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公爵家物語(オズボーン家)  作者: オサ
3年生
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3年生 その65 沈黙

65 沈黙


9月3週月の日、前期試験が終わった学園では、正規の授業はなく、午前中は教室内での自習だった。セーラは教室で何らかの勉強をして、親友との会話をした後、昼食の予定をキャンセルした。

 馬車で学園に来る時からの記憶がセーラにはなかった。何かをしたのは間違いなかったが、昼までしていた事をはっきりとは覚えていなかった。休憩室に立ち寄って誰もいない事を確認してから、生徒会本部の事務室へと向かった。

 ジェイク殿下が食堂で昼食を取ってからすぐに来るのか、話し合いをしてから来るのかは分からなかったが、そこに行けば今日中に会えるのは間違いなかった。だから、そこへと向かった。

 扉が開けた瞬間、広い事務室の大テーブルの一席に、金髪紫目の美男子が座っていた。灰色の学生服すら輝いて見える美貌の第2王子と視線が交わった。視線を外さないまま、テーブルを挟んだ正面まで来たセーラは赤い瞳で睨みつけた。本人にその自覚はなくても、つり目気味の燃えるような目が強い意思を含んでいる時、それを受け止める側は何かに貫かれるような威圧感を受けた。

「ジェイク殿下、お話したい事があります。お時間を頂けますか。」

「ああ。構わない。」

「昨夜、王妃様とご一緒に、ケネット侯爵家の晩餐会にご出席されたと聞きました。それは本当の事でしょうか。」

「晩餐会に参加した。」

 王子の一言一句を素敵だと思った。いつから好きと思うようになったのかも分かっていた。この場所が、一緒に居られる時間が好きだった。側で教科書を必死に覚える行為も、ジェイク・ウェルボーンと同じ空間にさえいれば、楽しい出来事に変わった。今も、何を話すのかを知りながらも、早く会えて嬉しくて、2人だけで言葉を交わす事が楽しかった。

「私は殿下をお慕いしております。」

 緑のライン以外は灰色の制服の中、肌色の顔と赤髪赤目が輝いていた。それは美しいものだった。第2王子という立場でなければ、このタイミングでなければ、その言葉に笑みと共に応える事ができたが、ジェイクはただ驚いていた。

 実母と自身を侮辱する言葉を否定、または撤回する要求をしてくると思っていた。第2王妃の言葉を勝手に撤回はできないが、自分が同意している訳ではない事を説明するつもりだった。慕われている事は嬉しかった。今までに出会った女性の中で、強くて美しいと思えたのは、母親以外では公爵家の3名の女性だけであった。その1人の思いは純粋に嬉しかった。

「殿下は、私の母、実母が娼婦で、裏切り者だと思われますか。私が野心、で、殿下に近づいたと思われますか。」

 第2公女の告白の前であれば、否定するのは簡単だった。王妃ではあるが、母であると断った上で、非礼を詫びる事で全てを元通りにする事ができた。その予定だった。昨夜の諸侯の中には、王妃の言葉に反感を隠さない者もいたし、情報収集のために参加していた者もいる事は分かっていた。そういった者が、昨夜の出来事を公爵家に伝える事は予測済みで、その事をセーラ嬢に謝罪するために、昼食を取らずに本部事務室で待っていた。

 しかし、予定通りの質問には答えられなかった。

 思いを告白された事で、王妃の言葉を否定する事が、謝罪ではなく告白に応じる意味を持つようになってしまった。王妃の言葉を否定するのは、セーラのためであるのは同じだが、告白したセーラのために否定するという事は、その思いも同時に受け止めるという返事になった。

 王妃の指摘したセーラの野心は間違っていると、ジェイクも分かっていた。それは確信できたが、王妃が危惧した周辺の反応も正しいと思っていた。もし、セーラ嬢が自身を慕ってくれるのであれば、時間をかけて絆を深め、公爵家を巻き込まないようにして後継者争いを終わらせてから、自分の思いを伝えようと考えていた。今、この瞬間、セーラの思いを受け入れる事は、公爵家を王位継承戦に巻き込む事になり、それはイシュア国にとっての禁忌であった。

 セーラは強気に見える凛々しい女性であったが、女性特有の優しさに基づいた繊細さを持っている点をジェイクは好きだった。赤い髪も赤い目も温かさを感じされるもので、近くにいるだけで心が和らいでいた。学習に苦労して机に向かっている姿を隣で見る事ができるのは幸せだと感じていた。

馬上で会った時、義理の妹を気付かう姿を見た時、初めて将来の伴侶と言う言葉が頭を過った。好意は持っていたが、彼女が欲しいと強く思ったのは、その時だった。普段なら何でもない会話ができなくなり、後で振り返すと、どうしてあんな会話をしたのかと後悔するほどに、あの時のジェイクの心は乱れていた。

「・・・・・・・・・。」

「殿下、私は、王妃様が仰っている事を否定するつもりはありません。周囲からそう見られるのは仕方がないと思っています。ですが、私と一緒にいてくれる人に、そう思われているのだけは、許す事ができないし、受け入れる事もできません。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

