3年生 その68 懐かしい温もり
68 懐かしい温もり
行軍2日目は夜明け前から始まった。馬上の夜明けは暗闇のままで、天候は曇天だった。昼過ぎにポツリポツリと落ちてきた雨粒は、1時間後には豪雨へと変わった。
「お母様!お姉様!セレスが持ちません!!」
絶叫したセーラが馬の速さを落とした。朝からの疾走に耐えていた馬体が、雨で濡れたために一気に体温を失って、筋肉が痙攣を始めていた。ほとんど整備されていない街道の真ん中で集まった3人と3頭は、魔石による炎と熱源で雨に濡れた体を温めた。
セーラが荷物袋から携帯食と薬品、短剣を取り出すと、レイティアが馬達に薬品を飲ませた。効用を理解している牝馬達はそれを飲み込むが、本来は好みの味ではないらしく、他の馬に飲ませるようとすると頑なに拒否された経験があった。セーラは馬上の根菜の束を食べたやすいように切った。公爵夫人は携帯食を熱源に接近させて温めてから、雨に濡れながら昼食を取った。
訓練で腕を切り落とす事も、切り落とされた事がある娘達も、中型魔獣と死闘を繰り広げて、50名を超える騎士達と敬愛する義母を目の前で失った事がある母も、雨に濡れた食事に不満を覚える事はなかった。美食で生きている最高貴族ではあったが、人間の生きるという根底部分を誰よりも知っている女性たちは、必要な栄養を与えてくれる食べ物に単純に感謝を捧げる事ができた。
雨の中であっても1時間の休憩で体力を回復させた先遣隊は、目的となる街へと午後8時に到着した。
町の中央にある3階建ての巨大なギルド本部へと到着した。1階はギルドの受付兼、夜間酒場だった。
びしょ濡れの軽装備戦士スタイルの女性が入ってきた。
「私は、公爵夫人、エリス・オズボーンです。ギルド長または、この本部にいる最上位階級の人を連れて来てください。外に2人と騎馬3頭がいます。2人を厩舎に案内してもらえますか。」
「はい。分かりました。」
酒場の給仕をしている女性が応じて、すぐに店内で指示を出し始めた。
「この雨がいつ止むのかが分かる方はいますか。」
「今夜中に、日の出前には止んでいるはずだが。」
「これから東に向かいます。東側の天候は。」
「しばらくは雨という事はないはずだ。それよりも、びしょ濡れだが、それに食事はどうする?」
「ギルド長との話が終わってからです。」
2階から駆け下りてきた商業部門長が公爵夫人を確認すると、酒場が瞬時に指令所へと変わった。2日後に500名の騎士が到着するので、替え馬と食料、宿泊施設の準備をするように指令を出した。
その次に、3頭の世話をするからと厩舎へ向かうと、従業員達6名が娘たちと協力して世話をしていた。姉妹が薬品を飲ませると、塗り薬で馬達の足を治療していった。残りの食事と洗体を厩舎員に依頼すると、3人はギルド本部2階の客間へと案内された。
貴族にも対応できる大きな部屋に入った3人は、編み上げた髪をまとめている櫛以外の装備を外すと全裸になった。魔石を取り出すと、熱源として装備品を乾燥させ始めた。部屋につながる浴室に向かった3人は、魔石で大きめのバスタブの水温を少し上げると、その中へと入って、胸までを温水に浸けた。
ガタガタと震えていた体が熱を帯びて、青紫色だった唇が赤みを少しずつ取り戻した。3人が輪を作るようにバスタブの中で向かい合っていた。体温を取り戻す事、明日の行軍のための休養が必要で、その目処が立った事、やるべきことを終えた3人の、緊張感が解けていった。
左と右に女神の裸体があった。均整の取れた体つきは美の結晶と言えたし、頭上に結ってある金の髪も無造作にまとめているだけだったが、とても綺麗だった。姉の瞳がサファイアブルー、母の瞳が灰青色、その2つの違いしかない2人の白い肌が、だんだんと血色を取り戻していた。
2人を見ていたセーラの肌色の皮膚も赤みを帯びていた。それは美しい2人の裸体を見る事が恥ずかしかったからだった。母と姉の下着姿を見た事は何度もあったが、裸体を見たのは初めてだった。同性として乳房を見る事に抵抗はないはずだが、この時のセーラは見てはいけないものを、見ているような気がしていた。
「セーラ、触ってもいい?」
乳房を見ないようにするため、姉のほんのり赤い唇をじっと見つめていたセーラは、そこから発せられる言葉に驚いた。
「え!」
「ダメ?」
「え、あ、え。」
