2年生 その50 第3王子の立場
50 第3王子の立場
第3王子のダンスパートナー依頼の手紙が公爵邸に届いた翌日、生徒会本部室で会計処理をしていたセーラとリリアのもとに、第2王子のジェイクが訪れた。
「今日は、各部門からの依頼はないはずですが。」
セーラの近くまで来た美男子が言いにくそうにしているのをセーラもリリアも初めて見た。明朗闊達な貴公子は自分の才能を自慢する事もないが、謙虚な姿勢でそれを隠そうとはしないので、影を帯びるような表情を見せる事は一度も無かった。
「リリア嬢、これからの話は、しばらく内密にしておいてもらいたい。」
「はい。畏まりました。」
セーラと向かい合っているリリアは、テーブルの向こう側の2人を見守りながら、一瞬だけドキドキしたが、それがありえない事だと考え直して、ガッカリに変わっていた。
しばらく内密にする話が、セーラへの求婚であると最初は考えた。姉レイティアと比べられてしまうから、特別美しくないと思われる事が多いが、セーラの美貌も特上と言えた。可愛らしさよりも凛々しさの成分が過剰で、14歳にしては大人びて見えるが、美男子の第2王子と並んで居ても、見劣りするような事は無かった。
第2王子が言いにくそうな事で、しばらく内密というならば、未体験の恋愛の話だろうと妄想できたが、そんな大事な話を事務作業中で、しかも第3者である自分がいる前で行うはずはなかった。
「新年の生誕祭での、弟レイモンドのダンスパートナーを依頼した事なのだが。」
「え!!」
思わず出た声を抑えるかのようにリリアは両手で口を押えてみたが、ジェイクを驚かせて、背中の真ん中まで伸ばした一本にまとめた美しい金髪を大きく揺らせた。
「誕生祭で弟が代表してダンスを披露する事になって、そのパートナーをセーラ嬢に依頼したんだ。」
「殿下、失礼を承知で申し上げますが。それは、セーラへの嫌がらせか何かなんですか。」
「いや、違うんだ。リリア嬢がそんなに怒っているのであれば、兄上の言葉は本当だったのか・・・。」
「どう違うのですか。殿下。」
「リリア、私の代わりに怒ってくれてありがとう。でも、もう大丈夫よ。踊れるようになったから。」
「・・・セーラ、断れない事だからと言って、無理をする事は無いわ。コンラッド殿下は御存じなのだから、取りなしてもらえるわ。」
「セーラ嬢、兄上に、とても苦手としていている事を聞いて、依頼を撤回する方向で動くつもりだ。」
「リリア、本当に踊れるようになったのよ。リリアみたいに上手ではないけど、普通に、本当に普通に踊れるようになったの。」
セーラが嘘を付くような友人ではない事は知っているが、何かを頑張る時に無理をする事があるのもリリアは良く知っていた。
「セーラ、頑張っているのは分かるけど。」
「もう、本当なの。殿下、狭いですけど、ここで少しだけ踊っていただけませんか?見てもらわないと納得できないと思いますから。」
殿下の足を踏まないかとドキドキするリリアの前でセーラは普通に踊って見せた。ほんの1分程であったが、あのセーラではない事を証明した公女に泣きながら抱き着いてきたリリアに、セーラは驚きつつも、自分を見守ってくれていた友人の気持ちが嬉しかった。
王都の北部に鎮座する広大な王宮の東側に王子宮があった。セーラはエリックと共に第3王子レイモンドの住まいに招待されていた。建物の大きさと一部屋の大きさでは、公爵邸は勝利していたが、部屋を彩る装飾品や美術品の類では圧倒的に敗北していた。
王家と同等の歴史を刻んできた公爵家の中には、美術品の収集に情熱を注ぐ当主も存在していたが、戦砦として使う可能性のある公爵邸に飾る事を許さず、蒐集した美術品を納める豪邸を王都の南部に建設していた。それが現在の王都美術館であり、公爵家が購入した美術品のほとんどはそこを彩っていて、公爵邸そのものを飾る事は無かった。最近、公爵家の別邸に数個の美術品が返還されて、鑑賞会の目玉として飾られる事を、美術館の館長は非常に喜んでいた。潤沢な予算を与えてくれる事に公爵家には感謝していたが、美術品そのものに関心を持ってくれる事を喜んでいた。
