2年生 その38 冒険と
38 冒険と
学園中等部2年生、前期の成績学年36位。
上級クラスとしての面目を保つことはできたが、誇れるようなものではなかった。勉強を疎かにしたつもりは無かったが、期末試験の勉強に全力を尽くした訳ではなかった。コンラッド殿下のサポートで忙しくかったと言いたくても、クラスのほぼ全員が同じ条件であったから、能力と努力がそのままの順位になった。
成績を報告して、褒められる事も、叱られるような事もなく、次に頑張ろうという声をかけられた事は、救いであると同時に、情けなさで心を刺される事でもあった。ただ、次はその痛みを忘れることなく、勉強に励もうと誓いを立てる事は、どこの家庭の子供でも通る道だった。
そんなセーラにとって、後期の最初の授業は小の巣への侵入体験だった。
王宮と学園に近い場所に小の巣が存在していた。近衛騎士団の管轄下にあった魔獣の巣へ、学園中等部2年生が突入する肝試しが恒例で行われた。魔獣達は定期的に巣の中に湧いて出てくるが、一度巣の中の魔獣を全滅させると2日間程は魔獣の存在しない地下構造となる。その安全な巣へ学生達が侵入体験と称して入っていく事は、貴族の責務である魔獣の巣に対峙する事をきちんと意識させるという狙いがあった。
イシュア国が地上を跋扈する魔獣達を駆逐して開いた国である以上、貴族の最大の責務に魔獣を駆逐する事があり、たとえ形式的な事であっても、魔獣の巣へ入った経験は貴族の証になった。
初めて魔獣の巣に入る学生達に緊張感はあったが恐怖感や切迫感はなった。ただ、戦公爵の娘だけは見た目から違っていた。学生の訓練服ではなく、対魔獣の装備を纏っていた。赤黒い魔獣の皮で作った肌に密着している肌着で全身を覆っていた。それだけであれば、赤黒い裸体にしか見えない装備品は、柔軟性、伸縮性を持っている上に、皮鎧と比較すると高い防御力を誇っていた。
その腰にはベルトと2人の短剣を装着して、膝上の所までの皮スカートを履いていた。ベルトの背中側には細長いガラス瓶が10本装着してあった。その中には擦り傷であれば一瞬で塞ぐことができる傷薬が入っていた。上半身には茶色皮のベストを着ていて、様々な装備品が付いていた。左右の胸の小さなポケットには公爵家特製の薬品があり、左右の肩甲骨の位置に小さなナイフがあった。ベストと一体となった小袋の中には、様々な魔石が入っていた。肩下まで伸びている赤髪は三つ編みにして、1つに纏めてあった。
他の学生から見れば異様に見える姿も戦士である近衛騎士からは見慣れた姿であった。
「では、第1団出発する。これまでの授業通りに。」
戦闘訓練の授業を担当していた騎士の声に従って、6人の学生が侵入を開始した。いつもの6人組が第一陣になったのは、魔獣との戦闘経験者であるセーラであれば、万が一の事態である魔獣の討伐残りがいた場合、確実に仕留める事ができるからだった。そして、クラスで一番強いセーラと一緒に侵入するメンバーに、最重要人物である第1王子が選ばれるのは当然で、必然的にいつもの6人がグループとなり、第1団として巣へと入っていった。
3m四方の窓口広さの通路が緩い傾斜で6人を地下にある中央広場へと誘った。2人が並んだ3列状態の一群は魔石を光源としたカンテラの灯りで進行先を照らしながら黙って歩いていた。
目的地は歩いて25分の距離にある大広間と呼ばれる半径20mの円形の空間で、天井までは10m、4本足の魔獣との決戦の場であり、多くの戦士の血を吸い込んだ地だった。その広場からは、入り口以外に4本の通路が伸びていて、その先には魔獣を生み出す場所があるが、そこへは行くことはできなかった。通路の途中に麻痺毒を発するクゴの実をつけたクゴ草の繁殖地があり、人間がそこを通過する事はできなかった。
「セーラでも緊張するのか。」
「誰でも緊張するわ。ペンタスでも緊張するのね。」
「俺は弱いからな。正直怖いよ。」
「・・・何かいつもと違う感じがする。油断しない方がいい。」
先頭を進むセーラとペンタスが小さな声で話をしていた。
「そんなに警戒するものなのか。」
「うん。魔獣を昨日討伐していても、油断はできない。」
戦公爵家の戒めを話しているのだと考えていたペンタスに対して、セーラは本当に違和感を持っていたから、警戒を緩めていなかった。今までに3回巣に入って魔獣と戦った事があるが、その時と同じような雰囲気を感じていた。
昨日の討伐で魔獣がいないはずの巣から、魔獣がいる時と同じ雰囲気を感じていた。魔獣がいるとの確信は持てなかったが、魔獣を倒して帰る時と同じ雰囲気ではないのは間違いなかった。経験不足から、はっきりと何が違うとは言えないが、確かに違っていた。それを感じたからこそ、セーラは適切な判断をすることができた。
討伐漏れの可能性が言われてきたが、最近の120年間でそのような事態は起こった事は無かった。3日間放置した後に魔獣を全滅すれば、確実に2日間は魔獣が現れる事は無かった。騎士団18名の討伐隊の出陣で、この規模の巣で討ち漏らしを発生させる方が難しかった。
行く時の緊張感と帰る時の解放感の違いから、認識する雰囲気が違っているのかもという認識をしようとしていたが、何かが違うという感覚を捨てる事ができないまま、セーラは大広間へと足を踏み入れた。
