3年生 その67 出陣
67 出陣
第2公女と第2王子は、あの日以来顔を合わせる事はなかった。ジェイク殿下が逃げ出した訳ではなく、王子としての仕事で学園に居なかった。初等学校の発表祭に連動する形で開催される王都における収穫祭は、国家事業と言える規模の経済が動く事になったため、3王子が様々な催しの名誉職を分担していて、各部署での挨拶や、パーティーに臨席していた。
一週間後には学園の前期末休暇期間に入り、3週間の時間を与えられたセーラは心の整理をすでに終えていた。周囲からは、3週間の時間をかけて失恋の傷を癒したように思われていたが、実際には翌日からセーラはいつも通りに戻っていた。拒否された当日に家族の思いに満たされた事で、傷が塞がったのだが、それを知る事の出来ない周囲は、この3週間セーラへの気遣いを重ねていた。
それを断ろうとすると、心配かけまいと健気に元気な振りをしていると思われてしまって、さらに気遣いの度合いを増してくるので、セーラは学園の休暇の期間中、失恋少女の振りをしながら生活をしていた。
姉弟や友人と各発表会や収穫祭へと出かけては楽しい時間を過ごした事は良かったが、後期の授業が始まった日の朝も、通学の馬車の中で、失恋の痛みは消えた事を力説した自分を3人が涙目で優しく頷いていたのは心に堪えて、振られた日の翌日からは普段通りの心持であった事を告白して、3人からの憐れみ視線から解放された。
同級生からの憐れみ視線が消えるのに時間がかかる覚悟はしていたが、せめて親友たちには理解してもらいたいと考えていた。
「そうだ。」
授業の始まる前に誰にも聞こえない小声でつぶやいたセーラは、自分自身が翌日には失恋から立ち直った事を自覚した事を話せば良いのだと思いついた。あの日まで毎晩行っていた鏡台前での、美人チェックを止めた事、髪を梳かし、髪形を整える時間が極端に減った事を伝えてれば理解してもらえると考えた。
美しくあるために、リボンの結び方や結ぶ位置に拘っていた事から卒業して、以前と同じのように、不潔感さえなければ、身嗜みについてはそれでよいとの考えに戻った事は、自分自身でも驚いた。そして、その事が自分の恋が終わった事を、自分自身に教えてくれた。
恋をすると女は美しくなる。
そんな物語のセリフがよく分かった。恋をしただけで素体が変わる事はないが、素体を美しく見せようとするから、美しく見えるという当然の事が、物語で素敵な言葉として用いられていた。それを体験した女性が多く、共感を得られるから、物語に書かれているのだろうと考えながら、後期授業の1時間目が始まった。
イシュア暦367年10月8日、月の日午前10時。
王立学園中等部第3学年上級クラスの1時限目の授業中、教室の扉が勢いよく開かれると、学園一の美女と呼ばれる最高学年の首席であるレイティアが入ってきた。
「ミレーネ先生、失礼します。公爵家の命です。セーラ、今すぐ屋敷に戻ります。道具は後で屋敷の者が取りに来るから。」
「はい、お姉様。」
同級生の誰にも振り返らずにセーラは飛び出した。公爵家が緊急で動かなければならない事態が発生したことを理解した同級生たちは、セーラを呼び止めることなく送り出した。
「お姉様、どこへ?」
「6年生の校舎横に騎馬が来ているから、それで屋敷に戻ります。モーズリー高原で戦争が始まります。お父様から何か指令が出ると思うわ。」
「アランとエリックは?」
「もう、指令が出て動いているわ。」
公子公女の4人は未成年ではあるが、イシュア国において確実に上位の実力者であり、対魔獣戦線以外でも有力な駒であった。公爵家そのものが最強のカードである以上、公子公女は真っ先に切るカードだった。戦時においての出し惜しみは愚策であった。その事をセーラも学んでいたし、自分が出陣する可能性がある事も知っていた。準備はできていた。実際に戦闘が始まっていないからかもしれないが、セーラに恐怖感は全くなかった。
