3年生 その58 贈り物
58 贈り物
就寝前の寝間着姿で鏡の自分を見つめるのが日課となったセーラは、母ミーナを失ってからしばらくの間の習慣であった独り言で自分自身に話しかけていた。
「お兄様が戻ってきて、お姉様が嬉しそうにしているのは何かいいよね。」
王家に王女がいないイシュア国において、レイティアが物語に登場する姫に該当する女性と考える庶民はたくさんいた。姫と宰相の孫の政略結婚という破滅を予感するような物語の設定の中で、溺愛されたい姫を一心に思い続ける宰相の孫の姿は、幸福な結末を物語に望む人々にとって眩しいものだった。
「2人の仲を邪魔するように仕事を与えるお父様と宰相が悪役・・・とは違って、恋敵が悪役になるんだろうけど・・・。」
悪役がいないと物語が一行で終わってしまうが、この物語で2人の中に割って入るような人は見当たらなかった。姉の成人は1年後だが、兄の成人は2年後になるため、2人の結婚式は2年後だった。
「綺麗だろうな・・・。」
その言葉で我に返ったようにセーラは鏡の中の自分自身をじっと見つめた。自分も姫の1人で、庶民生まれで、美しい姉に嫉妬して悪意をぶつける悪役か、生まれを蔑む姉に虐められる主役のどちらかになりそうだと考えたが、どちらの役も公爵家においては非現実的だった。姉は圧倒的に強くて妹の悪意を物ともしないし、圧倒的な美を持っている姉はこよなく妹を愛していた。
「もう、寝ないと・・・。」
そう言ってから、セーラは第2王子ジェイクの姿を思い浮かべた。あの言葉から一カ月、学園の生徒会事務室で顔を合わせていたが、2人の間には何の変化もなかった。セーラ自身は自信を持って、もっともっと自分を磨こうと努力はしていたが、その事で新たな言葉をかけてもらう事はなかった。
「時々、分からない所を教えてもらうだけ・・・。あ。」
教えてもらったお礼をしていなかった事を思い出した。実際には前回の期末テストの前に教えてもらったお礼として、手作りの昼食を御馳走しようとしたが断られていた。セーラにしてみれば、ペンタスに学習を手伝ってもらったお礼に昼食を作ってくる事に特別な意味はなかった。だから、同じように提案したのだが、第2王子と手作りのお弁当を共に食べる事は、好意を向けて、好意を受け入れてもらう事になるらしかった。食堂で働いていた公女には、食べる事に特別な意味を持たせる考え方は理解できなかったが、2人だけの場を作る事に意味が発生してしまうのだと説明されると納得ができた。
「贈り物をすれば良かったのかな。」
ハンカチに刺繍を施しての贈り物がセーラの定番になっていたが、最高級の品物に囲まれていた第2王子に物を贈ると言う発想が無かった。物ではなく、刺繍をさす手間を贈ると考えれば良かったのだと考えると、セーラの中でハンカチを贈る事が規定事項になった。
王家の家紋を勝手に刺す訳にはいかないし、他家の家紋を施したものを贈る訳にはいかないぐらいの事は貴族歴が短いセーラでも分かった。花柄は女性には好まれるが、男性が喜ぶのは自分の好きな花の時だけだった。騎馬、武具、猛禽類、猛獣など男性の喜びそうな図案は思い浮かぶが、何が一番良いのかと考えた所で、セーラは情報不足である現実に固まった。
第2王子ジェイクの個人的な事を何1つ知らなかった。知らないどころか、あれだけ同じ部屋に居たのに、彼の個人に関する質問をした事が無かった。仕事と勉強の話しかした事が無かった。
生徒会本部の事務室は、12人が座って会議ができる大テーブルに2人だけが隣り合って静かに勉強をしていた。金髪紫目の美青年王子が側にいるのにほとんど視線を向けようとしない赤髪赤目の公女は、同じ部屋に2人きりなのに話をするきっかけを探さなければならない現状に愕然としていた。
「殿下、お聞きしたい事があります。」
「うん、分からない所ででも。」
