2年生 その49 ダンスレッスン
49 ダンスレッスン
イシュア暦366年の収穫量は10年来の大豊作であった。財務卿メルヴィンが学園生徒会への予算を承諾したのは、政治的判断や心情だけでなく、経済的な余裕があったからでもあった。
この経済的背景を基に拡大政策へと転換したのは、財務卿としての嗅覚が優れていたからでもあったが、そのきっかけを作ってくれた公爵家の動きをメルヴィンは活かしただけだった。第2初等学校、第1初等学校の大成功により定着した発表祭を、第3初等学校にも広げるように宰相に進言すると、この予算についても、次の財務卿に内定している公爵の裁量下に入れて大きな動きを作り出した。
10月の大事故と宰相補佐の辞職、12月の生徒会始動と財務卿補佐の就任と、公爵家は慌ただしい動きの中、この手紙が来るまでは未来への喜びに満ちていた。
12月の第2週の末に王家からの手紙の中身に公爵は頭を抱えたが、晩餐後の家族会議で知らせる事にした。
「先程の使者が届けてくれたのは王家からの手紙だった。」
青を基調とした落ち着いた貴族礼服の公爵は珍しく言いにくそうに、そしてサファイヤブルーの瞳を曇らせていた。
「旦那様、どうされたのですか?」
第2夫人の存在を好意的に受け止めているエリスにとって、夫は以前と変わらない頼りになる戦友だった。新しい娘のこと以外で決断を迷ったり、困惑する事がない旦那様だからこそ、今回の件が、セーラに関連している事が分かった。そして、それはエリスにとっても困惑の対象となった。
母親として堂々とする決意を固めていたので、灰青色の瞳と水色の豪奢なドレスの中に揺らめている金色の弦が奏でる音色は輝きを失っていなかった。
「今度の誕生祭において、陛下の代わりに第3王子のレイモンド殿下がダンスをする事になり、その相手としてセーラを指名するとの事だ。」
オレンジ色を基調としたドレスの豪奢に見せているレースが震えた。手にしたカップを皿に戻す時にカタカタと音を立てた事はマナーとしては注意するべき事だったが、家族もセバスチャンも見ない振りをした。
赤系の元気いっぱいの姿が、萎れた華のようになっている妹の代わりに、紫の豪奢なドレスと金髪の姉が父親に質問した。
「お父様、嫌がらせという事ではないですよね。」
「嫌がらせではない。王家としては、セーラへの罪滅ぼしという事だと思う。活躍の場面、王家との信頼を示す場面を提供したいのだろう。」
「父上、コンラッド殿下は姉上がダンスを苦手としている事を御存じのはず。どうしてこのような事に。」
父と全く同じデザインの礼服を纏っている兄弟は憤りの表情を見せていた。
「コンラッド殿下に相談して決めた訳ではないのだろう。それに、前回の誕生祭ではアランと一緒にセーラは美しく踊っていたから、苦手と言う認識がないのだろう。」
この状況で巧みな嫌がらせである可能性は0だと判断できた。セーラに活躍の場面を提供するだけでなく、宰相派を抜けて中立派に移行した公爵家に対する配慮も含まれていた。第2公女が第3王子のパートナーを務める事で、形式的である中立派移行に、実体を与える事ができた。
イシュア国の王位継承レースに参戦しているのは、第1王子と第2王子の2人だけで、第3王子は形式的にレースには参加していたが、ゴールを目指す意思はなかった。だから、王位継承レースに支援者として参加したくない貴族達は、第3王子を支援するという声明を出して、中立派としてどちらの勢力にも属さない選択をしていた。
今回、公爵家もこの中立派の立場を取ろうとしていたが、第1公女が宰相の孫との結婚を解消しない以上、第1王子派と見られても仕方が無かった。そして、第1王子派であるとみなされれば、第2王子派からの攻撃の対象になり、今回のようにセーラが巻き込まれる可能性があった。
その可能性を解消するために、中立派である事を明確にできる必要があり、今回のダンスパートナーが絶好の機会だった。セーラ自身が、第1王子とも第2王子とも距離を取っているから、王位継承レースに巻き込んではいけないとの意図を、全貴族に示すための配慮があった。
「お父様、お母様、お姉様、アラン、エリック、皆には恥ずかしい思いをさせるかもしれないけど。誕生祭で踊ります。」
失敗して笑われたとしても、このパートナーへの依頼を拒否する事が大きな火種になる可能性が高い事を理解しているため、拒否をする事はできなかった。
「僕が練習に付き合うよ。レイモンド殿下とは年齢が同じで、体つきも同じぐらいだと思うから。」
「ありがとう。エリック。」
この後、公爵家は真っ暗闇の中で希望への光を見つけた。
