3年生 その78 財務省にて
78 財務省にて
王城内の南方に広がる行政府の豪奢建築物の一画に財務省があった。イシュア国の頭脳の中枢に辿り着くまでの30分に馬車の中でエリックとクーガーは情報を確認していた。
ケネット侯爵が従者5人に運ばせた財務書類は整理されているものではなかった。これから1枚1枚数字を拾い出して計算する必要があるが、仕事を押し付けるという意図よりも、税のかからない必要経費をどこまで認めるかを探る目的を持っているようだった。
「全てを経費と認めると、税金は半分ぐらいになる?」
「例年通りですと。ただ、書類の確認もさせてもらっていません。エリック様が来るまではと。」
「同行している3人も同じ?」
「はい。ディバス伯爵、メーレス伯爵は従者3名、ジャクソン子爵は従者2名に書類を運ばせています。」
ディバス伯爵とジャクソン子爵の2人をエリックは良く知っていた。知己ではなく、調査対象として詳しい情報を手にしていた。ケネット侯爵派の中の強硬派で、第1王子暗殺事件に直接関与しているとロイドに断定されていた。そして、ロイドが裏で手を回して経済的に圧迫している話を聞いたことがあった。詳細は絶対に話すつもりはないと言い放った事で、ロイドの祖父である宰相自身が何かをしていると察したので、追及はしなかった。だが、確実にダメージを受けているのは確かなようで、今回の騒ぎに便乗して、税金を減らす事を狙っていると考えるのが自然だった。
「とりあえず、話をするときに立ち会ってもらうけど。僕からの質問以外、向こうからの質問には答えなくていいから。ケネット侯爵に対しても無視でいい。それと、財務官の皆は?」
「財務省で待機しています。」
「少し早いけど、食堂で昼食を食べてもらって、しばらく待機で。午後から忙しくなると思うから。」
「どうなさるつもりですか。」
「相手次第だけど。多分、新制度を導入する事になると思うよ。」
クーガーは少年の言葉に瞬時に覚悟を決めた。厳密にいうと、覚悟はすでに持っていた。財務卿の代替わりの時から計画していた事を実行する時が来たと思った。公爵が不在である事は実現の困難さに影響を与えるだろうが、僅かなものと考えていた。英雄が戦勝を掲げて2か月以内に帰還してくることは、巨大な援軍の到着が確約されているのだから、むしろその援軍の影をちらつかせながら、改革を進める絶好の機会に思えた。
財務省内にある大会議室という名の事務作業室には、10人が向かい合って座る事のできる大テーブルがあり、その片側に4人の貴族達が座っていた。その背後には13人の従者が直立不動で控えていた。大テーブルの半分を書類の入った木箱が埋めていた。
紺色の紳士礼服を着た金髪の少年が、財務官官長を引き連れて、部屋に入ってきた。そのまま、ケネット侯爵の正面の席に向かうと、クーガーが少し速足で先行すると、エリックのために椅子を引いた。
椅子にゆっくりと腰かけてから、4人に笑顔を向けた少年が言葉を発した。
「アイリスと勉強中に呼び出されたのですが、何の御用でしょうか。仲を深めるという大切な仕事を中断するに相応しい理由を聞かせていただけるのでしょうか。」
「エリック殿、急に呼び出したのは申し訳なかったが。」
「全くです。私にもアイリスにも都合というのがあります。火の日と木の日しか一緒に勉強ができないというのに。」
ケネット侯爵の言葉を遮ったエリックに3人の貴族達は怒りの表情を浮かべた。偉丈夫の筆頭侯爵は47歳で、貫禄も威厳もあり、国歌を支える重鎮であり、第2王子の後見人であり、王家からも最重要貴族だと評価されていた。その侯爵に対して、公子ではあるが13歳の小僧が不遜な態度で対話をしている事に、不快感を通り越して怒りを感じるのは、仕方がない事だった。無論、そんな反応はエリックにも分かっていた。
「エリック殿、ケネット侯爵に対して失礼ではありませんか?」
「そうですか。あなた方のように貴族の責務を忘れているような方々に、言われたくはないですね。」
美少年の屈託のない笑顔は、その場を和ませるものではあるが、発する言葉の内容によっては、これ以上なく生意気な小僧に見せる事ができた。
「貴族の責務だと!」
一番若い32歳のメーレス伯爵が引き続き、エリックの攻撃役を買っているのか、挑発に乗っているのかは不明だが、美しき公子に言葉の刃を向けた。
「はい。子をなし、血を繋ぐことこそ、貴族の最大の責務です。」
「な、貴殿は13歳と聞く、婚約者の令嬢は8歳と聞く。われら。」
「アイリスは9歳です!」
「だから、何だというのだ。我らを愚弄する気か。」
「とんでもない。良い子をなし、良い子を育てるには、夫婦が仲睦まじい事が第1と言われているではありませんか。今から仲睦まじくする事は、貴族の責務です。それに、良い子を育てるには、親の能力も重要です。だから、私もアイリスも、未熟である事を理解して、懸命に勉強しているのです。それを邪魔されたのですよ。私は。」
エリックの斜め後ろで待機している財務官は笑いをこらえるのに精一杯であった。公子が怯んでいれば、大人が子供を叱る構図ができ上るが、怯む事もなく、言葉巧みに言い返している少年に翻弄されている様子は王都でも嘲笑の対象になりそうだった。
「!!!」
怒りを爆発させそうな配下達を制するように、ケネット侯爵が左手を出した。
「貴殿の言うように、子をなすのは重要だ。育てるのも重要。その事を咎めるつもりは毛頭ない。ただ、貴族としては、我が家の事よりも、王家ひいては国家のために働く事こそ重要である。そう、私は考えて生きてきた。」