賛意も拒否も示す事ができないまま、セーラは姉の右手が自分の左の乳房に優しく触れるのを見ていた。姉の意図が全く理解できないが、もしかして、自分の体温を確かめるためかもしれないと考えた。妹思いの姉が、自分を気遣ってると考えると、2人の裸体を見るだけで恥ずかしさを感じている自分が、何だか不純な存在に思えてきた。
だが、次の言葉がセーラをさらに混乱させた。
「懐かしい・・・。」
過去を振り返る時の台詞が聞こえたが、何がどうなって、姉の懐かしさを引き出しているのかが分からなかった。
「お姉様・・・。」
「どうしてだろう、懐かしい。」
「私の胸が、ですか?」
「うん。」
美女に成長しているが、美少女よりも幼い感じの表情の姉が涙目で妹をじっと見つめていた。何かを懐かしみ、何かを思い出そうとしていた。赤い髪、赤い瞳、柔らかい乳房、触れた手は乳首を包み込んでいて、その感触をレイティアは知っていた。
大切な温かい何かが自分の中に入ってくるのを感じると、レイティアの瞳から涙の筋が下りてきた。
「ミー、ミー。」
小動物の鳴き声のような言葉をレイティアが発した。
「お姉様、どうしたのですか?」
妹の胸に触れて、妹をからかう姉の姿は、セーラに想像できたが、自分の胸に懐かしさを覚えて、涙を流しているレイティアを想像する事はできなかった。
「ミーナ母さんの胸と同じ。」
「え。」
セーラは実母と自分がそっくりだと知っていて、自分の姿に、実母の姿を重ねられる事には慣れていたが、胸が同じである事と言われたことはもちろんなかったし、姉の言葉は理解できなかった。
「レイティアは、ミーナのおっぱいを吸って育ったのよ。」
公爵夫人が解答を提示したが、その意味がよく分からなかった。侍女ミーナが公女レイティアの世話をした事は理解できるが、ミーナが授乳できるようになったのは、自分が生まれてからの事で、姉に授乳するという事はあり得なかった。授乳の疑問が残ったまま考えるセーラの中に、もう1つの疑問が生まれた。
実母ミーナが、姉レイティアを世話したという昔話を誰からも聞いたことがなかった事に気付いた。
セーラの妊娠に気付いて、公爵邸を出る前は、エリスの専属侍女であり、その娘であるレイティアの世話をしたのは当然だった。年齢を考えれば、レイティアがその事を覚えていないのは当然だが、屋敷の人間はその姿を見たことがあるはずだった。だが、母の活躍は何度となく聞いても、その中に長女を世話をしていた話はなかった。
「ミーナ母さんは、授乳ができたのですか。お姉様に。」
「私の代わりに、私の乳を飲ませてくれたわ。」
「???」
「レイティアを出産した後、私はすぐに訓練をしなければならなかった。体を戻す必要があって、きちんと睡眠をとらなければならなかった。起きている時は私があげたけど、寝ている時は、ミーナにお願いしていたわ。私の乳を出しておいて、飲ませてもらったのだけど。レイティアはスプーンから飲むのを嫌ったから。ミーナは自分の乳房に垂らしながら、レイティアに吸わせて、飲ませたの。」
完全に覚えている訳ではなかったが、目の前にいるミーナにそっくりな女性の乳房に触れているレイティアは、その当時のできごとを脳内で追体験する事が容易にできた。妹として可愛くて仕方がないという気持ちは、母代わりに育ててくれたミーナの姿を重ねたかもしれなかった。
「レイティアが最初に言った言葉は、ミーだったのよ。」
幼過ぎたから忘れてしまったのではなく、2人の母の片方を失ったショックで記憶に封印がかかったのだと姉は悟った。そして、その封印が解かれた事で、自分の目の前にいる妹とミーと呼んでいた養母の姿が完全に重なった。妹への愛おしさが、そのまま母への愛へと変わった。赤子レイティアと養母ミーナが湯船の中にいた。
何か大切なものを失う恐怖に襲われる事が度々あった姉は、それが一緒に暮らしていた祖母の死によって植え付けられた恐怖であったと思い込んでいたが、それは違った。正しい答えが分かった。
「ミー、ナ母さん。」
「・・・。」
「吸ってもいい?」
「え。え!?」
幼子が何かを欲しくて仕方がない表情、縋りつくような切ない表情の姉の眼差しにセーラは抗しきれなかった。恥ずかしさがあるが、姉妹なのだから、淫らな事をする訳ではなく、思い出を提供するだけだから、悪い訳ではないと、セーラの中で肯定の方に意見がまとまりつつあった。
「レイティア、未婚の妹に頼む事ではないわ。私ならいいわよ。」