 答えは無かった。長くはない沈黙が、セーラにとっては返事に思えた。

 答えないという拒絶をセーラは伝えられたと考えた。

「これからも、生徒会の役員として尽力しますので、よろしくお願いします。今日は、体調が悪いので帰ります。明日からはきちんと仕事をします。」

 セーラはそう言って部屋を出て行った。泣きもしなかったし、表情を変える事もなかった。赤髪の優しい暖かさを失わないまま、生徒会事務室から出て行った。


 賭けに負けるのは分かっていた。娼婦は別として、裏切り者と野心家という言葉は、ミーナとセーラがその心を見せる事ができて初めて否定できる事であって、2人を信じてくれる人でなければ、否定する意味が無かった。まして、王族という立場にいる人間が、感情だけを優先する事はないのだから、思いだけが通じるはずがなかった。

 王子から告白されたわけでもなく、好意を寄せてもらえると思える言動は、綺麗の一言だけであって、自分を好きだという確証は全く無かった。無かったが、自分の好意を受け入れてくれると、心の中では思っていた。庶民から公女になった物語の主人公であるならば、主人公らしく書物の中の一文で恋が熟成され、大きな実を成す事ができると・・・。確信は持てなくても、可能性はあると信じていた。

 何もかもがうまくいくと思った。初めての恋だから、自分の気持ちがコントロールできないぐらいの大きな何かだと思えたから、その何かが自分の願望を叶えてくれると妄信していた。

 学舎の廊下を出て、馬車の停留所に着くまでの間に、ジェイク殿下が自分を呼び止めてくれると期待して耳を澄ましていた。大きく聞こえるのは自分の足音だけ、遠く離れた場所から聞こえる足音で大きくなるものはなかった。

 物語で読んだことのあるコントロールできない感情は自分の中の思いをかき乱しただけであって、外部に何かをしてくれる訳ではなかった。そもそも、自分の思いを伝えた事がこれまで一度も無かったのだから、不思議な力が現れる事も一度も無かった。それなのに、それがあるかもしれないと自分に言い聞かせて、セーラは思いを告げた。

 そして、停留所でセーラは気付いた。

「おねえさま。」

 ベンチに座っている金髪の美女が自分の方を向いた瞬間、セーラは自分がした事の意味を思い出した。好きという感情で消し去っていた現実を、自分の思いだけで消す事ができなくなっていた。赤い髪を翻して、第1公女に背を向けて逃げ出そうとした。

 本当の裏切り者になった。第2王子と恋人、婚約者になる事は、ケネット侯爵派の人間になることで、公爵夫人の実家を乗っ取ろうとした側の人間になる事だった。先代ケネット侯爵が成した事だと言っても、一連の公爵家の勢力を削り取る行為によって、今のケネット侯爵家の繁栄があり、先代の成した事だからと言って消し去る事は出来なかった。公爵家の人間は、恨みを持って報復をする事をしないと言うだけであって、恨みが消えた訳ではなかった。

 侯爵派の策謀で1年前に殺されそうになったのは自分自身であり、その結果として公爵家の汚点となった自分が、公爵家の敵として対立しなければならなかった相手の旗頭に恋をした。恋をしたのは仕方が無かったのだとしても、公爵家のために自分の感情を封印するべきだった。

 それをせずに、自分のやりたい事をやった。公爵家が第2王子の派閥に入ることかどうかの選択肢を突きつけられた中で、自分が選んだのは公爵家の思いを踏みにじる事だった。公爵家の歴史を学んでいた時に、ケネット侯爵家のレヤード家乗っ取り工作に対抗するために、一度レヤード家を廃絶した事も知っていた。その時に公爵と公爵夫人がベッドから離れる事も出来ずに、死にかけていた事も学んでいた。末っ子が公爵家を出る時、母から継承したレヤード家を復活させるつもりだと知っていた。名前だけでなく、実態としての貴族家を復帰させる事はとても難しかったが、それが弟達を中心とした公爵家の願いだった。

 その思いを持っている公爵家、公爵家に関係を持っている人間の気持ちを踏みにじって、裏切り者になった。結果として恋が破れ、反対側の人間にならなかっただけで、裏切り行為をしようとしたのは事実だった。その事実にセーラは逃げることしかできなかった。

 自分に愛情を注いでくれた公爵家から罵しられると思うと、自分の何もかもが消えてなくなってしまいそうで怖かった。何に救いを求めていいのかが分からず、セーラは逃げ出そうとした。

「どこにも行かないで。」

 自分の動きが遅すぎたからか、姉の動きが速すぎたのかは分からなかったが、振り向いた背後から両手を回されて抱きとめられた。自分の背中に顔を押し付けた姉が、力強く抱きとめて叫んだ。