「そうですか。子をなし、子を育てる事も、国を支える柱を育てる事になるのだから。重要だと思いますよ。」
「分かっておる。貴殿の主張している事を疎かにしてよいとは言ってはいない。今するべき、公務が目の前にあれば、それを優先すべきだと言いたいのだ。」
テーブルの半分を占める木箱に視線を向けたケネット侯爵を真似て、エリックも視線を向けてから質問した。
「あの木箱の中身は何ですか。」
「財務書類が中に入っている。財務省に提出したいと考えてな。」
「はあ、そうですか。クーガー殿、財務書類の処理の方法が分からないらしい。手の空いている者を呼んで、教えてやってくれ。あ、後ろの方々に指導すれば良いのですか。」
「エリック殿。我らは決算書類の提出と、決算書類の承認を求めて、ここに来ておるのだ。」
「あの量ですと、計算も済んでいないはず。財務官に教えてもらいながら、この部屋で処理をしていってください。承認は、財務卿である父が戻ってきてから受けてください。」
メーレス伯爵が表情を崩した。4人の中で一番若いからか、表情を隠す事も作る事もできなかった。暗殺事件の首謀者と疑われている2家とは違って、陰謀に加わるような事はなかったため、公爵家に対してケネット侯爵派の一員として全力で立ち向かうことに何の躊躇いもなかった。
「我らは承認を求めているのです。メルヴィン前財務卿からは書類の提出はできるだけ早く、承認も早く受けるようにと言われてきました。12月中に提出して、承認を受ける事を推奨なさっておられました。」
「それは良い心がけですね。提出は常時受けています。承認は父が。」
「エリック殿。貴殿は公爵代理として王都に残っているのではないのですか。公爵様の代わりに承認ができるはずです。」
メーレス伯爵がエリックの言葉を遮った。先程のエリックに対する意趣返しのつもりではあった事は分かるが、若い侯爵派閥の貴族は、賢い対応はできなかった。
「ケネット侯爵、ディバス伯爵、ジャクソン子爵。お三方も、メーレス伯爵がおっしゃるように、私を、父である公爵の代理人としてここへ呼んだという事でしょうか。お答えください。」
「そうだ。公爵の代理として、財務卿としての職務を果たしてもらいたいと考えて、これらの書類の提出をするために来たのだ。」
「ケネット侯爵に同じく。」
「私もです。」
サファイヤブルーの瞳が静かに輝きを増していった。
「はははっはっはははは。」
「何を笑う!無礼が過ぎるぞ!」
「黙れ!ホワイト・メーレス!無礼なのはお前たちだ!」
4人の貴族達は硬直した。エリックの強さを感じた訳でも、美少年の美しさに気圧された訳でもなかった。ただただ、13歳の子供が貴族の頂点にいる人間を怒鳴りつけた事に驚愕していた。起こるはずのない場面に遭遇して、全ての思考が一時停止した。
「!!!」
一時停止が解けるとエリックが言葉を続けた。
「私を13歳の公子ではなく、公爵代理として呼び出したのなら、入室時に起立して礼を示さなかったのはなぜだ。公子であれば、私はお前たちに礼を受ける立場にはない。だが、公爵代理であるなら、この中で最も地位の高い人間は私だ。その序列が分からないのか。お前たちがした事は、公爵家に対する無礼だ。その責をどう取ってくれるのだ。」
会議室をエリックが制していた。反論も発言も許されない状況に4人は追い込まれていた。若き公子を侮っていたのは確かだが、情報収集を怠った訳ではなかった。騎士達の声や学園生徒の声から、彼が兄の半分ほどの力があるかもしれないと推測できる情報を受けたことは一度もなかった。だから、第2公子を普通の貴族の子供だとしか考えていなかった。
自縄自縛に陥った4人を前に、エリックは右手で耳に触れた。
「エリック様、お言葉ですが。財務省内の業務を行う際、役職の階級は考慮する事になってはいますが、爵位の階級そのものへの配慮はなくても良いという内規がございます。」
「あ、そうだった、そうだった。公爵代理と呼ばれて、その責務の大きさに動揺してしまった。皆様への叱責、お許しください。」
笑顔の美少年が頭を下げても、4人には言葉がなかった。大きな罠に嵌まっている現状において、相手の力を読み取るための戦いを、わざわざここでするつもりはなかった。テーブルの上にある書類を賭け金に挑む事はできなかった。
「さて、公爵代理として、財務卿として、書類を受領します。」
「いや、待ってもらいたい。」
「どうかしましたか?ケネット侯爵。」
「公爵の不在時を考慮して、来月の提出にすべきだったのだ。このまま持ち帰ろう。」
「ホイラー様、それはできません。公爵代理であるエリック様が受領を宣言した以上、この書類は財務省預かりとなります。提出していただいた書類の精査もせずに、突き返すような事はできません。」
「クーガーの言う通り、財務省が不信を持たれるような事はできないな。」
侮ってはいけない相手であると認識したケネット侯爵は、この場で一時撤退したかったが、それができないのであれば、撤退の隙を作るために手を打たなければならなかった。
「それでは、このまま提出するが、承認も含めて、5日で処理していただきたいのだが。今までであれば、3日程で処理をしてもらっていたが。どうであろう。」
「分かりました。各家の財務官を1人ずつで構いませんので、5日間駐在してもらいます。」
「分かった。」
この受領した決算書類がイシュア国を大きく変える事になると知っていたのは、財務省にいる財務官僚たちだけだった。




