3年生 その75 訪問者
75 訪問者
イシュア暦367年12月、新開拓地ベリスの朝は王都よりも寒かった。温暖な南部地域に属していたが、早朝はモーズリー高原から流れ込んでくる冷風に温度を下げられた。公爵家が滞在する兵舎の隣に、木材の塀で囲まれた広場があり、そこで一家とザビッグは早朝の訓練を行っていた。
訓練の内容を聞いたザビッグは、塀を作って周囲から見えないようにする理由と、セーラという少女が短期間で強くなった理由が分かった。切り落とされた腕を薬草で治療しながらの訓練には驚いたが、公爵家の人間が尋常ならざる強さを得ている事には納得ができた。死を乗り越えると戦士は強くなると言われているが、それを体験するのは人生で一度か二度、それ以上の回数を体験した場合、は死んでしまう事が多いとも言われていた。
ザビッグが訓練に参加できたのは、一定以上の速さを持っている重量級の戦士だからだった。中型の魔獣と戦う事を想定した訓練に適した人材であり、中の巣で主戦力となるレイティアとセーラにとって不可欠な対戦相手であった。
1日の生活リズムが定着する中、開拓地に公爵家の財務官となったメルヴィン・ロナガンが到着した。9カ月前まで一国の財務を一手に引き受けていた老紳士を公爵家の面々が大通りで出迎えたのは、到着したのが老紳士だけでなく、300名の労働者と大量の物資が付随していた。
物資の分配から、労働者の宿泊場所への移動などを差配するだけで半日が必要で、メルヴィンとの正式な面談は昼食後だった。公爵家の宿泊場所はそのまま応接間として使用していた。その部屋に入ってきたのは、メルヴィンだけではなかった。
「テリー・ロナガンです。アラン様、エリス様、レイティア様、セーラ様には初めてお目にかかります。祖父の仕事を手伝っております。以後、お見知りおきを。」
「アランです。テリー殿には公爵領の財務事務への助力、感謝します。今後ともよろしくお願いします。」
「畏まりました。それにしても、美の双子女神にお会いできて光栄です。噂を聞いた時には、大げさな事をと思いましたが、噂以上の美しさです。公爵家に咲いた二輪の美華とは、王都の方々の表現力は素晴らしいです。」
15歳のテリーは、祖父であるメルヴィンに似ていた。髪の色と瞳の色は薄緑で、祖父の茶髪茶目と色は違っていたが、顔のつくりは似ていて、人懐こい表情は周囲を笑顔にさせる事ができた。
「テリー、驚きは分かるがの。あまり失礼があってはならんぞ。我らの雇い主でもあるのだからな。」
「はい。お爺様、ですが。ああ、セーラ様の美しさ・・・。母と姉には及ばないが美しいなどと王都で言われていたというのは、嘘ではありませんか。セーラ様こそ、美の化身、美そのものではありませんか。」
「テリー!!」
「はい。お姉様。」
漂う緊張感を打ち消すように一喝した長身の女性が皆の視線を集めた。
「キャロライン・ロナガンです。公爵家の皆様方には初めてお目にかかります。祖父共々財務官として働かせていただいております。弟は口は軽いですが、虚言を申したり、追従を好む者ではありません。失礼な発言になる事はありますが、ご容赦ください。」
「お姉様、怒らないでください。お姉様の方が美しいに決まっているではありませんか。」
「テリー、私が褒められていないから怒っているのではないのです。しばらく、黙っていなさい。」
「はい。」
長身細身の17歳の令嬢は、セーラよりも鋭い表情を見せる事ができるつり目で、3人の美女よりも少し細目の緑の瞳を持っていた。薄緑の髪は光沢を持っているが、肩に届く程度の長さしかないため、髪の美しさを誇っている訳ではなかった。威圧感はなかったが、聞き易い高音の声には強い意思が込められていて、室内を制するようであった。
「とりあえず、向こうの大テーブルの方へ。座りながら話をしましょう。ザビッグ、お茶の準備を頼む。」
「畏まりました。アラン様。」
孫のテリーが投げ込んだ爆弾が破裂しなかった理由は分からなかったが、公爵家は良い方向に発展しているとザビッグは確信できた。ただ、孫の成長については、ロナガン家の家族会議が必要ではないかと不安にはなった。