「どうして、セーラはダンスだけ、あんなに苦手なのかしら。戦士として自分の体をコントロールできているし、動きもきちんと見えている。セーラは動きが速すぎるから、合わない人もいると考えた事もあったけど、アランとも合わなかったわ。でも、練習を重ねれば上手になると思うわ。私も小さい頃は得意ではなかったわ。」
「お母様、慰めてくださってありがとうございます。」
「慰めている訳ではないの。この屋敷に来る前は、苦手だったの。ダンスの先生には習わなかったから。」
「エリスは公爵邸に来たときには、上手に踊れたと思ったが。」
「はい、旦那様。奥様はとても優雅に踊っておられました。」
セバスチャンの言葉にセーラは一かけらの希望を見出した。
「お母様、どんな練習をなさったのですか?」
「それは、ミーナと一緒に踊って練習したからよ。」
「ミーナ母さんと。」
突然出てきた第2夫人の名前に実娘は驚いた表情を見せ、第1夫人は顔を赤らめながら何かを思い出したようだった。
「ミーナ様が、ダンスが得意だったとは知りませんでした。」
「それはそうよ。皆の前で踊る事は無かったもの。得意ではないダンスの練習にミーナに付き合ってもらっていたの。」
「母様、ミーナ母さんと練習しただけで上手になるものなの。」
「一緒に練習している中で、色々な事を教えてもらったのよ。寝る前に時間を取って、少しずつ教えてもらったの。他の事も色々倣ったわ。ミーナから。そうだ。私が習った事をセーラに教えれば、うまく行くかもしれないわ。練習してみる?」
「はい。」
第1夫人が、自分自身に母ミーナの姿を重ねる事を受容していたし、今回は自分が上達する可能性があるのならば、それは問題にはならなかった。むしろ、エリスお母様が薄れていくしかないミーナ母さんの記憶を強化する機会を持つ事は喜ばしい事だった。セーラとミーナが重なって見える事で、過去の記憶が鮮明に蘇るのであれば、娘は2人の母親の思いを繋ぐかけ橋になる事が嬉しかった。
「この後に、すぐ練習してみる?」
「はい。お母様。」
席から立ち上がったセーラが母親の席まで近づくと、紳士のように手を差し出した。その手を取ったエリスは少女のように顔を赤らめながら手を取って立ち上がった。水色とオレンジ色のドレスは、2人が女性である事を示しているが、その顔立ちと表情からは、毅然とした凛々しい赤目の紳士が恋人をエスコートしているように見えた。
そういった姿を意識してセーラは母親の手に触れていた。2人の関係が姉妹であり、主従である事は事実であり、それらの絆もあったのは間違いないと言い切れるが、その上にエリスがミーナに恋心に近い感情を向けていたのも事実だった。表に出る事は無かったが、エリスの中には恋人同士のような甘い記憶が残っていた。
娘に指導するはずの公爵夫人は、思い出に浸った瞬間から、赤毛赤目のパートナーと踊る事だけを考えていた。
晩餐室の空間で公爵夫人がステップを始めると、セーラはそれに応じて踊り出した。
就寝前、寝間着姿の2人の少女が、水色とオレンジ色の花となりながら踊っている場面を知っているのは、エリスだけだったが、その場にいる全員が20年以上前の出来事を目の当たりにしているような錯覚に陥っていた。
話だけで聞いていた、お嬢様と侍女の関係がよく分かる光景に、その場にいる全員が時間を忘れて見守っていた。音楽も無く、息を合わせた2人のダンスを全員がじっと見守っていた。
穏やかで優雅で、とても息の合った踊りに魅了されそうになった公爵はある事に気付いた。
「エリス、セーラ、どうして踊れるんだ。」
2人のステップが終わると、硬直した空間を公爵の声が打ち破った。
「2人共ドレスがあったから、距離が取れていて、足を踏む事がなかったから、かしら。」
「レイティア姉さん、多分だけど、セーラ姉さんは男性のステップで踊っていたから、2人で踊れたんだと思う。僕達と同じような動きをしていた。」
「セーラ姉上、もしかして、今まで男性パートのステップで踊っていたのですか?」
「男性パートって、何。アラン。」
「姉上、男女それぞれのステップは違うのです。もし、同じ男性のステップで2人が踊れば、必ず足を踏み合う事になります。もしかしなくても、姉上は、男性と同じステップを踏んでいたのでは。」
「え、だって、男性に合わせるようにって、そう教わったから、目の前の男性の真似をすればいいと思って・・・。」
「レイティア姉上、セーラ姉上は、訓練服のようなズボンに着替えて、1階の遊戯用の広場室に来てください。試しに、女性用のステップを覚えてもらってから、踊ってみましょう。」
この日、セーラと公爵家を悩ませていた1つの問題が解決された。




