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公爵家物語(オズボーン家)  作者: オサ
3年生
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3年生 その54 財務顧問

54 財務顧問


 4月1日付で、ギルバード・オズボーン公爵は、財務卿として財務省を統括する役職に就いた。戦公爵として無敵の武力を有する貴族が、国庫を預かる事で不正が発生するのではないかと危惧する者は皆無だった。貴族達が気にしていたのは、年度末の税金の徴収がどの程度の厳しい審査で行われるかであった。

前財務卿は納税額を下げるような事はしなかったが、納税期間の延長を認めるなどの各家の事情を考慮した対策を提示してくれた。それがあるかないかは納税側からは重要な要因だった。ただ、非公式の恩情行為であるため、実施に関して発表する事はできなかった。

 その代わりに、公爵家は前財務卿のメルヴィン・ロナガンを公爵領の財務顧問として雇い入れた事を発表した。そして、しばらくの間、公爵邸に客人として滞在する事も公表した。

「おはようございます。メルヴィン卿。」

「おはよう。セーラ嬢。そこまで老いぼれてはおらぬ。階段を下りるぐらい。心配は無用じゃ。」

「前に住んでいた町では、ご高齢の方で足を悪くしている人が多かったので。」

「北の街じゃったな。」

「はい。ファルトンの街です。」

「クラーク男爵領か。国境の街だけあって、貿易が盛んじゃな。男爵領にしては豊かな街になったなぁ。」

「はい。その街の食堂で働いていました。」

 2階から1階へ降りる階段で会った2人が会話を弾ませていた。薄緑を基調とした紳士服姿の老人と故郷の話をするのがセーラは好きだった。生まれ育った国境の街には素敵な思い出があり、母ミーナとの思い出があった。ただ、その話を公爵邸の人々の前でする事は避けていた。皆にとっては、ミーナとセーラの思い出が、公爵家の罪の話になるからだった。身重の状態で公爵邸を出て、北の果ての街に辿り着いた侍女の話を笑顔で聞く事はできなかった。

「王都より寒いのかの。」

「はい。一番寒い時期には、雪が降った事もありました。」

「ほう。雪か。氷が降るのじゃったな。」

「白い綿みたいなのが降ってきて。綺麗です。」

「見てみたいものじゃな。セーラ嬢は、ファルトンに行ってみたいとは思わないのかの。」

「・・・。」

 制服姿のセーラの表情が固まった。時々見せる困った時の表情だったが、その本質を老人は見抜いていた。一緒の館で生活を始めて3週間が過ぎて分かった事を、公爵邸の住人たちが分かっているのだろうが、それをどうにかする方法を取ることができなかった。

「セーラ嬢は、自分のやりたい事、してみたい事、そういう事を言った方が良いぞ。黙ってやれば身勝手で我儘になるが、確認してから実行する事は我儘ではないからの。もう、公爵や夫人には言われているかもしれんが。大人はな、我儘を言ってもらえる方が嬉しいもんじゃぞ。孫と子供は違うのかもしれんが、じいじは孫に頼まれごとをされると嬉しいのだがな。」

「・・・。」

「ファルトンに行ってみたいのかの?」

「成人するまでは行かないです。約束したから。」

「食堂のおばさん、わしが、おばさん呼びは駄目じゃな。食堂のお姉さんとの約束かな。」

「はい。」

「笑顔が可愛いのぉ。」

「え、あ、はい。」

「そっちの方が・・・。良いのじゃが。夫人は階段上から睨まないで欲しいのぉ。」

「お母様、おはようございます。」

「セーラ、おはよう。まさか、メルヴィン卿にお孫さんを紹介されたりとかはしていないわよね。」

 水色のワンピース姿の美の女神の見た目で誤魔化す事ができない戦士の威圧感は強烈だったが、人生経験の衣は厚いものだった。

「紹介してはいないが、紹介ぐらいはいいじゃろ。婚約を迫っている訳ではないからの。出会ってみて、セーラ嬢が気に入ってくれるのなら、わしは孫と結婚をさせたいと思っておる。いい子じゃからな。もしかすると、セーラ嬢が気に入るかもしれないしの。」

