1年生 その22 年末のお茶会
22 年末のお茶会
公爵邸の玄関で馬車から下りたセーラとアランは深紅のドレス姿の母親に驚いた。太陽の日の夕食後であるから、マナーレッスンのためにドレスを着用している事に驚きはなかったが、玄関で迎えに出ている公爵夫人の表情と言葉に驚いた。
「セーラ、よく無事で。」
「はい。遅くなって、申し訳ありません。」
「いいえ、無事であればいいのよ。アラン!!どう言うことなの!!」
玄関の夜灯が周囲を明るくし、その光が温かさを感じさせるはずだったが、灰青色の瞳が怒りの感情に満たされると、その眼力で周囲の温度を一気に下げた。
「母上、申し訳ありません。連絡する・・。」
「謝っても。」
「奥方様。玄関前では冷えてしまいます。私もアラン様とセーラ様がお屋敷に入っていただかないと、馬車を戻す事ができません。まずはお屋敷の中へ。」
御者のユージンが、公爵夫人の怒号を打ち消す気迫と声を被せた。公爵家の忠臣と言えば家令セバスチャンの名前が最初に上がり、貴族達でもその名を知らない者はいなかった。だが、35歳のユージンは世間に知られていないだけで、その実力はセバスチャンの後を継ぐにふさわしいものであり、公爵家の主人達に正面から意見する事もできた。
「そうでしたね。2人とも屋敷に入りなさい。」
エリスが怒っているのは、今日の晩餐でセーラとレイティアとの衣装合わせができなかったからではなかった。それを楽しみでいたのは間違いなかったが、今日の予定は他日に消化すれば良い事で問題はなかった。だから、公爵夫人の怒りは別の所にあった。
玄関の大扉ではなく、使用人が通る小さな扉を通ると、屋敷内には3人の家族と家令のセバスチャン、3人のメイドが待っていて、入ってきた3人の上着を持っていた。
「私は必要ありません。」
アランとセーラはメイドから受けとったが、それをまとう事は無く、手にしたままであった。姉レイティアがオレンジ色のドレス、父と弟が淡い青を基調とした騎士礼服をまとっていた。その列に合流して、夫人が向き直った。
「連絡を怠り、ご心配をおかけしました。本当に申し訳ありません。」
「申し訳ありませんでした。」
「ああ、セーラはいいのよ。今日はアランが連れ出したのだから。アラン、謝れば良い訳ではないのです。」
「奥方様、お二人も反省しております。もうすぐ8時になりますので、お部屋に戻っていただくのがよろしいかと。セーラお嬢様も、ご無事に、お戻りになっております。」
「そうですね・・・。冷静ではありませんでした。セーラも、アランもごめんなさい。」
久しぶりに泣きそうな母親の姿を見たアランは、セーラが予定通り帰宅しなかった事が、母の記憶を強く刺激した事を理解した。セーラの実母である第2夫人ミーナは、食材を購入するために街へ出て行ったまま、公爵邸を出奔していった。
エリスにとって、予定通り帰宅しないセーラとミーナが重なって見えた。本当は公爵邸の生活が嫌で、王都から出ていくつもりなのかもしれないとさえ考えた。アランがセーラの気持ちを汲んで、脱出を手伝ったのかもしれないとも考えていた。
第2夫人は二度と戻る事は無く、第2公女は最初は公爵邸に来る事を拒んだのだから、エリスはセーラがいなくなってしまうかもしれないという漠然とした不安を常に持っていて、今回はそれが現実になったのかもしれないと恐怖するのに十分な出来事であった。
孤児院を訪問してから2日後、学園で昼食をとるとすぐに帰宅したセーラは、制服姿のままアランの部屋に入った。家具の配置は違うが、部屋の大きさは自室と全く同じで、セーラは未だにこの広さに慣れていなかった。アランもその広さを持て余しているようだった。
「一昨日は、すいませんでした。姉さんを巻き込んでしまって。」
応接用のソファーに机を挟んで腰掛けた2人は笑顔で言葉を交わした。
「気にしないで。お母様が心配してくれた事は嬉しいから。それに、アランだけ厳しく叱ったのは、多分、ミーナ母さんの事が関係していると思う。私自身が気分を害されるような事はなかったから、本当に気にしないで。」
「はい。分かりました。それで、相談についてですが。」
