3年生(2回目) その100 優勝者
100 優勝者
イシュア暦368年7月、第1回弓技大会が開催される事になった。技の競い合いだけであれば、実施する日はいつでも良かったが、社交シーズン終了後の7月が選ばれた。大商人達が動きやすい時期だった。
大会の根幹となるのは、多額の賞金を軍部の予算を使わずに確保する事だったので、どうしても大商人達から参加料を出させる必要があった。それなりの利益が出る提案に、大商人達が飛びついてくると軍部は考えていたが、大商人達は快い返事はしなかった。
社交シーズン終了後は貴族との交渉に時間を取られる事もなく、大商人達は自由な時間を確保できたが、その使い方は決まっていた。シーズン中に成立した契約を履行するために、まずは様々な物品を集めなければならなかった。そして、一番利益が出やすいのは各貴族の領都に出店する事なのだから、王都を離れる大商人達は多かった。また、3ヶ月のシーズン中に売りさばいた結果、祭りに参加して、利益を出すだけの売り物が無くなっている者達もいた。
大商人達が動けない現状を知った公爵は、財務省の部下たちに相談した。出店スペースをさらに細かくして、参加費を減額すれば良いとの提案を受けた。それを実行すると、王都中の中小規模の商人達が参加する事になり、6月の時点で王都を上げての催し物となる事が確定した。
騎士団が軍事訓練の一環として、会場の建設を30日間で終わらせると、王都の話題は双子女神のどちらが優勝するのかになった。
「お母様は、出場しないのですか?」
「私は出ません。若者のための大会なのですから。」
晩餐室での家族団らんの場で、セーラは少しがっかりしたような表情を見せた。母と姉の弓技の素晴らしさを誰よりも知ってはいたが、どちらがより優れているのかは分からなかった。短時間で行う弓の訓練において、2人が的を外した所を見たことが一度も無く、セーラの中で優劣を付けるための要素が何1つ無かった。だから、単純な興味として、2人の弓技のどちらが優れているのかを知りたかった。
「お姉様が優勝ですね。」
「私も出場しないわよ。」
「・・・どうしてですか?」
「夫人になるのに、弓技は必要ないもの。」
王都に戻ってきてからの姉の発言には、来年の結婚を見据えてのものが多くなっていた。その多くは、結婚を前にした乙女特有の考え方なのだろうと納得できるものであったが、時々理解が及ばないものもあった。
確かに、一般的なお嫁さんに弓技は必要ないのだが、弓技を持っているからと言って、結婚ができない訳ではなかった。戦公爵の令嬢として、毎朝近衛騎士さえも及ばない激しい訓練をしていて、弓の訓練もして、武力向上に勤しんでいるからと言って、夫人への道の障害になる訳ではなかった。
「姉様には、理想とする花嫁の姿と言うのがあって、その中には強さみたいなのはいらない。と考えているんじゃ、ないのかな。」
「エリックの言う通りよ。来年はロイドの所に嫁ぐのだから。」
「でも、お姉様、訓練をやめるというような事はないですよね。」
「もちろんよ。訓練はやめないわよ。」
「それであれば、大会に参加しない理由にはならないと思います。私の考えでは、ですけど。」
「それは・・・。夫人には相応しくないからよ。」
武に関する事が一般的な夫人に相応しくないのは分かるが、それがレイティアの結婚に重大な影響を与えるというのであれば、武を放棄する選択をするべきだろうが、それをする訳ではないと言うのだから、セーラには理解できなかった。
「姉様は、結婚する時に、王都一の弓姫というような称号や。勇ましい花嫁とか。戦公女。戦士嫁。とか、そういう風に呼ばれるのが嫌なんだよ。そこまでは言われなくても、今回優勝してからの結婚となれば、あの時の勇ましい公女が、と姉様を語る時の枕詞になるのは確実だから。」
美に関する称号を母親と一緒に独占している公女は、理想の花嫁の道を歩んではいるが、その隣の道も存在していて、そこは男性であれば誇りとする称号が散りばめられていた。去年の夏までは、学園での訓練でしか、その強さを外部に見せる事は無かった。だが、去年の戦役でその武力を発揮した実績を手に入れたため、隣の道も確実に歩き始めていた。
暗闇の暴走での活躍で武名を轟かせることになるのは、公爵家の女戦士の宿命であり、その事をレイティアも受け入れていた。ただ、その時までは、ロイドの美しい花嫁とだけ呼ばれたかった。