助け舟を出した母親を2人が見つめた。夫人は背筋を伸ばして、胸の位置を少し高くした。第一公女は肩まで湯に沈めると、そのまま母の右乳房に吸い付いた。
目を閉じた赤子は満足そうな表情を、自分の胸に吸い付いた赤子を見下ろす母は微笑みを見せた。全く同じ顔ではあったが、そこには母と娘がいた。
セーラは嬉しかった。姉がミーナを求めて乳房を吸っている事がとても嬉しかった。
公爵家にとってミーナとセーラは家族とは少し違う存在であったが、セーラは時間の経過と共に家族と言う枠組みに入ることができた。だが、第2夫人の公称を得たと言っても、ミーナはセーラだけの家族だった。血のつながりも、家族として一緒に暮らすという繋がりのない実母ミーナは、公爵家にとって形だけの家族だと思っていた。自分が公爵家の家族に近づけば近づくほど、実母を切り捨ててしまっているような思いに襲われる事もあった。
だが、今その思いは、不安は消えていった。レイティアにとっても、ミーナは母であり、実母にとって公爵邸は、侍女としての思い出しかない場所ではなく、レイティアと言う家族を慈しんだ場所でもあった。その事を知れたことが嬉しかった。
実母が自分を抱きしめたのと同じように、姉を抱きしめながら、あやしている光景を頭の中で再現すると、セーラの中に別の妄想が浮かんできた。
自分が公爵邸で生まれていたら、赤子の時から公爵邸にいたら、姉と同じように実母ではないもう1人の母の乳房を一心不乱に吸っていたのだろうと妄想した。そして、妄想しながら、エリスとセーラという親子には絆がない事を思い出した。
唯一の血のつながりのない家族は、懐かしい思い出を共有できない他人でもあった。自分のために笑い、泣き、悩む母親を、母親ではないと言えてしまう事が嫌だった。姉のように血とは違った絆が欲しくなった。
母娘のスキンシップを優しく見守っていた赤い瞳の少女が、視線を上下に揺らしていた。母親の胸と瞳に向けた視線を何度も切り替えていた。目の前でそれをされていた母親は、灰青色の瞳をゆっくりと一度隠してから、セーラを見つめた。
「おいで。」
母の一言でセーラは何も考えられなくなり、姉と同じ行動をした。体をお湯の中に入れると、頭だけを出した状態で、左側の乳房に吸い付いた。
大好きになったお母様と本当の家族になれたのだと思うと、セーラは強く吸い始めた。麻痺した思考の中で生じた空腹感を消すために、赤子として本当の乳を吸ってみたいと考えたようで、セーラは強く吸い始めた。無音だった空間に、小さい吸音が響くと左右の胸で2人の娘が強く吸い始めた。
一心不乱に母乳を求める娘たちに、本物を提供できない事を申し訳なく思いながら、公爵夫人はこの時間を心地よく過ごした。自分がセーラの母になり、ミーナとしてレイティアの母になっている事を、考えるのではなく、視覚から入ってくる情報から、それを認識する事ができた。いつものように、ミーナがいればという後悔はなく、母としての幸せだけに浸る事ができた。
5分ぐらい無心に吸っていたセーラは、乳が出てこない事にいら立ったのか、少し歯を立てた。赤子のように飲みたい衝動を抑えきれなくなった行為だった。
「あ。」
痛みではなかったが、歯によって送られた刺激にエリスが小さな声を漏らした瞬間、レイティアもセーラも我に返った。赤子だった精神状態が現年齢の状態に急に戻った。
2人共、ゆっくりと唇を離すと、俯いたまま母親から距離をおいた。湯から得た体温とは違うもので、顔が真っ赤になったのを2人共感じていた。後悔はなかったが、純粋に恥ずかしかった。
「お母様。」
「これは。」
沈黙に耐え切れなくなったセーラとレイティアがほぼ同時に母親に何かを頼もうとした。顔を上げた姉妹は、お互いに見つめ合いながら、この場をどう処理して良いのかが分からなくなった。一瞬前まで何を言おうとしていた事が頭から抜けてしまった。それぞれが何を言うのかを気にした事で、自分が何を言うのかを失念した。
「内緒にするから、何も心配はないわ。あなた達には恥ずかしい事に思えるかもしれないけど。母としては、嬉しい事なのよ。あなた達もいずれ分かるようになるわ。」
母親が内緒にしてくれるとの言葉に安堵はしたが、恥ずかしさはすぐには消えなかった。ただ、大きなベッドで母を挟んだ姉妹は抱きしめながら眠る事に躊躇いは無かった。