「そうなの、セーラ。」

「お母様、まだ会ったこともないのですから。気に入るとか、そういう話はできませんから。」

「そう言う事じゃ。ああ、老体に階段はきつかったのぉ。セーラ嬢、食堂まで手を引いてもらえんかの。」

「あ、はい。どうぞ。」

「メルヴィン卿。」

「じじいの手を引くぐらいで、そんな顔をするものではない。夫人も後で手を引いてもらえばよかろう。はははは。」

 相手の事情を知りつつ、知らない振りをして言いたい事を言い続けてきた人生の経験が、この公爵邸では良い方向に作用していた。


 メルヴィンが公爵邸で行った目的は2つで、1つは公爵領の過去の書類を確認する事だった。これから広大な公爵領の財務監査を現地で行うための事前調査であった。公爵邸の広大な事務室に納められたデータを読みながら、公爵邸の中からこれだけの管理ができている事に感心はしたが、驚く事は無かった。

 先代の女公爵も先々代の公爵も同年代として知っている前財務卿は、公爵家の人間がどれほどの努力で才能を開花させたのかを良く知っていた。そして、第1夫人エリスの能力を目の当たりにした事で、その伝統は継承されている事を知った。

 目の前で指定した書類を書き写している夫人の手の動きの速さと字の美しさ、そして、その作業を行いながらも、普通に会話ができる能力には驚いた。

「夫人、話をしてもいいかの。」

「どの年の話ですか。3年以上前のは、覚えていません。」

「いや、財務の話ではなくてね。セーラ嬢の話だ。」

「婚約のお話ですか。」

「孫との話ではない。夫人とセーラ嬢の関係についてじゃ。」

「何をお聞きになりたいのですか。」

 多くの貴族がなぜ第1夫人がセーラを可愛がっているのかを聞いてみたいと思っていた。エリスにとって、セーラは夫と侍女の裏切り行為の結果生まれた子供であり、その子供自身に罪が無くても、心地よい存在のはずはなく、外からは見えない何が存在しているのかを、多くの貴族は気にしていた。裏が全くないのであれば、第2公女に自身の息子を近づけたい貴族は多かった。

 メルヴィンが詳細を聞くのであれば、公爵邸から追い出す必要があると公爵夫人は考えた。自分の恥だから、公爵家の恥だから隠したい訳ではなかった。むしろ、ミーナのために真実を広く伝えて、自分達が非難される方を望んでした。だが、それをしなかったのは、セーラが苦しんでしまう事が分かっていたからだった。

公爵夫妻としては、贖罪の一環として、セーラを第2公女として受け入れたつもりだったが、セーラはそれを恩と感じていて、公爵家の娘として、尽くす意思を持っていた。だから、ミーナのために公爵家の恥を晒すような事をした場合、セーラが公爵家に多大な恩を感じて、身を捧げるような決意を持つ可能性が高いと、公爵夫婦は感じていた。

娘のためにする事が、娘を縛り付けて、その命まで捧げさせるような事態になりかねないと判断して、ミーナの歩んできた道を外に漏らす事を控えようと考えていた。もちろん、その真実を外部が受け入れない可能性があって、その場合、セーラを深く傷つける事も予測できた。

「2人の距離感じゃ。」

「距離感とはどのような意味ですか。」

「この間の、食堂に行く時、わしがセーラ嬢に手を引いてもらった時の話じゃ。わしを見る時の表情がの、憤りと同時に羨望が見えたからの。夫人はセーラ嬢と、どう接していいのかを迷っているように感じたのじゃが。どうなのかの。」

「・・・良く分からなくなる時があります。」

「本音で話をしてくれるようじゃから、言いたい事を言わせてもらうがの。夫人は考え過ぎなのじゃ。」

「考える事は大切です。」

「考えるなとは言っておらん。考え過ぎと言っておる。考えなくてもいい時に考えてしまうという事じゃ。セーラ嬢と手を繋いだりしたいんじゃろ。だったら、手を繋いでと言えばいいのじゃ。」

