1年生 その18 試験結果
18 試験結果
オズボーン公爵邸の晩餐。
テーブルマナーを忘れないため、貴族としての生活を忘れないため、そのどちらでもある公爵家族だけの晩餐会。時々、ドレスアップして席に着くこともあるが、今日は庶民の装いと評される服装で着席して、完璧なマナーで食事を取っていた。給仕をしているセバスチャンらには物珍しいものではないが、一般的な貴族たちが初めて見たら、最初に驚き、その後は何と言えば良いのか戸惑うのは間違いなかった。
食事の音を出さない理由が、食事中の会話を楽しむためというマナーの教本に書いてあることを実践している一家は、対話も楽しんでいた。
「前期が終わって学園が一週間のお休みになりましたわ。」
レイティアは、この晩餐の時に限り、口調と言い回しを変える事があった。結婚後の夫人の時の練習であると言い張るが、次男エリックに言わせると、晩餐に笑顔を提供するための行為にしか思えなかった。
「だったら、明日、皆で遠乗りに出かけたい。」
殊更に幼さを前面に出して何かを言ってくるエリックには必ず言葉にはなっていない意図があった。その事を兄は良く知っていた。
「明日は、家庭教師の先生が来てくださるから、外出はできない。」
「兄さん、いつもお世話になっている先生方には、庭でお茶と特製の焼き菓子でおもてなしをして、ゆっくりと休んでもらおうよ。先生達だって、その方が喜ぶよ。」
「エリック、先生方が来られるのです。きちんと授業を受けなさい。」
息子に対してしっかりと刺してきた母の釘の外し方を、エリックは良く知っていて、躊躇いもなく実行した。
「エリスお母様は、セーラ姉さんやレイティアお姉様と一緒に出掛けるのが嫌なのですか。僕は2人と一緒にお出かけしたいんです。」
「え、もちろん、レイティアとセーラと遠乗りをしたいと思うわよ。」
「だったら、明日、いい?」
「ええ、先生方に少しお話をしてみて。」
「エリスお・か・あ・さ・ま。エリックの寂しそうな表情は演技ですわ。騙されないでください。」
「騙してなんかいないよ。レイティアお姉様は、すぐに幼い弟を。」
「エリック。3日後に先生が授業に来られない日がありますわ。その日にみんなで出かけましょう。お父様もその日は仕事がなかったはずですわ。」
「ああ。そうしよう。皆で遠乗りをしよう。」
主人の席から右側にいる女性陣の3人が、エリス、レイティア、セーラの順番で返事をした。左側の長男次男は3人の後に続いて同意を表明した。公爵が当主権限で命令するような事は無かったが、それは家族のだれもが逆らう事がなく、また、反抗したくなるような主張をしなかったからだった。
皿の上の料理が食べ終わるのを確認してから、セバスチャンが給仕のメイドに合図を送った。食器が片付けられて茶が出された。食後のティータイムも家族団欒の大切な時間だった。
公爵邸での生活が始まってから半年が過ぎ、生活に慣れてきたセーラであったが、公爵家の娘である事のプレッシャーは日々大きくなっていた。父母と姉、弟達の5人が公爵家の娘として受け入れていて、この上もなく気配りと愛情を向けてくれているのに、セーラは自分が公爵家の娘であると、堂々と言う事ができなかった。
オズボーンという家名が、公爵家の前に付いた時、その重みは365年間のイシュア国と同量となり、現公爵家を支えている5人の名前が家名の下に並ぶと、今後数百年間の歴史も含んだように、セーラには思えた。
大陸最強の父親。
弓術天下一の母親。
母と並ぶ弓術を身に着けた学園主席の姉。
社交界デビュー前にもかかわらず騎士団に匹敵すると呼ばれる戦士、騎士ではなく、団と並び称される完璧な次期後継者である弟。
家族とそれに準ずる人間にしか知られていない天才児である下の弟。
5人の家族とは別次元で生きてきて、これからも生きていく事になる事を受け入れているが、そのままで良いとは思っていなかった。少しでも成長して、少しでも追いつきたいと必死に走っているセーラは、多くの人間からあり得ない速さで成長していた。
だが、自分の力が毎日上昇する事を実感すると同時に、自身と5人の差を実感できるようになっていた。その大きすぎる差によって、自分を信愛してくれる家族を失望させるのではないかというのが、セーラの抱えている恐怖であった。だから、自分の弱い所を隠したい気持ちはあったが、それでは克服するための支援を受ける事ができなくなった。
紅茶で喉を潤いしてからセーラが口を開いた。
「お父様、エリスお母様。お話があります。」
「何かな。」
「何?」
