2年生 その44 辞職
44 辞職
公爵の執務室で親子と家令がソファーに座っていた。バース総団長の見送りが終わったセバスチャンが報告した。
「ユージンに情報収集を命じました。」
「勅を偽る事はないだろうが・・・。さて、今回の件だが、アラン。良く止めてくれた。」
「はい。ですが。」
弟の暴走を止める事が正しいと考えたから瞬間的に動いたが、この結果が正しいとは思えなかった。姉に勅を受け入れさせ、自らの罪を認めさせたことは、結果としてアランの意向を姉が受け入れた事と同義だった。エリックは勅使を殺してでも認めないつもりで動いていた。それをアランが止めたと言う事は、勅を受け入れる事への賛意を示す事であった。弟のために止めたという意識しかなかったが、次期公爵としての立場で動いた事は、行動以上の意味、政治的な意味を持つ事になった。
「私もアラン様の判断は正しいと思います。セーラ様もエリック様の事を考えて、お受けになったのだと思います。」
エリックが犯罪者として生き続ける事より、自分自身が不名誉を背負った方が良いと言う姉の判断が正しいのはアランも分かっていた。公爵家の名誉は軽いものではないが、生きる事に最上の価値を置いている以上、実を伴わない名誉は捨てても構わないものでもあった。名誉よりも実、すなわち命を大切にする事は、公爵家の根底にあった。
ただ、今回の名誉は姉の今までの生き方に加えて、戦場で命を賭して手にしたものであって、単なる名誉ではなかった。
強く握りしめた両手を見つめながら俯いていたアランの気持ちが公爵にはよく分かった。自分はあの場面では動く事も声も出す事もできずに、ただただ立ち尽くしていた。公爵としての思考を完全に止めて、初めて見せてくれた娘のあの笑顔をどうやって守ればいいのかとだけ考えていた。その方法はエリックと同じ行動を取ることであり、大陸最強の武技で全てをねじ伏せる事であった。
だが、そうはしなかった。公爵としての意識ではなく、公爵家の歴史が自分の動きを止めた。それは自分で考えていても、不可解に思える表現だったが、今現在の自分の状況とあの時の自分を考えると、そうとしか言えなかった。流れる血や学んできた知識に刻み込まれている公爵家の歴史が暴走を許さなかった。
「今、お前が考えている後悔は、当主である私がしなければならないことだ。だから、お前にはこれからの事を考えて欲しい。」
公式には事故として処理されるが、実際には暗殺未遂事件が発生していて、そのターゲットである第1王子は生存していた。事件は解決していないし、事件が継続する可能性もあった。今すぐは行動を控えるかもしれないが、1年後や2年後に同様の事件が発生する可能性はあった。
「犯人を探す事は難しいと思います。父上。」
「現場の証拠はすでに消されているだろう。それに、犯人につながる手掛かりも出てこないであろう。公的な組織の協力を得ることはできない。犯人に辿り着くのは無理だ。」
「では、ケネット侯爵派に対する警告を発して、牽制だけはしておくという事ですか。どのような牽制であっても、派閥争いに発展すると思います。」
「牽制はするが、派閥争いが激化するのは避けなければならない。第1王子の身が危なくなるし、多くの貴族から犠牲者が出る事になるからな。」
「そのような牽制の方法があるのですか。」
「ある。宰相補佐を辞職する。」
宰相の孫であるロイドと公爵の長女であるレイティアが婚約を結んでいる上に、公爵が宰相補佐の地位にあることから、公爵は宰相派の筆頭と認識されていた。宰相が国内の力関係のバランスを取るために、第1王子を推しているため、宰相補佐である公爵も第1王子派であると認識されていた。
「旦那様、中立派になるのでしょうか。」
「そうだ。」
「もう、派閥間のバランスを取る必要がないとお考えですか。」
「暗殺まで起こそうとしたのだ。派閥間の力関係は一方に傾いてしまったと言っていいだろう。」
「父上のおっしゃるとおりですが・・・。」
重職を辞めて、所属派閥を中立派とする意味を考えなければならなかった。特に、敵方の認識にどう影響を与えるかが重要だった。
「旦那様、レイティア様とロイド様のご婚約はいかがするのですか。」
「婚約はそのままだ。宰相も解消するとは言うまい。仮に解消する事になっても、レイティアもロイドも恋愛結婚をすると言って結婚するだろうからな。」
「レイティア姉上なら、そうすると思いますが。くれぐれも婚約に関する話は出さないでください。婚約破棄をするつもりはない。ということも言わない方が良いと思います。婚約破棄の言葉だけに反応してしまうと思います。」
