3年生(2回目) その97 姫君
97 姫君
騎士団の住居にある訓練所から、王子宮にある応接室までの間、3人は無言のままだった。
口論で激突した場所に戻ってきた2人の姫たちは、テーブルを挟んでソファーに腰掛けた。セーラが黒いズボンのまま、髪も黒い布でまとめているままでいる事に対して、2人共意識を向ける余裕はなかった。
「ごめんなさい。弟が酷い事をしました。姉として、王女として、謝罪します。」
「え。」
何を話せばいいのか迷っていた公女の前で深々と頭を下げたビアンカの姿に驚くと同時に、セーラは表情から血の気を失った。
「ビアンカ殿下、頭を上げてください。殿下が謝罪される事は何1つありません。どうか、頭を上げてください。」
謝罪する順番だけに拘ったことで、フェレール国の王子と王女に頭を下げさせた結果を生んだことに後悔した。フェリクス王子も、直接自分の母親を侮辱した言葉を発していないし、実際にそういう事はしなかった。ただ、セーラが生きてきた庶民生活の中で経験したことから導き出した事に、セーラだけが内なる怒りを爆発させていた。半年ほど前に、イシュア国の第2王子達に実母を侮辱された事をセーラは忘れていなかったし、心の中では引きずっていた。
「いえ。私たちは王女王子であって、お互いに国の代表でもあり、私にだけ責任がないとは言えません。それに、今回の弟の行為は、セーラ嬢の気を引くためのものでした。そして、私もセーラ嬢と少しでも早く仲良くなりたいと考えていて、弟を強く諫める事はしませんでした。私も弟も、友と呼んでもらいたいと考えていて・・・。」
友人と呼ばれる関係を作りたいとの言葉に嬉しさを感じると同時に、それが国の方針であると考えると、単純に喜べないとも考えた。王子王女と公女の交流が、そのまま国全体の交流に適応される訳ではないが、両国の友好の象徴になるのは確かだった。
1対1の関係と国対国の関係の両方が存在する自分たちの関係を、感情だけで処理してはいけなかった。少なくとも、怒りを飲み込んだ状態で冷静に話をするべきだった。それでも納得できないことがあれば、怒りをぶつければ良かった。その後悔でセーラは混乱状態に陥った。
「ごめんなさい。混乱してしまって、その、よく分からなくなって。ビアンカが仲良くしたいと思ってくれるのが、その嬉しく。でも、国のために、あ、私も、両殿下と仲良くするように、国の命令とかではないけど。公女としての役割が、役割のように感じる事もあって。その、あ・・・。とにかく、頭を上げてください。よろしければ、話を。」
「話をさせてくれるのですね。ありがとう。セーラ。」
潤んだ青い瞳のお姫様は少しだけ微笑んからで話を始めた。
「フェレール国はイシュア国からの侵略を恐れているの。」
「攻めるような事はないです。お父様が軍を他国に向けるような事は決してしません。」
「私もそう思えるようになったけど。フェレール国では、国内の貴族同士が領土争いの戦争をする事もあるし、8年前には派閥同士の大規模な戦争があった。だから、イシュア国に貴族同士の戦争がほとんどない事が信じられないの。イシュア国の国王陛下が強い力で国内をまとめていて、その武力を他国に向けるのではないかと、その準備をしているのではないかと、私たちの国は真剣に考えているの。だから、私達は、その標的にならないように、友好を深めたいと考えているの。」
魔獣との戦い、25年に一度の魔獣達との大戦争があるイシュア国と、フェレール国の軍事的性質や思考は全く違っていた。それは何となく推測できていたが、直接話を聞いて、イシュア国を見るまでは、ビアンカも両国の軍事的常識が違うことを納得していなかった。
「私とフェリクスの母である第3王妃の実家は準男爵家で、政治的な権力は何もないの。私たちは特別な権力を求めている訳ではないのだけど。王子と王女として、何らかの実績が欲しいの。主な狙いは貿易で、特に魔石の価値はフェレールでは高いの。公爵家の令嬢が、私達の学園での世話をしてくれると聞いた時、令嬢を通して公爵家と特別な交流を結ぼうと思ったの。魔石が手に入りやすい関係を作るだけでも、私達には大きな功績になるの。」
「それは、王族として当然の事だと思います。」
「そうね。でも、本当に仲良くなりたいと思った時、どういう風に考えればいいのかが分からなくなって。多分、フェリクスも分からなくなったのだと思う。」
セーラは、公女にふさわしい人間になろうともがいてきた。戦場で武勲を得るまで、誰にも見せないようにしていたが、自分の中から生まれる不安と戦っていた。だから、今の姫の気持ちがよく分かった。自分の立場を守るために必死なのだという事は理解できた。
今までセーラの傍にいてくれた人々は、自分よりも能力があり、相談を受けてくれる存在であると公女は認識していた。いつも自分の前にいて、導いてくれる存在であって、共に暗闇の中でもがいてくれる存在ではなかった。
ビアンカ王女は、共に暗闇の中から脱出しようと手を取り合う事ができる存在だった。
「立場や地位はなくならないけど。2人だけの時は、友達になってくれますか?」
「ありがとう、セーラ、そう言ってもらえて嬉しい。だけど、言えない秘密はあるし。フェレール国の利益を得るための相談をする事もあると思う。騙す事はしないけど、国の縛りがあって言えないことについて、何かを誤魔化すことはあるかもしれない。」
「そう言う時には、こうやって話をすればいいと思う。公爵家にも外に言ってはいけない秘密があるかもしれないから・・・。友達になりたいと言ってもらえて嬉しい。」
