2年生 その31 騎士爵邸
31 騎士爵邸
イシュア国の階級は王族、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵、平民(庶民)の8つだった。公爵、侯爵、伯爵を上位貴族と呼び、広い領地を持っていて、街を複数所有していた。子爵、男爵、騎士爵は下位貴族とまとめて呼ばれることはあるが、子爵と男爵は小さいながらも領地を所持する者がいるのに対して、騎士爵で領地を持つ者はいなかった。貴族でありながら、仕える者であるのが騎射爵で、他の階級とは明確な差があった。
ただ、イシュア国では騎士爵を侮る者はほとんどいなかった。それは彼らが暗闇の暴走で死線を超えた者か、次の暴走において死線で戦う者かのどちらかであり、国の礎になるために命を捧げる人間が得る称号であると誰もが知っていて、敬意を払っていた。
その騎士爵の中でも強者として高名なランドルフ・ミクソンに久しぶりに会う事はエリックを喜ばせる事であったが、7歳になる少女とお見合いをする事に喜びは感じなかった。
「姉さん、ランドルフ殿の娘さんの遊び相手を頼むよ。」
「そんなのはダメよ。ミクソン家にはお見合いのようなものだと伝えてあるのだから。」
お見合いと言っても、2人が礼服やドレスを纏っている訳ではなかった。青を基調としたズボンとベストの庶民服がエリックの装いで、食堂時代から着ていた服を少し大きめに作り直した緑色のワンピースを着ているのがセーラだった。貴族が街を歩いているようには見えなかった。
「ようなものだから。正式なものであれば、付き添いはセーラ姉さんではなくて、お父様かお母様になっていたはずだよ。」
「そうかもしれないけど。向こうの令嬢が、そのつもりだったら。傷つける事になるかもしれないわ。」
「7歳の少女だよ。結婚とか婚約の事が分かっていないと思うよ。僕より姉さんと遊んだ方がきっと楽しいと思うよ。」
「そんな顔をするんだったら、断ればよかったのに。」
「あんな兄さんを止める事ができた?」
「できないと思うわ。そして、それを受けた以上、この訪問の責任は私たちにあるのだから。向こうでそんな顔をしてはダメよ。せめて、3人で楽しい時間を過ごすようにしないと。」
エリックはこの訪問が政略的に重要なものである事は理解していた。ランドルフは前回の暗闇の暴走では、一傭兵としてギルドに徴集された20歳の末端戦士だった。役目は街の警護で、武勲を得る機会もその実力もなかった。だが、その後すさまじい成長を遂げて、30歳で強さのみを評価されて騎士爵を賜ったという特異な戦士だった。
一般に騎士の成長ピークは25歳と言われていて、その後は実力を維持するために訓練すると言われていた。その常識を打ち破って、30歳まで急成長を続けていて、36歳になる今も剣技の冴えを磨き続けていた。この晩成型の騎士への期待は大きく、9年後の暗闇の暴走においては、強さから前線を守る事も、経験から後方で指揮を取る事もできる稀有な存在として、軍部の中心で活躍するのは間違いなかった。
その戦士の令嬢と公子が結ばれるとなれば、公爵家は有能な駒を確実に手にするだけでなく、国を支える多くの騎士爵の戦士たちに、軍部を司る公爵家がどれだけ期待をして、どれだけ厚遇を与えようとしているのかが伝わり、彼らの士気が上がるのは間違いなかった。
2階建ての騎士爵邸は、地方都市の食堂程度の敷地に建てられた物で、大きめの庶民の住宅でしかなかった。騎士としての給与が出ているため庶民目線では裕福な生活を送っていたが、使用人を雇う余裕はなかった。それでも平民の地位から貴族の仲間入りをした多くの者は満足していた。
玄関の呼び鈴を鳴らすと大柄で穏やかな眼差しのランドルフが扉を開けて出迎える。
「ようこそ、ミクソン家へ。」
「はじめまして、セーラ・オズボーンです。」
「ランドルフ卿、お久しぶりです。」
「エリック坊ちゃん、大きくなって。セーラ様は、その、お綺麗で・・・。貴族の挨拶と言うのがよく分からんのです。」
「私は少し前まで庶民でしたから、いつも通りにしてもらって構いません。」
「そうそう、僕は坊ちゃんでいいし、セーラ姉さんは、嬢でいいよね。」
