3年生 その73 独壇場
73 独壇場
11月8日、モーズリー高原でイシュア軍1500とドミニオン軍2000が対峙した。比較的凸凹と傾斜が少ない地点の枯草は短いもので、お互いの全軍を確認する事ができた。
イシュア軍から黒馬に跨った戦士が1人で出てきた。その戦士が名乗る前に、ほぼすべてのドミニオン軍兵士が鬼神公爵の名前を思い浮かべた。
「私はギルバート・オズボーン公爵、一騎討ちでも、全員でも構わぬ。武名が欲しい者はかかってくるが良い。」
挑発行為を無視して軍勢を動かすのが上策ではあったが、ドミニオン軍の司令官の目的は、武名を国内に示す事だから、公爵を無視する事はできなかった。しかも、公爵を撃破するカードを用意していた。
「我は、ベネール・トリスタン。一騎討ちを所望。」
重装備の鉄鎧と馬鎧、全鉄製の槍、ドミニオン国内で馬上での戦闘では負け無しの騎馬兵は、公爵の向こう側の敵兵に動きがないのを確認すると馬を走らせた。一方の公爵も馬を走らせたが、接触する前に下馬した。
地上に降り立った公爵が馬上の有利を捨てた意味が分からなかった槍の達人は、相手の武器が短剣である事を確認すると、それが理解できた。馬上での戦いでは武器が届かないのだから、公爵は地上戦に持ち込むしかなかった。11年前に鬼神の名を広めた武人が、理に適った戦い方を選んだことに心を震わせた。
槍の攻撃を避けて間合いを詰めてくる瞬間が勝負の分かれ目ではあると考えるが、馬上での攻防、地上戦に持ち込まれた時の攻防、そして接近してきた時の攻防、その3つを想定して訓練を重ねてきたトリスタンは、自分が一瞬で絶命した事に気付かなかった。
馬の速度を落とした直後に、動き出した公爵は地面を蹴って飛び上がった。槍が動きを見せる前に、槍使いの目の前まで飛び上がって、その首に短剣を突き立てていた。
公爵の武力は一撃必殺に特化されたものであった。
攻撃をぎりぎりで躱す事、必殺の一撃を加える事。これだけを公爵は鍛えてきた。大型魔獣を制圧するために鍛えてきた。大型魔獣の攻撃よりも弱く、大型魔獣よりも脆い人間が、公爵と五分五分の勝負ができるはずがなかった。ドミニオン国の強者の全てが鬼人討伐を志す時、短剣使いとの戦いを想定するが、それがそもそもの間違いだった。間違った認識で戦う時、勝率が低くなるのは当然だった。
そして、それは1対1の戦闘だけでなく、戦場での戦いにおいても言えた。
「次の相手は誰だ!」
鬼人の声に反応した訳でなく、ドミニオン軍は全軍を前進させた。最前列を盾兵から弓兵へと切り替えた。一騎討ちで勝てないのだから、弓の放射で倒すしかないと考えるのが常道であり、正解でもあった。
距離を詰めたドミニオン軍が一斉に矢を放つと、その直後に公爵が見えなくなった。逃げ出した姿を見ていない兵士達は、雄叫びを上げて喜んだ直後に、目前まで迫っているイシュア軍に驚いた。
公爵だけを見ていた訳ではなかったが、ゆっくりと前進してきたイシュア軍が接近してきたのだと気づいた時には、激突する以外の選択肢がない状況になっていた。そして、両軍が前進して激突する直前に、地面に掘った塹壕から飛び出した鬼人がドミニオン軍の戦陣に突撃して、陣形を崩壊させた。
イシュア軍と公爵に翻弄されたドミニオン軍が唯一評価されたのは、後退をすぐに命じて戦線を収拾した事だった。
深追いしなかったイシュア軍と再び距離を取る事に成功したドミニオン軍は陣を構築して夜襲に備えたが、優勢なイシュア軍は夜間に動かなかった。動きを見せたのは翌朝で、公爵が単騎で陣前に現れた。
「停戦の交渉を。」
