2年生 その42 武勲
42 武勲
セーラの部屋に布団を持ち込んだ一家は、ベッドの周囲を守るようにしながら寝ていた。5人の戦士たちが一斉に起き上がると、アランが部屋の灯りを付けに入口に走り、公爵夫人が大きなベッドの左隅で寝ていた娘の顔を覗き込んだ。
深紅の瞳がはっきりと見えた。
「セーラ。」
「・・・。」
「未だ声は出しにくいから、何も言わなくていいわ。体も無理に動かそうとしないで。ここは自分の部屋よ。お友達も全員無事よ。」
瞳が笑っていた。
「お母様、セーラを起こしてあげないと。エリックは、シチューを少し温めて。」
「セーラ、しばらくは思うように動かないから、力を抜いていてね。」
紺色のワンピースの母親と水色のワンピースの姉が、左右から妹の体を支えると上体を起こした。背に大きな座椅子とクッションを設置した。
「水を少し飲んで。」
小さなスプーンですくった水を乾燥しきった唇の間に入れた。それを見た姉が優しくセーラの顔に触れて動かした。顎を少し上げると、口の中に入った水が喉へと流れ込んでいった。
「もう少しね。しばらくすれば、少しだけど体が動くようになるから。その後に、薄いシチューにするから。」
回復補助剤は、体内の全エネルギーを傷の治療に向かわせる薬剤であるため、傷を修復する代わりに、体力を激減させた。セーラは初めて、自分の意思とは関係なく、体が動かせない状態になった。本来であれば恐怖を感じるはずだったが、周りにいる家族のお陰で恐怖は無かった。
30分の時間をかけて、シチューを飲ませたセーラは、瞼を閉じて睡眠に移行した。薬草学が発展しても、人間の体を回復させるのは栄養と睡眠であることに変わりはなかった。
「3時間後に目覚めるから、エリス、今度はきちんと眠るんだ。疲れた顔を見せるとセーラが心配するから。」
「はい。」
「3人も眠るんだぞ。」
「父上は?」
「私はきちんと寝ていたから。セーラの側にいる。」
戦士として戦場で過ごしたこともある戦公爵は半眠の技能を持っていて、外から来る刺激に反応できる状態で、体を休ませることができた。公爵邸でそれを実行するとは思わなかったが、公爵家の戦いは今からだと考えると、ゆっくりと休める時間は最後なのかもしれないと覚悟した。
目覚めたセーラは、自分の左側にギルバード公爵が椅子に座っているのを確認した。
「お父様・・・。」
「おはよう、セーラ。ああ、動くかもしれないが、私が起こすから、そのままで。」
「はい。」
公爵の声掛けで目覚めた家族が朝食の準備をしながらセーラに微笑みかけた。セーラは笑顔で返そうと思ったが、公爵家の薬草学で学んだように、全身の筋肉が完全回復するまでには2日かかるようで、表情筋もほとんど動かす事ができなかった。
具を細かく砕いたシチューを口に運んでもらうと、自分で飲み込む事はできた。体が自由ではないが、強烈な空腹感がなかなか収まる事がなく、普段の食事量を超えたシチューを体内に取り込むと、セーラは少しだけ体が動くようになった。
一家はセーラの部屋での朝食を終えると、大きなセーラのベッドに腰かけてから、24時間前に起こった出来事の詳細を聞いた。
刺客を背後から絶命させた事。
20匹の魔獣と戦った事。
最後の一匹に直前まで気付かずに、左脇腹を切り割かれた事。
戦闘においては、一挙手一投足、どちらの短剣をどのように振るったのかを話した。予想を遥かに超えた戦いの様子に、3人の姉弟だけでなく、両親も言葉をかける事ができずに話を聞き続けた。
セーラが1年3カ月で起こした奇跡の成長が、奇跡の生還を実現した。そして、第1王子の命を救った事は、破格かつ奇跡の功績だった。歴史に残るであろう偉業を果たした事が、生還に勝る喜びにはならなかったが、娘が生まれを気にすることなく、公爵家の娘として生きて行く事ができるのだと思うと、家族たちはそれを喜んだ。