弟の解説で理解できたセーラは、物心ついた時から婚約者がいた姉にとっても、結婚と言う儀式は特別なものだと思うと同時に、自分が結婚について深く考えた事が無かったのに気付いた。物語の中の豪奢な姫の結婚式や、食堂で行われた庶民の結婚式について考えたことはあったが、自分が結婚する事そのものを考えた事は無かった。最も身近から聞けるはずの結婚情報が、セーラの過去の記憶には存在しなかった。
公爵夫人と第一公女が大会不参加である事が知れ渡ると、2人の美しい雄姿が見られない事を民は惜しんだと同時に、誰が優勝者になるのだろうかという予想を戦わせた。その中で、注目を浴びたのは、高原戦役で活躍した情報が広まっている第2公女セーラだった。ただ、それは優勝の最有力候補になったからではなくて、大会会場で噂の公爵令嬢の姿を直接見る事ができるからだった。この3年間で、赤髪の公女セーラの噂を聞いた事がない者はいなかったが、実際に見た事がある者は少なく、一度は見てみたいという民たちの注目をセーラは集めていた。
大会10日前、参加者180名の発表と同時に、大会会場における出店の設置が始まった。3日前には準備が完了すると、当日の混乱を避ける目的で王都民の会場の見学を解禁した。水の日は純粋な見学の日だったが、翌日から実質的な祭りは始まった。人が集まり、出店の準備が完了しているとなれば、商売する側が動かないはずはなく、1人が販売を始めると、商人たちがこの機会を前に止まる事は無かった。
商売上の明確なルールがある訳ではなかったので、問題が発生しないと言うのであれば、民の行動を止める理由はなかった。以後、弓技大会は事前期間2日と競技期間2日の計4日間になった。
大会3日目、実質的な選手たちの戦いが始まった。ただ、戦いとは言っても、的を目掛けて矢を放つだけだったので、見学する側が射撃をする場面で盛り上がる事は無かった。
「セーラ・オズボーン公爵令嬢、次女、年齢16。」
赤髪の公女が紹介されると、歓声と拍手が会場を包み込んだ。
紺のズボンと白い半そでシャツの上に、黒革の胸当てを装備した所までは、戦士スタイルを貫いていたが、腰まで伸びる赤髪は美しい令嬢のものであった。首元部分で銀色の髪留めを使って赤髪を一房にまとめると、ピンクの長いリボンで一筋に纏めていた。
学生の訓練服か公爵家の戦士スタイルのどちらかで出場しようと思っていたセーラに異を唱えたのは母と姉だった。胸当てを装備していて、髪を後ろでまとめてあれば、弓を放つのには邪魔にはならないのだからという理由で、それ以外の部分は美しさを全面に出すようにと半ば命令された。
最初は拒否した第2公女も、弓技大会を祭りとして盛り上げるのは大切な事だと言われると納得して、今日の姿となっていた。
10名の選手が紹介されると、競技場の中央に作られた10本の矢道で一斉に矢を放っていった。5000名が座れる観客席を作った結果、端の方の席からは良く見えなかったが、各選手の後ろで赤旗的中、青旗不的中の合図を出す事によって、結果だけは会場全体に伝わるようにした。
出場者たちでさえ、優れた弓術というものを理解していなかったのだから、射撃の姿を詳細に見たからと言って、感嘆の声を上げる事は無かった。ただ、的中したのかどうかが分かれば、その腕前を理解できるのだから、旗の色が見えるだけで、観客達は盛り上がることができた。
1日目の競技で30名に絞って、2日目の決勝戦で優勝者を決める計画に変更はなかったが、5射全中が46名いたため、急遽午後に2回戦が行われて、そこで10射全中の28名が決勝戦に進む事になった。
初日の競技時間が延長したため、日没と共に閉店する予定だったが、魔石での照明を追加設置して、引き続き夜祭を民たちは楽しんだ。ただ、決勝に進出した29名は、すぐに会場を離れると、翌日の決勝戦のために体を休めた。
決勝戦は、15射全中という同じ成績の戦士の戦いであり、現時点において誰が優勢であるかどうかは、出場者たちにも分からなかった。
最終日午前は、28名の選手が連続20射、その上位10名で決勝戦という段取りだったが、9名が20射全中だったため、その9名での決勝戦を行う事になった。
9名の選手の内訳は次の通りだった。
第3王子レイモンド。
公子エリック。
