3年生(2回目) その103 特訓
103 特訓
赤髪接触事件から3か月。
「ビアンカ王女殿下。」
「アイリス。」
公女セーラの部屋に入ってきた9歳の少女が、薄い水色のドレス姿で淑女の礼を見せた。薄い緑の瞳と緑髪の愛らしい公子の嫁に満足げな表情を向けたビアンカは、礼儀とマナーを一通り褒めた。
そのやり取りを見てから、セーラが応接セットのソファーに座るように勧めると、3人の淑女たちはお茶会を始めた。薄いオレンジのドレスで華やかさを加える赤髪の公女、淡い黄色のドレスが銀髪に彩を加えながら清楚さを誇る王女、この2人に気後れする事無くアイリスが応対できるのは、王女に慣れたというのもあるが、王女にも可愛がられたからだった。
「ああ、アイリスが学園に入学する時には、私達は卒業するのね。特待生というのは無いのかしら。」
「特待生と言うのは、何でしょうか。」
「優れた者には先の学年に所属する事を認める制度よ。フェレール国では良く利用される制度よ。実際には、能力ではなくて、学園に通う貴族の家庭の事情で特待生になれるの。学園に通える時間が限られている者達への対応として。」
「私たちが一緒に学園に通いたいからと言う理由で、特待生にというのは無理そう。そもそも、こちらの学園では・・・。そういう制度があるのかしら。私みたいに、留年する事はできるみたいだけど。」
「そうよ。セーラ、私達が留年すれば、アイリスと一緒に通えるようになるわ。」
「ビアンカ様、それは、問題があると思います。」
「そんな事は無いわ。イシュア国の学園で学ぶべきことは多いわ。特に、午後の部活動はとても素晴らしいわ。国民を指導するのが貴族の役目だと言うのであれば、より実践的な学問は重要よ。」
「実践的なのは良いことだと思うけれども。農学部で、土いじりは、そろそろ。」
「どうしてセーラは農学部の活動に否定的なの。」
「研究については、良いと思うけど。」
「農業の研究は土の研究でもあるのよ。」
「それは分かるけど、鍬を持って、土いじりをするのは、ちょっと言うか・・・。王女殿下を留学生として受け入れている側としては。学園で殿下に農作業をさせていると、フェレール国に伝わったら、問題になりかねないと。」
「大丈夫よ。お父様は、国王らしくないと言われるぐらい、庶民の生活に理解があるわ。若い頃は、街中だけでなく、農家で生活した事があるぐらいよ。問題だなんて、思われないわ。」
「それならいいけど。」
「そんな事よりも。留年の件よ。」
「え。留年するつもりなの?」
「だって、1年待てば、アイリスと一緒に学園に通えるし。ふふふ、エリックとアイリスが制服姿で並んで、学園で手を繋いで歩いているのを、直接見る事ができるのよ。」
「それはいいかも。」
「学園は勉強する所です。手を繋いだりはしません。」
王女ビアンカの生活は、セーラと一緒が基本になっていた。学園では隣席で学び、午後の部活動では様々な部活動に顔を出す時にセーラに付き添ってもらっていた。セーラの仕事になっている弓の指導の活動にも参加をして、全く上達しないのに、今も定期的に弓と戯れていた。休日の2日間も、セーラ側に特別な事が無ければ、公爵邸を訪問して一緒に時間を過ごしていた。当然、休日に公爵邸を訪問するアイリスとも顔見知りになり、すぐに仲良くなった。
王女殿下にとって、公女は同学年ではあったが、1歳上の頼れる姉のような存在だった。王女に対する過剰なへりくだりと、王族に対する過剰な保護がなく、きちんと正面から向き合ってくれる存在は初めてで、ビアンカはセーラを心の中で姉だと認識していた。
そして、姉セーラの義妹がアイリスで、当然のようにビアンカにとっても妹であった。この妹は最下級貴族令嬢ではあったが、これまでに公爵夫妻、公子公女に接してきた経験から、王女に対しても、礼儀を守りながら、普通の会話をすることができた。この王女を恐れることなく、接してくる態度に最初は驚いたが、とても心地よいものだった。公子が一目惚れをしたという可愛らしさを目の当たりにすると、可愛がる事を競っている公爵家の面々に敵愾心すら沸き上がった。
可愛がっている中の一番になりたいと言う気持ちを冷静に分析した時、これが妹に対する愛情なのだろうと結論に達すると、その事を嬉しく感じた。唯一の姫であった彼女にとって、姉妹は憧れの対象であり、姉は無理でも妹ならと一度だけ実母にお願いしたことがあった。
