3年生 その84 緊急連絡
84 緊急連絡
モーズリー高原の戦いは12月21日に停戦協定を結んだ事で終わった。充分な準備期間があったため、調印の翌日には双方の軍が撤収した。
「メルヴィン卿、この地の開発計画はどうでしょうか?」
「良いと思うぞ。と言う他はないのじゃ。孫娘が提案したのだからな。」
「大胆な提案です。農作物の生産をせずに、高原全体を巨大な牧場とするとは。」
「効率が良い事が好きらしい。誰に似たんだか。」
モーズリー砦に設置した執務室で、公爵領の財務官を迎えた公爵は終戦が正式に決まり、国王を帰還の途につけたことに気分を良くしていた。十分な和解金を手に入れ、出陣した戦士達に十分な報奨金を出す事ができる事を喜んでいた。全てがうまく行っている実感に満たされていた。
新開拓地の業務報告もしてくれた老財務官から、妻と子供達が活躍している姿を知る事ができて、自分でも驚くほどに喜びを感じていた。王都に常駐する事を義務付けられた公爵が、一カ月以上家族の誰とも会わなかったのは、11年前のモーズリー砦の戦い以来2度目の事だった。
「メルヴィン卿に似ておられると思います。」
「わしも公爵のように男前であればなぁ。わしに似て、良い事は何1つ無いの。」
その直後に、王都からの書簡が到着した。次男エリックからの書簡を読み始めると、その表情が変わっていくのが誰にでも分かった。もちろん、それが良くない知らせであるのも分かった。
「どうしたのじゃ?」
「これをお読みください。」
「良いのか?」
「はい。」
事件発生翌日の日付で書かれた書簡の内容は驚くべき事だったが、この国境でどうにかできる問題ではなかった。
「すぐに帰還するのなら、わしがここに残ろう。」
「いえ。王都の方はエリックに任せます。」
「賢いし、強い子じゃが、13歳の少年である事には違いない。」
「宰相がいます。」
「やつなら、何とかするじゃろうが。こんな形で税務改革が実現するとな。」
父親から公爵の顔に戻ったギルバードは、息子に絶大な信頼を寄せていたから帰還しなかったのではなく、本来なら反発が噴出する税務改革を実施するのを任せる事が、混乱を減らす方法だと判断したからだった。
大規模な財務改革において、不満が出てくるのは当然であった。どんなに理想的な改革であっても、変化することそのものに発生する反発を皆無にすることは不可能だった。だが、戦公爵であるギルバートが改革に乗り出した場合、不満は持っても、抗議に関しては遠慮する貴族が多くなるのは間違いなかった。
公爵の武力に恐れている間に、一気に改革を実現させるのが、公爵と前財務卿の作戦であった。しかし、公爵が娘セーラのために、学園の予算については、甘いといえる対応をしたことが、この作戦の成功率を下げていた。
武の公爵であっても、話せばわかる人間であると多くの貴族たちに認識されたことで、不満に関して遠慮しなくなる可能性が高くなるとギルバードは推測していた。娘には甘いのに私たちには厳しい。という不満を持たれることは、娘に非難が向かう可能性を考えると、公爵としてはその点を考慮したかった。
しかし今、税務改革に反発したケネット侯爵に対して、公子エリックが武力で懲罰を与えた。この表現は正正確ではなかったが、多くの貴族達がそう考えて、税務改革に不満を向ける事封印した。ケネット侯爵の屋敷に乗り込んでいって体罰を加えたエリックに、王都の貴族たちは恐怖を感じた。13歳の子供であるという侮りは今、何をするか分からない、話し合っても理解してもらえない恐怖に変わっていた。
理不尽とは言えない税務改革に反発して、身を危険に晒す事は愚行であり、自家を豊かにしたいのであれば、税金を減らす事よりも領内を豊かにするための投資を行った方が賢い選択であると、エリックの支配下にいる財務省の面々に説明されると、貴族達は首を横に振ることはできなかった。
何をするか分からない恐怖を与えることができるエリックが、公爵代理として財務省の頂点にいる方が、改革における混乱を避けることができると、公爵は判断した。
公爵領新開拓地ノースターに向かう荷馬車の幌付き荷台の中で、公爵夫人は夫からの手紙を読んでいた。その姿を見守る公女姉妹は表情を変えない母に思わず尋ねた。
「お母様、何かあったのですか?」
「高原で何かあったのですか?」
「手紙を見せてあげるから。ただ、エリックも旦那様も無事よ。」
「お母様、エリックって、王都で何かがあったのですか?」
「セーラ、落ち着いて、何かあったわ。でも無事よ。アイリスも屋敷の皆も無事よ。」
際立った美しさ以外は町娘の装いの3人は、人命が失われていない事を確認すると、3人が手紙を読み終わるまでは黙ったままになった。
「読み終わりました。お母様、本当に王都に戻らなくても良いのでしょうか?」
赤髪赤目の妹は不安さを隠すことなく正面に腰かけている2人の美女に問いかけた。