「よくやった。」
公爵の大きな手が赤髪に触れながら頭を撫でた。一瞬、何が起こったのかが分からずに驚いたようにセーラの動きが止まったが、わずかにしか動かない表情筋が動いて笑顔を見せた。その場にいる家族は、赤い瞳が嬉しそうに輝いているのを見つめた。
「お姉様とアランは学園の時間・・・。」
「今日はお姉様もアランもお休みよ。学園は多分お休みだろうし、あったとしても。お父様、いいですよね。」
「ああ。」
「今日は、アイリスが来る日・・・。」
「そうだけど、今日はセーラ姉さんと一緒に居たいから、と言うより、昨日ランドルフ卿が来てくれて、アイリスは家で勉強するという話になったよ。」
「お母様、さっきはお水をありがとうございます。」
「ええ。よく、よく・・・。」
「母上、泣くのは堪えてください。セーラ姉上が笑顔なのですから。」
「分かっています。」
「だったら、お母様もセーラを撫でてあげたら。」
レイティアの提案を受けると、夫人は公爵に場所を譲ってもらうと頭を撫でた。心地よさに包まれたセーラが、眠そうに瞼を動かした。
午前11時、第一近衛騎士団団長バース・ガターリッジ伯爵が、公爵邸を訪れた。ギルバード公爵とセーラ公女との面会の旨を伝えると、セーラ嬢の私室へ通された。
騎士の中の騎士と評される36歳の硬骨の騎士が、近衛騎士の武具装備を身に着けている事に、公爵は驚くと同時に警戒感を高めた。国王陛下の使者として最適任の人間ではあるが、武装しての訪問の意図が分からなかった。
「娘はベッドからは未だ起きられない。このままで良いか。」
「はい。」
「私と娘との面会との事だが、家族がいても良いか。」
「はい。」
庶民のような普段着姿の美男美女から感じられる戦士の気配は、近衛騎士団とは全く別の次元のものであった。一番年下の戦士からだけは、親しみを含んだものを感じるが、ベッドの上半身を起こしている少女以外の4人からは、敵意を含んだ気配を感じた。もちろん、事件に関する調査をしている自分に対してではなく、その向こうにいるまだ見えていない敵に対したものであることは分かるが、すぐに近衛騎士団団長に対する敵意になる覚悟はしていた。
「して、用件は?」
「今回の事故に関して。」
「事故!?事故と言ったのか。」
発言をする資格のないアランが声を荒げた。姉の治療をしてから、この事件に関する様々な想定を繰り返してきた次期当主の中に、事故と言う言葉は一度も出てこなかった。姉から詳細を聞かされる前から、暗殺事件である事は確定していて、現場を調べた騎士団が刺客と魔獣の死体と魔石を回収しているのだから、結論は1つしかないはずだった。
「私が調査の責任と裁定を下す権限を持っています。国王陛下より命じられました。国勅によってです。」
「勅を拝見したい。」
左手に持っていた丸まった勅を両手で開くと、前面に出す形でそれを示した。公爵が頭を下げると、セーラも静かに頭を下げた。
「頭をお上げください。」
2人が頭を上げると、団長バースの表情が曇りを深くしていた。だが、その気配の中に決意がはっきりと感じ取れた公爵家の人間は、次の言葉に固まった。
「事故の裁定を申し渡す。公女セーラ、魔獣洞窟内でクゴの実を踏み抜き、侵入体験中の学生を麻痺させた罪により、公爵邸内において謹慎10日を申し付ける。以上。」
最初に冷静さを取り戻したのはアランだった。
第一近衛騎士団団長は、総団長と呼ばれる事もある、イシュア国の最高の騎士であり、その実力は公爵家を除けば、国内一であり、特定の派閥に所属せずに王家のみに忠誠を誓う特別な存在だった。一代伯爵の地位を受けて、伯爵家並みの収入を得ていて、侯爵家と同格の扱いを受けていた。