毎月金貨20枚のお金が使える事、孤児達に金銭的な支援を直接与えない事、学校全体の改善策でも構わないし、孤児院に限定した改善策でも構わないが、アランが学園に入学するまでの4ヶ月間に何らかの実績を作れる事、相談内容の基本事項を確認した。
「孤児院の子たちを、大きい方の別館に招待して、お茶会を開くのはどうかしら。」
「お茶会で、美味しいお菓子を振る舞うって事ですか。」
「それもするのだけど、きちんとドレスや礼服で着飾ってもらって、貴族のお茶会を体験してもらいたいの。」
「喜ぶとは思います。それなりの費用がかかるのは良いのですが、同じお金を使うのであれば、おやつを増やしたりする方が喜ぶのでは?」
「そこの所だけど。確かに、お菓子は喜ぶのだと思うけど。私がお母さんとの生活を振り返った時、思い出すのは特別な日の事なの。」
「特別な日とは何ですか?」
「毎年、町で収穫祭があって、その日は新しい服を買ってもらって、他にもアクセサリーを買ってもらったりして、高価なものではないけど、今でも大切な宝物になっているわ。私には特別な日で、今でも思い出せる大切な日。普段とは違う素敵な事が、いくつか重なるような日。それが私にとっての特別な日。」
孤児達とセーラに似た部分があるというのは、家族の欠如を体験している事であった。家族の欠如は子供達に我慢させる事に繋がり、その我慢が孤児達の心を捻じ曲げるような事もあった。
セーラの場合、優れたと言える母親がいたために、我慢を強く意識する事は無かったが、父親がいないという寂しさを誰にも言えないという環境にいたのは確かだった。ただ、それが大きな不満にならなかったのは、ミーナが用意してくれた特別な日があったからだった。
孤児院の子が、染み隠しの刺繍を見て、お姫様みたいだと言った少女にとっては、衣服に可愛らしい刺繍を施す事でさえ、特別な事に見えた。お下がりをもらい、お下がりを渡していく日常の中には存在しない、自分だけの特別な服を持つ事は、彼女たちにとって、お姫様と呼んでしまうぐらい特別な事だった。
「そういった特別な日で、子供達を喜ばせるんですね。」
自身の実績作りを求めてはいるが、孤児達に対して何かをすると言うのであれば、孤児達の一番喜ぶ事をしてあげたいと考える姉の気持ちに賛同する他は無かった。実績はいつでも作る事はできるかもしれないが、今の孤児達に大切な思い出を作る事ができるのは今しかないと、次期公爵は考えるようになった。
3人の姉妹弟に全面的な協力を得て動き出したアランは、次々と準備を整えると10日後に孤児たち25名を公爵邸の別館へと招待した。
本館の巨大さに比べると小さく見えるが、羽振りの良い商家の屋敷よりも大きい建物は孤児たちを驚かせるのに十分だった。玄関の前で4人の令嬢令息は笑顔で迎えた。
「王子様が2人いる。」
「双子なのかな。」
兄弟への興味が言葉になり次々とアランに浴びせられた。4人を代表して歓迎の言葉をかけてから3人も挨拶した。二週間前に孤児院に来てくれた赤髪と初めて見る金髪の女性が挨拶をした。
「本物の姫様だ。」
レイティアの美しさに思わず出てきた子供達の言葉に、セーラは表情には出さなかったが、思った以上に落ち込んでいた。姉に比べると自分が偽物だと言われても仕方がないのは理解していた。美の女神と讃えられている公爵夫人と同じ顔の美少女を前にすれば、先日は孤児達の赤髪のお姫様も、その地位を維持する事が難しくなるのは当然だった。
「セーラお姉さんもお姫様みたいだよ。」
一番小さな女の子に気を使われた事に動揺しなかったが、小さな子が見せてくれた作り笑顔の攻撃力の高さには驚いていた。
そして、街の食堂の看板娘として、笑顔を見せながら、大人たちの心を抉るような発言をしていたのかもしれないと考えると、どんな時でも笑顔で対応できる事は、自分の長所だとは思っているが、時と場合によっては、他人の心を傷つける事を知った。
別館に入ると、10名のメイドが待ち構えていた。丁寧なあいさつをすると、着替えのために子供達をそれぞれの部屋へと案内した。アランは手伝ってくれる屋敷の使用人たちに、些少であるが手当てを出そうとしたが、それを受け取る事は拒否された。
彼女たちは子供達に同情しているとは別の意図から積極的に参加していた。公爵邸の女主と姉は美の女神と呼称される素材を持っているにも拘らず、美への執着がないだけでなく、興味がほとんどないと言って良かった。公爵邸で働くことは名誉なことで、メイドとして主に仕えて、その美を極めるために働く事は本来彼女達の喜びであったが、その場面が他の貴族家と比べて極端に少なかった。