「いえ、その。」
右隣の美男子に視線を向けて話しかけたのが初めてではなかったが、こんなに眩しい感じのする王子である事には初めて気付いた。
「なんだい。」
「好きな料理は何でしょうか?」
「香草焼きの豚肉とライ麦パンのメニューが美味しいと思ったが。食堂のメニューがどうかした?」
「メニューの話ではなくて、殿下の個人的な好みを知りたいと思いまして。」
「・・・。好き嫌いはなく、何でも食べる・・・。」
王の後継者として厳しく育てられた第2王子は我儘を許されていなかった。それには食事に対する好みも入っていた。ケネット公爵とその妹である第2王妃は確実な後ろ盾を作っただけで王位を手に入れる事ができるとは考えていなかった。そもそもジェイクを甥として愛していても、王の器に相応しくなければ、国そのものが損失を受ける事は、筆頭侯爵として自覚していた。だからこそ、王に相応しく育てる事が、愛情であると信じていた。妹もそれを強く望んでいた。ケネット侯爵家は、王位だけが欲しかったのではなく、侯爵家の血筋から完璧な王が誕生する事を望んでいた。
「急に、どうしたんだい。こんな事を聞いてくるなんて。」
「あの、最近、友人から殿下の事を聞かれる事があったんです。でも、私は何も知らなくて、聞いてみたいと思いまして。」
「あまり好き嫌いはないんだが・・・。確かに、いつも一緒にいるのに、お互いの事を何も知らない、話をした事が無いというのは、困る事になるかもしれない。」
オズボーン公爵家が中立派として、後継者争いをしているケネット侯爵派と宰相派と距離を置いてはいるが、第1公女と宰相の孫の婚約が決まっている以上、宰相派寄りの存在であることは間違いなかった。その上、第2王子と第2公女が、同じ部屋に入って何も話をしない程に仲が悪いとの話が広がれば、ケネット侯爵派と中立派が対立していると邪推されるのは予想できた。
「・・・。」
「セーラ嬢、少し、個人的な話をしても良いだろうか。」
「はい。」
「私は好き嫌いはないが、豚肉を使ったスープが一番好きだ。王宮料理長の得意料理ではないらしいので、頻繁には食べられないのだが。セーラ嬢はどのような料理が好きなんだ。」
「白パンが好きです。」
「それは珍しい。」
白パンはどこにでもあって、特別な好き嫌いの対象に上げる人間はほとんどいなかった。
「どこにでもある白パンではなくて、食堂で働いていた頃の近所のパン屋の白パンで、食堂にも納めてもらっていて、どんな料理とも合うんです。癖みたいなものがないのに、味わいが深くて、とても美味しいんです。」
「組み合わせで、美味しさを増すと言う事か・・・。セーラ嬢、失礼な事を聞く事になるが、以前の生活に触れる事は気にしないの?」
セーラの公式の立場は、男爵家出身の第2夫人の娘である公女であるから、庶民出の娘と言う表現を使うのは、貴族社会においては侮辱に該当した。
「私自身の事を言われるのは気にしません。庶民として、食堂で働いていたのは事実ですから。恥ずべき事だとは思っていません。ただ、公爵家を侮辱するために、私の事を陥れるつもりがある人は許せません。」
気の強い女性と思われる容姿に相応しい言葉で、はっきりと言い切った。
「分かった。そういう風にならないように気を付けるよ。」
「殿下がお気を使われるような事ではありません。」
「殿下としてではなく、人として気を使うだけだから。それと、あまり堅苦しい言葉づかいはしないてもらいたい。本来ならば、私は学園では後輩にあたるのだから。」
「はい。分かりました。」
セーラ嬢とジェイク殿下の呼び方は変わらなかったが、何となく引かれていた線が消え去った。
「乗馬がお好きなんですね。」
「時々、王宮の外の草原を走るのは好きだ。」
「狩りをするのですか?」
「セーラ嬢は弓が得意だとは聞いたが、狩りはした事がないのかい。」
