3年生 その74 新たな町
74 新たな町
モーズリー砦の守備隊は、叙任した日に任務を解かれると新領地へと向かった。公爵家の一行と捕虜兵から移民へと変わった200名が彼らに付き従った。ノーランド侯爵領の一部を譲ってもらった新公爵領に、5日かけて到着した時、旧守備隊の面々は歓喜した。建物1つ無いただの荒地ではあったが、紛れもなく自分達の土地であり、自分達の力でどこまでも大きくできる新天地だった。
「テントを設置したら食事を取ってから、各自の任務を確認。日が落ちる前まで、作業をしてくれ。」
次期公爵としてアランが指示を出すと、部下たちも一斉に動き出したが、公爵夫人も公女達も動き出した。軽戦士スタイルである作業員は、捕虜として同行している者達よりも埃だらけであった。軍服を脱いだ彼らには真新しい服がすでに支給されていた。
「公子。」
「アランと呼び捨てでいい。」
「いえ、そういう訳にはいきません。」
「ザビッグは細かい所を気にするんだな。戦場でもないし、家人になったのだから。」
「アラン様とお呼びします。公爵家に雇ってもらいました。であれば、主一家に敬語を使うのは当然です。」
「好きにしていい。」
「畏まりました。私は何をすれば良いのでしょうか。」
「家人としての筋を通す気持ちは分かるが、自由に行動していい。基本、セーラ姉上の手伝いをしてくれ。」
ドミニオン国のザビッグ・エーベルト男爵は、正式に公爵家に雇われた庶民となった。その事に不満など何1つなかった。ただ戸惑いはあった。最上級貴族である公爵家の人間が、公爵家の人間らしくない事は理解しているが、とにかく慣れなかった。
命のかかった戦場で身分を持ち出す人間は愚かであるとの認識から、公爵家の人間が戦場で身分を感じさせない言動をする事も、他者にそれを求める事も納得できた。しかし、戦地を離れた行軍中にも、公爵家の一家は身分差を感じさせる発言も、命令もしなかった。唯一、次期公爵アランが命令を出す時は、身分差を感じさせる言動を取る事があるが、それは任務を果たすためであって、貴族としての権威を見せるためではなかった。
最初は、捕虜を安心させるために、ドミニオン語の時だけ、身分差を感じさせない言動をしている演技かと疑ったが、イシュア語に慣れてくると、一家の言動が演技でない事が分かった。
ザビッグは、行進中に話す事ができた新男爵の1人に、イシュア国の貴族は皆公爵家の人間のような態度で接するのかと質問したが、庶民から魔獣狩りの功績で騎士爵となり、砦防衛の功績で男爵になった彼には、貴族達の生活も交流も全く分からないから、知らないとの回答を得た。
とりあえず、自分が見てきたドミニオン国の上位貴族とは違うという事だけが分かったザビッグは、戦場以外での生活を始めた。
日の出と共に起床した250名の開拓団が労働を始めた。公爵夫人と第1公女は5名の部下を引き連れて、周辺の探索に出発した。魔獣を警戒しての探索と同時に、良質な木材の森を発見した。公子アランは、工作が得意な20名と共に建築を始めた。最初に炊事場を建築して、その後に宿泊施設を次々と建築する予定であることを聞いても驚かなったが、大工と同じ事ができる公子の姿には全ての新住民だけでなく、公爵家の母娘も驚いていた。「セーラお嬢様。アラン様はどうして建築作業ができるのですか?」
250名の食事準備は重労働ではあるが、メニューは保存可能な固パンとスープだけであるため、セーラとザビッグの2人だけで準備をしていた。その準備の間に、2人は会話を重ねていった。
「勉強したからだと思うわ。」
「公爵家では建築作業も習うのですか?」
「本で勉強しただけなのに、アランはすごいわ。」
「お嬢様、今、本でとおっしゃいましたか。」
「ええ。イシュア語も慣れてきたから、発音も違和感はなくなっているわ。」
「ありがとうございます。その事ではなく、本でとは、アラン様は実際に建築の経験がないという事ですか。」
「した事があるとは聞いた事はないわ。」
世の中には天才という凡人では理解できない人種がある事は知っていて、自身も武技においては群を抜く存在である事は自覚していたが、修行せずに何でもできるというのは、別次元の存在のようにしか思えなかった。そして、数々の驚きをこれからも体験するだろうが、あまり深く考えない方が良いのだろうと思った。
「セーラお嬢様、家人として仕える事になり、お嬢様の護衛の任務をいただきましたが、お嬢様の事をどこまで聞いて、知っても良いのでしょうか。」
「そうね。私が庶民出とかの話も、屋敷の皆が知っている事ぐらいは、少しずつ話をした方がいいわね。」
「聞かせていただけるのであれば、ありがたく思います。」
「分かったわ。少しずつだけど、話をしていくわ。ザビッグの事も色々と聞いてもいい?」
「はい。亡き妻や子供達の事でも構いません。聞いてください。」
「うん・・・・・。竈に火を起こすから、薪を並べてもらえる。」
「はい。分かりました。」