セーラが新たな女神として公爵邸に降臨した時、メイドたちは古き神々に試す事もできなかった自分達の美の技能を発揮する決意を固めていた。実際には新しき女神は何でも自分でできたし、センスも良く、自分の特性をきちんと把握して、自分自身を着飾る事ができた。しかも、裁縫の神様かと思うぐらいの技術で、衣装の手直しをする事ができるのだから、新しい女神はメイド達に役目を与えないだけでなく、奪う事さえあった。絶望に似た何かを感じているメイドも少なくなかった。
そんな自分達を全面的に信頼して、その身を委ねてくれる可愛らしい子供達を手に入れた時、彼女たちはメイドとしての喜びに満たされていた。
「こちらがお部屋です。」
男女、年上年下の4つのグループに分けた子供達は部屋に入った時、そこに用意された衣装に興奮を隠せなかった。豪華な衣装に加えて、用意されていた数に圧倒された。
「好みの衣装の中から、お選びしましょうね。少しのサイズの違いは直せますからね。」
アランは衣装の用意に多額の出費を覚悟していた。最初は古着屋から購入すればよいと考えたが、貴族達のドレスが中古品市場に出てくる事は無かった。貴族達が自分の装飾品や衣服を売却する時は、家が傾いた時という認識があり、誰も売ろうとはしなかった。公爵家にも古着はあって、古着屋に売却する事は無かったが、部下や家人達への贈答品になることはあったため、不用品の多くが倉庫に眠っている訳ではなかった。
10日間で新しいドレスを作る訳にもいかず、貴族達から譲ってもらう方法を考えたが、良いアイデアを見つける事ができずに、アランは最も頼りにしている義兄の力を借りる事にした。
義兄ロイドはレイティアから依頼を受けると、翌日には動き出していた。学園に通っている貴族令息令嬢達に、幼少期の衣服を購入させて欲しい旨を、学園を通して通知すると同時に、変な噂にならないようにする対応策をきちんと提示していた。
各貴族の出入りの商人を通して、公爵家に古い衣装を寄付してもらった。その寄附に対して、古着売却相当分の謝礼を公爵家から送るという形を取ることによって、不名誉な噂を流されないようにした。不名誉な噂の心配がなければ、本当に特別な衣装以外は、市場に回した方が、貴族達にも庶民達にも利益になる事であるから、ロイドの提案に賛同する貴族達は多かった。
「この衣装はプレゼントではありませんよ。来年や今後も着てもらう事になりますし。そもそも普段着はできませんからね。その代わりに、公爵家から素敵な贈り物があります。」
贈り物は刺繍の入ったハンカチとリボンだった。セーラが主要な1つを刺してから、メイドたちの手によってさらに豪奢になったそれらは、辛うじて普段使いができる孤児達の宝者になった。
着替えが終わると、別館の居間でお茶会を開いた。エリックと料理長の合作ケーキと焼き菓子を、紅茶と共に口に運ぶ孤児たちは緊張していたが、一週間前にアランに仕込まれたマナーを思い出しながら、貴族風のお茶の時間を過ごす事には成功した。
別館の案内や小さな音楽会、皆で合唱などとドレスと礼服を汚さないように時間を過ごしたが、午後になると普段着へと戻った。
別館前の広場に机や調理道具が運ばれていた、野外での調理と食事会で、思う存分食事を楽しむ事になった。
公爵邸の大人も参加した食事会は、お祭りのような様相を見せたことで、子供達だけでなく、大人たちも楽しめた。公爵と公爵夫人は庶民の装いで、身分を隠しているつもりであったが、アランが公子であることを一週間前に孤児たちに知らせている以上、誰が最上位貴族であるかは見た目で明らかだった。食事が一段落すると、子供達が2人の前に集まった。
「今日は、このように、身に余る恩情を受ける事が。」
最年長男子の口上を、公爵は途中で制した。
「私たちの方こそ、楽しい時間を過ごし、食事を楽しんでいる。私たち大人と一緒に遊んでくれれば、それが礼になる。」
この茶会が孤児たちに大きな変化を与えたのは間違いなかったが、これがきっかけとなって、公爵家の周囲の人々に様々な変化があった。