姉への配慮だけでなく、婚約は解消できなかった。所属派閥を変えながらも、婚約を維持する事そのものが、周囲に対するメッセージになった。形式的には、娘セーラの失態の責任を取っての辞任という事になり、これ以上娘に対して責任を取らせるような行為をさせないという、公爵家の意思表示になった。さらに、辞任以外のペナルティ以外を受けるつもりがない事を示す事で、今後のセーラを守る事にもつながった。要するに、公爵家として先手を打って一歩後退する事で、これ以上は下がらないというラインを示したかった。
さらに、セーラへの処分を最終的に決めたのは国王陛下であり、直接抗議する代わりに、辞任という形で間接的な抗議を行う意味があり、国王の補佐としての機能を果たさなかった宰相に対する抗議の意味も持っていた。
そして、公爵家が中立派に所属する事は、他の貴族達とは意味が逆だった。普通の貴族であれば、自分を守ってくれる防御壁を失った事を意味するが、公爵家の場合は違った。足手まといを切り離して自由に行動する事を宣言した事になった。公爵家に手を出してくれば、単独で即反撃する事を表明した事に等しかった。
「中立派として、今は情報収集を行う他ない。ただ、今回の件はセーラが悔しい思いを堪えた事で、大きな味方が手に入ったと考えるべきだろう。」
「バース殿の事ですか。」
「死を覚悟していた公爵邸に来た総団長が、今回の処置に憤りを持っているのは間違いない。そして、お前たちに助けられたのだ。その事を誰よりも理解しているだろう。」
「分かりました。そのように考えます。」
「セーラの部屋に戻るがいい。」
そう言ったギルバード公爵は事務机へ向かうと辞表を書いた。
「お姉様、今日も学園はお休みですか。」
「そうよ。セーラと一緒よ。」
朝の訓練を終えた一家と使用人達が大食堂で朝食を摂っていた。完全回復を果たしていたセーラも訓練に参加して日常生活に戻っていた。謹慎が解けるまで4日が残っていて、レイティアもアランも学園を休んでいた。事件は楽しい出来事ではなかったが、落ち込んでいても何か良くなる訳ではないので、家族も使用人も普段と同じ時間を過ごしていた。
「ロイドお兄様と会えなくてもよろしいのですか。」
「心配してくれているのね。ロイドも学園をしばらく休んでいるから、気にしなくても大丈夫よ。!!」
「どうかしま・・・。」
大食堂に茶系の紳士服のロイドが入ってきた。一家のテーブルを確認すると、注目を浴びながら歩いてきた。その表情と学生服ではない姿から、何か特別な事があった事が理解できた。
「おはようございます。公爵様。」
「ああ。おはよう。」
「お話があります。」
「ここでか?」
「はい。休日2日間に王都内に広められた噂話を報告しに来ました。いずれ使用人達も聞くことになると思いますので、ここで話をした方が良いと考えます。」
土の日、太陽の日に王都に広まった噂は悪意を持ったもので、しかも爆発的に広まった。バラまいた側の最大の狙いは、第1王子が公女を強姦したという嘘を広めて、第1王子の評判を下げる事にあったが、この嘘にしか思えない噂はほとんど広まらなかった。つい先月手に入れたコンラッドの評判は簡単には崩れなかった。
ただ、この噂によって王宮や学園、小の巣で何かが起こった事は間違いないと民衆は確信したため、真実は何であるのかと言う興味は沸き上がり、様々な噂を受け入れる土台を作った。
「公女が娼婦のように第1王子を誘惑した事件が、魔獣の巣の中で発生した。」
ロイドは集めてきた虚言を隠さずに伝えた。いずれ知られる事になるだろうから、その時に冷静な判断ができなくなるような事態を避けるための措置だった。目の前で妹が表情を失っていくのを見つめながら、話を続けた。
悪女ミーナが公爵を誘惑して作った娘も、公爵の血をひいていながらも、娼婦の血を強く引いていて、公女の地位だけでは満足せずに、より大きな権力を求めて王妃になる事を画策した。学園の同級生である第1王子に近づき、護衛がいなくなる洞窟内で既成事実を作ろうとして、クゴの実で麻痺をさせて王子の自由を奪った。事に及ぶのに失敗した公女は、10日間の謹慎を王勅で命じられた。もちろん、それは公爵が公女をかばった事で減刑されたもので、公爵が公女を庇ったのは、悪女ミーナが公爵の弱みを握っていて、セーラがそれを引き継いでいるからだった。
ミーナとセーラを知る人間からは、馬鹿馬鹿し過ぎて話にならないと、切って捨てるような話であったが、庶民の多くは、真実として確信している訳ではなかったが、嘘であると言い切れないとも考えていた。
王都の住民にとって、公爵家は英雄であり、公爵と公爵夫人は前回の暗闇の暴走で自分たちを救ってくれた恩人であり、彼らに対する悪い噂話をする事が許されないと考えられていた。暗闇の暴走後のアラン、エリックの誕生は公爵家のお目出度であると同時に王都の慶事でもあった。幸せに包まれた公爵一家を誰もが祝福していた。