アイリスが似顔絵を描いて贈ってくれた時、ビアンカが号泣して喜んだ事にアイリスは困惑して涙目になってが、嬉しかったからだと聞いて安心した。その後、王女殿下から何かお礼をしたいと言われて、直接礼儀作法を指導してくれる提案を受けた時は、今度はアイリスの方が涙を流しながら喜んでいた。
談笑が続く3人がお代わりのお茶を要求すると、部屋の隅で待機していた黒服のザビッグが応接セットの方へと近づいていった。執事見習いと言う職の任務を終えると、もう1つの役目であるセーラの臣下の勤めを果たす事にした。
「セーラお嬢様。礼法作法の指導をビアンカ王女殿下から学ばないので宜しいのでしょうか。お茶会の時間は、指導の後と言う予定でした。それに、扉の前で公爵夫人が待機しておられます。指導が終わるのを待っています。このまま3人でお茶会にするなら、お招きした方が良いと思いますし。指導が行われると言うのであれば、見学という形で、公爵夫人にも入室いただくのがよろしいかと。」
すぐさま扉の方へ駆け寄ったセーラは、母を迎え入れると、アイリスの強い要望に従って、礼儀作法の指導時間を取ってから、4人でお茶会を楽しむ事にした。
双子の弟は、あの日以来、セーラへの対応を大きく変える事は無かった。授業中に理解できないイシュア語の表現についてはきちんと質問して、答えを返してもらえばきちんと礼も述べた。隣席で学習する王子の存在に対して、セーラが不快感を覚える事はなかったが、特別に親交を深めるような事は無かった。
姉がセーラと共に行動しようとする一方、フェリクスは午前の授業が終わると、すぐに食堂に向かって、食事を済ませると、誰よりも早く訓練所に立った。
「先生、お願いします。」
前近衛騎士団第一師団長の剣士が、訓練用の鉄剣を振るいながら稽古をつけ始めた。
「意識は集中してもいいが、視界は広げたままにするんだ。相手の剣を受け止める必要はない。相手の動ける範囲を考えて立ち位置を決めるんだ。」
イシュア国とフェレール国の剣技は全く違っていた。だから、フェリクスが受けているこの指導は、祖国とは全く違っていた。
4本足の魔獣は、自分の命である魔石を守る事を一切せずに、人間の血や人間の鼓動に向かって一直線に攻撃を仕掛け続ける性質を持っていた。獣たちは、防御することなく、その速さを活かして人間に飛び込んで攻撃するだけの存在だった。その膂力によって人間の肉を削るだけの肉弾と言って良かった。
その肉弾をギリギリで躱して、魔石のある額に剣を突き立てて、その魔石を剥がし取ることが魔獣の倒し方であった。それは一定の速さを身に着けなければ、戦う事すらできない事を意味していた。
フェリクスは今、自身も剣を構えているが、ただただギースの剣を躱し続ける訓練を行っていた。速さと身のこなしで剣を避け続ける訓練は、フェレール国の価値観で言えば、臆病者になるための訓練だった。セーラと対峙していなければ、フェレール国の第3王子も、この訓練を否定していた。
だが、この魔獣に対する訓練の行き着く先は、対人戦闘における究極の剣技に辿り着く可能性があった。剣や盾で相手の攻撃を受け止める必要が無ければ、自由に動いたまま、自由に相手に攻撃を繰り出す事ができた。剣技ではなく、身のこなしだと表現する者もいるが、攻防一体の優れた剣技であるとフェリクスは実感していた。
ただ、これを実現するためには、圧倒的な速さを身に着ける必要があり、剣技と称するためには、瞬間的にでも魔獣より早く動けるようにならなければならなかった。この速さを身に着けることができるのは、騎士団の中でも5人に1人で、傭兵ギルドの冒険者では、10人に1人程度だと言われていた。フェリクスはその精鋭たちに含まれる資質は持っていたが、まだ鍛え方が足りなかった。
「ここから先は、急激に速さが増す事は無い。だから、身のこなしで、攻撃を躱すようにするんだ。違う。そこは、もう半歩下がるんだ。相手の速さの見極めも大切だ。」
セーラに勝つという誓いを立ててから、バースを師と仰いで訓練を重ねた結果、動く速さは急上昇した。それは、今まで速さを求める訓練をしていなかったから、限界に達していなかっただけだった。その訓練を一通りこなした結果、以前よりも格段に速く動けるようになって、5人の中の1人の騎士になれるギリギリの速さを手にする事ができた。最初の目標に達したため、同じ訓練は続ける必要はあるが、速さが急上昇する事はなかった。
「よし、他の者達が来た。」
1対1の訓練を一旦切り上げたフェリクスは、騎士候補の学生達に混じって、基本訓練を開始した。