父は予測しているので表情を崩さなかったが、話しかけられる事だけでも嬉しいと感じる母は、満面の笑みで応じてくれた。その笑みを歪ませる事になるかと思うと、セーラは胸の真ん中を何かに押されるように感じた。それは、ミーナや食堂のおじさんおばさんのために、役立つことをしようと考えて行動して、失敗してしまった時の感覚だと分かった。
「学園の成績を報告します。クラスの順位は、41人中36位でした。マナー教科の中のダンスは0点でした。」
この後、家族の5人が慰めてくれるのは分かっていた。食堂で働いていた時と同じように、注意をするのではなく、傷ついた自分を包み込むようにしながら慰めてくれるだろう事は分かっていた。それは心地良い事で、幼かった自分であれば、何も考えずに、その中に溺れてしまえば、輝かしいと思える未来と共に目覚める事ができた。
だが今、同じように溺れてしまえば、2度と起き上がる事ができなくなってしまうような気がした。追いつく事ができないからと言って、何もしない選択は取れなかった。
「そうか。」
娘からの報告を聞いて、父母は何をすればいいのかが分からなかった。必死に頑張っている娘にさらに頑張れと言う必要はなかったし、成績が良くない事を責める必要も無かった。もちろん、褒める事ができる成績ではないため、ここで褒める事は嫌みを言う事と同じだった。
「セーラは、成績の事を気にしているみたいだけど。」
「はい。申し訳ありません。」
公爵夫人はレイティア越しにセーラの方を見つめた。赤い瞳に娘が、申し訳なさそうに俯いている姿がとても新鮮だった。同じ顔をしたセーラの実母は、常に凛として、堂々としていて、俯いた姿を、自分には見せなかった事を改めて認識した。
「セーラが謝るような事はないのよ。」
「そうだ。何に対して謝っているのだ?」
「公爵家の娘として・・・。」
ここまで言いかけてセーラが黙ったのは、公爵夫妻が自分を慰めるなり、許すなりして、自分に対して甘やかす事が分かったからだった。甘やかす事で家族である事を実感させる事も、叱る事で家族である事を実感させる事も、そのどちらも間違いではなかったが、この場でセーラが望んでいるのは、叱る方だった。
甘やかすにしても、成績がそのままで良いというのではなく、それを克服するための支援をするという形を取ってもらいたかった。そうでなければ、優しい父母に甘えきるだけの娘になってしまいそうだった。
「公爵家の娘だから、何をしなければならないという事は無い。学園に通っているのだから、そこで学ぶ事を身に付けてほしいとは思うが。全ての事を何でも完璧にできるようになる訳ではない。」
「ですが・・・。」
「セーラ、誰にだって苦手な事はあるわ。私もできない事がたくさんあるわ。」
「・・・。はい。」
公爵夫妻は娘の表情を見つめながら困っていた。娘を慰めているつもりではあるが、慰めになっていないのか、それとも、娘が望んでいるものは違うのか、そのどちらかも分からなかった。子育てをしてきたと言っても、手のかからない3人に特別な何かをした経験はなく、一緒に暮らしてから半年の新し娘の全てを知っている訳ではなく、何を望んでいるのかさえ、本音の部分では全く理解していなかった。
「セーラお嬢様。お茶のお替りはいかがですか?」
「お願い、セバス。」
「お嬢様は、学園の成績を気になさっているのですね。」
「そう。」
「どうしてですか?」
「学園の成績で、卒業後の進路が決まるから、皆が一生懸命に勉強をしている。私も負けないように、頑張っているつもりなのだけど。思うような成績が取れなくて、それが、情けなくて、お父様やお母様に申し訳なくて。」
「公爵家の娘としては情けないと言われたりしたのですか。」
「そんな事は誰も言わない。私が、そう思っているだけ。」
「なるほど、お嬢様は、ご自身が情けないと思う成績ではなく、自分で納得できる成績を手にしたいのですね。」
「そう。」
「でしたら、ご自分で納得できる成績を手にするために、皆様にお力を借りてみてはどうでしょうか?学園の学習内容であれば、レイティア様も学んできた内容ですから、お聞きすれば良いかと思います。学園でのご友人に教えてもらうのも良いかもしれません。それに、学園での先生方も、望まれれば、教えてくださるはずです。」
公爵家で一番古株のセバスチャンは、先代の女公爵も公爵夫人の両親も、セーラの母親ミーナも良く知っていた。公爵家の生き字引であると同時に、巨大な柱の一本であった。そして、公爵夫妻に常識を吹き込む事ができる唯一の人間であった。
公爵家という特殊な貴族の中に飛び込んできた庶民の娘と、公爵家の人間をつなぐ事ができる老人は、公爵夫妻にとっては親代わりであり、公子公女にとっては祖父替わりであった。




