3年生(2回目) その114 長男帰還
114 長男帰還
王都郊外の草原を駆け抜けた黒馬は、茶色の皮革装備で身を包んだ戦士を運んでいた。
「ユージン!」
馬舎を掃除していた男の名を叫んだ金髪青目の青年は懐かしさを抑える事ができなった。1年半も離れていた公爵邸と公爵邸の住民達を見た時、こんなに熱い何かが胸に広がるとは思っていなかった。
「アラン様!」
「馬を頼む。」
「はい。皆様、本邸のお部屋にいると思います。」
「分かった。」
アランは本邸の西側を通って、玄関を目指した。公爵邸を外からしみじみと見たのは初めてだった第一公子は、公爵邸を初めて見た時の姉セーラが驚いていた気持ちがようやく分かった。
「エリック!」
玄関の大扉が開いたと同時に飛び出してきた第2公子が飛びついて来た。
「兄さん?」
「疑問形なのはどうしてだ。」
「背が高くなったよね。」
「そうだな。エリックを見下げるなんて初めてだな。」
1歳差の兄弟の見た目はこれまで、大きな差はなかった。身長もほとんど変わらなかったし、父母から引き継いだ美少年の容姿も同じものだった。
それが今、兄は弟より顔1つ分高い身長と、それに見合うがっしりとした筋肉と、凛々しさを手に入れていた。美少年ではなく、美男子と呼ぶに相応しい容姿に次に驚いたのは下の姉だった。
「おかえり、アラン。」
「只今戻りました。セーラ姉上。背が大きくなりましたか?」
「アランほどではないわ。」
「セーラ姉さんが、綺麗になったとか思ってる?」
「綺麗なのは前から変わらないぞ。」
「え、え。急に何?」
「最近は特に、レイティア姉様のおまけみたいに褒められていると思っている姉さんに、自分の美しさを自覚してもらいたいと思って。しばらく会っていなかった、兄さんの意見を聞いてみたくて。」
「セーラ姉上は、もっと自身の美しさを自覚した方がいいと思いますよ。」
「あ、え、ありがとう。」
「アラン、お帰りなさい。」
「レイティア姉上。只今戻りました。」
「それにしても、余り期待できなさそうね。」
「何がですか?」
「一つだけ言っておくけど、大切なのはタイミングよ。分からないのなら、良く考えるといいわ。」
「はい。」
姉妹兄弟が久しぶりに顔を合わせて笑顔を見せあっている様子を見つめながら、公爵夫妻が玄関に到着すると、エリックが離れた
アランが紳士の礼を取って、深々と頭を下げた。
「父上、母上、只今戻りました。」
「公爵領の統治、ご苦労だった。良くやってくれた。」
「はい。」
「お帰りなさい。アラン。」
「はい。」
逞しく成長した息子の日々を見ておきたかったという思いと、成長を喜ぶ気持ちが混じり合っていた。
「メルヴィン卿は一緒ではないのだな。」
「はい。メルヴィン卿とキャロライン嬢は、ロナガン子爵邸へと向かいました。公爵邸での晩餐に招待しています。」
「そうか。では、昼までは時間があるから、ゆっくりと休むといい。話しは昼食後に。」
「父上、昼食前にしたい事があります。地下で訓練をしていただけませんか?」
次期公爵家当主であるアランが、王都を離れる経験を持つことは、公爵領の統治にプラスになるだけでなく、人生においても貴重な時間となる事は間違いなかったが、公爵家には1つだけ大きな不安があった。剣を交える訓練相手がいない中で、どれだけの力を得る事ができるのか、成長期の重要な時期に、十分な研鑽を積むことができるのか、その不安は王都の命運にも直結する懸案であった。
オズボーン公爵家の戦士の強さは、動きの速さと正確さにあった。それらは、近衛騎士レベルの人間よりも素早く動き、恐れることなく急所に鋭い攻撃をひたすら繰り出してくる魔獣を倒すのに必要なものだった。