「もちろん。」
「そうですかい。はあ、公爵も敬語とか不要と言うんで、あっしも含めて、平民出の騎士は、言葉遣いが荒いし、敬語を使い慣れてないし。妻も娘も、無礼があるかもしれんが、許してやってださい。」
「大丈夫です。奥方とお嬢様は、どこですか?」
「一応、応接室というのかな、そこで待っていますんで。」
茶色のズボンと白いシャツは新品のようで、公子公女に対する精一杯の気配りであった。
久しぶりに実家を思い出させる普通の大きさの建物内を数歩進むと、目的地に到着した。その中で待っていた母娘はエメラルドの瞳と薄い緑色の短髪を持っていて、柔らかい優しさを醸し出していた。整っている顔立ちが特別な魅力を放っている訳ではなく、控えめに感じる雰囲気であるのに、巨体のランドルフを全て包み込んでしまような存在に見えた。
「ジュリア・ミクソンです。はじめまして、セーラ様。エリック様。」
「アイリス・ミクソンです。はじめまして、セーラ様、エリック様。」
母に続いて娘が淑女の礼で挨拶をした。
「セーラ・オズボーンです。はじめまして。ジュリアさん、アイリスちゃん。」
きつめな性格に見られるつり目のセーラが憧れを持つタイプの美しさを持っている母娘であり、娘の方は7歳であることから、将来の美しさを保証する可愛らしさを持っていた。孤児院で出会った絵の上手な少女と再会するとは思っていなかった。アイリスという名前に聞き覚えがあると感じた時、もう少し調べておけば絵道具を贈り物として持って来ることができたのに、と考える時間が発生していた。
「エリック、どうしたの、挨拶は?」
「あ、失礼しました。エリック・オズボーンです。」
「ジュリアさんは、夫人とお呼びします。アイリスちゃんには、私の事はセーラお姉ちゃんと呼んでもらいたいのだけど。いいかな?」
「はい。セーラお姉ちゃん。」
「嬉しい。エリックはお兄ちゃんでいいわよね。」
「あ、はい。」
弟が笑顔でいる事は合格点を出せるが、心ここにあらずの対応を何とかしたかった。3人だってお見合いだとは考えていないだろうけど、公爵家の令息令嬢を屋敷に迎えた貴族として最大限気を使ってくれていた。その気遣いに対して、楽しかった時間を過ごしてもらう事が、時間を取ってもらった側の礼だった。
「早速ですけど、料理の材料があるのであれば、お昼に向けての料理をしたいのですが。夫人もアイリスちゃんも手伝ってもらっていいですか。」
「はい。」
「もちろんです。」
「僕たちは、ここで料理を待っています。」
「!分かったわ。厨房に案内してもらえますか。」
「エプロンはどうしますか。」
「ここに持ってきています。」
「では、こちらへ。」
セーラは動揺を噛み殺しながら、厨房へ旅立った。エリックが大活躍できる厨房に来ない選択の意味が理解できなかった。形式的には2人の見合いであり、裁定でも2人が一緒に遊んだという状況を作らなければならなかったのに、打ち合わせ通りにしない弟の意図が全く理解ができないまま、セーラはミクソン家の母娘と一緒に厨房へと向かった。
応接室のテーブルを挟んで椅子に座っている2人の戦士は視線を交えていたが、鋭さはなかった。
「エリック坊ちゃん。セーラ嬢は一緒に調理をするつもりだったんじゃあ。」
「いいんです。それよりも、アイリス嬢の好きな色って何ですか。」
「色ですか・・・。何だろう。」
「今日の服は淡いピンクでした。」
「ああ、セーラ嬢の髪の色に合わせてとか言ってたな。ん、嬢は真っ赤なんだが。ん。」
「ピンクは赤系の色ですから。」
「ああ。」
「好きな色は何ですか。」
「えー。あ、緑だ、緑。」
「瞳と髪の色ですね。」
「そうそう。」
「嫌いな色ってありますか?」
「青かな。」
「え!」
「ん。嫌いとかじゃなくて、俺だけ青い目で家族の中で仲間外れだって言ってただけだから、嫌いとは違うかな。」
安堵の溜息を洩らした。
「好きな食べ物は何ですか。」
「好き嫌いはないな。何でも食べるけど。ああ、孤児院でセーラ嬢に作ってもらった料理が大好きって言ってたな。良く食べている。」
「自分で作っているんですか?」