「エリックなら大丈夫です。」
「手紙には大丈夫だって書いてあったでしょ。何か心配なの?」
「・・・・・・。」
母と姉にそれぞれ視線を向けてからセーラは俯いた。
「セーラ・・・。」
娘が言いたい事があっても、思うが儘に言えないと考えている事を理解しても、どう話をすれば良いのかが公爵夫人には分からなかった。3人の子を産み、立派に育てたと言われている夫人は、セーラと言う娘を受け入れてから、初めて子育てという事で悩んでいた。
レイティアを育てた時は出産直後からミーナの手を借りて、暗闇の暴走に対応するための訓練に集中していた。体が回復して母として何かをしようと考えた時、第1公女は聞き分けの良い、物事をはっきりと言う幼女になっていた。娘から我儘を言われた事も無ければ、困って何も言えなくなるような事は無かった。
アランとエリックを年子で出産した後は、姉となったレイティアとその婚約者であるロイド少年が2人を可愛がってくれた。私たちは小さいお父さんとお母さんみたいだと言いながら喜んでいたレイティアとロイドは、その言葉通り、弟たちの面倒を見て、様々な事を教えた。
公爵夫人が3人の子供達に愛情を注いでいたのは間違いなかったが、それだけで3人は順調に成長していった。愛情を注ぐ以外の事を周囲の人間が、母親に代わってほとんどしていた。だから、自分の経験の中から、困難に立ち向かうための術を出す事ができなかった。
「セーラ、気になる事を言ってもいいのよ。思った事を。ね。ここには私とお母様とセーラしかいないのだから。」
「私のせいかと思って・・・。」
「セーラのせいって、何が?」
「侯爵家との事です。」
「セーラが何かをした訳ではないでしょ。」
「しました。」
「え、何をしたの?」
レイティアは右隣の母親に視線を向けたが、母親も理解していないようだった。妹の責任となるような事が手紙のどこにも書いていなかった。一連の事件の流れをもう一度考え直しても、責任どころか、セーラが登場するような、関連するような場面は1つもなかった。
「・・・。」
「ごめんなさい。思いつかないから、教えてもらえる。言いにくい事なのかもしれないけど。セーラのせいって、何のことを言っているの?」
「ジェイク様を好きになった事です。」
公爵夫人は全く理解できない状況に、年上の娘にすがるように、その横顔に視線を向けた。
「もしかして、マーティナ様が派閥の晩餐の時に、2人の事を認めなかった事で、侯爵の部下が動いた可能性があると考えているの?」
「はい。」
「今回の件は、エリックの対応に逆上しただけで。」
「それだけではありません。去年の件だって、私がコンラッド様と交流していなければ起こらなかったかもしれません。私が公爵邸に来なかったら、ケネット侯爵が私に興味を示して、夜会に招待する事もなっただろうし。王家の後継者争いに巻き込まれる事も、なかったと思います。」
「セーラ、無理やり繋げれば、何でも繋がってしまうわ。そんな事を言えば、そもそもどちらかの家が存在しなければ、争いが起こらなかったという事になるわ。違う?」
「違います。」
姉に視線を向けたセーラは表情を歪めながら言わなければならないと考えた。
「セーラ、どう違うの?」
「全部、私に繋がっているんです。私が居なければ、去年の後継者争いに公爵家が巻き込まれる事は無かった。その後もあります。公爵様が私の名誉を回復させようと考えて、財務卿の職を得なければ、今回の事態は起こりませんでした。全部繋がっていて、どこか1つでも、私がいなければ、エリックが命を狙われるような事は無かったんです。」
セーラは自分が公爵家の弱点であることを十分に理解していた。公爵邸の住民が、そうではないと思っていても、周囲の人間は弱点だと考えていた。少なくとも、そう考える人間がいて、公爵家への攻撃はセーラに関係していた。
今回、エリックに攻撃の矛先が向かっていたが、セーラになら攻撃をしてもよいと考えた貴族たちが、エリックに対しても攻撃しても構わないと考える要因になったであろうことは間違いなかった。
完全なる尊敬、完全なる畏怖によって守られてきた公爵家の防壁に穴を開けたのは、娼婦の娘と侮蔑を向けられたセーラが公女として、公爵邸にいるからだった。
「セーラ、旦那様を、ギルバードを公爵と呼ばないであげて、私も公爵夫人に戻るの?」
娘の前では泣かないでおこうと強く決意していたが、灰青の瞳から涙が溢れてきて止める事はできなかった。
「いい加減にして!!!」
美しい高音の怒声に、馬車の御者も体を跳ね上げた。
「お母様も、セーラも。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「お母様、呼び方1つで泣かないでください。2年半前とは違うのは分かるでしょ。セーラがどう呼んでも、お母様はお母様、お父様はお父様よ。私たちだって場所によっては、公爵、公爵夫人と呼ばなければならない事だってある。」
