3年生(2回目) その108 夫人に
108 夫人に
剣技大会は、開催期間の初日から4日目までが予選、5日目が大会の調整日、6日目、7日目が決勝戦の日程だった。国王臨席となるのが決勝戦の2日間で、決勝トーナメントに勝ち上がる16名が、名誉ある御前試合でイシュア国王に自身の武を披露する事ができた。
後に、剣士達の目標となる第1回武の祭典の1日目は、前例なしの運営である事もあり、いくつかの問題が発生したが、宰相の孫として高名なロイド・ファロンの尽力によって解決された。
その労を慰めるという理由で、婚約者は公爵邸の晩餐会に招かれた。家族だけでの夕食会を基本としている公爵邸の晩餐室には、5名の家族以外に、今日は2名の婚約者が招待されていた。
「エリックと戦った傭兵ギルドの方は強かったわ。1回戦でエリックと対戦したのは残念ね。」
「姉様の言う通りなんだ。アイリス、僕の言っていた事は大げさではないんだ。」
「はい。分かりました。」
剣技大会を公爵夫妻に報告する形で食事中の会話が進んでいた。
「両殿下が1回戦を勝ち上がったのは良かった。決勝まで勝ち上がってもらえれば良いのだが。実力的に勝ち上がれるのだろうか。」
ファロン伯爵家は、宰相を輩出する忠義の家であり、ロイド自身も王家に対する忠誠心は高かった。宰相職は相続するものではなかったが、現時点では領地経営をしている父親を飛ばして、ロイドが次期宰相候補筆頭であった。いずれ仕える事になる王子たちの実力に興味があるのは当然だった。
「レイモンド殿下は決勝には残れると思う。コンラッド殿下は・・・。どうだろう。予選会場をほとんど見ていないから、傭兵ギルドの強敵を確認できなかったから。分からないな。」
「と言う事は、コンラッド殿下と対戦する可能性がある近衛騎士には確実に勝てるのか?」「僕の見立てではだけど。ロイド兄さんは嬉しいの?」
「それは、両殿下が強い事は国として良い事だから。2人とも行政に興味を持っているから、武一辺倒になる心配はないから、どれだけ強くても問題はない。何より、謙虚に学ぼうとする姿勢は、王子と言う立場に関係なく、素晴らしい。」
半年後には妻になる公女に気を使わずに、両殿下を褒める事ができたのは、大会の5日目の調整日に休みを得る事ができたからだった。初日の剣技大会が終わった夕方の片づけのタイミングで、宰相府から来ていた文官達が運営本部で緊急会議をロイドに提案してきた。
緊急会議と言っても、決勝戦の準備日にもなっている5日目をロイドに休んでもらうために、準備を任せて欲しいとの申し出であった。宰相府から派遣された文官の全員が、宰相の孫を次期宰相と認めている上、その妻となるレイティアなる女性がどのような行動をとってきたのかを良く知っていた。だから、将来の部下として10年後の宰相夫妻に媚を売ろうとしていた。ロイドは彼らの申し出を快く受け取って、レイティアを喜ばせた。
デザートとお茶の準備が整ったのか、晩餐室の扉にノックが入った。給仕役のセバスチャンとザビッグが目を合わせると、予定通りにザビッグが扉の方へ向かった。
「!」
運搬用のカートが入出する音が聞こえないとセーラが視線を向けた時、ザビッグが白い封書を手にして、テーブルの方に戻ってきた。
「ロイド様。宰相様よりの緊急の連絡でございます。」
受け取った封書の中を読む間、晩餐室にいる全員が不安な視線を向けていた。晩餐後にファロン伯爵邸に帰宅する事が分かっているのに、わざわざ連絡をしてくるのだから、何かが起こった事は確実で、全員がロイドの言葉を待った。
「レイティア、すまない、5日目の休日はなしになった。」
「どういうこと、兄さん。」
「本日、国王陛下が地方領主を招待しての昼食会を行った際に、5日目の調整日に、御前試合を行う事になったそうだ。」
「決勝戦の2日間が御前試合だったはずだよ。」
「それも予定通りに行うが、今回の大会に出場できなかった熟練の剣士達にも剣技の披露の機会を与えようという話になったらしい。地方領主の護衛できていた各領地の騎士団団長や、近衛騎士の大隊長や団長の中から、16名を選抜しての、トーナメント戦を行う事になった。」
剣技大会の起点は、若者達の育成であった。それが一気に規模を拡大して、全国から剣士が集まる大祭典になった事で、貴族層と民衆の間で認識に隔たりが発生した。
あくまでも若手に機会を与える大会でしかなかった貴族や騎士達に対して、民衆たちは剣士最強を決める大会であると考えていた。傭兵ギルド所属の剣士の多くが1回戦を勝ち抜いたのは、彼らが所属ギルドの最強の剣士だからだった。
この認識の違いによって、傭兵ギルドが騎士団より強いのではと誤解する民衆が現れたのはそれほど問題にはならなかったが、各領地貴族達の多くは、傭兵ギルドに大きな顔をさせるのは問題があると考えていた。しかし、大会が始まっている以上、今からベテラン騎士を参加させる訳には行かず、どうするべきかと考えていた時、各領地の最狂戦士だけを集めた大会を開催すれば良いとの意見が出た。
