1年生 その24 能力
24 能力
エリス・オズボーン第一公爵夫人。
35歳の母親は、美の女神の尊称を失いことなく、その美しさを保っていたが、それは年齢に見合った美しさを持っているというのではなく、18歳の若々しさを持っていた。16歳の第1公女レイティアと双子だと言われるのは、顔の造詣が似ているからではなく、ほぼ同じだからであった。瞳の色が違うから、間違われる事はほとんどないが、目を閉じて立っていれば、2人を区別するのは困難だと言われていた。
美しい事から女神と呼ばれていた公爵夫人は、永遠に老いる事のない姿から、本当の女神ではないかと言われるようになっていた。そして、公爵家のメイド達は、公爵夫人の美しさと若々しさを保つプロであると評される度に、自分達の手入れが素晴らしいからではなく、本当の若さをエリス様が持っているだけだと主張していた。
ありとあらゆる美を手にしているエリスが興味を持っているのは、子供達の幸せと対魔獣戦の事だけだった。容姿と同じように、戦闘力でも衰えを見せない母親は、2人の公女の育成が喜びでもあった。
地下訓練場で行われる家族だけの訓練で女性陣の3人は両手に短剣を持っていた。防具は、全身を密着して包み込んでいる赤黒いインナーの上に、茶皮のベスト、腰ベルト、短いスカートを纏っている軽装備だった。速さを追求する軽装備で対峙する戦士たちは、相手を切り裂くことに躊躇いのない速さと鋭さで、剣と剣の撃ち合いを続けた。
訓練中に母親が声を出す事は無かった。ただ目の前の対戦相手の攻撃を避けて、攻撃を繰り出す事を忠実に実行する機械のように見えた。いつも優しく、気を使い、自分を傷つけない事を最優先する母親が全くそれをしない空間が、地下訓練場にはあった。第2公女は最初は恐ろしさを感じていたが、ようやく剣での対話ができるようになると、母の持っている戦闘での厳しさが、剣士としての優しさである事を理解するようになった。弱ければただ死ぬ、それが魔獣との戦いであり、セーラは望んでその道を選んでいた。
無言ではあるが、剣を振る時に、殺気と呼ばれる事もある戦意を母親は子供達に向けていた。それは無言のまま、弱点を指摘して、その部分を防御するようにとの指示でもあり、公爵夫人なりの剣技の指導であった。一段上の成長を遂げたセーラがそれを理解できた時、この成長のために母親がどれだけの配慮をしながら剣を振っていたのかを知り、戦士としての公爵夫人が、不気味な恐ろしさを持っていると思ったことを心の中で謝罪した。
「もう少しだけ、右足を下げた位置を定位置にして、剣を構えて。」
地下の訓練場から地上に向かう途中でセーラは話しかけられた。
「はい。ご指導ありがとうございます。」
「これからもっと強くなれるから。今はレイティアの動きをよく見た方がいい。」
剣技における誉め言葉と期待の言葉は初めてだったセーラは、少し泣き出しそうだった。
「はい。そうします。」
涙を堪えたセーラは母親に笑顔で応えた。
セーラが父母と触れ合う時間は平日においては、早朝訓練と朝食、晩餐とその後の少しのティータイムだけだった。父の方は必要があれば話をする程度であったが、母の方は必死に話しかけてきた。それはセーラに初恋している不器用な男子のようで、話の内容は全く価値がないのに、とりあえず何でも話そうという勢いだけで会話を進めようとした。会話が繋がらない事が多いが、3人の子供達はそれをきちんと助けていた。
セーラにとって、何でも褒めてくれて、何でも肯定的に受け入れてくれる事は嫌ではなかったが、自身とエリスとの関係が、親子ではないと思える時があった。公爵夫人エリスが実母ミーナとそっくりなセーラに、大切な侍女だった女性の姿を重ねる事は仕方がないと考えてはいるが、娘として自分自身を見てくれないのではないかという不安があった。
そして、優しくされる度に、感謝と同時に、自分と母ミーナのどちらを見ているのだろうかとの疑問を持つと同時に、自分自身も、2人の母親を比べている事に気付いて、心の中に広がる何かを評価する事も、扱う事もできなくなっていた。
「セーラ、言いたい事は言った方がいいわよ。正しいとか間違いは無いのだから。」
姉のアドバイスを何度も思い出しても、セーラは公爵夫人に自分の感情をそのまま伝える事ができなかった。生さぬ仲でもある本妻と妾の娘である事実は変えようがなく、本妻である公爵夫人が庶民出の第2公女に、実母と変わらぬ愛情を注ごうとしているのが分かっていても、それをそのまま受け取っていいのかが分からなかった。
自分の事を気遣って行動し、発言している公爵夫人は、セーラを傷つけたかもしれないと考えると、半泣きの状態ですぐに謝ってきた。それが、嘘偽りのない自分への愛情の表れであるとセーラも感じているが、どこか納得し切れていなかった。
