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公爵家物語(オズボーン家)  作者: オサ
4年生
125/198

4年生 その121 報告

121 報告


ロイド・ファランの朝は早い。夜明けと共に目覚めると、妻を実家へ送り出すのが日課だった。公爵邸での訓練が終わるまでの2時間、自室の事務机に並べてある書類に目を通した。

学園卒業後、宰相府の一文官として就職した宰相の孫は、見習い文官と言う肩書と共に様々な部署への手伝いを命じられていた。幼少期からの祖父手伝いが仕事になっただけだったが、同じ手伝い仕事であっても、そこから読み取れる情報は格段に上がっていた。仕事に不備があれば、それを指摘して修正させる仕事をしている彼を見習い文官という正式名称で呼ぶ者はいなかった。宰相府の監督官が、ロイドの実態を示す役職だった。

2時間が経過すると、妻の帰宅に合わせて朝食を取った。住み込みで働いている侍女のヘレン、メイドのパルム、料理人のテッドの3人も同じテーブルで食事を取る事になっていた。使用人と一緒の食卓を囲むという公爵家の伝統に倣ったもので、普通の上位貴族の家庭では見られない事だった。ロイド自身も最初は慣れなかったが、この時間を利用して、3人から屋敷の事や妻の事を聞く事ができる利点があると分かると、抵抗感はすぐに消えた。

朝食が終わると、茶色の文官服に着替えて鞄と共に屋敷を出た。毎朝の送迎を担当する乗り合い馬車に乗り込むと、そこには商業ギルドの誰かしらが同乗者として乗っていた。王都の東端にある自宅から、西端にある王城宰相府に向かうまでの30分間、ロイドは対面する同乗者から情報収集をすると同時に、様々な指示を出していた。

宰相府に到着したロイドは祖父に挨拶をすると、新たな任務の有無を確認した。毎日1,2件の課題を出されるかのように、新しい任務を処理してから、見習い部署へと向かって文官の仕事をした。

 部署内の文官の相談を受けていると時間が過ぎるのは速く、すぐに昼休憩の時間になった。宰相府内にある食堂で昼食を取りながら、他の部署の文官との情報交換を行った。1年前から、ケネット侯爵派閥の動きは王宮内では見られなくなったが、ケネット侯爵派閥の貴族達が失脚した訳ではないので、まとまる中心がなくなったというだけで、勢力そのものは残っていた。宰相派としては、取って代わるような事を狙ってはいないが、新しい情報網を確立しつつ、ケネット侯爵派閥が勢力の復権を狙うようであれば、それをすぐに牽制できるような体制を構築中だった。

 午後5時の定時に仕事が終わる部署は皆無だったが、ロイドは定時になると必ず帰宅していた。帰宅中の馬車では体力回復のために仮眠を取ることにしていたため、帰りの馬車だけはファロン家のものを利用していた。

帰宅後から就寝までの時間が、ロイドとレイティアにとっての夫婦の時間であり、2人だけで過ごす事ができる時間はここだけであった。

夫婦だけの晩餐は楽しい一時であり、夫にとって唯一心が安らぐ時間でもあった。晩餐が終わると幸福ではあるが、ロイドにとって重い時間が始まった。ほぼ毎日、2時間続く愛の営みは、2人にとって最高の時間でなければならなかった。少なくともロイドには、自身の欲望を満たし、快楽を貪るためだけの行為ではなかった。妻を悲しませず、妻に安心感を与える神聖な儀式であった。

一度だけ公爵家伝来の書物によって定められた儀式の休止を求めた事があったが、すっと流れる涙と絶望感に満ちた表情を見せた妻に、笑顔を取り戻すのに3時間を必要とした。余りにも疲れていて、1度の放精で儀式を終了しようとした時には、土下座で身の不甲斐なさを謝罪された上、伝来の書で示されていた奉仕を2時間も続けられた。