本大会は若手修行の場であると告知を出して、民衆の盛り上がりを減退させる選択を除外した以上、貴族達の提案を無下にする訳にはいかず、老宰相は国王陛下の立場を最優先に考えて、孫の婚約者に怒りをぶつけられる事を選択した。
「・・・・・・地方領主達の気持は分かるけど。」
沈黙を破るのが自分の仕事だと考えたエリックが、沈黙を破ったものの、何か良いアイデアを出す事はできずに困っていた。
「お父様、ロイドお兄様の代わりに、その御前試合の運営を担当していただけないでしょうか。」
このセーラの提案は、誰しもが思いついた事だったが、彼女にしか言い出す事ができないものだった。5日目の祭りに、セーラは公爵夫妻と一緒に3人だけで出かける事になっていた。そして、この日以外に公爵夫婦が自由に祭りに参加できる日はなかった。
今、公爵邸には公爵領から様々な書簡が届いていた。公爵領の運営はアランが元財務卿メルヴィンの補佐を受けて行っていた。その2人が細部まで差配しているが、最終的な決済の仕事は公爵自身がしなければならなかった。
9月の収穫に続いて、10月前半の公爵領内での物資調整を済ませた後に、アランは各領地の収穫報告と開拓などの投資案件、次期予算案を公爵邸に送った。公爵の最終決済がないと動けない案件もあり、到着した案件を公爵夫妻はすぐ処理しなければならなかった。
そして、ようやく目処が立った公爵は、娘に大会5日目の祭り見物の約束をしたばかりだった。
「・・・・・・。」
二公女のどちらを取るのかと言う決断を初めて迫られた公爵は表情を変える事はしなかったが、ただただ困っていた。
「セーラ、お父様とお母様と一緒に出かける約束をしたのだから。それを破るような事をしては駄目よ。」
約束という言葉で、姉への提案を完全に封じ込められたセーラだったが、どうにか姉と兄に祭りに行って欲しかった。姉の怒りを和らげたいからではなく、妹として姉の願いを叶えたかった。
「・・・でも。」
その後の言葉をセーラは続ける事ができなかった。
「公爵様、発言してもよろしいでしょうか?」
「ザビッグ、どうした?」
「申し上げたい事があります。」
「分かった。発言を許す。」
「ありがとうございます。急な御前試合の目的は、剣士最強の名を、若手や傭兵ギルドの冒険者に取られたくないという事かと思います。失礼ながら、同じ武人として、名のみを求める事に価値のあるとは思えません。そこで、私が会場に乱入して、全てを倒して、最強を名乗ります。そうすれば、丸1日もかけるような御前試合にはならないかと思います。午後にはレイティアお嬢様とロイド様が、祭り見物に出かける事ができるようになります。」
最強の名を賭けての御前試合と謳いたいのであれば、乱入者を排除できなかった場合、乱入者が一方的に悪者になる可能性は低かった。ただ、国王陛下に対する無礼を咎められるのは間違いなかった。
「ザビッグ、気持ちは嬉しいけど、そのような事はできません。セーラも・・・。お父様、お母様、エリック、アイリス、セバスチャンも良く聞いて。私はもうすぐ、ロイドに嫁ぎます。ロイド・ファロン夫人になるの。夫の仕事の邪魔になるような事はできないわ。したくもないし。それに他の祭事もあるから。その時にロイドに連れて行ってもらうから。そんな顔をしないで皆、ロイドも、ね。」
「でも、お姉様。」
「セーラ。良く考えて。私は留年をしたから、学園の生徒でいられるけど、もう成人年齢なの。結婚して夫人になっている年齢なのよ。お母様が19歳の時には、私がお腹の中にいたんだから。同じ年齢の私が、自分の望みを優先する事が間違っているの。」
左隣りの姉の横顔が、公爵夫人と完全に重なって見えた時、姉が公女であることを卒業する決心をしたのだと事をセーラは悟った。
第1公女レイティアの我儘が許される理由は、公女と言う上位階級の令嬢だったからではなく、命をかけて国を守る責務を背負った戦士だからだった。ただ、これは第一公女を噂で語る人間が勝手に作った理由であって、実際にレイティアに接した人々が、彼女の我儘に見える行為を許していたのは、彼女の我儘さは、愛情に関する分野でしか発生しないからだった。しかも、その我儘さの悪影響を受けるのは老宰相だけだった。
止めようのない愛情多過の発露であり、下位の者や弱き者に向かう事のない我儘であれば、窘めようとする者はいても、止める者が現れないのは当然だと、セーラはずっと思ってきた。
しかし、モーズリー高原の戦役で命のやり取りをした時、自分の命や家族の命の重さを改めて感じた。そして、姉レイティアが常に生死を賭けて生きてきた事に気付いた。暗闇の暴走に向けて生きる事の重さを実体験した時、姉の我儘はそもそも止めてはいけないものであり、周囲の人間はそれを実現するに行動しなければならないと理解した。