イシュア国の戦士の最大の役目は魔獣を倒す事ではあるが、騎士達には国や王族から人民を守る役目もあり、対人戦闘のための訓練も必須だった。その訓練はフェレール国とは大きな差は無かったが、盾防御の訓練だけは特別だった。
騎士達の5人に1人は、その速さで魔獣の攻撃を躱す事で戦う事はできるが、4人は攻撃を躱す事ができないため、攻撃を受け止めて仕留める手段が必要だった。
1人の騎士が大盾を構えて先頭に立つと、魔獣はその先頭の人間を狙って突撃を繰り出してくる。その突撃を大盾で受け止めた瞬間に、背後で備えた騎士達が飛び出して、左右から魔獣に剣撃を加える。主に2本の前足を切る事を目的とした攻撃で、機動力を奪えば、魔獣をほぼ無力化する事ができる。これが速さの足りない戦士達が、集団で魔獣に立ち向かう方法であり、成功した時の勝率は極めて高かった。
「盾、構え。1の突撃。」
「おお!」
2人1組になった騎士候補たちが、大盾を前面に抱えて向き合うと、片方が大声と共に走り出して、盾と盾とを激突させた。鉄の激突音と訓練生の声が何度も響き渡るが、だんだん小さくなっていった。
「どうした。声も、激突音も小さいぞ。魔獣の衝撃は、こんなものではないのだぞ。」
魔獣を受け止めるには1人でなければならなかった。1人で盾を構えると、必ず魔獣はその1人の胸に向かって突撃してくるから、動きを停止させる事ができる。複数で受け止めようとすると、魔獣の攻撃先が定まらずに、魔獣が盾の後方に流れて出てしまい、攻撃のために待機していた人間が狩られる結果を招いた。
魔獣を倒すために鍛えられたイシュア国の騎士たちは、協力して戦う事が当たり前になっていて、対人戦争がない国でありながら、集団としての力を発揮する事ができた。
「フェリクス、今日はこの辺にしておけ。十分な休養がないと、体が成長しなくなる。」
「はい。」
2時間の訓練が終わった後も、さらなる個人訓練を実施していた。
「先生、質問があるのですが。」
「訓練の内容についてか?」
「いえ、訓練の内容も、意味もよく分かります。セーラ公女の事です。」
「ん?」
「先日の弓技大会の時もですが。公女から、気配と言うか、強さみたいなものを感じないのですが。どうしてでしょうか?あんなに強いのに。」
弟子が強さに関心を持ち、それを探求しようとする事はとても良いことだと講師は良く知っていた。武器を奮う事で身に着く強さもあれば、頭を使う事で身に着く強さもあると元騎士団長は考えていた。
「私なりの解釈で良いなら、聞いてみるか?」
「はい。お願いします。」
「私たちは強さを感じる事ができると思っているが。その強さを感じると言うのは、相手から何かを見出しているのだと私は考えている。」
「何かとは何でしょうか。」
「視線の動かし方や、重心の動かし方、立ち方、そういった所に、剣士特有の癖が見えた時、私達は強さを感じるのではないかと思うのだ。その癖がセーラ嬢からは何1つ見えない。」
「強くなるためには、剣士として常に動けるようにと訓練する必要がある。先生はそうおっしゃっていました。それは、剣士としての癖を身に着ける事ではないのですか。」
「その通りだ。私たちはある種の癖を身に着けるために訓練していると言える。」
「では、なぜ、公女には癖がないのでしょうか。」
訓練所に最後まで残っていた者としての役割である清掃をしながら2人は話していた。
「公女は13歳から剣を握り始めた。それまでは、剣を握った事が無かったのだから、剣士としての癖のようなものはなかったのだろう。」
「強くなる過程で癖が付いたりしないのですか?」
「付かなかったのだろう。3年間で、武器を一度も握った事のない人間が、あそこまで強くなるのだから、普通ではない、何かがあるのだろう。その普通ではない1つとして、癖がないと私は考えている。」
「それは、才能でしょうか。」
「才能だと思うか。」
「いえ、才能だとは思いません。才能ではない何かがあるのだと思います。何なのかは分かりませんが、公女の強さが本物であるのは事実です。そして、私が強くなるための方法は、先生に教えていただいた方法しかないと思っています。」
嫉妬する資格がないと自覚できるだけの実力差を示されたフェリクスは、ただ公女を目指して成長する事しか考えられなかった。そして、今できる事は、イシュア国の元近衛騎士団トップと同じことができるように自分を鍛える事だけだった。