「公爵夫人は辛抱強くなったのかな?」
「お爺様、黙っていてください。」
着席してから喉を潤したオズボーン家とロナガン家は、4対3で対面していた。
「いや。」
「黙っていてください。皆様、失礼いたしました。最初に身内の話で恐縮ですが、弟はすでに婚約者がおります。」
「おめでとうございます。」
「アラン様、ありがとございます。」
「テリーも黙っていて。」
「あ、はい。」
「今回ノーランド領に移籍するジェフリー男爵家の次女セリス嬢との婚約が調いました。これも、公爵様に財務卿を代わっていただき、財務官として公爵家で働かせていただいたおかげです。ロナガン家一同を代表して、感謝申し上げます。」
「おめでたいことです。セリス嬢は17、テリーは15、お似合いです。」
満面の笑みに変わった公爵夫人にキャロラインは安堵したが、言うべき事を言って、自分の親族に釘をさしておかなければならないとキャロラインは考えていた。
「祝福の言葉、ありがとうございます。エリス様、祖父がセーラ様と弟の婚約を望んでいるように見せかけて、からかおうとした事。改めて謝罪いたします。年寄りには年寄りの配慮があるそうですが、後で説明しなければならないような事が多く、すぐに理解できない事ばかりです。年寄りの戯言としてお目こぼしの程、お願いいたします。」
「キャロライン嬢は、メルヴィン卿からどのくらいの話を聞いているのですか。」
「ほぼ全部です。祖父は家族以外には何でも話す訳ではありませんので、その点はご安心ください。」
「分かりました。メルヴィン卿が公爵家に悪意を持つ事が無い事は分かっています。」
「お言葉ありがとうございます。弟の事ですが、これが素です。誰かれなく、女性は最大限の言葉で褒めるというのが、我が家の家訓となっていまして。他意はございません。」
財務卿の孫として貴族達から警戒されていた弟は、その鎖から解放されると、好意を寄せた女性を押し続けて攻略していた。顔が特別に良い訳ではないし、強くもないが、人懐こい表情で真剣に褒めるという1つの技能だけで、短期間で婚約を勝ちとった事は貴族の跡取りとしては褒めるべきではあるが、同じ女性として、姉は不安しかなかった。
それでも、相手方から婚約を申し込んできた事実がある以上、弟は婚約者に好かれていると判断できた。ただ、婚約者がいるにも関わらず、未婚の女性を絶賛するという技能は封印した方が良いと考えたが、祖父も父も母も止める必要はないと言い放ったため、ロナガン家の常識は、姉が守り、修正していかなければならなかった。
「キャロラインよ。祖父の事をそのように言うものでは・・・。いや、いつも、すまんの。心配をかけて・・・。」
孫娘に甘いのではなく、コントロール下にいる事が誰の目にも分かった。祖父を睨みつけた令嬢の威圧感は、ただの威嚇ではなく、紛れもない怒りが込められていた。
「祖父も弟も、人柄と言う点では欠点ばかりかもしれませんが、行政官としての能力は確かなものです。能力を買っていただけるとありがたく思います。」
ロナガン家の懐具合は芳しくなかった。メルヴィンが財務卿の仕事に私財の一部を使った事もあるが、周辺の貴族達との貿易がほとんどなかった。領地の住民たちを優先していたため、領地そのものは豊かな方であったが、ロナガン家という貴族の家の財産は少なかった。それが公爵家の財務官になった事で一気に好転した。公爵家の信頼、特に仕事面での信頼を失わない事が一家にとって重要だった。
「キャロライン嬢、よく分かりました。はっきりと物事を言ってくれるあなたの事も信用しています。テリーも仕事の報告書から、信頼できます。ただし、セーラは同年代の未婚の女性です。家訓であっても、先程のような言動は好ましくありません。」
「今後は注意いたします。公爵夫人。」
「では、自己紹介を。」
「お爺様、必要ありません。私達は仕事で信頼を勝ち取らなければならないのです。口先で得られる信頼は存在していないのです。」
「お、おう。」
「あの、キャロライン嬢、質問してもよろしいでしょうか。」
