3年生 その61 試験前
61 試験前
イシュア暦367年8月が半ばを超えると、生徒会本部の仕事が一気に増加した。前期の部活動の仮決算と、後期に向けての予算の再組み立てに加えて、部活によっては9月末の各学校の発表祭に参加するための予算申請を始めた。
「明日からは、リリア嬢だけでなく、他の学園の生徒会メンバーにも事務処理を手伝ってもらおう。」
「はい。」
ほぼ2人きりの生徒会事務室が本来の賑やかさを取り戻す前に、公女セーラはジェイク殿下に渡さなければならないものがあった。
「殿下。」
「ん、何だい。」
革鞄の中から白い紙包みを取り出した赤髪の女生徒は、テーブルの上にそれを乗せると、美男子と視線を一度合わせてから、贈り物へと視線を落とした。
「これを、受け取ってください。」
「中身は何だい?」
「刺繍を刺したハンカチです。」
「以前に、勉強を手伝ったお礼にもらった事があるけど。これは?」
「来月の前期試験に向けて、ここで勉強する事になると思います。その時に、殿下に教えていただく事があるかと思いまして。先にお礼を差し上げようと考えました。」
昨日の夜に考えた理由が余りにも愚かしいとは思ってもセーラはそういう他なかった。第2王子だけではないが、3人のお王子は贈り物を上げたり、もらったりする事をできるだけ避けていた。その物品のやり取りが権力争いの引き金になる可能性があるからだった。
以前にセーラが勉強を見てくれたお礼として渡したハンカチも一度は受け取る事を拒否していたが、当人同士の交流の一環としてだけでなく、公爵家とケネット侯爵家の対立回避の意味があると判断してジェイクは受け取っていた。自身も母も、叔父であるケネット侯爵が関与していない事件であっても、ケネット派の誰かが行動をしたのは間違いなく、犯人を見つけ出す事ができなくても、公爵家からケネット派が敵対行為を取ったと受け取られて当然の事態が発生していた。しかも、その収拾を公的にはセーラの大失態という事にした以上、公爵家から恨まれる事があっても仕方がないとジェイクは考えていた。
だから、セーラの功績となる生徒会に関する事業には全面的に協力をしたし、その活動の中で手助けできたことは、王家の一員としても、ケネット侯爵家の血を引いている人間としても、当然の償いだと考えていた。
その行為に対して、ハンカチの贈り物をくれると言った時、赤目の美しく凛々しい1歳上の女性が何を考えているのかが分からなかった。庶民として生きてきたから何も知らない無垢な少女であり、自分を助けてくれた王子に単純な好意を向けてくれたのかもしれないと一時は考えていた。しかし、公爵邸に来たばかりの頃には、セーラを見定めようとした貴族達の一部は嫌がらせをしたし、すでに生命を賭けた権力闘争にも巻き込まれているのだから、何の意図もないと考える事は間違っていると考えていた。
生徒会の中で、警戒しながら様子を見てきたジェイクは、赤髪赤目の美しい第2公女が純粋な気持ちで礼をしたいと考えている事に気付いた。そして、この女性に好意を向けている自分自身にも気付いた。
周囲の期待に応えるために必死に何かをしている姿が自分と重なった。だが、自分と彼女の得ている結果は同じではなかった。いつも成功する自分とは違って、公女は困難の中で押し潰されそうになっていた。少なくとも、学園で評価対象となる学業に関する結果で言えば、必死に頑張ってどうにか見れる成績を取っていて、最上位貴族の令嬢としては褒められるものではなかった。
才能と実力を持った人間の傲慢さであるかもしれないが、足りない何かを求めて必死に生きている人間は、彼にとって好意を向ける対象であると同時に、羨ましい存在でもあった。何でもできる事を知っている自分とは違った、充足感のようなものを感じている事を羨ましいと思っていた。そして、そういう人々が見せる達成感に満たさせた表情は素敵だった。
「本来ならば、勉強を教える事があって、そのお礼にもらうのが筋なのだろうけど。すでに用意してくれたものだから。受け取りたいのだが。いいかな。」
「はい。」
「開いてもいいかい?」
「はい。」
白い包みから取り出した水色のハンカチに、馬と弓を模した縁取りの刺繍があった。贈り物として豪奢ではなかったが、自分自身の好みを組み込んだ贈り物に、ジェイクの手は少し震えていた。
「セーラ嬢、ありがとう。」
「はい。」
顔を上げてから、まっすぐに見つめた紫の瞳が自分を優しく包み込んでいるようだとセーラは思った。自分の思い違いかもしれないという気持ちは公女の中には無かった。前回の贈り物の時の少し困ったような、戸惑いの表情が全く見えなかった。純粋に喜んでいると確信したセーラは、涙を堪えながら笑顔を向けた。
嬉しくても泣きそうになる事を始めて体験しながら、ここで泣いたら贈り物が台無しになるかもしれないと考えて、ぐっと堪えながら、しばらく見つめていた。先に美男子が視線を外すまで見つめていた公女は、自分が好意を向けている事に気付かれたと悟ると、急に目の前の書類に視線を向けると、全身が熱くなるのを感じていた。
今になって、正当な理由がない贈り物が、好意を示している事に第2公女は気付いた。