大陸には3つの国があり、北部にフェレール国、東部にドミニオン国、南西部にイシュア国があった。イシュア国とフェレール国は、国境に山脈と山地が広がり、大軍を行き来させるのが難しいため、両国は100年以上戦火を交える事はなかった。ちなみに、フェレール国内では武力による権力闘争が発生する事があり、国内が安定している訳ではなかった。
今回、イシュア国に軍を進めたのは東部にあるドミニオン国であった。国境には山地が続くが、その中に行き来ができる高原地帯があり、そこが両国の戦場となった。魔獣の巣が乱立するイシュア国そのものを占領しても、旨味を見出す事はできなかったが、高原地帯の支配権が、周辺の山地の水源の支配権と同義であるため、水利権争奪のための戦争をドミニオン国が仕掛ける事があった。
その情報を掴んだ公爵家は、国内最速の戦時体制へと移行していた。
公爵邸に戻った姉妹は玄関で待っていた母と共に、1階の晩餐室へと向かった。そこは作戦会議のための板が立てかけられていて、大陸の地図と高原地帯の地図が広がっていた。その板の前に立っている公爵は、いつもの紺色の紳士礼服姿だったが、雰囲気だけでなく、威圧感そのものがいつもとは違っていた。
公爵邸で2年半過ごしてきたセーラは、美男子で強い父親が怖いと思った事は一度もなかった。朝の訓練時に短剣を交えた時でさえ、強さを感じることはあったが、それが恐怖につながる事はなかった。訓練以外の場では、ただ優しいだけの父親でしかなかった。その公爵が戦意を纏った時、戦地で戦い抜いた鬼人がそこにはいた。
「座ってくれ。状況を説明する。」
ドミニオン国の第4王子の軍隊が、モーズリー高原の支配権奪取を目的とした軍事行動を起こしたとの報告が入ってきた。一か月後に3000の兵がモーズリー高原に侵入してくるが、高原付近の貴族達が先遣隊として、モーズリー高原の砦に攻撃を仕掛けてくる可能性が高く、その場合は10日後には砦が攻撃を受ける見込みだった。
「知っての通り。モーズリー砦は、協定のため、50名の兵士しか駐留していない。200名程度の兵士の攻撃でも陥落する可能性がある。」
母と姉妹は椅子に座りながら説明を受ける。その背後にいるメイド達は、2人1組で3人の髪を三つ編みにしていた。
「3人には、このルートを辿り、4日で砦に到着してもらう。途中の街でギルドに指令を出す先遣隊が任務だ。砦到着後は砦防衛が任務となる。」
「旦那様の部隊は?」
「500で8日後、3人の4日後に砦に着く。」
「周辺の偵察行動は?」
「それは任せる。」
夫婦の会話ではなかった。その会話の間に3人の女性は三つ編みを編み上げて、櫛で後頭部の髪束を固定すると、赤黒いキャップを被せてもらった。
「アランとエリックは?」
「アランは私と共に本体を率いる。今は宰相の所で軍の編成をしている。エリックは公爵代理として、屋敷に残ってもらう。戦力として欲しいが、財務卿の任を受けているから、公爵代理が必要だ。」
テーブルに近づいてから、その上にある3つの指輪と金のチェーンを妻と娘たちに手渡した。指輪には公爵家の紋章と印が刻み込まれていた。公爵家の公式文章である事を証明する印であり、公爵と同様の権力を奮う事ができる指輪だった。
「戦場では、私と同じ権限を3人にも与える。必要な時に使うように。そして、生きる残る事を最優先に行動してくれ。それが命令であり、最重要使命だ。」
「はい。」
母娘が同時に返事をすると、公爵は晩餐室を出て行った。