儀式が無事に終わると、風呂場で体を清めてから、水分を取ると午後9時には就寝した。妻が翌朝の訓練のために早寝を崩さなかったため、ロイドが完全に搾り取られるような事態だけは避ける事ができた。

決して崩れる事のないリズムの中で生きているロイドは、不満を感じることなく生活をしていた。


「ロイド様、到着しました。」

「ん、ありがとう。」

 新居前で停止した馬車から降りながら利用札を渡して、乗り合い馬車を見送ると、小さな門をくぐった。大商人の屋敷並みの2階建て総20室の新居に豪奢な飾りはなく、玄関の扉も大きいものではなかった。

 その扉を開けると、いつも待ってくれている妻だけでなく、3人の使用人も待機していた。

「お帰りなさいませ。ロイド様。」

「ああ、ただいま帰った。」

「お帰りなさい。旦那様。」

「ただ今、レイティア。3人ともどうした?レイティアが椅子に座っているのは、どうした?」

「旦那様、子ができました。」

 4人が満面の笑みを見せている理由が判明した瞬間、ロイドも満面の笑みを見せた。

「やったぁぁぁ!!!!ああ、ああ、ああ、レイティア、ああ。ああ。」

 椅子に腰かけている妻の前に跪くように擦り寄ると、膝上に置いてあった妻の両手を握りしめた。

「旦那様。」

「よくやってくれた。ああ、ああ。抱きしめない方がいいのか?」

「強くなければ大丈夫です。」

「ああ、レイティア、ありがとう。本当に。」

 涙を流しながら妻を抱いている夫は全身を震わせて喜んでいた。子は授かりものと言われるように、本来は努力でどうにかなるものではなかった。だから、本当に効果があるのかが疑わしいものであっても、公爵家の秘伝の書がこれまで実践されながら継承されていた。ほんの少しでも努力する事ができるのであれば、それを実行するのが公爵家であり、公爵家の血を繋げる一族の思いだった。

公爵家が子作りに対して、どの貴族よりも真剣に取り組むのは、血の継承が義務であるからとロイドは信じていたが、それは違った。公女と結婚して妻と交わった時に、確かに子を欲しいと願った。1日でも早く子を授かりたいと願った。それは、子孫が欲しいからではなく、妻と子供達の時間を1日でも多く作りたいと考えたからだった。暗闇の暴走で、死の隣に着席を求められるレイティアの時間は、どちらにしても一度そこで区切りをつけなければならなかった。そこで区切ることが意味のない事になってくれと願いながらも、死という現実を無視する訳にはいかなかった。

暴走に最前線で立ち向かう者達は全員、遺書か遺言を残していた。それを読んだことがあるロイドも、レイティアの時間が止まるという前提で様々な事を考えていた。

最初の子にレイティアが忘れられない事が確定した。ただ、それだけの事かもしれないが、自分を中心とした家族ができた今、ロイドはその事の大切さを理解していた。血を残す以上に、思いを残す事が重要で、その思いが公爵家とイシュア国を守護してきた。次々と生まれては消えた分家の貴族達は、滅びながらも、その思いを本家であるオズボーン公爵家へと捧げ、本家の血脈を保ってきた。今、新しく誕生したレイティアの血を繋いだ分家が次世代までつながることが決定した。それを、新分家の当主となるロイドは、ただただ喜んでいた。

「旦那様、もう、大丈夫ですか。」

「ああ、興奮はしているが、少し冷静になった。この後はどうすればいい?注意する事は?」

「公爵家には、この後すぐに知らせます。それ以外の所は、悪阻が治まって、一カ月が過ぎたら安定するので、その時点で宰相家にも知らせます。」

「悪阻、悪阻はどうなんだ。体は、体調は大丈夫なのか?」

「めまいがして、吐き気がありましたが、今は大丈夫です。この先も続くと思いますが、たいしたことはありません。」

「そうか。無理はしないでくれ。そうか、公爵家には訓練を休む事を伝えないとな。」

「はい。悪阻が治まるまでは休みます。」

「まで?悪阻が治まったら、妊娠中でも訓練をするのか?」

「出産まで訓練は休みます。多少の運動は良いのですが、訓練は無理です。ただ、目を鍛えるためには、見学する必要があります。」

「そうか。分かった。レイティアが無理をしないのは分かっているが。私は妊娠期間中をどう過ごせばいいのかが、全く分からない。面倒かもしれないが、丁寧に教えてもらいたい。また、するべき事は遠慮なく、指示してくれ。」