土で成形した大きな竈を石化させる作業は昨日終わっていた。その大竈に薪を大量に詰め込んで、その上に鉄製の大鍋を乗せた。5か所の大鍋に魔石で水を満たすと、その中に干し肉を切り刻んだ物と、朝方に取ってきた野草を切り刻んだ物を入れた。魔石の火力を利用して数秒で薪に火をつけると、するべき調理作業は終わった。
スープが完成するまでの30分間、セーラとザビッグの主従はお互いの事を話し合った。主従にとって、これまでの生活に区切りをつけて、新しい生活を始めるための会話だった。セーラにとっても、自分を全く知らない人間に、自分が歩んできた事を詳しく話すのは初めてであり、自分自身の今までも振り返る意味で、とても貴重な時間になった。それは楽しい時間でもあった。
11月末、前ノーランド侯爵の手配で500名の労働者と大量の物資が送られてきた。現在開拓が進んでいる荒地は、元ノーランド侯爵領で、オズボーン公爵領の騎士団付きの町と交換する形で手に入れたものだった。国境防衛上の理由があったとは言え、土地の価値そのもので言えば、宝石と石ころを交換するようなものであった。その事は交換を決めた領主達が一番分かっていて、前ノーランド侯爵は開発に関して全面的な支援を行った。その第一弾が到着すると、開拓地に漂っていた準戦時体制の雰囲気が解かれた。
人口が3倍に増加したため、一食分を用意する量も作業も3倍に増えた。セーラとザビッグだけで準備をするのは不可能な規模だが、500名の労働者の中には、40名の女性が含まれていて、炊事場の戦力も増強された。
「ああ、イシュア語に慣れるためとはいえ、独り言に慣れてしまったのは・・・。炊事場の女性に不気味に・・・。ああ。」
主たちの宿舎の前でビザッグは独り言を言いながら待機していた。護衛が必要だとは思えないが、未成年の女子に絡んでくる兵士がいる僅かな可能性を考慮して、できるだけセーラの側にいるように夫人から命令されていた。
「部下たち。領民たちがセーラお嬢様に絡むとは思えないな。」
木製の平屋建ての宿舎の扉が開いた。他の兵舎と変わらない建物の中からセーラが出てきた。
「待たせたわ。炊事場を手伝いに行きましょう。」
「は・・・。」
振り向いた巨人はしばし硬直していた。
「ん、どうかしたの?」
「あ、失礼しました。セーラお嬢様が、あまりにも美しくて、目を奪われてしまいました。」
軍装を解いたセーラは、物資に含まれていた緑色を基調とした庶民服の上に水色のエプロンを着ていた。背中の真中まで伸びている赤髪は黄色のリボンで1つにまとめられていた。貴族の公女には見えない服装であったが、美しい町娘には見えた。それも、飛切りの美人の町娘に見えた。
「え、急に、え、どうしたの・・・。」
第2公女は自分の見た目が大きく分かっている自覚はあるが、どのくらい違っているかは理解していなかった。2カ月間戦士として生活していた公女の顔立ちが美しい事だけは確認できたが、それが極めて美しいと思う者はいなかった。埃だらけの軽戦士、肌も薄汚れていて、水浴びの回数も他の兵士達と同じなのだから、良い香りがする訳ではなく、土と汗に塗れた匂いすら発していた。
持ち込まれた薬草洗剤で体の汚れを落とし、本来の肌の美しさも香りを取り戻し、唇も美しい赤みを帯びていた。深紅の瞳とお揃いの赤い髪が流れるように背を覆っていて、それは女性の美しさを何倍にも増加していた。
「本当に失礼しました。今まで、軍装しか見た事が無かったので、セーラお嬢様が、これほど美しいとは思っていませんでした。」
「あ、ありがとう。」
エプロンを身に着けて、労働者としての意識で宿舎を出た直後に、褒められた事に驚き、なぜか恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。第2公女として褒められる事には慣れていたし、家人に褒められる事も特別な意味がない事も理解しているのに、顔が赤くなっていた。
「ザビッグ。」
「はい。公爵夫人。」
宿舎から出てきた夫人は青色の庶民の服を纏っていた。華麗ではない普通の女性服ではあったが、美の女神と呼称される容姿の魅力に制限をかける事はなくなっていた。金の長い糸も手入れが済んでいて輝いていた。
「セーラに好意を持っているのですか。」
「・・・家人として敬愛の念を抱いています。」
「あなたは亡き奥方を愛しているのではないのですか?」
「・・・愛しています。公爵夫人、何のお話でしょうか?」
「実直な武人だと思っていたのに・・・。」
「!!お母様、誤解です。ザビッグは主一家の娘を褒めただけです。セバスが私を褒めてくれるのと同じです。」
「ん。公爵夫人、もしや、私がセーラお嬢様を、主従とは違った意味での、愛情を持っていると仰っているのですか。」
「そうではないというのですか。あまりにも美しくて、目を奪われたと言ったではありませんか。家人が褒めるのが、社交辞令の1つである事は分かります。ですが、その、恋人に向けるような言葉で褒めるのは・・・。」
