3年生 その64 後悔の形
64 後悔の形
早朝、公爵邸は馴染みの訪問を受けた。対応に出たセバスチャンは緊張したロイドの要望を聞くと、今すぐ対応しなければならない緊急事態ではないが、悪い事態が発生したことを悟った。
灰色の学園制服を纏ったセーラは、1階へと降りる途中で、朝食を晩餐室で取る事になったのを伝えられると、緊張しながら部屋へと入った。将来の家族である宰相の孫が席に着いているのを見ると、悪い予感が確証へと変わった。
「急ぎではありませんが、楽しくない話です。朝食を先に取ってから話をさせてください。」
17歳の成長しきった男性は美男子ではないが、安心感を与える雰囲気を持っていた。それは公爵家にとって欠かさざるものではあるが、真剣さを感じさせる雰囲気が加わる時、不吉な使者へと変わる事が多かった。
戦士たちの食事は速く、必要な栄養を次々と体内に取り込んでいった。ロイドは最後に食事を取り終えると、質問をした。
「セーラに最初に聞いておくことがある。ジェイク殿下の事をどう・・・。いや、はっきりと恋愛感情として好きなのか、そこまでではないのかを聞いておきたい。」
給仕として居残っているセバスチャンを含めた全員が驚いた。朝食前に、わざわざ話をしなければならない事が、セーラの恋愛に関する事であるとは思ってもみなかった。だが、真剣な表情を崩す事がない男性の問いにセーラは即座に答えた。
「殿下の事を、お慕いしています。告白はしていません。殿下が私の事をどう思われているのは分かりません。」
「そうか。分かった。公爵、夫人、皆にも聞いてもらいたい。昨夜、ケネット侯爵邸で、第2王妃様と第2王子様のご臨席の中、晩餐会がありました。そこにいた間諜と、ケネット派に在籍する貴族から、そこでの詳しい話を聞きました。そこで、マルティナ様の言葉です。一字一句同じとは言えませんが、2人の話がほとんど同じでした。」
20分間、ロイドの話を黙って聞くしかなかった公爵家の面々は固まった表情のままだった。お互いの顔、特にセーラの顔を見る事を心が拒否しているように、見えているはずなのに、どんな表情か分かっているのに、頭の中でセーラの気持ちは分からないとだけ思っていた。
家族の中ではすでに問題ではない事も、内部の事を知らない人間からは問題であり、消えたものではなかった。しかも、他家との結びつきである結婚に関係する事であれば、家族の中だけの問題として処理していいものではなかった。セーラの実母ミーナの評価は、外と内では全く違った。
「ミーナが私を裏切った事なんて一度も無い。セーラだって、私が無理に、無理に連れて来たのであって。野心なんて・・・。ううう、違う、違う。」
どうなるかの予測をしていたロイドは、最短コースを走る選択をした。それができるのも、それをする意思を持つ者も自分しかいないと分かった。
「セーラ、どうする?みんな、セーラの思うように行動していいと思っている。どうしたい?」
「殿下に気持ちを伝えたいです。でも、ミーナ母さんを侮辱する人とは家族にはなれません。誰であっても。」
「公爵、公爵夫人、それで構わないでしょうか。」
ロイドの問いに頷いた2人は子供達を学園に送り出した。
晩餐室の片づけが終わったセバスチャンが退出すると、美の女神は灰青色の瞳から止め止めもなく涙を落とした。
ミーナ・ハミルトン男爵令嬢は6歳の時に庶民ミーナとなり、8歳の時からエリス・レヤードの侍女として仕えた。6歳の美しい少女に仕えたミーナは、その赤髪と赤い瞳と同じ燃えるような激情を持った少女であった。
6歳の少女が戦士としての過剰な訓練を繰り返しながら、純粋な気持ちを失わずにいる姿に魅了された2歳年上の少女は、姉にも母にも恋人の何にでも変身しながら、エリスと言う少女の人生を彩った。
魔獣を狩るだけの兵器になりつつあった天才少女に人間らしさを残したのはミーナであり、それはミーナの生き甲斐であり、彼女自身の幸福になっていた。
12歳になり公爵邸に入ったエリスに専属侍女として付き従った14歳のミーナは、すでに完璧とも言える侍女としての技能を発揮しながら、殺伐とした公爵邸も変えていった。エリスが過酷な道を歩く事を止めない事は分かっていたから、その道を少しでも楽しく、幸福を感じさせるようにするのがミーナの仕事であり、進みたい道であった。
その道を歩む中で、エリスではなく、ミーナに魅了された男性は多かった。どちらが美しいかと言う問いには、エリスと言う回答を示す者も、どちらが好きかという問いにはミーナと答えた。