ペンタスの手にしたカンテラの光を背にする形で、セーラは中央へと歩みを進めた。広間に入ってきたリリアとキャロットが、広間の広さを確認するように、方向性のあるカンテラの光を方々に向けていた。最後に入ってきたカーニーとコンラッドも初めて見る地下構造の戦場に高揚感を覚えていた。
印がある訳ではないが、広場の中央に立つことが課題であるため、セーラを先頭に6人が中央へとゆっくりと進んだ。
目的を達成した6人の心が緩んだ一瞬。
音がした。尖った何かが空を切り裂く音がした。6つの音がした直後、セーラは背中に小さな何かが当たるのを感じた。痛みはなく、ただ小さい物体の先端部が背中に当たった感触があった。
ドサっ。
背後から、誰かが膝から崩れて倒れていく音がした。5つの音が聞こえた時、セーラは自分と仲間たちに何が起こったのかが分かった。即効性の麻痺毒の針を飛ばされて、5人は体の自由を奪われて倒れていった。クゴの実の麻痺毒は、即効性が高いが持続性は少なく、30分ほど動けなくなるだけだった。依存性や後遺症は確認されておらず、野生の牛馬を捉える時に良く使われていた。
セーラはベストの下に着ていた魔獣の皮で針が刺さるのを防いだことで麻痺はしていなかった。思考も麻痺していなかった。誰かが背後にいた。その誰かの狙いは、第1王子の暗殺であって、魔獣の巣の不幸な事故であると偽る計画である事は確定していた。最初の問題は、何人の刺客が背後にいるのかという事だった。
セーラは膝から崩れると、そのまま麻痺毒で倒れたように見せかけた。
入口とは異なる通路から黒尽くめの戦士が広場に踏み込んできた。手に持った光の魔石を発動させて、輝きの中心になると徐々に一番大きな学生へと近づいて行った。その男子の側に来ると光の魔石を地面に転がして、抜いた短剣を両手で握りしめると、膝をついてから両手と短剣を振り上げた。
歴史の闇に隠されるのか、表に出るのかは分からなかったが、イシュア国の歴史を大きく変える事に成功した高揚感が刺客にはあった。あったが、言葉を発するような事も、表情を変えるような事もなかった。一撃で王子を絶命させて、苦しみを与えない事だけが、未来を嘱望された王子への手向けだった。
だが、振り上げられた短剣が動く前に、刺客の背後に忍び寄ったセーラが、右手に握った短剣で、黒い男の背後から喉を一突きで貫いた。
貫いた短剣を放したセーラは、コンラッドに並ぶ位置に身を動かすと、背中を地面に着けて、もう一本の短剣を地面に刺す事で、自身の体をしっかりと固定させた。両足を曲げながら、刺客の腹部に足の裏を付けると、思い切り足を延ばして、その遺体を5m先へと飛ばした。
広場の中央部分に飛ばされた遺体に近づくと、セーラは刺客の首を切り離しながら、刺客の首に突き刺したままの短剣を回収した。
セーラはこれまでに4本足の魔獣を9匹殺したことがあった。父母と共に侵入した1回目は、2人に見本を見せてもらった後、1対1の戦いで2匹を打ち取った。姉と共に侵入した2回目は、弓を使っての討伐で4匹を打ち取った。兄弟と共に侵入した3回目は、3匹同時との戦闘の機会を作ってもらった。
魔獣は人ではないし、人間と共に生きるべき生命でもないため、魔獣を殺す経験を重ねたからと言って、人を殺す罪悪感や不快感が消えるとは思えなかった。だが、セーラは今、この刺客を殺した事に対する罪悪感も不快感もなかった。
敵を討伐して、仲間を守った高揚感はあっても、この刺客がどんな背景を持ち、どんな心情でこの仕事を成そうとしたのかに思いを向ける事もなければ、死体に憐れみを感じる事もなかった。
第1王子が民衆から大きな評価を得た事に危機感を持ったケネット侯爵派が動いたのは間違いなく、この後に発生する後継者争いで、多くの血が流れる事を覚悟しての刺客としての働きを実行したのだから、この刺客には憐れみを向けられる資格がないようにしか、セーラには思えなかった。
命のやり取りの中に身を投じて、自らが仕掛けたのだから、失敗した時に得られるものは死以外にはなかった。公爵家で魔獣と戦う定めを受け入れる事で、本当の家族になりたいと決意した瞬間から、セーラは命を賭けて戦う事を続けてきた。それは無自覚なものであったが、この刺客の命を絶ったことで、それをしていた事が自覚できた。
命を賭けて戦うという事は、命の価値を評価する事であり、守るべき命と断つべき命を選別する事であり、その選別を実行する事だった。
公女として王家を守護した事よりも、5人の仲間を救えた事がセーラには嬉しかった。
学園指定の訓練着ではなく、公女としての装備を選ぶように忠告してくれた姉レイティアに、ここから戻って感謝を伝えようと思った。公爵家にとって、魔獣の巣はどんな処でも、管轄外のものであっても、入るのならば死と隣り合わせ、できる準備を全てしなくてはダメだから、その姉の言葉があったから、自分が生き延びる事ができた事を感謝した。
そして、これからの戦いで、これらの装備品がなければ、刺客以上の脅威に対抗できない事をセーラは良く理解していた。
大切な仲間を失う事は恐怖だろうとは思うが、その思いが心を支配する事は無かった。どうやって戦い抜くのかだけをセーラは考えていた。魔獣の巣における最大の脅威は、魔獣だった。暗殺の証拠隠滅のために、やつらが血の匂いに釣られて、登場するのは間もなくなった。




