姉さんの幸せを一番に考えていたと思うけど。僕たちの事も考えていたと思う。」
「もちろんです。公爵家の皆様の幸せもお考えになっていたと思います。それがミーナ様が公爵邸を出て行った理由なのですから。」
「国王陛下は、ジェイク殿下の幸せも考えた上で、決断をするのか。」
イシュア国国王が裁定を下すのは、2月の中旬になってからだった。