中央部隊の後方に作られた本陣に招かれた公爵と、司令官である第4王子ベルンハルトが対面した時、公爵の美男子ぶりに驚いた。優男とも言える美男子の事を、鬼人と呼んでいた自分達は、いかに公爵に恐怖を与えられていたのかが分かった。
幕で囲まれた会見場所には、10名の護衛が両脇に並んでいたが、その誰もが単身の公爵に攻撃するような命令を出さないでくれと考えていた。顔の良い傭兵にしか見えない装備品に紺色のマント姿の美男子から感じ取った戦意が尋常ではなかった。槍の英雄であるトリスタンを一撃で葬った事実だけに恐怖している訳ではなく、目の前にいる公爵と言う存在そのものに恐怖を感じていた。
「第4王子ベルンハルトだ。停戦交渉と言うのであれば、条件があろう。申してみよ。」
「和解金に金貨20万枚、高原入り口に砦を建築する事への合意、高原の所有権を認める事。水利については現状を維持。」
「我が軍の全面敗北を認めよという事か。」
「そうだ。」
10名の戦士以外に、明らかに軍師役である姿の40代の男がいて、第4王子と視線を合わせて頷いた。
「この10名と私で、オズボーン公爵を討つことは可能か?」
「無理です。本陣の全員が襲撃しても逃げられます。」
護衛戦士が明確に答えた。第4王子の護衛任務を果たすためには、戦わない事だけが唯一の選択肢だった。
「公爵は、ここにいる全員を殺して、逃げ出す自信はあるか?」
「全員は難しいが、司令官の首を取って逃げ切る自信はある。ただ、連れてきたベリスを失いたくないから、交渉での決着を望む。」
「ベリスとは、騎乗してきた黒馬の名前か。」
「そうだ。」
声には出さなかったが、第4王子は苦笑した。騎馬一頭の方が価値あると言われた事に怒りを持てない程に、自分は完敗していることを悟った。嫌みではなく真実を語っている公爵と比べて、自分自身の器の大きさが分かった気がした。
「私の完敗だ。停戦の申し出を。」
「殿下、お待ちください。受けるかどうかは軍議で諮ってからが良いかと。」
ローブを纏った軍師も現状で敗北を認める必要はあるが、停戦を受け入れて終了する前にするべき事を検討する時間が欲しかった。敗北した時ほど、その後始末に頭を悩ます事が必要だと考えた。
「ガイザック、停戦交渉を引き延ばして、その隙に撤退しようと考えているのであれば無駄だ。公爵、聞いておきたいのだが。我が軍が逃げられないように手を打っているのであろう。」
「高原の入り口を500の兵で固めてある。すでに柵を組む作業は終わっているはずだ。」
「だそうだ。ガイザック、昨夜のうちに撤退しなくて良かったな。」
「ご慧眼、お見事です。」
「見事なものか。まあ、こちらの話を公爵にしても仕方がないな。公爵、どうして、我々に停戦を申し出たのだ。殲滅する事はできたであろう。」
「こちらの犠牲者をできるだけ減らしたい。それに和解金を得る事ができなくなる。」
「それが理由の全てか。」
「11年前、警告のつもりで多数を殺したが、再び攻めて来た。だから、力ある者と停戦協定を結ぶ方が良いと考えた。」
公爵は母より全てを習い、全てを習得した人間で、公爵としてありとあらゆる事ができた。ただ、それは個人の中の全てを自由にできるというだけであって、世界の全てを自由にできる訳ではなかった。今回の戦いは公爵の実力を示すものではあったが、ギルバードにしてみれば失敗の後始末をしただけであって、自身に功績があるとは思っていなかった。
11年前の戦いで、恐怖を与えた事で、敵に攻め込ませないようにしたつもりだったが、今回の戦いの発端は、自身が鬼人としての名を上げ過ぎた事だった。公爵の責任ではないが、敵方の心情を読み誤った事がなければ戦闘そのものがなかったのは間違いなかった。