「何でしょうか。セーラ様。」
「なぜ、黒の紳士礼服を着ているのでしょうか?」
「動きやすいからです。それと、インク汚れが目立ちません。」
「分かりました。」
初対面の姉弟に色々と興味を持ったが、特に姉の男性用の礼服姿は衝撃的だった。そして、その事に誰も触れようとしない事にセーラは戸惑っていた。公爵家がオシャレではないとは言わないが、そういった方面への関心が非常に薄かったのは間違いなかった。だからと言って、貴族令嬢がズボン姿である事に興味を持たないのは、公爵家の一員としてもどうかと思った。
それに、キャロライン嬢の強さを感じさせる美しさがセーラは好きになった。母姉やアイリスとは確実に異なるタイプの女性で、柔らかい印象を持ってもらう事はできないだろうが、人を引き付ける魅力があった。母や姉のようにはなれない事が分かっているセーラにとって、目標とする女性像が現れたように思えた。ただ、紳士礼服を常着する事が、その道であるのならば、断念するかもしれないと考えていた。
「まずは、べリスの町の地図と周辺の地図を見せてくれんかの。」
「はい。メルヴィン卿、こちらです。」
同時に3人の財務官が紙束とペンを用意した。
「アラン様に質問をすればよいのですか。」
「何か気になる事でも?」
テリーは学園で学んだ事はなかったが、幼少から行政に関する書類を父母姉と一緒に読んでいたため、その知識は一流の財務官に匹敵していた。処理能力もメルヴィンに鍛えられた王都の財務官達と同等の物を持っていた。
「はい。今朝この地に来ましたが、高原から吹いてくる風が冷たく、南方に位置する地域としては気温が低かったのが気になります。夏はどの程度影響があるのでしょうか。」
「元々、住民が居なかったからな。この地に詳しい者もいないな。」
古い町であれば、そこには古老がいて、領主達の記録があり、過去の作物の出来高などで調べる事ができるが、それが全くなかった。
「参考になるかは、分かりませんが。」
「セーラ姉上、何か情報が。」
「砦の防衛隊の人から聞いたのですが、冬は高原からイシュア国方面の風が常に吹いているそうです。夏はドミニオン国方面への風が吹いているけど、夏には時々イシュア国の方へ冷気が流れる日が続く事があると言っていました。」
「なるほど。夏に冷害の可能性があるから、作物を北部向けの組み合わせにした方がいいですね。もしくは、牧場の拡大に力を入れた方がいいのか。」
「今後の事を考えると、馬車での輸送が増えるから、早めに牧場の整備をした方がいいと思うわ。モーズリー高原で作られる牧場は、どのくらいの規模になるのでしょうか。」
「牧場を作る話は聞いているが、規模については良く分からない。すまないな、キャロアイン嬢。」
「いえ、謝罪は必要ありません。アラン様。規模について、見込みでも良いのですが、情報があれば教えていただきたいと思います。」
「高原の馬は多く、500馬はすぐに確保できるだろうと、誰が言ったのかは覚えていませんが、防衛隊の人が言っていました。」
食堂の看板娘として、食事中の会話の心得があるため、情報収集という名の世間話を多数実施していた。その場面ではほとんど無価値に思える情報も、生活の中の民の声であり、活かそうとする人がいれば、価値のあるものへと変わった。食堂の発展にこれを活かしたのがミーナであり、その遺伝子と知恵をセーラは受け継いでいた。
「貴重な情報です。その規模が確保できるのであれば、この北側の開発予定を農業中心から、牧場中心に変更してもよろしいでしょうか。これから開発する南の2つの地域は、農業に適した土地ですから、地域全体で食糧の生産を考える事ができると思います。」
メルヴィンの孫であるテリーとキャロラインを得た事は、新しい3つの町にとっても、公爵領にとっても、周辺領にとっても僥倖だった。人と物を動かす事によって、多くの人々が豊かになる事を知っている知恵者が、その動きを決定できる権力者の下にいる事は多くの人々の幸せにつながった。ただ、誰が一番その中の幸せをつかんだのかが分かるのは、まだ先の事だった。