生まれた瞬間から、王都防衛のために歩んできた第一公女に、王都の人間は返さなければならない恩義を受け続けていた。
最高位貴族である公女レイティアは、1歳10カ月の時に、イシュア歴350年の暗闇の暴走を過ごした。その戦いでは、祖母と父母の3人の命が暴走を止めるために暗闇の中へと投じられた。
結果として、過去の戦いと同じように、暴走によって生じた中型と大型の魔獣達が巣から出て来る事は無く、公爵家は文字通り勝利を手にした。だが、その代償は大きかった。女傑と名高い祖母は失われ、父母は生還したものの、父は半狂乱の状態、母は死にかけの状態だった。
四肢と精神が健常である人間が、幼子だけであるという現実から、公爵家の次の25年間が始まった。
母エリスが死んでいた場合、中の巣での戦闘経験者が0という状況での戦いを強いられることになり、長い歴史の中で王都を守っていた公爵家が崩壊する可能性は高かった。父ギルバードの狂乱が収まらなかった場合、大の巣での戦闘経験者が0という救いようのない状況に、イシュア国は王都を廃棄する決断をしたのは間違いなかった。
そして、その時には、ギルバードは多くの女性に子供を産ませるだけの存在となり、レイティアは女公爵として、異母弟妹達を戦士に育てるための教官としての人生を歩む事になったであろう。
そんな最悪の未来の可能性から救ってくれたのは、セーラの実母ミーナの献身だった。
次の戦いへの司令官達を失わずに済んだのは、ミーナが公爵夫妻を身と心の両面において救ったからだった。そして、その救いによって、アランとエリックが誕生して、公爵家はさらに次の世代へとつながる希望を得る事ができた。
だが、それは公爵家の命脈が絶たれなかったために繋がれた小さな希望であって、確定した明るい未来ではなかった。
3人の子供の年長者として育てられたレイティアは、過酷と言える訓練を幼い時から受けていた。父母が、そうしてきた事で生き残れたように、娘にもそうさせた。娘に生き延びてもらいたいという強い思いが、娘に過酷な時間を与える両親である事から逃げるのを防いでいた。訓練以外に見せる優しい笑顔の両親に、恐怖しか感じられないほどに、過酷な訓練を続けた幼少期をレイティアは過ごした。
両親の血と戦闘の技術を継承したレイティアはどんどん強くなり、10歳の少女の時には、4本足の魔獣に取り囲まれても生還できるだけの実力を持っていた。実際に、公爵夫妻は娘の力を正確に見定めて、その試練を与えた。
アランとエリックが訓練に加わった時、姉以上に過酷な試練が弟達に与えれれた。兄弟が戦うのは、大の魔獣であり、その強さは中の魔獣を遥かに超えていた。その2人を支援して、心を救ってきたのは、姉レイティアだった。母エリスと瓜二つと言える姉は、兄弟にとって姉であり、母でもあった。
その姉が心を寄せて、幼少期から公女の心を救ってきたのがロイドであったから、ロイドは公子達にとっては、真の兄弟と変わりはなかった。
2人の公子が日々強くなる中で、公爵家は5人を主軸にして、暗闇の暴走に立ち向かう事に頭の中に描くようになった。前回より充実した戦力であったが、歴代の戦力と比すると少ない方で、5人全員が生還するのは算段は付かなかった。戦闘中の僅かな失敗で、命が一瞬で奪われる事のある戦場で、戦力不足を気力のようなもので補う事はできなかった。
前回よりは良い条件で戦えるという事を心の支えにするしかなかった公爵家が、本当の意味で希望を得たのは、セーラが公爵家の戦士として戦える可能性を持っていると気付いた時だった。
ただ、それは可能性が見えてきたというだけで、これからさらに強くならなければ、希望を現実に変える事はできなかった。
セーラが加わった後も、レイティアが背負うべき荷物は全く変わっていなかった。そして、第一公女が背負うべきものは、戦士としての強さを得る事だけではなかった。26歳の暗闇の暴走の時に、どれだけ多くの子孫を残せるのかという事も重要だった。
妊娠中に苛烈な訓練ができなくなる中で、自身の弱体化を減らせる努力はできるが、決して強くはなる努力はできなかった。出産中に死亡する危険がある以上、戦いの前に出産の回数を減らしたい気持ちは有ったが、暗闇の暴走で死の危険がある以上、後の世代のためにできるだけ出産の回数を増やしたかった。
そのバランスをレイティアは考えなければならなかった。最高の剣士ギルバードと天才剣士エリスの血を引いた母体から生み出される子供は、戦公爵家の分家筋として有力な血筋を持った子孫となるのだから、レイティアは自身の強さをどれだけ捨てて、どれだけ子供を産むのかを考えなければならなかった。そういう年齢にレイティアは達していた。
第1公女レイティアは、この日、この時、決断をした。月のものを初めて経験した日から、ずっと考えていた事に対する覚悟をした。公爵家から嫁いだロイド・ファランの妻として背負うべきものを、全て背負うこと決めて、我儘を貫き通す少女時代と決別した。