敵襲の情報をいち早く掴み、遅延作戦を実施できたのは、前回の戦いで敵軍を撃破しながら、敵地の町村のいくつかに金をばら撒く懐柔策を実施していたからだった。
11年前、モーズリー高原を越えた先の町村は、鬼人の名に恐れて混乱を起こしていた。自分達を守るはずの国軍が真っ先に逃げ出したのだから、住民たちには生贄を出す覚悟で、鬼人の怒りを納めようとしたが、鬼人が要求したのはパンと干し肉だけだった。しかも、金貨を支払った上に、国軍が置いていった物資を、鬼人が奪った事にして、自分達の物にする事を提案してきた。その代価は、モーズリー高原に出兵のあるとの情報があれば、それを報告する事だけだった。
軍には鞭を奮い、民には飴を与えた結果、飴を受けた民の力によって、今回の戦役のイシュア国の被害は極めて少ないものになった。それを経験としたギルバードは、ドミニオン国全体に飴を提示する事で、次の戦争が起こるのをできるだけ先延ばししたいと考えていた。
「力ある者と認めてくれているのだな。であれば、こちらからも停戦についての条件を言おう。50日で良い。我が軍とこの高原で対峙してもらいたい。結果的に負けて逃げ帰るのではあるが、五分五分の戦いをしたと、こちら側では喧伝したい。それが叶うのであれば、停戦に異存はない。」
「殿下、お待ちください。」
「ガイザック、逃げ道はないのだ。」
「分かっております。公爵、和解金については交渉させてもらえないだろうか。その金額では経済的に苦境に立つ事になる。殿下の力が衰えては、ここで結んだ協定の価値が減ってしまうのではないか。」
「ガイザック、情けない事を言うな。」
「いえ、殿下。公爵が今後の戦いを回避するために、殿下をドミニオン国の代理人と認めたのであれば、殿下の勢力を維持する事も、公爵の、イシュア国の利益につながります。」
「分かった。交渉には応じよう。元から、そのつもりの停戦交渉だ。」
「よし。では、ガイザックを残して、他の者は陣幕を出て行け。」
「殿下。私だけはお側にいる事をお許しください。公爵様も、お認めください。」
護衛隊の隊長が深々と頭を下げた。護衛がいる事に何の問題も感じないギルバートは頷いたが、軍師ガイザックが護衛隊全員に退出を求めた。主が完全敗北を認めて、停戦交渉をすると言うのであれば、公爵を信じる事と、信じてもらうために最大限の配慮をすることは、大前提だった。
モーズリー高原の戦いにおける停戦交渉は、ギルバート・オズボーン公爵とガイザック・ハシュ侯爵の間で行われて、以下のようになった。
イシュア国国王とドミニオン国第4王子の間で12月21日に友好条約及び停戦協定を締結。
◆ドミニオン国が水利権を獲得する対価として以下をイシュア国に提供する。
モーズリー高原の完全な所有権。
一時支払金、金貨10万枚。
毎年の水利権使用料金、金貨2000枚。
◆イシュア国が停戦協定に関して以下をドミニオン国に提供する。
魔獣石(魔石)の貿易許可。
魔獣の巣の討伐法を伝授するための研修者の受け入れ。
薬草栽培技術の購入許可。
◆停戦協定
12月21日をもって停戦。
両国の捕虜の移籍、身代金の譲渡に対して、両国は制限を加えない。
◆停戦に向けての合意
両軍とも停戦協定発効までは1000名の軍を高原地帯に駐留させる事。
駐留ドミニオン軍は、モーズリー高原の出口に建設する新砦の建築に協力する事。
ドミニオン軍の戦傷者に対する薬草による治療を金貨10000枚で行う事。