「王子宮の廊下も美術館並みの名作が揃っている。」
「エリックには分かるの。良さが。」
「うーん、一応は・・・。」
30歳前後のメイドに先導されたセーラは濃い緑のドレスで正装して静々と歩いていた。エリックは青を基調とした紳士礼服を纏っていたが、公爵邸でいるかのような雰囲気を醸し出していた。
「ああ。これなんかいいと思わない。姉さん。」
「ええ。」
美術品を鑑賞する弟に目配せをするが、急ぐような事はなく、案内役のメイドもセーラも焦らせていた。たっぷりと時間をかけて宮殿見学を済ませてから、2人は第3王子の応接室へと案内された。
円形のテーブルの上にお菓子が用意されていて、そこまで案内された2人は第3王子と第3王妃に紳士、淑女の礼で挨拶をした。
金髪金目の美少年は、エリックと同年齢で来年の4月には学園で同窓の友となる予定で、共に幼さを少し残していたが、レイモンドの方が少し背が高かったので、兄のように見えた。
「招待に応じてくれたこと感謝する。」
「お招きいただきありがとうございます。」
「こうやってお話ができる機会が欲しくて、息子の部屋に来てしまいました。」
「王妃様とお話しできる事、嬉しく思います。」
「そんなに堅苦しい言葉遣いは必要ありません。セーラ嬢。どうぞ、二人とも席へ。」
「ありがとうございます。」
青髪青目の色はセーラとは真逆の色彩であったが、美しい顔立ちにつり目気味の視線は似ていた。紺色のドレスに派手さはなく、胸元の細い金色のネックレスだけがキラキラとしていた。
「エリック君も楽にしてくれていいわよ。」
「うん。分かった。」
毎朝、大人顔負けの戦士の表情を見せている弟が、公爵邸以外の場所では幼さを強調する言動を取っているのを姉は知っていた。今日は格別と言わんばかりに幼さを発揮していた。
「エリック、王妃様に失礼な言い方をしないでね。」
「大丈夫よ。セーラ嬢、私もレイモンドも名前で呼んでもらって構わないわ。」
「はい。カーラ様。」
「お菓子を食べてもいい?」
「ええ、いいわよ。お茶を。」
側にいたメイドに指示を出した第3王妃は、エリックと言う少年が意図的に幼さを強調しているとは見抜いたが、その意図が分からなかった。兄との後継者争いを避けるために、弱さを装っている事までは理解できるが、ここまでする必要はないと思えた。すでに兄は大きな功績を手にしている上に、エリックが後継者争いに参加するのであれば、後ろ盾が必要であるが、そう言った話は全く聞いた事は無かった。さらに、騎士爵の娘アイリスとの婚約した事は、野心がない事の証明でもあった。
「お茶は美味しいけど、お菓子は甘いだけだね。僕が作った方が美味しいよね。姉さん。」
「そんな事は無いわよ。このお菓子も美味しいわよ。」
「私も、甘すぎるお菓子は好みではない。エリック殿の。」
「エリックと呼び捨てでいいよ。レイモンド様。」
周囲の人間から侮られるぐらいが調度いいのだと聞かされてはいたが、殿下の言葉を遮っての発言は無礼過ぎだった。姉として弟の無礼を窘める必要があると考えたが、王家の人間の前でどう振る舞えば良いのかが分からなかった。
「ああ、エリック、そう呼ばせてもらうよ。ただ、私の言葉を遮っての発言は無礼だと咎められる事もある。気を付けた方がいい。エリック自身は良くても、セーラ嬢が気にされている。」
「はーい、すいませんでした。」
「元気でいいと思うわ。楽にしてと言ったのですし、このお茶会を楽しんでくれるのであれば、嬉しいわ。」
「はい。私もそう思います。母上。」
エリックは王家の個々の人間の意図を探っていた。姉の名誉を黒く塗りつぶした王家が、姉の名誉を回復するつもりで第3王子の相手に指名したという事実は理解しているが、誰が主導しているのかを探りたかった。第1王子と第2王子の後継者争い、すでに巻き込まれている以上、公爵家は警戒すると同時に、どう出てくるか分からない王家の情報を少しでも手に入れておきたかった。