公爵夫人が、侍女であったミーナを信頼して、愛情を向けているのは確かだった。それを疑い余地はなかった。そして、その余勢を受けて、ミーナの娘である自分も愛されているのも信じる事ができたが、セーラ単身の場合には、愛していないのではないかと考えてしまう事があった。
侍女ミーナが妊娠していなければ、女主と侍女の信愛関係は今も続いていただろう事は疑いが無いのだから、セーラは自分が生まれてきた事が、公爵家にとってどのような価値があったのかと考えずにはいられなかった。
仮定の状況を思い描いで、自分を苦しめる思考は正しい方向に物事を運ぶ事は無かったが、セーラは正しい行動をしていた。自分の気持ちの整理がつけられない以上、何も話さない方が良いと判断して、自分が生まれた事の良否に関する話については、沈黙を守った。
早く決着をという気持ちがわずかにあったが、どのような答えに対しても、冷静に対応できる自信が持てるようになるまで、この話はしないと決断していた。
「お母様、この書類はどのように書けば良いのですか。」
「少し見せてね。」
第2初等学校の教室の1つを事務室として使えるように配置替えした一室で、第2公女と第1夫人が向かい合っていた。学校発表祭という何の捻りもない名前を冠した学校行事の開催に向けて、4人の公子公女が仕事をする中、夫人もそこに参加する事になっていた。今日はセーラと2人だけで、事務仕事をする事になった。
「ここをどう書けばいいのか分からなくて。」
「・・・。こう書いておいて、再検討と横に書いておいて。」
「はい。」
母娘2人だけで仕事をすると聞いた時の不安はセーラからは無くなっていた。
今回の第2学校における発表祭の構想はアランの頭脳から出てきたもので、他の人の頭の中にはなかった。簡単な説明はできるが、その簡単な説明だけではアラン以外の人間が具体的に動くことは難しかった。
そこでアランは最初にエリックと共に生徒達に詳細な説明をして出店者を募った。金銭的な支援を受けられることもあって、ほぼ全員の生徒が参加を希望すると、3000人規模の人が参加する企画を、公子2人が優秀だとしても、仕切る事は無理だった。学校の教員達もいたが、通常の授業で時間を取られるので余力はなかった。
頼りになる姉達に後方支援となる事務処理を頼んだのだが、外部の商会等との折衝を任せた義兄ロイドが王都を駆け巡り始めると、姉レイティアが将来の夫を支えるのが妻の役目だから、という理由と共に後方支援の仕事から外れてしまった。
学校の生徒達は主に文字の読み書きと簡単な計算を習って、見習い労働者としての基本技術の習得を目指していた、そのため、読み書きが辛うじてできるという子供達も多く、生徒達がやりたい事を企画案として書く事は難しい事だった。それでも、とりあえず何をしたいのかの企画書を書いてもらわなければならないので、書いて貰った所までは良かったが、企画書として成立していないものばかりで、修正しなければならなかった。
そして、何を修正しなければならないのかが分かっていない子供達に、それを機会させた上で、訂正させるのは、難しい事では無かったが、手間がかかる事だった。原案をセーラ達が修正するのが一番早く適正な方法ではあるが、それでは子供達の成長につながらないと、公爵家は手間がかかる方法を採用した。
発表祭の肝である生徒達の発表の元になる企画書に関する、大切な事務処理から学園1位の才女である長女が離脱したため、代わりに登場したのが母親エリスであった。
大陸最強の公爵と唯一互角に剣を交える事ができる戦士の姿を見ていたセーラには、母親がてきぱきと書類処理をする姿が想像できていなかった。戦い以外では、柔らかい感じの穏やかな女神だと思っていたため、自分が裁縫をする時と同じ速さで書類を捌いているのを見ると、ただ驚いていた。しかも、学園の教師と同じように的確に指示を出している姿にも感動していた。
泣いているか、涙目になっているかが、公爵夫人にとって普通ではない事をセーラは理解する事ができた。
「お母様は、こういう仕事も得意なのですね。これで良いでしょうか。」
「はい。これで問題ないです。こういう作業に慣れているだけです。」
セーラが学園に通っている間、公爵夫人は多忙であった。夫が宰相補佐として王宮に出仕している間、広大な公爵領の各地から送られてくる書類に目を通しながら、夫に相談の必要ないものの処理をしていた。夫に相談する時にも、いくつかの提案を準備した。休日の時間しか領地経営の仕事に携われない夫を支えていたエリスは、公爵領を王都から遠隔操作して、実質的に領地代官の機能を担っていた。
