4年生 その119 肖像画
119 肖像画
レイティアの結婚式が終わるとすぐに、次期公爵アランは公爵領へと向かった。弟はもうしばらく公爵邸に留まるように懇願したが、公爵領が発展している今、現地司令官が1日でも早く戻るべきであるという説得に頷いた。そして、アランは、次期公爵として様々な権限を委譲されると、1年後の再会を約して旅立った。
この時期、イシュア国は王都を中心とした北部が大発展していたため、公爵領の発展は目立ってはいなかった。しかし、優れた財務官を抱えた次期領主が、現地で即断即決の開発を行うと、発展前の土台が次々と作られていった。
輝かしい未来に、その思いを寄せている者が多い中、変えられない過去に思いを寄せている者が公爵邸には居た。
「お姉様、今日はお兄様と一緒にお出かけする予定ではなかったのですか。」
「旦那様は、お仕事で忙しいのよ。出かけるのは来週に延期よ。」
「休日なのに・・・・・・。」
「大丈夫よ。そんな心配そうな顔をしなくて。もう一緒に暮らしているのよ。出かけるのが延期されたからと言って、寂しくはないわ。」
実家の妹の部屋でお茶を楽しんでいる姉の笑顔に全く影がない事にセーラは驚いていた。仕事ばかりの義兄に対して、姉が満足していないと考えていた。
一緒に暮らしていると言っても、姉が義兄と一緒に過ごせる時間は多くなかった。朝6時に公爵邸を訪問したレイティアは2時間の訓練を行って、すぐに新居へと帰っていくが、夫と過ごせる時間は朝食を共にする時間だけだった。朝食が終わると夫は宰相府の文官として王城へと出勤した。夫が帰宅するのは夕食直前の時間が基本で、仕事が終わらなければそれよりも遅れる事があった。
朝食、夕食、就寝するまでの2,3時間、これが夫婦として一緒に生活している時間の全てであり、去年の学園で一緒に過ごせる時間が無くなった事を考慮すると、姉が休日の時間を非常に楽しみにしているとセーラは考えていた。
「お姉様がそうおっしゃるなら・・・。結婚すると、考え方みたいなものも変わるのですか。」
「そうね。変わったわ。」
少女のようなワンピースではなく、豪奢ではないが貴族としての体面を維持できる紺色のドレスをまとっている夫人は、金髪を編み上げていて、貴族らしいお洒落をしていた。美しさに陰りは全く無かったが、周囲全てを眩くする華々しさはなくなっていた。落ち着いた雰囲気の中で美しさを誇っている一輪の菫のような美しさがあった。
「どういった点が変わったのですか?」
「落ち着いたわ。それに・・・。嫉妬しなくて済むようになったわ。」
しばらくの間、姉の結婚観を聞きながらセーラは少しだけ自分の結婚について考えていた。学園卒業まで3年、留年しているため成人までは2年、その間に恋人や婚約者が現れるのか、それとも政略結婚を公爵夫妻に願い出るのか、自身の可能性を検討してみるが、どれも具体的なものとして思考する事ができなかった。第2公女にとって、母娘2人だけの家族が基本であって、そこに夫や父は存在していなかった。
「アイリスが来たようね。」
「はい。」
セーラとレイティアは部屋を出ると、義妹のアトリエへと向かった。
真っ白の大きな長そでエプロンで身を包んだアイリスは、2人の姉を引き連れて公爵邸を歩いていた。
「今日は、エリックはいないの?」
「学園の訓練場へ行きました。」
「訓練はうちでするんじゃなかったんだ。」
「レイモンド殿下の依頼で、ザビッグさんと一緒に。」
「それこそ、うちで訓練すればいいと思うのだけど。」
「他にも参加したい方がいるらしくて、公爵邸に押しかけるのは迷惑になるからと、エリック様が仰っていました。」
「お姉様、公爵邸に友達を呼ぶのは迷惑なのですか?」
「そんな事はないわ。気になるなら、お父様やお母様に聞いてみればいいわ。」
アトリエと呼ばれる一室は、完全にアイリスの管理下に置かれていて、義妹にとっては大切な城だった。2人の姉を招き入れると、応接セットのソファーへと座らせて、様々な絵具や用紙、額がしまわれている棚の方へと向かった。
1枚の額を両手で掴んだアイリスが自分に作品をプレゼントしてくれるのがセーラにも分かった。きっと、それは姉の結婚式に参加した時のドレス姿の肖像画だと予想した。義妹の技量で描かれた肖像画は、特別な宝物になりえた。10年後、20年後に、自分の若き姿を見る事ができるのだから、その肖像画にはこれから様々な思いを吸い込むことができた。