「お茶のお代わりをもらってもいい?」
「ええ。」
「そうだ。レイモンド様は、どうして、姉さんと踊ろうと思ったの?お母さんに頼めば良かったのに。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
駆け引きもない攻撃に2人は避ける事ができなかった。
「姉さんはダンスが苦手だって知らなかったの?」
「得意ではないとは聞いていたけど。苦手だとは思っていなかったのよ。それを知らずに申し込んだことは、私の手落ちだったわ。ごめんなさいね。セーラ嬢。」
「いえ、カーラ様。きっかけを得て、少し踊れるようになりました。申し込んでいただいた事、感謝しています。」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。」
「でも、うちでは大騒ぎだったよ。」
「エリック。」
「そんなに怒らないでよ。困っていたのは本当なんだから。コンラッド殿下に相談してくれていたら、きちんと反対してくれたのにね。姉さん。」
「ええ、コンラッド殿下は私の下手さを知っていたから反対してくださったと。あ、今は、それなりにですけど、踊れます。レイモンド殿下に恥をかかせるような事はないと思います。練習もしています。」
「申し訳なかった。セーラ嬢の気持ちも確認せずに一方的に招待状を送った事、私の落ち度。ただ、今回のダンスは一緒に踊ってもらいたい。」
第3王子が頭を下げた瞬間、セーラは慌てふためきながら、謝罪が不要である事を説明した。その様子を笑顔で見守っている王妃の姿に、エリックはこの企画を提案したのが目の前の第3王妃である確信した。
第3王妃カーラは、騎士爵家の生まれで、第2王妃となる前からのマーティナ・ケネットの専属侍女を勤めていた。主が第2王妃となった後も王妃の専属侍女として王宮に入った。彼女にとって、ケネット侯爵家は恩人であり、第2王妃は敬愛する主であった。
第2王妃の懐妊の報に飛び跳ねるように喜んでいたカーラは、すぐその後に主である第2王妃から国王の夜伽をするように頼まれた。それは、第1王妃と第2王妃の王の寵愛を巡っての争いの余波だった。
元々、国王は第1王妃ブリトニーを愛していて、他の妻を持つつもりはなかった。ただ、筆頭侯爵家の力を無視する訳にはいかずに、第2王妃マーティナを迎い入れた。粗略に扱うような事は無かったが、第2王妃はその名のごとく2番目の存在だった。第1王妃が先に懐妊した時も主の落ち込み様に、カーラも涙を流していた。しかし、懐妊中の夜伽が第2王妃マーティナだけになると、王の心を掴むようになり、王の愛の半分を手にする事ができた。
愛される事の喜びを知った第2王妃マーティナは、第1王子の出産の少し後に自身の懐妊を知って喜んだが、1つの不安があった。自分との夜伽がない間に、第1王妃が全ての愛情を奪っていくのではないかと言う恐怖に支配された。元は自分が2人の間に割りこんできた邪魔者である事を彼女も理解していて、妊娠期間中に第1王妃に独占される訳にはいかないと考えた。
最も信頼できる侍女カーラに自分の代わりに夜伽に出るようにとマーティナは頼んだ。第1王妃に愛情が集中する事だけは避けたかった気持ちを理解したカーラはその依頼を受けた。
王は第2王妃との閨の日に侍女であるカーラが現れた時には驚き、すぐに寝室から出るように命じた。カーラは床に伏して、夜伽ができなくても、この部屋にいる事を許して欲しいと懇願した。出産を控えるカーティナを不安にさせないために必要である事、夜伽を果たせなかった事を秘密にして欲しいと泣きながら懇願した。第2王妃の出産後には、王の命令を拒絶した罪に対する処罰を受ける覚悟がある事も伝えた。
しばらくの間、閨の日に寝室へ参上するだけの仕事だったが、第1王妃が子育てを優先して夜伽を断っていた事もあり、国王は主を思って身を捧げようとしているカーラを愛おしく感じて、肌に触れる事にした。第2王妃の専属侍女から側室となった。
