4年生 その125 モデル
125 モデル
王都には庶民を対象にした学校が3つあり、子供達が6歳前後から12歳まで通う事ができた。第1学校は王家、第2学校は公爵家、第3学校は諸貴族が支援していて、受講料は無料で、義務教育ではなかったが、ほとんどの王都民の子供達が通っていた。
地方領民に比べて王都民の識字率は高く、王都は良質な労働力を生み出す大都市でもあり、イシュア国の文化の中心地でもあった。今までも、地方領の大商人達が子供達を王都の学校に通わせるために、王都に屋敷を構えて住まわせるという事がほとんどだったが、今は地方の農民の子供達が集団で王都に住んで、学校に通う場合もあった。
豊作が続いたため、経済的に余裕が出てきた農民たちが、子供達への投資を積極的に始めたのであった。もちろん、領内の活性化を狙って貴族達の多くが農民達を支援していることも大きく、特に第3学校の生徒数は、地方領民の子供達を受け入れたため、大きく増加していった。
王家が出資している第1学校は、ほぼ王都民の子供達専用の学校になって、生徒数を増加させていた。第3学校の地方領民の子供たちに押し出される形で、王都民の子供達が第1学校に移籍してきたからだった。
公爵家が出資している第2学校の生徒数はほとんど変わらなかった。広大な公爵領では今、領内各地に大小の学校を建てていて、王都にわざわざ来なくても一定レベルの授業を受ける事ができるようになっていた。
そんな中、第2学校は、より高度な授業を受ける事ができる施設に変わろうとしていた。高度とは言っても、学問としての高度化ではなく、職業訓練所としての高度化だった。より実践的な事を学べる授業を揃えて、高度な授業については対象年齢の制限も解除していた。
「さあ、今日の特別授業の準備を始めなさい。絵具で不足している物は、向こうの臨時売店で購入しなさい。かなり安いはずですが、手持ちのお金がない者は後払いでも購入できます。」
第2学校の大広間に集結した絵描きたちの前で、芸術家侯爵バルムが大きな声で指示を出していた。第3学校に限らず、芸術家を育てるためにはどこにでも顔を出す臨時講師は、公子エリックと組んで、様々な活動していた。
「バルム侯爵。」
「侯爵ではありません。絵の先生です。先生と呼びなさい。」
「先生、白上質紙を無料で配ってくださると言うのは本当ですか。」
「本当です。皆の絵具の準備を終わったら、紙を配り始めます。大きさは肖像画3号です。」
「先生、私達は第2学校の生徒ではないのですが。」
「臨時生徒です。心配ありません。さあ、慌てなくてもいいので、急いでください。モデルが来る前に、いくつかの説明をしますから。」
30名ずつ2グループの絵描きたちが準備を完了すると、臨時講師バルムは芸術家侯爵として様々な知識を語ったが、最後はいつも通りの「実戦に勝る練習なし」という座右の銘を断言してから、モデルたちを迎い入れた。
ただただ広い空間の真ん中に置かれたえんじ色の椅子に向かって、1組の美麗な紳士淑女が歩いてきた。
薄い青色を基調とした紳士礼服には、銀糸と紫糸で刺繡が施されていて、凛々しさだけでなく、美しさと豪奢さが加わっていた。その衣装に負ける部分が何1つ無い金髪金目の美少年は、これ以上ないような笑顔で1人の少女をエスコートしていた。
淡い黄色のドレスには、レースは無かったが、金糸で様々な刺繍が施されていた。遠くからは幼気な少女の装い、近づいてみれば豪華な彩りの姫の装い、本人と全く同じ印象を与えるドレスだった。長い銀髪は全くまとめることなく背中に大きく広がっていて、何物にも縛られない存在である事を示していた。金土台の赤い宝石のついた首飾りは、目を引くポイントではあるが、そのまま視線を上げると、薄いピンクの唇が目に入り、可愛らしい笑顔への導入部になっていた。
王子様とお姫様、もしくは、お姫様と王子様、のどちらかしかタイトルになれないだろうモデルの登場に、絵描きの卵たちは嘆息していた。
「レイモンド殿下、ビアンカ殿下、本日はお越しいただきありがとうございます。ビアンカ殿下には、座っていただき、レイモンド殿下には隣で立っていただきます。30分おきに休憩していただきます。その際には椅子を用意いたします。本日はよろしくお願いいたします。」
「バルム卿、表情とか、モデルとして注意すべきことは何か。」
「お二人で会話をされていても問題ありません。特別な笑顔を作っていただく必要はありません。休憩が終わった後の5分ぐらいは、口を開かずに自然な笑顔になっていただくと、助かりますが。本当に普通にしていただいて構いませんので。」
「分かった。ビアンカ、には、何か聞いておくことはあるか?」
「レイモンド、の質問で分かったから、質問はないわ。」
「では。よし。皆いいか。見惚れるのは構わないが、あくまでも観察する事を忘れてはいけないぞ。両殿下が貴重な時間をくださったのだ、思う存分、その筆を振るうがよい。」
講師の声に反応した生徒達が一斉に手を動かし始めた。
王子様とお姫様グループではない方のモデルに臨時講師は近づいていった。
「お待たせして申し訳ありません。」
「いえ、大丈夫です。」