公爵領に出発する義兄アラン、キャロライン嬢、メルヴィン老にも肖像画を贈り、とても喜んでいたのを思い出しながら、セーラも自分に渡してくれる肖像画を楽しみにしていた。レイティアお姉様の肖像画も楽しみで、最初にそれを見せてくれるのだろうと思っていたが、アイリスの歩みの方向はセーラの方に向かっていた。
新郎新婦の肖像画を仕上げるには時間がかかったのかもしれないと思いながら、目の前まで来た義妹を見つめた。
「セーラお姉様への贈り物です。」
「ありがとう。見てもいいの?」
自分に差し出された額が、裏側を見せていたため、セーラは思わず尋ねた。
「はい。」
手渡された額をひっくり返した。
「母さん・・・。」
手にした肖像画に話しかけるようにつぶやいた言葉を聞いたアイリスとレイティアは笑顔で見合わせた。
セーラは肖像画の中の実母に思わず話しかけそうになって口を開いたが、2人に見守られることに気付いた。
「アイリス、どうして、母さんの肖像画が・・・・・・。」
「エリスお母様に教えてもらって。」
「そうだろうけど。こんなにそっくりに描けるの、一度も会ったことがないのに。」
「セーラというモデルがいるでしょ。」
「あ。」
「描いたのはアイリスだから、私には細かい所はよく分からないけど。セーラが大人になった時を想像して描いたら、当然そっくりなんでしょ。どう?セーラから見ても、ミーナ母さんにそっくりなの?」
「はい。母さんがいるようです。」
胸から上を描いた肖像画の中にいる赤髪赤目の女性は、食堂で働いていたミーナに間違いなかった。セーラよりも少しだけつり目が弱く、優しさを備えている瞳、右側の唇の厚さがほんの少しだけ薄く、色合いに少しだけ朱が混じっていた。唇に加えた薄い朱は、赤を基本とするミーナのいつもの化粧スタイルだった。髪は肩上まで切り揃えていて、食堂で働きやすい事を最優先していた所も母ミーナだった。
纏っている濃緑のドレスだけが、セーラが見た事のないものだった。それ以外は確かにセーラが見た事があるミーナだった。
「このドレス、色、母さんが着そう。」
同じ型のドレスを着るのであれば、緑が好きな娘に合わせて、母が濃緑を選ぶのは特別な選択ではなかった。そして、この肖像画の女性が、この色を実際に選んだわけでもなかった。だが、セーラには実母が自分の意思でこの色のドレスを選んだように見えた。
額ごとぎゅっと抱きしめたくなる衝動が生まれてくる程に、セーラの記憶の中のミーナと肖像画は一致していた。本当は記憶が薄れていて、肖像画を見た映像が、そのまま過去の記憶とすり替わっただけで、本物のミーナとはどこかが違っていたのかもしれなかった。だが、今のセーラの中では、この肖像画の何もかもが実母ミーナと一致していた。そうとしか考える事ができなかった。
「アイリス、本当にありがとう。嬉しい。宝物にする。ありがとう。大切にする。ありがとう。アイリスが妹になってくれて、本当に良かった。ありがとう。」
瞳を潤ませながら、何度も感謝する姉に照れ笑いを見せながら、アイリスは涙を零していた。いつも自分を気遣って笑顔を見せながら、何でも手助けしてくれる強い姉が、こんなに喜んでいる姿を見るのは初めてだった。
公爵家に受け入れてもらえるように必死だった自分と同じではなく、それ以上に懸命に生きていた義姉を少しでも支える事ができる事が嬉しくて、そして、今までそれができていなかった事が悔しくて、義姉の方が救いを求めていた事に気付かなかった事が情けなくて、アイリスは泣きながら答えた。
「はい。セーラお姉様に喜んでもらって良かったです。」
セーラの部屋に飾られたミーナの肖像画を3人の娘が見つめていた。次期公爵アランの嫁が決まれば、今代の公爵家の女が4人揃う事になるが、現時点ではこの3人が次代を作る土台だった。
絵の中の美女は、3人にとって敬愛を捧げると同時に、その強い心を学ばせてもらいたい存在だった。公爵家の崩壊を防ぎ、次代の血を残した母は、優れた戦士でもなく、公爵領を豊かにした政治家でもなく、公爵邸で公爵夫人に仕えた侍女でしかなかったが、間違いなく公爵家の底に空いた穴を塞ぐために人柱になった女性だった。
次の暗闇の暴走で活躍したセーラの実母としてしか歴史に残らないであろう女性を、肖像画ではあるが、個人として後世に伝える事ができるようになった。そして、3人の娘たちは、同じ肖像画を見つめながら、それぞれの思いを乗せた。
かつては忘れてしまった母を二度と忘れない。
自分を産み、公爵邸から離れながらも公女となるべく育ててくれた母さんの記憶が薄くなる事は無い。