第2王子が出産してしばらくして、カーラは役目を終えたと考えて、王宮を去る決断をしていた。しかし、その直後に懐妊が判明した。その現実は喜びではなく、第3王妃に絶望に近い感情を与えた。
敬愛する主と国王の寵愛を奪い合うようになる危険すらあるのに、王子を出産する事になれば、後継者争いに加わる可能性があった。騎士爵の実家には何の力もないが、養父を買って出て権力者に近づこうとする者がいないとは限らなかった。
カーラは、権力争いに加わるつもりはないが、国王を愛する気持ちが自分の中にある事をマーティナに正直に伝えた。そうすれば、出産後に子供を預けて、王宮を出る事ができると考えた。しかし、第2王妃はカーラの懐妊を寿ぎ、共に王家を支える柱になるようにと言うだけで、カーラを王宮から去る事を決して許さなかった。
ケネット侯爵家は第3王妃の後ろ盾となり、第2王妃と同様の財貨を提供した。それに第1王妃もカーラを祝福して、第3王妃として同等の立場で接した。妊娠中だけでなく、第3王子出産後も変わることなく、第3王妃は王宮で大切にされた。そして、生まれてきた第3王子は、末っ子として国王と3人の母、2人の兄に愛されながら成長する事ができた。
「エリックは、レイモンドと同じ年で、来年の4月から学園に通うのよね。」
セーラとレイモンドがダンスの練習をするのを見守りながら、カーラは幼いように見えるエリックに話しかけた。
「同じ上級クラスに入れればいいんだけど。」
「お勉強は苦手なの?」
「アラン兄さんに比べれば全然できないから。剣なら少し自信はあるけど。」
「レイモンドも剣は少しだけ得意よ。時間があれば、一緒に訓練をしてあげてね。」
「僕だと大して訓練にはならないと思うよ。王宮の近衛騎士と一緒に訓練した方がいいと思う。いいな、僕も近衛騎士に訓練してもらいたいな。」
「公爵様やお兄様の手ほどきを受けているのではないの。」
「受けているけど、強すぎて。何だか。」
「少し自信があるのではないの。」
「12歳の子供の中では強いけど、騎士や父さんや兄さんに比べれば、全然強くないよ。」
「でも、セーラの護衛としてエスコートしてきたのでしょう。騎士としての強さを持っているのではないの。比べる相手が公爵様であれば、誰でも弱く見えてしまうわ。」
「王宮に来るのに護衛はいらないと思うけど。」
「もちろん、王宮は安全だけど、エスコートの男性には女性を守るだけの力量が求められるものでしょう。」
「そうなのかな。父さんには、来年からレイモンド様と同級生になるから、仲良くなる機会を作ってくるようにと言われたんだ。」
「そうなの。であれば、ダンスの練習が終わったら、少し剣で手合わせをしてみてはどうかしら。レイモンドも喜ぶわ。」
カーラの目的は、公爵家がどのような立場を取るのかを知る事と、公爵家の怒りを緩和させる事だった。
暗殺事件が発生した時、第3王妃はケネット派閥の誰かが仕掛けた事だと分かった。第1王妃も第2王妃も、当事者である2人の王子達も、後継者を巡って陰湿な謀略を仕掛ける人間ではない事を、カーラは誰よりも知っていた。だが、外形的には第2王子またはケネット侯爵が首謀者としか見えず、事件となるとどちらかが処分を受ける可能性が高かった。
カーラは王宮の安堵のために、事件を揉み消すような対応をするように国王に直談判をした。その方法までは提案しなかったが、結果としてカーラの懇談は、目の前で踊っているセーラに不名誉を与えた。そして、それが公爵家との関係を壊すようなものになれば、取り返しのつかない破滅を作り出すかもしれなかった。
今、公爵家が敵対する意思がない事を伝えるために、エリックを王宮に送ってくれた事を確信して、カーラは心から安堵していた。そして、新年の誕生祭でさらなる不名誉をセーラに与える事がないと知ることができた。第1王子コンラッドから聞いたセーラ嬢のダンスが壊滅的に下手であると聞いた時の絶望が、遠い昔に感じれる程に、華麗な赤い花が美しく舞っていた。