「そうね、とりあえず、夕食前に公爵邸のお父様とお母様に報告してもらいに行ってもいい?」

「もちろんだ。」

「悪阻が治まるまで訓練をお休みする事も。それだけ伝えたら、すぐに戻ってきて、5人で夕食にしましょう。」

「ああ。このまま伝えに行ってくる。」

 この日、公爵夫妻が涙ながらに喜んだ姿をロイドは一生忘れる事ができないだろうと思うと同時に、自分も同じ姿をしていたのだと考えていた。老齢に達した時、妻に今日のことを揶揄われるようになって欲しいと願いながら、帰宅の道を歩いた。


 イシュア暦369年5月は、公爵家にとっては長女の妊娠という情報に勝るものはなかったが、イシュア国ではジグムンド・ライオンズ男爵が陞爵して、子爵の位を授かったという朗報に勝るものは無かった。

北の国境の町ファルトンを領地とする男爵は、国家非公式ながら、商人達のフェレール国貿易を以前から認めていて、両国を繋ぐ唯一の街道を整備していた。そのため、両国を繋ぐ街路を拡大整備する事業においては、彼が現地責任者となり、王家と公爵家の投資を受けて大工事を指揮した。

大きな事故もなく、短期間で工事を完成させた功績を持っての陞爵は、過去の武勲による陞爵と比べると見劣りする勲功であったが、国内からの反対は全く無かった。ケネット侯爵派閥の活動が集団としてはなかった事と、両国の窓口となる人間の爵位が低い事への懸念、そして、この貿易路がすでに莫大な利益を生み始めている現実があったからだった。莫大な利益を提供してくれる領主の機嫌を損なってまで、陞爵に何かを言う必要はなかったし、子爵家が増えたからと言って、自分の地位を脅かさせると考える貴族は皆無だった。

 その子爵の王都訪問はある意味国家的行事だった。子爵1人のために王城の大広間で陞爵の儀が行われた後は、大広間で祝賀会が開かれた。その後、フェレール国大使館の貴賓として招待を受けると、大使、副大使である両殿下主催の歓迎会も開かれた。

 子爵にしてみれば、すでに行われていた貿易を拡大するという簡単な仕事をしているだけであったが、貿易の利益が出るまでには1年以上の時間を必要と考えていた貴族達からは、予定よりも早い貿易の開始と利益の獲得を提供してくれた福の神に見えていた。

王都滞在10日目、ジグムント子爵はオズボーン公爵家を訪問した。

51歳初老の紳士は、柔らかな青色の眼差しを持った黒髪の中肉中背の貴族だった。公爵邸の客間に案内された子爵は公爵夫妻と第2公女の前で深々と頭を下げた。

「領民を代表して、公爵閣下には、特効薬の事、感謝いたします。」

「感謝の言葉、ありがたく受けよう。」

「はっ。」

 第2夫人であり、セーラの実母であるミーナの命を奪った北方を起源とする病には特効薬が存在していた。しかし、生産量が少なかったため、高価な薬品として庶民が手にする事は難しかった。ミーナを死から救えなかった公爵夫妻は、公爵家の莫大な財力を使って、特効薬の生産体制を整備した。公女としての地位を望まなかったセーラが、北部の町でその病にかかるのではないかとの不安があったからだった。

 毎年拡大する病ではなかったため、年によっては莫大な損失を生み出した。だが、庶民にしていれば、安定して手に入る特効薬のお陰で、死の恐怖が緩和されるのだから、恩義を感じない者はいなかった。そして、最近は、フェレール国との貿易の中で、輸出品としても出回るようになり、利益は生み出さないが、損失がゼロに近づく状態にはなった。