6人組で一緒に昼食を取るのは久しぶりだった。教室でいつも一緒であったが、午後の活動で一緒になる事がほとんどなかった6人組は、懐かしさを感じるような光景に笑いあった。
「セーラのお弁当を食べるのは久しぶりね。」
「私はキャロットと違って、生徒会で一緒になる事があるから、食べる事はあるけど。」
2人の親友とは食べる機会は何度かあったが、コンラッド殿下、ペンタス、カーニーの3人とは三カ月以上記憶を遡っても一緒に昼食を取った記憶はなかった。
「料理の旨さは衰えていないな。」
ペンタスの身長は相変わらずで、言葉遣いと態度も相変わらずだった。紳士とも言える第2王子の言葉遣いや所作に慣れてきたセーラは、彼を注意したくなるカーニーの気持ちがよく分かったが、それが持ち味だと考えて、注意をする事は無かった。
「料理は衰える事は無いわ。」
「そうなのか。剣とかは1日稽古を怠ると衰えると聞いた事があるが。」
話を振られたカーニーは口に入れる直前のパンを小皿に戻してから会話に加わった。紳士的な態度にも磨きがかかっているが、美少女の美しさが男性の美しさに変化する事は無かった。
「1日で衰える事は無いが、成長が止まると思うと、稽古を怠りたくはないな。」
「カーニーは強くなっているのですか。殿下。」
セーラから見て、第1王子コンラッドが強くなっているのが分かった。体が一回り大きくなり、戦士としての威圧感を発するようになっていた。貴公子として洗練されているようには見えなかったが、武人としては洗練されていた。
「カーニーも強くなっている。女性騎士に好かれているというか。」
「殿下、その話は。」
「ん、聞きたいけど。カーニーが女性に間違われているという落ちだったら、当たり前すぎて・・・。そうなの?」
「指導に来てくれた女性騎士に、同性の騎士候補として手解きを受けただけだ。今は、その誤解は解けている。」
「その表情だと、他にもあるな。コンラッド殿下、友としては知りたく思いますが。」
「ペンタス、揶揄うつもりだろ。」
「ふーん、揶揄えるネタがあるのか。」
「カーリー、皆にはいずれ知られる事になるのだから。話しておいた方がいいと思うぞ。」
「分かりました。自分で話します。」
「それで?」
「女性と間違えられて、しかもいつもコンラッド殿下と一緒に訓練をしていたから、女性の近衛騎士の方々が、私の事を、殿下の恋人と勘違いして、その色々と世話をやかれたんだ。」
カーニーは笑ったが、女性組の3人は笑わなかった。
「3人とも、私とカーニーは、そんな関係ではないぞ。」
美少女剣士が成長と共に中性的な顔つきになっているのであれば、その美貌に心を折られた事がある3人も笑う事ができたが、少し女性の色気を発するような顔つきになっているために、すぐに笑う事ができなかった。
カーニーの美女ぶりを確認する事になった久しぶりの昼食会の開催を呼びかけたのは、ペンタスであった。農業研究部の活動に専念したい彼も、今の状況を作ってくれたのが、公女セーラである事は良く分かっていた。命を救ってくれた上に、自分の夢に向かって大きな機会を作ってくれた友人には生涯かかっても返せないぐらいの借りがあると考えていた。
「セーラ、来月には試験があるけど。勉強の方が大丈夫なのか。今日のお弁当の礼代わりに、いつでも声をかけてくれれば、勉強を教えるが。」
「ペンタス、ありがとう。でも、生徒会の事務室からはしばらく出られないから。」
「そうか。そっちの方でも世話になっているな。もし、良ければだが、事務仕事を手伝いながら、勉強を教える事もできる。本部に入っていいのかは分からないが。」
「ダメよ。ペンタス。」
生徒会役員の1人であるリリアが会話に割り込むようにして否定してきた。
「ああ、予算の書類を扱っている所に、各部の責任ある人間は入らない方がいいな。でも、どこで勉強を教えればいいのか。」
「大丈夫よ。大丈夫。ペンタスが居なくても。」
「リリアも教えられるとは思うけど。自分の勉強があるだろ。」
「ええ。その。」
困っているリリアに視線を合わせたセーラが答えた。
「ジェイク殿下に教えてもらえるから。ペンタスの気持ちは嬉しいけど。会計書類のある事務室にはあまり人を入れたくはない。」
「ジェイク殿下は、学年1位だけど、1学年下だよな。」
「ペンタス、ジェイクなら心配ない。自慢の弟だ。私よりもできるし、今のまま1学年上のテストを受けても、ペンタスと同じくらいの点数は取れると思う。」
「へえ、そんなに凄いのか。じゃあ、セーラ、何度か教えてもらった事があると思うけど。教え方はどうだった?勉強できても、教えるのがうまい保証はないから。」
「ジェイク殿下は、教え方は上手です。」
「そうか。なら、安心だな。来年は違うクラスなんて嫌だからな。まあ、昼食前なら少し位時間取れるだろうから。授業内で分からない所があれば聞いてくれ。」
「ありがとう。ペンタス。」
セーラにとって6人組は特別だった。その特別を久しぶりに体感した時、第2王子ジェイクが異なった特別な存在である事にセーラははっきりと気付いた。友情とは全く違う特別な感情を殿下に向けていると知った時、セーラはそれが恋である事を迷ったりはしなかった。