「だけど。」
「だけどじゃない。お母様は、公爵夫人と呼ばれたら、セーラがお母様を思う気持ちがなくなると思うの。今まで、セーラが思ってくれた思いが消えてなくなるの。」
「そんな事はないわ。」
「お母様。今まで通り、お母様って呼んで欲しいと思う事も、そうして欲しいとセーラに願うのも悪い事ではないし、そういう自分の気持ちを伝える事は大切だから、言ってもいいと思う。だけど、泣く事はやめて。普通にセーラに質問して、普通にセーラにお願いして。お母様は、セーラとの間に壁を作りたくないと思っているだろうけど。だったら、きちんと話をして。勝手にセーラの気持ちを考えてしまうから、それが壁になってしまうの。」
「分かった。」
見た目では双子女神と称される母娘は、その立場を真逆にしていた。
「砦に来る前の、ギルドでの夜を覚えているでしょ。」
「うん。」
「だったら、自分がセーラのお母様かどうかを疑うのだけは止めて。お母様が自分は母親だとは思われていないと考えている時、セーラを娘ではないと思うのと同じになるの。」
「ごめんなさい。セーラ。」
「え、はい。」
レイティアはため息をぐっと堪えながらも、周囲の人間が双子に見える母娘の扱いに困る時があると言われた事を実感していた。18歳の今、完全な大人になった自分が、瞳の色以外は母親と全く同じに成長していた。今までは、身長差と少女を思わせる表情のいくつかで、辛うじて娘である事を見た目でも認識してもらっていた。だが今は、娘の方が3cm高くなり、表情は完全な女性のものとなっていた。それだけでも、どちらが母娘なのかの判断を迷わせるのに、時折見せる母親の儚さ、箱入り娘のような脆さが漂った時、母娘の入れ替えが完成した。
「今度はセーラね。」
「お姉様。」
「セーラが無関係だとは私も思わないわ。だって、この問題は公爵家全体の問題であって、セーラは家族だもの。きちんと関係はあるわ。だけど。責任があるというのであれば、1人分だけ。私もお母様も、お父様も、アランも、エリックも、セーラと同じ責任があって、私達は家族だから、公爵家の責任を皆で背負っているの。セーラだけが悪いとか、セーラだけが反省しなければならないとか。そういうことはないのよ。分かった。」
「はい。」
「もう、全然納得していない表情ね。」
「・・・。」
「セーラ、良く聞いて、考えて。今回の事件は、税務改革の成功につながるわ。セーラが責任を感じると言うのであれば、結果としての功績についてもきちんと考えて欲しいの。今回の事だけじゃないわ。今までの自分がなしたことを考えて欲しいの。第1王子の命を救った。これは国に対する功績よ。アランに聞けば、初等学校の改革のきっかけになったと言うし。エリックに聞けば、公爵邸の食事を美味しくしたと言うかしら。いえ、アイリスとの仲を繋いでくれた事が一番大きな功績だって言うわね。お父様は、娘が学園改革のアイデアを出して、実務で活躍したことを誇りにしているし。ああ、最近もあったわね。モーズリー高原の戦いで勝利をもたらした三女神の1人だっけ、それも大きな功績ね。」
「・・・。」
「責任があると言うのなら、功績もあるわ。セーラが居なかったら、それらが全てなかったかもしれない。いくつかの事は、本当になかったわ。」
「・・・。」
「もう・・・。セーラも真剣に考えて、自分が悪いかもって結論を出したのだろうから。すぐに納得できないのかもしれないけど。もし、責任の方が大きいと思うなら、これからの3か月間、新しい開拓地の開発に一緒に頑張りましょう。これからの事で取り返すしかないわ。」
「はい。」
「それと、1つだけ覚えておいて欲しい事があるの。王都に戻ったら、ご褒美として、もらいたい物、やりたい事でもいいかもしれないけど。とにかく、もらいたいご褒美を考えておいて。遠慮とかしないで、本当に欲しいものを考えておいて。それをもらえるし、それをもらった時、自分の功績の大きさを感じる事ができると思うわ。きっと、セーラにも公爵家にも大切なことになるから。」
「・・・。」
「分かりましたか。公女様。」
「はい。」
「元気がないわ。分かりましたか。」
「はい。お姉様。」
「よろしい。」
レイティアは今回の出征で大人に成長した。人間の命を絶つ事と、味方を守った事で、公女の価値を実体験として理解する事ができた。これがレイティアに対する外からの評価であり、実態の一部であることは間違いなかったが、レイティアを大きく変化させたのは、自分とミーナの繋がりを思い出せたことだった。
見える事もなく、理解する事ができない焦燥に似た何かの正体に気付けたことの影響は大きかった。公女の中の母親像が完成した事で、レイティアは誰かにとって母親の立場に立ちながら、優しく包む事ができるようになった。




