3年生(2回目) その101 紙を求めて
101 紙を求めて
8月中旬、公子エリックは、王都から馬車で7日の距離にあるフロスト男爵領の湿原に立っていた。
「これが全て白上質紙の原料。」
芸術家侯爵バルム・ノーランドは貴族らしからぬ茶色の作業服姿で湿原に立っていた。
「元々、紙の原料ではありますが、本当に白色になるのですか?これは薄い緑の紙の原料ですよ。」
美術商人コーサルは、王都にドドル屋という店舗を持ち、美術系の道具販売を細々と行っていた。エリックが投資を行った事で、比較的安価な絵道具を大量に扱う事ができるようになり、絵画が趣味である庶民で知らぬ者はいなかった。
「原料を紙にする過程に、煮る作業を入れると、緑が抜けて、真っ白な紙になるんです。」
「エリック様、本当ですか?そんな事で白になるなら、誰だってやっていると思いますが。」
「コーサル殿、秘密の物質を混ぜて煮ると、白になるんです。これは、男爵家の秘密にしてもらうので、秘密です。バルム侯爵にも秘密です。とりあえず、小屋の方へ戻りましょう。実験の結果が出ているはずです。」
公子の言葉に高揚している2人は、念願の美術界の発展した状況を想像していたが、この事業を思いついたエリックは愛する婚約者の笑顔だけを思い描いていた。動機は違ったが、3人の進む先は同じだった。
財務省での功績から、母親に譲ってもらった褒賞である金貨100枚を、ドトル野に投資して、絵道具価格の引き下げに成功した公子は、婚約者に一通りの絵道具を贈ることができた。今までに渡した贈り物とは比べ物にならない笑顔を見せたアイリスに惚れ直したと自覚しているエリックは、2人で絵を描きながら休日を過ごすのも良いかもしれないと、妄想にふけっていたが、それは実現しなかった。
その理由は、イシュア国に流通する紙にあった。
庶民が使用する普通紙は、様々な色が付いていて、これは販売用に付着させた色ではなく、原料の植物が持っている元々の色であった。今までにも多くの改良を重ねて、黒ペンを使用するのであれば、何の問題もないレベルにはなったが、真っ白とは言い難い製品であった。これまでのアイリスは黒ペンや木炭を使った輪郭絵を書いていたため、安価な普通紙だけを使用してきたが、カラフルな絵の具や絵筆を送ってもらった今、それらを活かすために、真っ白な白上質紙を必要としていた。
ただ、その値段は非常に高く、庶民が簡単に手にできなかった。白上質紙生産の秘密を知る貴族は二家のみで、独占生産、独占販売をしていた。しかも、国家の書類用紙としての需要が優先されるため、貴族でさえ入手するのが容易ではなかったため、庶民が手にするためには膨大な資金と伝手が必要だった。
普通紙で色が薄い物でも、色絵を描くことは可能だが、エリックからの贈り物を大切に使いたいアイリスは、お小遣いを少しずつためていて、白上質紙を手に入れるまでは、それらを使わないようにしていた。どんなに小さくても良いので、白上質紙を手に入れて、エリックの似顔絵を描くのが目標だと言われると、エリックも無理に自分が送った絵道具を使うように訴える事はできなかった。
そして、公子は白上質紙を安価に手に入れる方法を探すことにして、見事それを発見した。
「おお、おお。」
「本当に真っ白だ。これで紙を作る事ができれば。」
小屋と呼ばれる小さな紙製作所の中には、従業員2名の他にフロスト男爵もいて、計6名の男達がいた。
「男爵、いかがですか?」
「エリック公子のおっしゃる通りでした。しかし、ノーランド侯爵、コーサル殿に秘密を教えないというのは。」
「いや、フロスト男爵。私への気遣いは無用です。男爵領での生産が軌道に乗るまでは、秘密は外に漏れない方が良いのです。」
「そうはおっしゃられても、工場を作るための莫大な融資をしていただくのに、製法を秘密にすると言うのは。」
「大切なのは、芸術であって、我が家の利益は、2の次、3の次です。」
広大な領地を経営する侯爵家の当主の発言としてはどうかとは思うが、芸術家貴族と呼ばれる男の生き様には、同じ領主として感嘆を禁じえなかった。
「私も秘密そのものを聞くつもりはありませんが、エリック様はどうして、その方法を知ったのですか。情報収集の極意があるのであれば、ぜひ教えていただきたいのですか。」
「それも秘密です。」
2家の秘密を諜報活動で探った訳ではなく、父の代わりに財務省で働いている時に秘密を見つけた。当人の認識では見つけただが、実際には財務資料から秘密を割り出した。2家の財務資料である売買記録を全て読んだ上で、製紙業に関係ない業種の取引項目を排除していった。そうすると、製紙業に関係する物が浮かび上がってきた。次に、2家のデータと、他の製紙業を営んでいる貴族のデータを比べる事で、2家だけが特別に必要としている物を割り出した。