「でも、セーラがどんな気持ちになるか。」

「それが考え過ぎという事じゃよ。自分がしたいのだから、頼めば良い。嫌なら断れるだろうし、嫌でないなら手を繋いでくれる。それだけの事じゃ、頼む前から考えて、何もしないのは、良くないと思うのじゃ。」

 メルヴィンに言われなくても分かってはいるが、公爵邸に迎えようとした時、セーラの気持ちを考えずに、自分の都合だけを押し付けて断られた経験があるエリスには、分かっていてもできない事だった。

「セーラの思いを配慮できずに、自分の願望を押し通そうとして・・・。」

「公爵邸に迎い入れる事を拒絶された事を反省しているという事かの。」

「はい。」

「セーラ嬢が公爵邸から逃げ出す心配はないのじゃ。怖がる必要はあるまい。セーラ嬢がそのような事をしない娘だと、夫人が一番分かっているのではないのか。」

 様々な思いを巡らせながら、手を正確に動かしている夫人の能力が誰よりも深い闇の中に自分を追い込んでいるように思えた。考えないようにする事も才能の1つであると誰かに言われた事を老人は思い出した。

「セーラは公爵邸から出て行くような事はないと思います。でも、嫌な事を我慢して受け入れる事を、それを普通にしてしまう娘です。」

「ふう。夫人と手を繋ぐ事はセーラ嬢にとって嫌な事なのかの。そうは思えんぞ。」

「セーラが私の事を好きだと思ってくれるかどうか・・・。」

「好きにきまっろうだろうが、今まで見て分からんのか!」

 一喝とも言える怒声に夫人は手を止めた。

「・・・。」

「セーラ嬢が夫人を慕っている思いを疑われたら、可哀そうだと思わんかの。」

「・・・。」

「夫人にとって、セーラ嬢は娘なのか。それとも、生さぬ子で、娘には思えないのか。」

「そんな事はありません。私の娘です。」

「じゃったら、親子の関係を疑うような考えは無意味じゃ。害にしかならぬ。」

「はい。」

 6歳から武技の本格訓練を始めた少女は貴族としての素養も叩きこまれたが、伯爵令嬢として他の令嬢との交流はほとんどなかった。12歳で公爵邸での生活を始めたが、そこでも女公爵のもとで婚約者と共にただ訓練を重ねた。レイティアの出産、そしてすぐに暗闇の暴走が発生した。実家の父母も敬愛する女公爵も地下の戦場で散った。しかも、ギルバードとエリスを守るために死んでいった。

 英雄ではあったが、人の子として、人の親として、普通の生き方をしてきた訳ではなかった。戦後にその生き方を教えるべき両親は失われ、公爵夫妻は指針を持たぬまま子育てと言う海に船出していた。本来、助言すべき年寄りたちも英雄に口出しができないと怯んで、何も言わないできた。

 それは、先代の女公爵の世代が背負わなければならない罪でもあった。

「夫人はもっとセーラ嬢を抱きしめたり、手を繋いだり、一緒に湯浴みしたり、そういう事をした方が良い。まあ、お互いに恥ずかしいかもしれがの。時には肌が触れ合う程擦り寄り、時には喧嘩して顔も会わせたくなくなる。それが親子の、家族の関係というものじゃ。このじじいも孫たちとは小さい頃は一緒に湯浴みをしたものだが、今でも断られておる。まあ、その話はおいといてだな。色々な距離、色々な関係を重ねていくのが親子じゃから。恐れずに接近すればいい。セーラ嬢も戸惑ったりはするかもしれんが、嫌がる事は無いぞ。周りから見ていれば分かる事じゃ。」

 前財務卿の言葉に小さく頷いた夫人の態度は少しずつ変化していったが、大きな変化につながるまでには時間がかかった。

 公爵邸の頼もしい老人は、1カ月後に公爵領の頼もしくも口煩い老人として南方地域へと出立していった。


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