「はい。乗馬しながら弓を持った事はないです。狩りとは歩いて行うものだと思っていました。」
「普通はそう考えるだろうね。馬上は安定しないから、弓を扱うのは難しいが、訓練を続ければ当てる事ができるようになる。」
「兎のような小さい動物に当てる事ができるんですか。」
「最近は外す事はないよ。」
安易に褒められる事を嫌うタイプだと推測して、褒める言葉は出さないようにしていたが、感嘆を禁じえなかった。天才と一言で形容したくなるほどに何でもできる王子で、何でも謙虚に学ぼうとしている隙が無い王子に近づきたいと考える女性とは多そうだが、自信を持って隣に立つ事ができる女性は、自分の姉のレイティアぐらいしかいないのではないかと思った。
「苦手と、あ、すいません。聞いてはいけないですね。」
何でもできる王子の弱点を知りたかった訳ではなかったが、ハンカチへの刺繍の図案を考える上で、避けるべきものがあれば、それを聞いておかなければならなかった。お礼なのだから喜ばせる物を贈りたかった。
「弱点や嫌いなものを聞かれても、答えられない。ただ、調理は苦手かもしれない。」
「それはした事がないというだけで、苦手とは違うと思います。」
「そうだね、苦手とは違うかもしれないけど。できる、できないで言えば、できないのは間違いない。」
「やってみたら、上手にできるかもしれません。」
「そうだね。やってみれば、上手になるかもしれないな。調理は苦手と言うのは撤回しよう。」
「した事が無い事の中で・・・。」
王子がしてみたい事を聞く事の愚かしさにセーラは気付いた。一国の王子が自由奔放に生きる事が許されるのは物語の中だけか、後継者を育てる事に無関心な王がいる国での話でしかなかった。
一方、王族に準ずる公爵家の令嬢として自由奔放に行動できるのは、セーラのこれまでの生き方を否定したくない両親と姉弟達の特別な愛情があるからだった。それぞれの家に事情があったとしても、頂点にいる王族の王子と、最上位貴族の娘が享受する自由としては、雲泥の差があった。
「申し訳ありません。ジェイク殿下のお立場では答えにくい質問ばかり。」
「いや、聞いてくれても構わない。他の人がいる場所では返答に困るかもしれないが・・・。俯かずに私の方を見てくれないか。話をしているだけなのに、私を傷つけるつもりもない対話をしているだけなのに、そんな表情をさせるのは申し訳ない。」
「・・・・・・。」
謝られてしまったセーラは頭の中の混乱を治める事ができなった。普通に話をする事を許されたとしても、気を使わずに話をしなくて良い訳ではなかったのに、自分の贈り物を完成させたいがために、無配慮な質問をしてしまった。
許してもらった機会を粉々に潰してしまったような感覚にセーラは少し震え始めた。
色々と知る事ができて嬉しくて、楽しかった。自分を褒めてくれた王子が自分の事を聞いてくれる事も嬉しくて、楽しかった。その素敵な時間を自分自身で壊してしまった強烈な後悔にセーラは支配されそうになった。
「王子の立場を気にせずに話ができた事が嬉しかった。だから、そんな表情をしないでもらいたい。時々、謝らなければならないような事を言ったら、一言謝ってくれれば、それで問題ない。私だって失敗する事もあるから・・・・・・。笑顔を見せてはくれないか。私との対話は嫌な事だった?」
「いえ。そんな事はありません。楽しくて、それで、気を使えなくなってしまって。」
「それなら、私も楽しかったから、顔を上げて、笑顔を見せて欲しい。もうそろそろ時間だ。そんな顔のセーラ嬢に。また、明日とは言いたくない。」
ここまで王子に気を使わせた事への後悔は消えなかったが、顔を上げたセーラは作り笑顔であったが、笑顔を見せる事ができた。そして、目の前の美男子の優しい笑顔を見てから、セーラは易しい笑顔を見せる事ができるようになった。