「一緒に作ったから、真似して作れるようで、あれは美味しいんだが、セーラ嬢の作ったのはもっとうまいと言って。今頃作り方を教わっているんじゃないか。頼まれたのとは別に材料を買ったとか言ってたし。」
「なるほど。好きな飲み物は何ですか?」
「水・・・。果汁水かな。」
「何の味が好みなんですか。」
「何でもかな。市場で売れ残った果物で作るからなぁ。」
「好きなこと、趣味のようなものはありますか?」
「絵を描くのが好きで、得意だな。びっくりするぐらい似顔絵が上手で、そっくりに書くんだ。俺のはもう少し勇ましい感じに書いてくれてもいいんだが。」
質問攻めが続いた。戦いにおいて情報が大切である事は戦公爵の子息としてきちんと学んでいた。
「好きな本か物語はありますか?」
「本?この間、字を習い始めたばかりだから。読んでいる本は、学校から借りている字を覚える絵本だけだからなぁ。」
「自分が読むのではなく、読んでもらうのが好きな物語とかはありますか?」
「俺が読んだ事は無いから、ジュリアに聞いてみないと分からんな。」
「なるほど、その辺は夫人に聞いた方がいいのか。」
「ところで、坊ちゃん。アイリスの事が気になるって事なんですか。さっきから。」
「はい。もちろんです。」
「あ、はい。分かりました。」
丁寧な口調に違和感を覚えながらも、騎士爵の戦士は公子の質問に答え続けた。生まれたばかりの頃の話や、名前の由来を始めとして、娘の7年間を振り返るような質問の数々に、父親としてとても楽しい時間を過ごす事はできたが、3年前の娘自慢の際の言葉が、今になって何を引き起こしつつあるのかが少し怖かった。
3人が昼食の準備を整え、応接室の2人を食堂へと招くと、昼食会が始まった。
「美味しいでしょ、ママ。」
「これが作りたかったのね。前のも美味しかったけど。セーラ様、教えていただいて、ありがとうございます。」
孤児院で披露した事のある挽肉料理の完成版を前に、緑の瞳を輝かせながら、母娘が感動していた。その様子を見守る父が黙って頷いているのは分かるが、弟がニコニコとしながらも会話に入ろうとしなかった。
「あの手順を守った上で、ソースを工夫すると、色々と楽しめます。エリックもいくつか挑戦していて。美味しいのがあるのよね。」
「はい。」
7歳の少女への配慮があってしかるべきという事はここに来る前に話をしていた。最終的に年齢差があるから婚約は難しいという話になったとしても、そこに行き着くまでには仲良くしようとする行動が必要だった。酒の席で出てきた父親同士の世間話を、婚約者候補との見合い話にしたのは権力者の公爵家なのだから、婚約が成立しなかった場合の責任は公爵家にあった。
一緒に調理作戦には欠席して、昼食で交流を深めようとしているのにニコニコしているだけで、公子が積極的に話しかける事は無かった。
手頃な広さの食堂、食堂机、机を埋め尽くす料理皿、庶民の生活を思い出しながら、素敵な一家と楽しい食事を楽しみたいのに、エリックを会話に混じるように誘導する事に気を取られていた。
「アイリスちゃんは、本を読むのが好きなんだよね。」
「はい。」
セーラとアイリスが友好を深めるための昼食会が終わった。食後のお茶を飲みながらの会話では、セーラはエリックを無視して、ふんわり柔らかな妹候補とだけ話をしていた。
「そろそろ帰らないと。」
「え、セーラお姉ちゃん、帰っちゃうの。」
交流を深めるために、調理の時間を設けてはいたが、お見合いの昼食会だった。
「ごめんね。もう少し一緒にいたいけど。この時間に帰るとお母様に伝えてあるから。ああ、また今後会える日を作るから、そんな顔をしないで。」
「アイリス、失礼よ。」
「だってぇ。」
「来週の土の日はどうかしら。午前中から、夕方まで時間が空いているから。エリックと来てもいいですか。ミクソン卿。」
アイリスが笑顔になった事を喜んでいる2人の男性が言葉を発しないと話が進まなかった。
「ミクソン卿、招待していただけますか?」
「ああ、俺か。もちろん。」
「エリックも来週の土の日は空いているわよね。」
「はい。」
ミクソン騎士爵邸からの帰り道も、帰宅後の公爵邸でも、笑顔のままで多くを話そうとしないエリックが、7歳の少女に一目惚れしている事を気付いた者は誰もいなかった。