特筆すべき圧倒的な速さは、剣技などの技術を無視する事ができたため、一部の人間以外には圧勝できた、一部の人間であるザビッグは一定以上の速度と優れた剣技と膂力によって、公爵家の戦士の攻撃を捌くことはできたが、攻撃を当てて勝利するのは無理だった。歴戦の猛者である彼も、常に攻撃範囲外を移動されてしまえば、万一の勝ち筋すら掴む事はできなかった。
優れた戦士と言うよりも、圧倒的な速さで相手の攻撃を躱し、一撃離脱を繰り返す3人の女戦士は、蝶のように舞い、蜂のように刺す美しき刺客だったが、その肉体には女性らしい柔らかさがあった。筋肉の鎧で完全武装していない理由は、暗闇の暴走における中の魔獣との戦いにあった。
約2時間と言われる中の巣での戦いは、連戦の長期戦であり、必要以上の筋肉は体力を奪う重りにもなった。呼吸を整え、疲労を取りながら戦う場合、その僅かな時間を得るためには、騎士の一人が玉砕覚悟で猿人とも呼称される半二足歩行の魔物の前に立ちふさがらなければならなかった。
公爵家の女戦士にとって、速さを極めると同時に、筋肉を肥大化させない事は護衛騎士と言う名の生贄を減らすための重要な課題だった。朝2時間の訓練以外の行動で、彼女たちが全力行動をしない理由は、過剰な筋肉を付けないためだった。
「もう勝てない。」
長女の呟きに母親も頷いた。男女の構造上、いつかは乗り越えられる事は分かっていたが、ここまで差が付けられるとは思っていなかった。金色の髪を一本にまとめている姉は、嬉しさの他に悔しさが自分の中にある事に驚いていた。
「どんな訓練をしたの?」
「最初は、仮想の対戦相手を思い描きながら、短剣の訓練をしていました。対戦相手は、一番早い姉上でした。」
「それで、速さを手に入れる事ができるの?」
「1人で訓練を始めてから半年ぐらいは、速さについては、成長らしいものはありませんでした。そこで、対戦相手を自分自身と仮想して、姉上の動きを真似る訓練をしました。現実の対戦相手がいない事から、剣技の訓練としては価値のないものだと思います。ですが、姉上の動きをマスターするには良い訓練方法でした。」
弟の話に納得すると、レイティアから悔しさが消えていった。自分が長女としての鍛錬が足りなかったのではなく、男女の差だけがあったことを理解した。
「お姉様の動きを真似れば・・・。」
「残念な事かもしれませんが、セーラ姉上の動きは、レイティア姉上の動きとは違っていて、その違いがセーラ姉上の強さに繋がっています。真似をする訓練はしてはいけません。これはアドバイスではなく、次期公爵としての命令です。」
「お姉様と、そんなに違うの?私。」
「違います。実はセーラ姉上の動きを真似る訓練もしたのですが。その違いが分かって、断念したのです。」
「どう違うの?」
「うまく説明できないと言うか。知らない方がいいと思います。混乱してしまうから。ただ、セーラ姉上はこのままの訓練で、速さも強さも手に入れる事ができます。」
「分かったわ。知らない方がいいと言うなら、聞かない。」
最速になったアランの指示に従うしかないと判断したセーラは、独自路線を歩んでいった。
素晴らしい速さを手に入れたアランは、次期公爵としてその力をも示さなければならなかった。
25年に一度大の巣に湧いて出て来る大の魔獣は、二足歩行の手の長い巨人だった。二足である事から、全身の移動速度は、四本足の魔獣と中の魔獣よりも遅かった。しかし、武器である両腕限定の速さは、全魔獣中最速だった。
公爵家の速さがあれば、大の魔獣の攻撃可能範囲からの離脱は簡単にできるが、額にある魔石を抉り取るためには、魔獣の攻撃範囲に踏み込まなければならなかった。その時、どんなに速く動いても、一撃を受け止めなければならなかった。
大の魔獣に対峙する公爵家の男子は、速さだけでなく、魔獣の一撃を受け止めるための力も必要としていた。
「こい。」
「行きます。」