 報告はしなければならないと思った。逃げられないのだから、姉に自分の行為を伝えなければならなかった。

「気持ちを伝えました。受け入れてはもらえませんでした。」

 はっきりとした声だった。泣き声でもなかったし、掠れている事もなかった。ただ、妹は自分から逃げ出した。走り去ろうとした。その事を姉はどう受け止めればいいのかが分からなかった。

「私にはセーラの今の気持ちは分からない。受け入れてもらえなかった時、どう慰めていいのかも分からない・・・。居なくならないで、お願い。お願いだから・・・。」

 自分の背中で姉が泣いていた。決して放さない力で抱きしめた金髪の美女は震えていた。失恋をした事もなければ、他者から失敗だと評価されるような事もした事が無かった。努力の成果で手に入れた力を奮っただけで天才と評されてきた公女は、目の前のセーラの気持ちは何1つ理解できなかったが、自分の前から消えようとする恐怖だけは理解できた。ここで止めなければ、本当に消えてしまうと感じていた。

「お願い、居なくならないで、お願い。」

 姉や公爵家に対して、いけない事をしたと赤髪の女性が考えているだろう事は推測できたが、いけない事が何であるのかは分からなかった。だから、説得する事も、納得させる事もできなかった。ただ、泣き縋って懇願するだけがセーラを引きとめる方法であると直感で分かっていた。

「お願い、居なく、なら、ないで。」

 か細くなり、途切れ途切れになりながら、レイティアは2つの言葉を何度も続けた。セーラが立ち去るのを諦めるまで、それを続けた。


「レイティアお姉様。」

 姉の名前を呼んだ時、セーラは逃走を諦めた。泣き続ける姉に向き直り、体を支えながら、停留所のベンチまで歩いた。姉がポケットから出したハンカチが、自分が刺繍を刺したものであると気付いた。姉が自分の事を思っている事は嬉しいが、その姉をも裏切ったと考えると胸が痛かった。

「セーラが居なくなったら、公爵家はダメになってしまうの。」

 左隣りにいる姉は、ハンカチで涙を拭いながら、妹の左手をずっと握っていた。

「セーラが来る前、会いに行くよりも前から、お母様は笑う事をしなくなったの。作り笑顔は何度も見たけど、昔のように心から笑う事がなくなったの。多分、ミーナ母さんの事を、セーラが生まれたかもしれないと知った時から、そうなったの。」

 ミーナの行方を知るまでは子供達に事情を隠していた。隠していたが、笑顔が無くなったことで、何かが起こった事だけは3人の子供も分かっていた。いつも一緒に暮らしている母親の笑顔が本物かどうかぐらいは分かった。

「笑顔が戻ったのは、セーラが公爵邸に来てくれた日からよ。泣いてばかりいたけど、本当の笑顔があったの。セーラは、公爵家のために何かをしなければならないと考えていると思うけど。私達はもう、セーラにしかできない事を、してもらったの。お母様を救い、多分、お父様も救ってくれた。私達だって、同じ思い。だから、居なくなったら、私達は壊れてしまうの。」

 ミーナが過去の公爵家を救った事が、今もずっと続いていると考えていたのはセーラだけであった。ミーナの死が判明した後、セーラが公爵邸を訪れた事で、公爵家に救いを与えていたのはセーラ自身だった。ミーナの代わりと言う部分は確かにあったが、娘、妹、姉という立ち位置を得たセーラは、ミーナとは別の存在として、公爵家の家族を救っていた。

「だから、居なくならないで。」

 公爵家の人間は、セーラに甘かったが、全ての我儘を許していた訳ではなかった。新しい娘が与えてくれた救い以上の価値を持った要求であれば、それを拒絶するのは間違いなかった。ただ、これまでに、救いの価値を越えた要求が無かった。ジェイク殿下に恋心をぶつける事も、それが受け入れられて、公爵家がケネット派閥として取り込まれる事も、公爵家が得ていた救いを越えてはいなかった。

「私は、公爵家がケネット侯爵派閥に入る事になっても、私の気持ちを優先しました。」

「うん。」

「お姉様の言うように、公爵家のために、何かができる公女になりたいと考えていたのに。」

「セーラ、それだけは私にもわかるわ。それが好きになるって事だと思う。ロイドの事になったら、公爵家の事は私の頭の中から消えてしまう・・・。セーラへの思いも、ロイドへの思いの私にとっては大切。」

 何でもできるけど、大切な事では嘘をつく事ができない姉は、セーラに公爵家で生きていく力を与えてくれていた。姉が自分を救いだと言ってくれるのであれば、姉もまた自分の救いだった。

「お姉様、もう泣かないでください。」

 左を向いて笑顔を見せた瞬間、レイティアはセーラに抱き付きながら泣いた。消え去る事が無いと分かった姉は嬉しくて泣いた。その姉の金髪を妹は右手で撫でた。姉妹のような2人と言われていた令嬢と侍女、その2人と全く同じ容姿を持っている本当の姉妹が、かつての母達がしたように、凛々しい赤の女性が柔らかい金の女性を優しく撫でていた。


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