加熱用の魔石、清流水の魔石の消費量の多さからは、綺麗な水で煮沸する工程の必要性を読み取れた。すぐに、それを学園の農学部で実験してもらったが、以前よりも白さは出てが、真っ白にはならなかった。
他に何かが必要だと判明した時、エリックが思い出したのは、両家の領主邸が食材として購入している木の実の事だった。庶民の食卓に上ることはあっても、貴族の食卓に上がる事は珍しい木の実、その購入量が不自然に多いのだから、食べる以外の目的での購入である事は間違いなかった。
何度かの実験で、木の実の皮部分と一緒に煮沸する事で、白上質紙の原料になる事を確認したエリックは、次なる企みを思いつくのだった。
エリックの8月の楽しい旅は、学園を休む事になるため、両親を説得する材料が必要だったが、王都を一度も出た事がないから出てみたいという気持ちと、アイリスのために良質な紙を手に入れたいから、製紙業を行っているフロスト男爵領へ行きたいとの理由を説明すると、公爵夫妻にすぐに認められた。
第2公子の今回の活躍の大きさは、公爵領を見事に差配した功績に匹敵するぐらい大きいもので、他家に迷惑をかけない範囲であれば、どのような事も、褒美として認めてもよいと公爵は考えていた。
公爵邸の大応接室に、公爵と公子、そして、ノーランド侯爵の3人がいた。公爵に対面している旅仲間の2人のうち、ノーランド侯爵はしきりに汗を拭いていた。
「公爵閣下、ご子息をお叱りになるのであれば、この私に罰を与えてください。私が主導したのですから。」
「父さん、僕が頼み込んだんだ。ノーランド侯爵が悪い訳じゃないんだ。」
「いや、公子。誘われたのは確かですが、投資を決断したのは私です。責任は私に。」
「ノーランド侯爵、エリック、芝居はしても意味はありません。もうすぐ、ジムが来ます。少し待ってください。」
エリックの4人旅行には、財務省の財務官副官長のジム・アストリー男爵家次期当主が加わっていた。白上質紙の大規模な工場を建設するために、フロスト男爵領の財務関係を整理する必要があった。エリック自身には、その知識はあったが、今は権限がなく、現場から離れていた。そこで、実戦部隊として活動している副官長の彼に随行してもらっていた。財務官の中心人物が一カ月休んで、エリックに従ったのは、財務省の官僚がエリックに恩返しをしたいと考えていたからだった。
「ジム・アストリー。入ります。」
書類の束と共に応接室に入ってきた財務官は、エリックの左隣の席に着くようにと命じられた。
「この製紙工場の投資を考えたのは、エリックだな。」
ノーランド侯爵が庇おうとする動きを視線で制した公爵は、愚息を睨みつけて、返答を要求した。
「はい。僕の発案です。」
「この事が、国の財務にどれだけ悪影響を与えるのかを分かっていたのか。」
「・・・・・・その可能性はあるとは思っていました。」
呼び出された2人、芸術家侯爵と財務省のエースは、自分達がエリックの口車に乗って、侯爵家が多額の融資をした事に対しての注意だと考えていて、額が多すぎる事について謝罪した上、無理のない投資案である事を説明するつもりだった。子供が扱うにしては多額過ぎる事を、父親として公爵が叱るのだと考えていた。
「公爵閣下、お言葉ですが。金額が多すぎるという点は、問題があると思いますが。悪影響を与えるとは思えません。あ、申し訳ありません。勝手な発言を。」
「いや、発言そのものは構わない。ただ、問題点が整理されるまでは、侯爵にも冷静に考えてもらいたい。」
「多額という以外の問題点ですか。」
「多額過ぎると言うのも問題だが、ここで一番の問題は、侯爵家から男爵家への借金についてだ。エリックは、投資と言う言葉を使ったようだが、貴族間の金銭のやり取りは、投資ではなく、借金とするべきなのだ。今回の場合、侯爵家は無利子で男爵家にお金を貸した事になる。」
財務の専門家として、会話を引き継いだジムは、公爵への反論を行った。
「自領にお金をかけるという事だけを投資と言うのであれば、今回のお金の動きは、侯爵家から男爵家への資金の貸し出しになるとは思います。ですが、借金の利息はそれぞれの契約で決める事ができます。利息なしの借金も、法に反している訳ではありません。」
「ジムの言うように、法には反していない。だが、利息には税金が発生する、それがなくなるのだから、利息なしの借金は国の財政的に言えば、不適切だ。これを悪用すると、例えば、各貴族が娘に持たせる持参金を利息0の借金にする事で、持参金にかかる税を逃れる事ができる。」