公爵夫妻を守った事で、自分の愛する男性が誕生する環境を作ってくれた恩を後世に伝える。
「セーラお姉様。」
「なに。」
「私が大人になったら、ミーナ母さんの話をしてもらってもいいですか。」
「ええ、もちろんいいわよ。」
そう答えてから、しばらく考えたセーラは、妹が求めている話が、決して綺麗な言葉で語るミーナではなく、より真実に近い姿だと理解した。そして、その話は、公爵家の血を次世代につなげる女性になる人間に必要な何かを習得するためのものだと、第2公女は思った。
「セーラ、私もお願いがあるのだけど。」
「はい。何ですか?」
「強いお願いではあるのだけど、セーラが望まないのであれば、断ってもらってもいいの。」
姉が頼みにくいお願いに興味が出ると同時に、お見合いなのではないかと第2公女は思った。暗闇の暴走の事を考えれば、学園卒業と同時に結婚して、子供を1人産んでから決戦を迎えると言うのが、理想的な展開だった。それを実現するためには、早い段階で婚約を成して、その準備をしておく必要があった。
去年の学園内での実績を考えれば、姉が人脈を駆使して、候補を揃えるのは難しくなかった。恋愛結婚を望んでいる両親が動かない以上、今動くことができるのは夫人となった姉だけだった。
「お姉様のお願いであれば、可能な限りは叶えたいと思います。」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。」
「はい。それで、お願い事と言うのは何ですか?」
「生まれてくる子供の名前をミーナにしたいの。」
セーラとアイリスが横にいる姉の方に顔を向けた。嬉しそうな横顔はとても美しく、青い瞳は優しく肖像画を見つめていた。
「駄目かしら。」
「え、駄目ではないのですが。」
「いいよとは言ってくれないの?」
「えっと、生まれてくる子が、名前に縛られてしまうと言うか。自由を奪ってしまうような気がして。」
「生まれてくる子が、ミーナと呼ばれる事が嫌だという事は無いのね。」
「嫌という事はありません。」
「だったら、問題はないわね。」
「あの、お姉様、子が成長した時に、自分の名前の由来が、その、第2夫人の名前というのは・・・。」
「セーラは難しい事を考えるのね。私はミーナという呼び方が好きで、そう家族を呼んでみたいから、娘をミーナと名付けたいだけよ。もちろん、娘がミーナ母さんを誇りに思うようになって、自分の名前を好きになってくれれば嬉しいわよ。だけど、同じ人生を歩む訳ではないし、同じ人間ではない事は、私も分かっているし、娘も理解できると思うわ。」
「・・・・・・。」
生まれてくる子供のために、ミーナという名前を避けた方が良いと説得しようとした時、アイリスが手を握ってきた事に驚いた。
「アイリスどうしたの?」
「もし、レイティアお姉様の子供がミーナ母さんの名前をもらえないのであれば、私の娘に付けます。」
「どうして?」
「私はミーナ母さんを尊敬しています。だから、娘に素敵な女性になって欲しいから、ミーナという名前を付けたんだって、言うつもりです。」
「私・・・。」
「アイリスみたいに、そのまま伝えた方が良かったみたいね。」
「お姉様。」
「私にとっても、とても大切な名前なの。ミーナ母さんは。だから、もう決めているの。最初の子供の名前はミーナって、セーラが反対してもね。もちろん、音も好きよ・・・。もう、セーラはどうして、自分が悪いかもってすぐに考えるのかしら。」
「え。」
「自分は今までミーナと言う名前に、負の印象を重ねていて、自分が一番ミーナ母さんを侮辱していたんだ。こんなに皆がミーナ母さんを、その名前を大切にしてくれたのに。自分だけが、その事に気づいていなかった。とか考えているんでしょ。」
「・・・・・・。」
「ミーナ母さんの名前に負の印象があるのは間違いないわ。公爵家の一番辛い時期に、一番辛い選択をして、それを背負ってくれた名前だもの。でも、それがあったから、私達はこうやってここにいられる。生まれてくる子供もそう。だから、私は次の世代の長女には、ミーナと名乗って輝いてもらいたい。」
「セーラお姉様。私もレイティアお姉様のお考えに賛成です。」
「分かりました。私もお姉様の娘をミーナって呼んでみたいです。」
この日の晩餐でレイティアの長女の名前が発表された時、嬉しくて泣いていた第一夫人が、自分に全く相談してくれなかった事に気付いて拗ね始めた時、セーラはその夫人を見守る母ミーナの笑顔を思い出していた。