公女セーラ。
騎士団所属3名。
職業狩人2名。
傭兵ギルド所属1名。
紅一点のセーラに劣らず、観衆を沸かせたのはエリックとレイモンドだった。共に14歳の美少年たちは、騎士団の姿を見ようと集まっていた王都の女性達を沸かせた。兄たちの陰で、その実力を発揮する事を避けていた2人が、民衆の前でその武力を見せたのは初めてだった。
昨年のエリックの活躍は王都の誰もが知ってはいたが、エリックが武力を示したのは、ケネット侯爵邸の内部であって、実際にエリックの戦っている姿を見た民衆は皆無だった。公爵家の次男なのだから、脆弱な筈はなかったという話だけでも盛り上がっていた民は、実際にその武技を目の当たりにして、その興奮度は凄まじかった。
決勝戦で一番大きな声援を受けていたのは、第3王子レイモンドだった。美少年という観点では、エリックも同様だったが、エリックは婚約者がいるため、その分レイモンドの方が声援は大きかった。紅一点のセーラは男性の声援を集めてはいたが、若い女性達の甲高い声援には勝つ事は無かった。
決勝進出者には差が無かったため、大会運営部は決勝戦の的を一回り小さいもので行う事にした。10射して、成績上位3名を決定して、戦いは終わると思ったが、10射全中が4名いて、戦いは延長戦に突入する事になった。
王子、公子、公女、狩人の4人での延長戦では、中年の職業狩人が人気を集めた。この状況では、庶民代表として3人に対抗している構図ができ上っていて、彼は庶民たちから生まれた庶民の英雄になった。
さらに小さくなった的が設置されて、4人の戦いが始まった。外から、4人の心情を知ることはできなかったが、最大級の緊張感に襲われていたのは、第3王子レイモンドだった。王族という看板は常に背負っていたが、2人の兄の後ろではなく、前面に立っての看板は想像以上に重かった。2人の兄に力を貸してくれと願った9射目で外すと、続いての10射目も外して、合計8中となった。
狩人は王子が9射目を外した結果に、大きな心境の変化があった。狩人の誇りとか、庶民の代表とかという思いではなく、ただ、的があるから打って当てるという作業をしていただけだったが、最後の一射の直前に王子の結果を知ったからか、体が一瞬だけ震えると、的を外した。合計9中となった。
王子に勝利しての第3位に戸惑っていたのは、狩人だけではなかった。応援はしていたが、王子に庶民が勝ったことを喜んでいいのかが分からずに、会場は沈黙を続いたが、レイモンドが栄誉を称えて拍手をすると、会場はこの日最高の盛り上がりを見せた。
姉弟対決が始まった。延長戦で決着がつかなかった10射全中の弓兵は、外した瞬間に敗北する戦いを続けた。観衆が2人の邪魔にならないようにと徐々に声援も拍手も減らしていった。30射を越えると、会場だけでなく、出店で買い物をしている人々までもが、立ち止まって、沈黙に参加していた。
2人は緊張感に包まれていたが、その緊張感は周囲の人間から発せられたもので、2人は緊張せずに淡々と射撃を続けていた。セーラは無表情で、エリックは半笑いの表情で戦っていた。これが2人にとって無心で戦うの時の表情であり、緊張はしていなかったが、集中はしていた。
反撃を受ける事も傷つけられる事もない射撃で、どう緊張するのかが今の2人には分からなかった。いずれ、腕の筋肉に張りが出そうになった時、どう修正すればいいのかは考えていたが、それが以外の問題は何1つ無かった。
身長が10cm高い姉は、弟の背中を視野に入れながら競技をしていた。何らかの変化を探そうとしていた訳ではなく、単に競技の位置がそうなっていたからだった。
34射目、変化があった。それはエリックの背後に立っている旗揚げの係員が起こした事だった。緊張していたのか、的中の赤旗を上げる所を、間違って青旗を上げようとしていた。それは観客には分からない小さな動きであったが、近くで見ていたセーラにはそれがはっきりと見え、その係員は明らかに動揺していた。
その様子はセーラには気の毒に思えた。そして、彼がこの緊張感から解放されるためには、と考えている最中に放った35射目は、的を外した。
セーラの射撃を判定する係が、青い旗を上げると、観衆がどよめいた。それから、優勝したエリックが弓を高々と上げると大歓声が会場を覆って、第1回弓技大会は幕を下ろした。