その総団長が、ケネット侯爵派に屈するはずはなかった。だが、セーラからの事情聴取もせずに、セーラの罪を確定させた事実は、総団長が派閥の意向を受け入れた結論しか導き出せなかった。侯爵派の第2近衛騎士団団長を介して繋がったのか、事件後に取り込みに成功したのか、どちらにしても近衛騎士団の上層部が完全にケネット侯爵派に支配されて里と考える必要があると、公爵家の面々は考えた。
バースはこの任を受けた時、死を覚悟していた。
巣を調査した結果、暗殺未遂事件であることが判明した。事件発生2時間後には国王と宰相に報告すると、ケネット侯爵の身柄を確保するための部隊をすでに編成していたため、出動の許可を国王に具申したが、国王と宰相から出てきた命令に耳を疑った。
事故として処理するようにとの王命に対して、無礼にも聞き返した上、初めて反対意見を述べた。侯爵に責を取らせれば、第2王子に責が及ぶことがないようにできる事、事故として処理する場合、怪我をしたセーラ嬢の姿が周知なため、公女に何らかの失敗があったという事で、話を偽造しなければならない事を伝えた。
そして、それは公爵家を敵に回す可能性が高い事であり、イシュア国の根幹を揺るがす事態になるからとの忠言を繰り返した。5時間もの説得を試みたが、王家内の後継者争いに発展しかねない危惧を避けるためと言う看板を掲げた2人を、バースは説得する事ができなかった。
第1近衛騎士団団長には、歴代の団長から伝わる門外不出の書物があった。それは、王家の歴史書に記載できないような闇の事件をも正確に記したもので、バースはこの国で誰よりもイシュア国の闇を理解していた。その闇の書物の中に記されている様々な王家の人間の言葉や過去の総団長の言葉の中に多く見られるのが、公爵家の人間を守れ、もしくは公爵家の人間を巻き込むな、といったものであった。
正史の中では、第4王子と公女の素敵な恋愛話も、闇の書物の中での実態は全く違った。後継者争いを始めた3人の王子が、公女を利用したことに対して激怒した国王が3王子の毒殺を命じて、殺害した後、父の命令を忠実に守った第4王子と公女を結婚させた。
「公爵家の価値を理解できない王子など必要ない。後継者争いを勝手にやるのは構わないが、公女を誘拐するなど許せない。私の快気祝いだと偽って、三人を晩餐に招いて毒殺せよ。」
このセリフだけが大きい文字で書かれているのは、それを記した総団長の後悔を示していた。
「次の総団長よ。そして、これから続く後輩たちは忘れてはいけない。私がここまでに書いた事件の真相と結末は、王家の歴史に書かれないが事実である。そして、この書の内容も真実だ。私のように、大げさに書かれている書物などと考えてはならぬ。私はこの後自害するが、歴史上は今しばらく生き続けるだろう。だから、私の死期が違うからと言って、この文書を疑ってはならない。165ページと、3巻の78ページを読むがいい。私と似たような遺言を残している過去の総団長の最後の言葉だ。私は2人が残してくれた言葉を、つい先日まで笑っていた。その愚かさが、この遺言を書く原因となった。真実と思えないなら、それでも良い。だが、少なくとも後世に伝えたい忠告の書である事は覚えていてくれ。」
先代より譲られた騎士の剣と秘密の書庫の鍵の重さを誰よりも理解しているつもりだったが、事件の真相に近いものと後世の総団長へ忠言を書き記したメモを書庫に残して、バースは公爵邸へ踏み込んでいた。
「この決定は、全て私の責任で行いました。異議があるのであれば、この場で仰ってください。」
自分自身の命と引き換えに王家を許して欲しいとの願いが通じるのかどうか、公爵家から死人が出なかった事で、自分1人の首で治めて欲しいとの願いが通じるかは分からなかったが、それを期待するしかなかった。
公爵家を巻き込む事を事前に防ぐことができなった以上、国の闇を唯一知っている自分の責任の取り方は1つだけだった。