いくら美の女神であっても、人妻になる女性を愛する意味がないというだけでなく、エリスの側で仕えているミーナもまた眩しく輝いていた。人が幸福に生きるという見本のような女性に男性たちは魅了されていた。
ミーナが18歳の成人になると、国内最強の女公爵を恐れずに、侍女である求婚の許可を得ようとして撃沈した男性の中には次期伯爵の若者もいた。ミーナ自身が全ての結婚を断ったのは、エリスの結婚が済むまではと言う理由だった。そして、結婚してからは、2年後の闇の暴走が終わるまではという理由に変わっていった。
エリスはミーナが自分のために結婚を全く考えようとしない事を喜んでいた。いつまでも一緒にいてくれる侍女を手放したくなかった。結婚した後も働いてもらえるのだから、ミーナ自身の幸せを考えれば、結婚を勧めるべきだった。少なくとも、主である自分が勧めない限り、ミーナが結婚について考える事はなかった。そういう関係を作っていたのに、エリスは専属侍女の結婚については、無関心を装っていた。
「あの宝石をつけて、ミーナの結婚式に出たいのだけど。」
「二年後の戦いが終わったら、いい人を探しますから。」
エリスの入籍後、再び爆発した求婚の話を断ったのはミーナ自身ではあるが、このたった1回の会話でしか、エリスが結婚を勧める事はしなかった。もちろん、それは振りであって、彼女の結婚を望んでいなかった。
何度も何度も機会があった。
エリスが少しでもミーナの個人の幸せを考えて、ミーナの背を押していれば、結婚して幸せな家庭を築く事ができたはずだった。
そして、専属侍女の個人の幸せが大切だからとエリスが強く考えたのは、ミーナが妊娠して屋敷を出て行った時だった。しかも、ミーナを探すのをやめる理由として、姉と慕った彼女を切り捨てた時の理由が、彼女の幸せのためという、自分勝手で、愛情も何も感じられないものだった。
ミーナを探し続ければ、出産前に見つける事はできた。公爵家が全力で動き出せば、この国でできない事はないのだから、1人の人間を探す事は間違いなくできた。
戦いで死にかけてから、少しずつ回復している中、夫と侍女が関係を持ったという事実を突きつけられた時、自分が壊れる可能性は高かった。だが、死ぬ訳ではなかったし、時間と共に回復する可能性はあった。だから、最愛の姉、唯一残ったレヤード家の家族を見つかるまで探すべきだった。
ミーナが立ち去った本当の理由を推測できた時、エリスはその後悔に押しつぶされていた。
そもそも死にかけている時、自分が子供を産めない体になるかもしれないという恐怖に身を震わせた時は何度もあった。そして、生殖能力が回復しなかった場合、子供を産んでくれるための第2夫人を迎え入れる覚悟はしていた。公爵家の次の世代がレイティアだけでは、確実に公爵家が滅んでしまう事を、魔獣と戦ったエリスは誰よりも理解していた。
娘のためにも誰かと夫が子供を作る事を、公爵夫人として認めるだけでなく、勧める事を何度も病床の中で受け入れていた。嗚咽する事すらできない体で、その覚悟をしたことが何度もあった。
そして、その苦しみの中で救ってくれたのもミーナだった。
ミーナが夫の子供を産んでくれるのであれば、憎しみや狂気に捕らわれたとしても、公爵家を破壊する事はないだろうと思う事ができた。妻として、母として、女性としての幸せを失ったとしても、公爵夫人としての責務だけは全うする事ができるだろうと考えた。
自分自身が壊れてしまった後、新たな公爵夫人として自分の代わりに幸せを享受するのを許す事ができたのは、ミーナだけだった。死にかけた自分の命を繋ぎ、自分の代わりにレイティアを母のように慈しんでくれている彼女だけが、公爵の隣に立つことを許せる存在だった。
探して、連れ戻して、一緒に生活していれば・・・。
過去の後悔は大きくなることはあっても、小さくなる事はなかった。第2公女セーラとの2年半の生活を経た今、エリスはミーナが産んだ子をこれ以上なく愛する事ができる現実を知っていた。夫が別の女性と関係を持った事も、10年間秘密を知らなかった事も、セーラの前では心の傷にすらならない程の小さいものであった。夫が浮気でなした子供であっても、それが無かったらセーラを得る事ができなかったと考えると、良い事だと思える程に、セーラを愛する事ができる喜びは大きかった。
エリスの中では、セーラは最愛の女性であるミーナの生まれ変わりにも思えた。ミーナの子供であり、ミーナ本人でもあり、自分とミーナを本当の家族にしてくれる存在、そして、エリスの娘だった。