「確かに。ですが、貴族の結婚は隠れてするものではありません。そのような事をすれば非難されるでしょう。それに今回の場合は、借金扱いにしても、それを返せるだけの利益を出せるようになれば、莫大な税を納める事になり、国庫は潤うと思います。」
財務官としては、今回の旅は国に貢献していると考えていたので、公爵の指摘には反論せざるを得なかった。
「ジムの考えていることもわかるし、不合理な事をしている訳でもない。ただ致命的な問題がある。利息なしの借金を利用する事で、貴族間の金銭のやりとりを税務処理という形で監視する事ができなくなることなのだ。他量に対する投資も同じだ。」
「あ。」
「公爵閣下、どういう事です?」
「今回の場合であれば、貴公が、男爵家からお金を返してもらう時に、男爵家から利息なしの借金をするという形をとる事。これについては、両家に問題は起こらない。だが、利息が発生しない場合、そこには税金も発生しない。という事は、本来なら借金、そして、発生した利息から税収を取るという事で、貴族間の資金のやり取りを国が把握できていたのに。その監視から逃れる事ができるようになるのだ。もし、これが悪用されると、大きな問題を生み出すかもしれない。」
「なるほど。理解できなかったとはいえ、申し訳ありませんでした。私達はどのようにすればいいのでしょう。」
ノーランド侯爵が深々と頭を下げて、公爵に教えを乞うた。本来であれば、この潔さに心地よさを感じているが、愚息への怒りがそれらを塗りつぶしていた。
「今回の投資は、貸付金扱いにして、1割の利息を取るようにしてもらう。当然、フロスト男爵家は、それだけの利息を払うとなると、領内の運営が困難になる。十分な利益が出るまでは、利息額分の製品を公爵家が購入保証する。製品がない場合、量が足りない場合は、将来の分を購入する。」
「それは・・・。いえ、公爵のおっしゃる通りにします。」
「ノーランド侯爵の許諾を得た。ジム、この件の担当にする。逐一私に報告を入れるように。男爵との交渉も一任する。」
「畏まりました。」
2人の退席を認めたギルバードは愚息と1対1で対面した。
叱るにしても、きちんと息子から理由を聞く必要があると考えた。公爵は税務上の穴をついた行動をした息子に、今回の危険性を知った上でこの策を取った理由を問うた。
「これまで、白上質紙の独占販売していた2家とも元ケネット侯爵派です。トップが抜けても、その下で作られているネットワークが残っています。2家は今も協力体制を取っているでしょう。フロスト男爵の事業の事を知れば、軌道に乗る前に妨害する可能性があります。白上質紙の利益は大きいですから。」
「それで、ケネット侯爵派に所属していたノーランド侯爵を後ろ盾にするために、多額の金を出させるようにしたのだな。」
「はい。父さんに頼もうと最初は考えましたが。派閥の対立が再燃すると、対処が難しくなると考えました。」
「ノーランド侯爵を巻き込んだ事の理解はできた。だが、ノーランド侯爵に、あれだけの金額を出させるのに、きちんと説明しないのは、不誠実であろう。」
「危険といってもあくまでも可能性です。それに、そう言った動きがあれば、財務省がきちんと動いてくれます。官僚では対応できない貴族が出てきたら、私が動いて、解決するつもりでした。」
息子の言いたい事は良く分かるが、この力業でどうにかするという思考が悪い方向に行くことをギルバードは良く知っていた。だから、その事を理解させるために、息子を叱りたかったが、この優れた次子をどのように叱ればいいのかが分からなかった。レイティアも、セーラも、アランも、エリックも、父親が叱らなければならない事を一度もしたことが無かった。
厳しい訓練に泣き言も、愚痴すら言わなかった子供達を、自分が叱る場面を、想像したことも無かった。だから、本当にどうすればよいのかが分からなかった、ギルバード自身も叱られるような事をしたことがなかったし、幼少期に叱られた事は一度も無かった。
「・・・・・・。」
「セーラです。お父様、入室してもよろしいですか。」
「今は、エリックと話をしている。」
「白上質紙の件でしたら、私も関係があります。入室してもよろしいですか。」
娘が入室してから、自分に対して深々と頭を下げてきた事に、呆然としながら事情を聴いた公爵は、2人に何事も相談するようにと注意をしただけで退室を許した。今回の件について、特段叱るような事はしなかった。
エリックは、弓技大会準優勝賞金の使い方を決めていなかった姉に投資の話を持ちかけていて、その了解を得ていた。実際にお金を受け取るのは、旅行後という約束であったため、実際にお金が動いたわけではなかったが、セーラはこの投資の賛同者の1人として参加していた。
だから、セーラは父親に謝罪した。