メイド達が運んできた戦闘服を纏っていった。一度全裸になってから、白の上下の下着を着ると、赤黒い魔獣の皮で作られた肌に密着する鎧を装着した。薄く伸縮性があり、体に密着するそれは、全裸と変わらないシルエットを浮かび上がらせるが、れっきとした鎧であり、防御力は高かった。その鎧の上に、腰ベルトとベストを重ねて、膝上のスカートを装着した。魔獣皮で強化されたブーツを履くと、荷物袋の点検を3人は始めた。
短剣二本、弓一式と矢が20本、携帯食料5日分に、薬品瓶が30本、各種の属性を持った魔石が揃っているのを、小物袋を開けて確認した。着替え用の下着を2着分ずつ、装備品を装着するために使う金具を確認した。
最後にチェーンを首にかけて、指輪を通して、胸元に垂らした。3人共戦場は初めてになるが、この軍装は何度も着ていた。魔獣と対峙する時と同じ姿で、毎朝来ているのだから慣れていた。
遠征のための紺色のマントを装着した3人は、最後に荷物を背負うと晩餐室を出て行った。その瞬間から、戦争が始まった。
イシュア国の王都は国の北部にあり、今回の戦場であるモーズリー高原は最東端に近い地域で、商業馬車の移動では30日はかかった。その行程を4日で走破できるのは、公爵邸の3人の女性だけだった。
3人の男性より馬に好かれているからなのか、女性3人が騎上にいる時の方が明らかに馬達は早かった。特に6頭の中の3頭の牝馬は女性を乗せた時に最高速で走る事ができた。
1日目の深夜に最初の目的地に着いた3人は、当地のギルド本部を驚かせた。
「馬を休ませる場所と。これが公爵からの要請書です。明日の夜から、明後日の明け方にかけて到着の予定です。」
「分かりました。公爵夫人、2階の部屋を。」
「いえ、厩舎で馬と一緒に寝ます。休みを取ったら、すぐに出ます。食事にパンを3人分と簡単なスープを持ってきてください。30分後にお願いします。」
ギルド施設内の厩舎で食事を取っている牝馬達に、セーラとレイティアが薬品を与えていた。回復補助剤を飲ませると、馬たちの足に薬を塗った。変え馬を用意しても出すことのできない移動速度を維持する事ができたのは、公爵家が開発研究を進めた薬草と薬品を馬に与えているからだった。
馬達の食事と治療が終わると、厩舎で馬達が完全に脱力して眠り出した。ここで休息しなければならない事を馬達も理解していた。
「食事が来たら、食べてからすぐに寝るけど。その前に確認しておきます。戦場で戦うと、人を殺す事になるけど、それでも構わない?」
公爵家では武力を鍛え上げているが、それは魔獣を退治するためであって、人の命を絶つためではなかった。それが容易にできる武力を手にするまで成長しているが、心構えが全く異なるはずだった。
「私はそのつもりで来ました。向こうから来るのだから、容赦をするつもりはありません。味方の誰かを守るために戦います。」
姉レイティアに迷いはなかった。戦争をする味方は、暗闇の暴走で手助けしてくれる存在であり、自分自身の命の盾でもあった。彼らを守る事は、自分の命を守る事で、彼を殺しに来る敵は、自分自身を殺しに来ているのと同じだった。8年後の暗闇の暴走時に攻め込んで来ることがないように、ここで圧倒的な実力差を示すために、敵は皆殺しをするつもりだった。
「私は、もう人を殺したことがあります。前線でも戦います。」
ちょうど1年前の暗殺事件で、セーラは暗殺者の命を絶っていた。公式的には、その事実は隠されているが、セーラは人命を絶つ瞬間を経験していた。
「これから先、敵を撃つことに躊躇いがあったら、すぐに戦場を離脱させます。そして、死ぬことだけは許しません。私も死ぬつもりはありません。勝つこと以上に、死なない事が重要です。それは覚えておいて。食事が来たみたい。食べたら、4時間程眠ります。いいですね。」
「はい。
「はい。」
出陣初日、3人は予定の距離を走破して、厩舎内で馬達と一緒に睡眠をとった。公爵家の美人は紛れもない美人ではあったが、貴婦人とは思えない軍装で厩舎で眠っていた。