そんな公爵家に突然現れたセーラは、内情を知らない庶民から見えれば、公爵家を乱す存在でしかなかった。そして、その母であるミーナは、美しさは持っていたかもしれないが、戦闘で傷ついた公爵夫人を踏みにじり、公爵を奪った毒婦であるとしか思えなかった。
ミーナもセーラも公爵家から心から愛されているという話を聞いたことがある庶民は、公爵家の人間が優しい方々ばかりだから、そのような人間でも愛を注いでもらっているのであって、2人が本当に愛されるべき存在であるはずがないと考えていた。
本当に公爵家を思うような母娘であれば、今まで通りに庶民の中で隠れてくれしていれば良かったのに、わざわざ表に出てくるのだから、金や権力が欲しくて仕方がなかったのだろうと、庶民の多くが考えていた。
そんな土台がある中、王勅による謹慎処分、公爵の宰相補佐辞職の事実が存在していれば、流れ出た数々の噂の中で、セーラに関する悪意を持った話だけがより真実に近い情報だと信じられて、拡大していった。
「食べ終わりました。」
話が終わったと同時に席を立とうとしたセーラの手をレイティアが掴んだ。
「お願い、きちんと食べて。食べられなくても、皆が食べ終わるまで、一緒にいて。」
引き留められたが、セーラは返事ができなかった。とにかく、この場所から逃げ出したかった。
自分の不名誉が母ミーナの不名誉につながる事は分かっていたはずで、処分を受け入れると決めた時、こんな事態になると予測できたはずだった。しかし、あの時は家族のために自分が犠牲になる事に酔いしれていた。満足感に支配されていて、母親がこのように悪意ある噂で貶される事を考えもしなかった。
母ミーナがここまで人々に蔑まされているのを知った時、家族のためにした決断を後悔してしまった。今はその後悔が間違っていると分かっていても、確かにその後悔をした。 自分と母さんのために苦しみに耐えようとしてくれている家族のためにした事を後悔した自分が許せなかった。この場にいる資格が無いとセーラは考えていた。
「公爵様、朝食がまだなので、ご一緒させてもよろしいでしょうか。」
「ああ。」
「ありがとうございます。」
ロイドが1人分の食事を取りに行って戻ってきた。
「セーラ、隣にいいかい。それに、座ってくれないか。ずっとレイティアに手を掴まれているのを見ると、その、何だか、嫉妬してしまうんだ。婚約者としては。」
ロイドのセリフが自分を気遣ってくれたものであると分かると、セーラは誰かを思いやる事の大切と難しさを思い出した。作り笑顔を見せて姉に頷くと、セーラは食事に戻った。
朝食後にロイドは公爵の執務室を訪れた。
「ロイド、感謝する。」
「はい。ですが、元と言えば、祖父の責任です。」
今回の事件は、宰相である祖父が前面に出て処理するべき事で、王勅が出たとしてもそれを無視して宰相として捜査をするべきだとロイドは考えていた。もちろん、人生初めてと言える祖父孫喧嘩を展開したが、どんなに弁論で祖父を言い任せたとしても、一学生に過ぎないロイドに決定権はなかった。
「宰相殿にも色々と事情があるのは、一番分かっているはずだ。そのように宰相殿を責めるような事はしないように。」
「はい。分かりました。」
「うん。それで、改めての話というのは何な?」
「結納金の前払いをお願いに来ました。」
「いくらだ。」
「金貨500枚です。ギルド証書の形でお願いします。」
「足りるのか?」
「足りなければ、またお願いに参ります。」
「危険はないと思うが。レイティアに叱られてしまうから、一応聞いておきたい。危険はないのだな。」
「自分の武力は分かっています。危険は全くありません。」
「もう1つ確認しておくが、婚約に関して宰相から何かを言われた事はあるか。」
「ありません。私の婚約を一番喜んでいるのは祖父ですから。」
「そうか、この後はすぐにとは思うが。レイティアの所に顔だけは出しておいてくれ。」
「はい。」
この後、ロイドは王都のギルド長の所に調査依頼を出した。各地のギルドの魔石の取引データを全て集めるようにとの依頼だった。20匹の魔獣を出現させるためには、属性の付いていない魔石が20個必要で、それは市場流通の外に出た物となるため、魔石の流れを掴めば、犯人までたどり着く可能性は高かった。
最終的には、ケネット侯爵派の4家が特定できたが、公的に断罪する事ができなかった。その代わりに、ロイドは宰相の孫である事と、祖父の仕事を手伝っている事を利用して、政治と経済の両面において報復を行った。