「セーラ公女、本日、同席を願いましたのは、ミーナ様への感謝の気持ちを伝えたかったからです。街が豊かになったのも、貿易が成功したのも、その功によって私が陞爵したのも、全てミーナ様のお力なのです。」

「ジグムント子爵の尽力で、それらがなされたと思います。私もファルトンの町に住んでいました。領主様のお陰で皆が豊かになったと、そう話をしていました。」

ソファーに腰かけるように促された子爵は、昔の話を始めた。

「町の貿易が盛んになったのは15年前ぐらいの事です。今では大商人の1人である若者が始めた、物品の運搬と言う仕事で様々な利益を生むようになりました。それが始まりなのです。その始まりに関わったのが、ミーナ様なのです。」

「ジグムント子爵は、ミーナと面識があったのですか?」

「いいえ、公爵夫人、ミーナ様とはお会いしたことはありません。その商人から、師匠の名前としてミーナ様の名を聞いたことがあるのです。」

「師匠?母さんは、誰かを弟子にした事は・・・。そういった話は聞いたことがありません。」

「はい。セーラ様のおっしゃるように、ミーナ様が弟子を取ったという事はありません。その商人が様々なアドバイスを受けて、成功した事から、勝手にミーナ様を師匠としていたそうです。ただ、その適切なアドバイスで、いくつもの商売が成功しているのは間違いありません。その成功の利益で、町は豊かになり、多くの開発ができるようになり、今日の貿易の成功につながっています。ミーナ様のお力が無ければ、今の状態になるのに長い時間を必要としたでしょう。」

「母から、食堂に来た商人と話をする事で、様々な情報を得る事は大切な事だとは習いました。ですが、それは食堂を繁盛させるために、情報交換の場になる事を考えての行動で、町全体の発展を考えての事ではなかったと思います。」

「ミーナ様が、食堂を訪れる商人達の力になろうとしていた事、その事で商人達が成功して利益を生み出しました。その利益が食堂の売り上げに向かったのは事実です。だから、ミーナ様がおっしゃった食堂を繁盛させるためというのは、その通りだと思います。しかし、町が豊かになるきっかけを作ってくださったのも事実です。その事に、私も、町の者も感謝しているのです。」

 第2夫人ミーナの功績を知る事は喜ばしい事だったが、相手が何を目的としているかが分からない時点では、警戒をしなければならなかった。

「ジグムント子爵、貴重な話を感謝する。私達にはとても嬉しい事ではある。ただ、私達に何かを求めているのであれば、それを単刀直入に言ってもらいたい。」

「はい、公爵閣下。私はミーナ様の功績を広く世に広めた方が良いのかを相談したいのです。実は、以前からミーナ様のお名前は聞いていたのですが、その真の貢献がどれだけかは、最近まで知りませんでした。数人の大商人達や町の者から、無数に出てくる話をまとめた結果、ようやく分かった事なのです。町が大きくなった功績については、私よりもミーナ様の方が大きいのです。その事実を私は世間に広めたいと考えています。町の者たちも同じ願いです。」

「セーラはどうしたい?」

「ミーナ母さんの話を聞けたことで私には十分です。母さんのアドバイスがあったと言っても、実際に商売で成功したのは商人達で、町の発展に尽力なさったのは、ジグムント子爵です。母さんが、皆の力になったという事が分かっただけで良かったと思います。それに、母さんは私に、町のために働いた。誰かのために働いたと言ったことはありません。だから、母さんに功績があったとしても、それを広めて欲しいとは考えていないと思います。」

 この日、子爵の滞在時間は昼食を挟んでの長時間になった。その間に、商人達が語っていた功績の全てが公爵家へと伝わった。それは、家族にとって喜ばしい話ではあったが、もしという仮定を考えずにはいられない話でもあった。


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