「それにしても、お美しい。いや、神々しいと言うべきか。」
「禍々しいように見えるのですが。」
「何をおっしゃいます。深紅の女神ではありませんか。」
「女神と言っても、戦の神では。」
臨時講師の自称知恵袋で、商売仲間である公子が姉と芸術侯爵の会話に混じってきた。
「姉さん、今更です。」
「エリック、この赤い弓の話は聞いていないわ。」
「小道具です。実際の武器ではありません。」
「モデルを引き受けたから、言うとおりにするけど。」
「それはありがたい。では、最初は、左手で弓を持ち、放った後のようにポーズを取っていただけませんか。」
深紅を基調とした鎧装備をまとったセーラは、三つ編みの髪色と燃えるような瞳の色が加って、まさしく深紅の騎士になっていた。金色の兜には白鳥の翼を模した飾りがついていて、天空を駆ける女神の装いだった。
自分の容姿を褒められるのは嬉しいし、姉のように女神と称されるのも心地よかったが、セーラが望んでいる方向とは違っていた。深紅は返り血を浴びているようで、矢を放った後の姿なんて、まさに獲物を仕留めた狩人だった。自分の特性から、この姿が一番魅力的なのかもしれないが、セーラが望んでいるのは、ビアンカのようなお姫様の美しさであって、戦士の美しさではなかった。
しかも、セーラにとっての戦士の美しさとは、戦うための合理的な姿の事を意味していて、弓を扱うのに相応しくない中量級の装備を美しいとは思えなかった。小道具として全く使えない弓の形をした何かは、全く価値のないものにしか見えなかった。
何度かポーズを変えながらセーラはエリックと会話をしていた。
「エリック、このポーズはどういう意味があるのか分かる?最初のポーズとほとんど変わらないと思うけど。」
「格好いいからだと思うよ。」
「ん、色々なポーズを描く練習じゃないの?」
「姉さん、殿下や公女を描く機会なのに。誰でもできるような、色々なポーズをするためだけのモデルをしてもらうはずがないよ。」
「じゃあ、私達は何のためのモデルなの?」
「商品を描いているんだよ。」
「商品って、もしかして、私や殿下の絵を売るって事。」
「そうだよ。」
「私が買うなんて話は聞いてないけど。レイモンド殿下やビアンカ殿下も買うことに同意しているの?」
「確認した訳じゃないけど、2人とも買うんじゃないかな。」
「え、全員の絵を買うの?」
「・・・ああ、違うよ。姉さん。皆が描いている絵を、姉さんや殿下が買う必要はないんだ。皆が描いた絵を買うのは、画廊商人なんだ。画廊商人と言うのは、美術品を売る商人の事だよ。」
「それは知っているけど。もしかして、私や殿下の肖像画を美術品として販売するって事なの。」
「もしかしなくても、そうだよ。」
「肖像画は普通、肖像画に描いてもらった人が買うものだよね、画廊商人が売るのは、風景画とか建築物の絵画とかではないの。」
「画廊商人が売るのは、天使の絵とか、精霊の絵とかもあるでしょ。」
「私の絵が天使や精霊の絵と同じように売れるとは思えないけど。」
「まあ、その辺は後で分かるから、何も言わないけど。両殿下の絵だったら、美術品として売れると思わない?」
「売れるとは思うけど。自分の家族ではない肖像画を屋敷に飾るのは・・・。」
「屋敷の玄関には飾れないけど、美術品を飾る部屋にだったら、飾っても違和感はないでしょ。」
「ええ。そういう考え方もあるかも。」
イシュア国において、絵画も他の美術品と同じように高額商品であり、貴族と大商人が扱う商品であった。その理由は、芸術家が少ない事と、美術品を作るための道具や原料が高額な事だった。しかし、エリック公子達の活動の結果、白上質紙と絵道具の価格は以前に比べて大きく下がっていた。
要するに、庶民に近い人間も、絵画であれば比較的安価で購入できる環境が整えられていた。ここまでは、エリック公子も芸術家侯爵も、美術界で生きている商人達も、良い流れの中で物事が進んでいる事を喜んでいたが、ここに来て1つの問題が発生していた。
庶民が好む美術品は何であるのかという、商売における根本的な部分において、美術界はつまずいてしまった。
「それにね、姉さん。姉さんの今の姿を考えてみて。普段、いや戦場でも、こんな格好はしないよね。」
「ええ、戦えないもの、この装備では。」
「でも、戦天使とか、狩人の精霊と名付けたら、そういう美術品として、売れると思わない?姉さんの肖像画ではなく、美しい天使や精霊の姿という見方をすれば。」
「そうかも。」
「とにかく、アイリスのためにも今後も協力をしてよ。」
3人をモデルにした人物画は、すぐに買い手が決まった。学生が描いた未熟な商品との評価もあったが、それ故に安価であるため、今まで美術品を所有したことがない中小商人にも手が出しやすかった。これから成長する自分自身に重ねて、若い芸術家への投資をするとの考えもあり、新商品はすぐに新市場を作り上げた。
中小商品の間で広まったこれらの商品は、高価格帯にも低価格帯にも拡大していき、王都全体に広がっていくまでには、しばらくの時間は必要であったが、初期の段階で流行したのは、王子と姫の人物画と、赤い戦士シリーズであった。