巨体ザビッグの一撃の重さは世界最強クラスと言えた。自身の体重と鎧の重さと膂力から繰り出される一点集中の攻撃を真正面から受け止めたアランは微動すらしなかった。重心を適切に動かすという技術以外は、単純な力でそれを受け止めた。
1年前の打ち合いでは、捌く事しかできなかった攻撃を何事もなく止めた弟に興奮したセーラが問いかけた。
「どうやって強くなったの?」
「普通に体が大きくなったからです。」
「あ。」
「いえ、特別な訓練はしました。一番力のある者にハルバードを持たせて、一撃を繰り出させて、それを受け止める訓練はしました。衝撃に慣れる必要がありましたから。」
「僕も兄さんみたいになれると思う。」
「今年か、来年あたりに成長期が来ると思う。その時に今以上に強くなれる。」
ギルバード・オズボーン公爵が、2本の短剣を握りしめると、息子の前に歩み出た。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「私達も訓練をしましょう。私とレイティアが戦うから、エリックは、見学をして。動きを覚えなさい。セーラとザビッグはいつものように実戦形式で。」
「はい。」
公爵邸の地下にある訓練場、ここは訓練内容や武技を隠すために作られた場所ではなく、傷つけ合いながらの実戦訓練を他人に見せないために作られた。戦士達が本気で戦うことができる聖地であり、死地であり、未来の希望を紡ぎ出す地下であった。
300年を超える年月で精錬されていった治療技術と薬草、薬剤が可能とした身を切りながらの訓練は、集中力も、精神力も、何もかもを強くしていった。
その強さを極めた2人の戦士は、休むことなく1時間の行動を続けた。皮鎧や薄皮を切られながらの素早い攻防は、その一撃一撃に十分な破壊力があった。お互いが大の魔獣と想定した双剣同士の戦いは、文字通り命を賭けての戦いだった。
いつからか、セーラはザビッグと一緒に2人の戦いを見守っていた。エリスもレイティアもエリックも2人を見守った。
39歳の中年はその美しさから、年相当には見えなかった。若々しいとは言えないが、隆々とした肉体は、19年前の全盛期と同様の力を発揮していて輝いていた。金の髪も青の瞳も生命力が溢れていた。
だが今、若々しく隆々とした肉体を持った息子は、より強い輝きを持っていた。金髪青目、輪郭と肩幅、腕回りの筋肉に胸板、太ももの筋肉と自在に操る腰、素早い動きと力強い踏み込みを作り出す足。
全てが同じように見えて、少しずつ輝きに差があるように見える戦いは、明確な勝利者を見せてはくれなかったが、戦っている2人が誰よりも、自分達の勝敗を理解していた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」
訓練が終わった瞬間、呼吸が荒れ、全身から汗が溢れ出てきた。
「旦那様の傷は私が見るから、アランの方はエリック。」
「はい。母様。」
魔石と塗り薬を持った2人が肉体の修復を行った。傷口を魔石から発する水で綺麗に洗い流した後、傷の深さに応じて適量の塗り薬を体に染み込ませた。綺麗に切断した手足を瞬時に繋ぐことができる薬草の塗り薬は、傷口を消していった。
「父上、お願いがあります。」
「言ってみなさい。」
「レイティア姉上の結婚式が終わった後、公爵領へ戻って、働きたいと思っています。」
「そうか。分かった。好きにしなさい。」
地下室の訓練以外でこれだけ強くなった以上、アランを止める理由は何1つ無かった。家族の情から発せられる寂しさが唯一の理由ではあったが、公爵位を継承した以降は、王都を出る自由も失ってしまう長男の思いを優先させたいという気持ちが、寂しさを封じ込めた。
「姉様の結婚式が終わったら、すぐって事は無いよね。」
「ああ、王都でやっておきたい事もあるから。」
末っ子が寂しさから、悲しい瞳に涙を貯めているのを、セーラだけでなく、家族全員が初めて見た。