もちろん、セーラは母親の仕事を話で聞いてはいたが、実際に見学した訳ではなかったから、すごい能力を発揮している場面を見た事は無かった。料理と裁縫は苦手で、家事もほとんどしないお母様と、何でもできた母さんを心の中で比べていたセーラは、戦いに特化した公爵夫人と言う印象を持っていたが、たまたま火事に関連する分野だけが苦手な、超人である事を理解した。
3人の子供達の優秀さや広大な公爵領が豊かな領地であると庶民からも評価されている事を知っていたのだから、公爵夫人が優れた能力を持っている事は当然であった。敬慕に値する義理の母親に自分も認められるようになりたいと、セーラは強く思うようになった。
左隣で尋常ではない速さで書類に目を通して、必要な事を書き込んでいる様子を見てから、この後何の話をすれば良いのだろうかとセーラは考え始めた。想定したよりも早く仕事が終わるのは確定していて、アランとエリックが戻ってくるまで2人だけの時間になるが、黙ったままという訳にはいかなかった。1つ1つの行動と態度を気にする母親をセーラは悲しませたくなかった。
「終わったわね。2人が来るまで待ちましょう。」
「はい。お母様。」
いくつかの話の候補は準備していたが、この場で無視してはいけない話題があった。
「お母様、質問があるのです。」
「なあに。」
「なぜ、お姉様の制服を着ているのでしょうか。」
自分の隣の女性が、瞳の色が違うだけのレイティアにしか見えなかった。身長はほぼ同じである事は知っていたが、同じ服を着た事で体型もほぼ同じだという事が分かった。声の質もほぼ同じで、一緒に生活をしていない者が聞き分けるのは不可能だった。35歳の母と16歳の娘では、どんなに似ていても、肌の張りが違うはずであったが、それも同じだった。
「学校に来るから、制服がいいとレイティアが言っていたから。それに、セーラともお揃いだから。」
左側の母の方に体を向けたセーラは、公爵夫人のお世話をした侍女ミーナの気持ちが分かったような気がした。能力という点では、最上位貴族の公爵夫人として申し分ない女性ではあるが、純粋な女性としては、可愛いらしいという評価が正しかった。この少女のためになら、何でもしてあげたいと考えた実母の人生をかけた選択が、今では正しいとセーラも信じる事ができた。
眩い美少女をしばらく見つめてセーラは固まっていた。
「セーラ、どうかしたの?」
「え、あ、お母様は、綺麗で可愛いなって思って。」
「ありがとう。セーラも綺麗で可愛いわよ。」
顔を真っ赤にしている母親を見て、セーラも顔を真っ赤にした。
母親ミーナから公爵家の話は聞いたことは一度もなかった。だから、どのような気持ちで侍女として仕え、妊娠が分かった時にどのような気持ちで公爵邸を出る選択をしたのを正確に知る術はなかった。
だが、セバスチャンを筆頭に侍女ミーナを知る人々の話を聞けば聞くほどに、深い愛情をエリスに向けていた事は間違いないと確信できた。もしかすると、夫である公爵よりも深く愛していたのかもしれないとの考えが頭を通り過ぎると、セバスチャンが冗談でそう言っていた事をセーラは思い出した。
感謝の言葉から続いた褒める言葉が自然に出てきた事から、過去にも2人の母の間に同じようなやりとりが、頻繁にあったのではないかとセーラは想像した。詳しく聞いてみたいとの思いと同時に、2人だけの思い出を聞いていいのかという迷いもあった。それに、今の2人の関係では、ミーナという女性を単なる思い出として語る事ができないとも考えていた。だから、今のセーラは2人の母親の関係を、断片的な情報から想像するしかなかった。
「あ、ありがとう、ございます。褒めていただいて。」
自分自身の口から出てくる戸惑いを含んだ言葉でセーラは確信した。
ミーナはエリスの騎士だった。どういう思いがあったのかは分からないが。役割として、侍女ミーナはお嬢様であったエリスを守り続けた事を貫いたのだと理解した。
夫婦ではなかったが、信愛で結ばれた2人の関係は、夫婦に劣らない深い関係であったと思うと、その事を聞いてみたくなかった。
「何か考え事でもあるの?」
「あの、お母様は、ミーナ母さんを愛していたのですか。」
「もちろんよ。」
思考が暴走を始めそうになった瞬間に部屋の扉が開いて、2人の兄弟が入ってきた。
「母上、書き終わった書類は何枚ぐらいありますか?」
「全部終わっているわよ。」
「お母様、早いよ。」
「そうね。セーラもレイティアも慣れれば同じくらいにできるようになるわ。」
アランの母上とエリックのお母様の台詞で、セーラは未だ聞くべき事では無い質問をしてしまったと考えた。
ミーナという女性が、自分にとっても、エリスにとっても、同じくらい大切な存在である事を確認できたことで今は十分だと思った。