「お母様、セバスからも今回のような誉め言葉を受けた事はあります。特別ではないのです。それに、お母様、ザビッグの奥さんに失礼です。ザビッグにも・・・。」
生さぬ娘、第2夫人と公爵の間の血の繋がらない娘を溺愛している事を、事情と共に聴いてはいたが、実体験してみると、予想以上の溺愛、ただ可愛がるというだけの溺愛ではない事がザビッグにも分かった。
「・・・。ザビッグ、奥様の事は、失礼な事を言いました。許してください。ですが、本当にセーラに対して、そう言う気持ちはないのですね。」
「・・・・・・。」
公爵夫人が少女にしか見えなかった。自分の心を上手に制御していない女性は、恋する乙女が暴走しているようにも見えた。自分自身の恋愛経験が豊富ではなかったが、女性から信頼できる友として相談を受ける事が多かった巨人は、今の夫人の様子を何度も見た事があった。誰かを強く思う気持ちが、すぐに溢れてしまう様子を良く知っていた。
母と娘の間に恋愛があるという話は聞いた事はなかった。息子が母を、娘が父を愛してやまない話や、その逆の話を聞いたことはあったが、同姓の親子に恋愛感情、もしくはそれに似た感情を持ったという話は一度も聞いた事はなかった。だが、目の前に広がる光景、巨人が第2公女に近づく事を警戒して、その関係を怪しみ、確認する場面は、恋愛感情を持っている人間がよく作り出す光景だった。
恋愛感情ではなく、執着という言葉に切り替えた時、巨人の緑目が輝きを増した。公爵夫人は、自分が母親だと認められていないと考えていて、本当の母親になりたいと考えていて、その条件をセーラが幸せになるという、明確な目標と定めていた。ただ、それは確認しようがないものでもあった。
ザビッグの推測でしかないが、現状から読み取れる事を組み立てた時の答えは、これしかなかった。
「どうなのですか?」
「公爵夫人、私は戦士としてセーラお嬢様を尊敬しています。公女として敬愛しています。ですが、恋愛感情のようなものは持っていません。」
「分かりました。」
「意見を申し上げてもよろしいですか。」
「構いません。何ですか?」
「セーラお嬢様に政略結婚を求める事はなく、自由な恋愛結婚を認めているとお聞きしましたが、それは事実ですか。公爵夫人はその方針に賛成されていますか。」
「公爵家としても、私自身も、セーラに政略結婚を求めることはありません。」
「では、セーラお嬢様が、私のように年上で、妻に先立たれている男性を結婚相手として選ぶと望んだ場合、どのようになされるおつもりですか。」
「それは・・・。」
「無礼のお叱りは後で承りますが、今は言わせてください。セーラお嬢様が望むのであれば、エリス様は認めるはずです。そうする事が、セーラお嬢様の幸せにつながるとお考えになるからです。そのお考えは、正しいと思います。ただ、セーラお嬢様の意志を最優先とするのであれば、まずは、セーラお嬢様のお気持ちを確認すれば良いかと思います。」
「・・・・・・。」
「セーラお嬢様の御意志さえ確認できれば、周囲の男性の気持ちを確認する必要もなくなります。エリス様も御承知でしょうが、セーラお嬢様はかなりの美人です。気立ても良く、調理も上手です。とても魅力的な女性です。好きにならない男性の方が少ないのです。これから先、セーラお嬢様に近づく男性に全て、気持ちを確認する訳にはいかないと思います。」
「・・・・・・。」
美の女神であり、鬼人の奥方であり、イシュア国の英雄であり、国の柱の1つであるのに、失恋の可能性が考えて怯える少女にしか見えなかった。
「セーラお嬢様に関する事は、最初にセーラお嬢様にご質問なさってください。どう思っているのかを・・・。エリス様には、それが足りないだけだと思います。それ以外のものは十分に持っているように思います。」
戦闘が終わり、思考が平時に戻った公爵夫人は、娘達が与えてくれた素敵な思い出に浸った。3人で浴槽の中で触れ合った時間がとても尊いもので、旦那様に後で話をするのが楽しみになっていた。
だが、王都に帰還した後に何をしようかと考えているうちに、大切なことを思い出した。戦場に来る前にセーラが経験した事を思い出した。辛い思いを背負ったはずなのに、笑顔を見せてはくれる娘が、強がっているだけかもしれないと考えると、母親として何かをしてあげたいと強く思ったが、何が正解なのかが分からなかった。
セーラに対して、どうすればいいのかが分からない苛立ちを持った中、兵舎の外から聞こえてきた会話に過剰に公爵夫人は反応していた。
「ごめんなさい。ザビッグ、セーラも。これからは、セーラの事を心配した時は、すぐに聞くようにする。もし、執拗だと思ったら、すぐに言ってね。」
「執拗だなんて思いません。お母様。私も、その、そういう人が現れたら、すぐにお母様に相談します。」
無言で頷いた母親と同じ顔の娘が兵舎から出てきた。
「セーラ、お母様や私に報告はしてもらいたいけど。相談するのであれば、ザビッグの方がいいと思うわ。亡き奥方と大恋愛の末に結婚したという話だから。」
「はい。お姉様。」
その日、新しい街の名前はベリスになった。