少しだけ笑顔を見せたビアンカはすぐに表情を固くした。
「フェリクスの事だけど。フェレール国にいる時に大失敗をしたことがあるの。常識が足りない所もある。詳しい事は、聞く機会があるなら、本人から言うかもしれない。私からは話せない。」
「はい。機会があれば。」
「それで、弟のために言い訳なのだけど、本当に悪意はなかったの・・・。」
ビアンカの次は自分の番だと公女は考えた。王子の行為にセーラが怒りを持った事は誰もが分かるが、謝罪の順番に拘る理由は分からなかった。それは、公女の生まれと育ちが関係しているだろう事は確信できるが、詳細を聞く事は侮辱する行為に繋がる可能性が高かったから、ビアンカの方からは質問できなかった。
「ビアンカ、私の事を話すけど、聞いてくれる?」
「もちろんよ。」
セーラの話は、庶民として暮らしている時の、実母ミーナの苦労についてだった。
「幼い子に話していい内容ではないし、理解もできない事だから、直接母さんから聞いたのではなくて、お世話になった食堂のおばさんから聞いた話なの。」
「国境の町ファルトンの事ね。」
頷いたセーラは一瞬だけ穏やかな表情を見せたが、すぐに険しくなった。そして、険しい表情が相応しい話が始まった。
イシュア国では、娼婦の地位は最下級の人間と言うものではなかった。魔獣の巣に潜って魔石を得ようとする戦士達が、傭兵や冒険者を名乗って、命がけの挑戦を繰り返すためには、癒しの場所、滾る血を発散する場所が必要だった。娼婦という職業はそれぞれの町には必要なものだった。
また、25年に一度発生する、大量の魔物が出現する暗闇の暴走では、戦士たちの多くが命がけで、魔獣の巣と呼ばれる洞穴の中へと入り、少なくない犠牲者が出ていた。その犠牲者の中には、未婚で、未経験の戦士達もいて、彼らには一夜の喜びを売る者が必要だった。
国に、地域に命を捧げる戦士たちを癒す女性たちを侮辱する事は、国の土台となる戦士たちを侮辱するのと同意であると、イシュア国では考えられていた。命を国に捧げる戦士達に花を捧げる職業と言う現実があるから、娼婦は蔑まれるだけの職業ではなかった。
ただ、その反面、対価を支払えば、体を買う事に抵抗がない男性も、対価をもらって経験や体を売る事に抵抗がない女性も、少なからず存在していた。そういった人々を嫌う人々からは、娼婦は避けられている現実も存在した。
国境の町ファルトンの近郊には、魔獣の巣が存在していて、ギルドが運営する大規模な娼館があり、娼婦を毛嫌いするような環境は無かった。そして、国境の町である事から、多くの商人達が立ち寄る事で、戦士達とは別の需要が増えていった。ギルド運営の娼館に商人たちのお金が落ちる事で、そこは高級娼館へと変わっていった。だが、高級娼婦の誕生は、娼婦の地位を上げる事はなかった。
高級娼館に通えない男たちが、街中で華を安く買う方法を求めるのは自然なことだった。そこで生まれたのが、食堂や宿屋の女中を買う事だった。食堂や宿屋で得る賃金よりも高額であるから、この仕事に就くものもいた。娼館より低額である事から、小さな商人たちはこういった女中買いを利用していた。ファルトンの町では商売として成立していた。もちろん、食堂や宿屋の全体がそうなっている訳ではなく、一部の店の一部の女中が副業をしているだけだった。
だが、貿易の中継地として休憩をする商人達には、その一部の店、一部の女中というのが分からなかった。だから、安く済ますなら、宿屋や食堂の女中に声をかけて探せばいいという話を聞いた商人達が、至る所で声をかけ、お試しのつもりで体を触れるような事をしていた。
高級娼館ではないところでは、欲望をむき出しにした男達の暴走が見られるのが、ファルトンの街の闇の部分だった。
「おばさんの話では、母さんは良く声をかけられていた。その度に、怒って拒否をして、おじさんやおばさんが、その客を追い出した事もあったって。その話を聞いた時、私も客が追い出された事があったのを思い出した。小さい時には、よくは分からなかったけど、何度が、そういう場面にいた事があった。」
気の強そうなという形容詞が付いても、美人であるという評価を得たミーナに近寄る者が少なくなかったのは、見目だけが原因ではなかった。娘がいて、夫がいないという状況から、彼女が傭兵であった夫に先立たれて、生活に困っているだろうから、食堂の安賃金以外に、副業で稼ぎたいのであろうという勝手に思い込んでいる者が多いからだった。
ビアンカは気付かないうちに涙を零していた。
「ビアンカ、どうしたの?」
「え。」
「泣いている。」
「あ。」
「どうしたの?」
「セーラは、周りからの雑音を気にし過ぎだと、今まで思っていた。セーラの気持ちが分かっていなかった。」
「自分から話をしたことが無かったから。分からないのは当然だと思う。」
双子殿下は王室で愛されていたが、双子を生んだ第3王妃は、王室内で冷遇こそされなかったが、子供達程に可愛がられた訳ではなかった。政略上の敵にならないとの判断から双子は甘やかされたが、第3王妃は新たに国王の寵愛を奪い取った若き王妃である以上、第1王妃、第2王妃は、女性として距離をおき、必要以上に第3王妃を守る事はしなかった。
そして、それは、多くの貴族からの嫉妬を第3王妃が受ける事を意味していた。最下級貴族の準男爵家出身の第3王妃は、国内の全ての貴族達から容赦のない言葉での攻撃を受け続けた。寵姫として国王の庇護を求める事もできたが、それはしなかった。さらなる嫉妬を生む可能性が高いだけでなく、第1王妃、第2王妃から警戒される可能性があったからだった。寵姫の座を利用して、国王に何かをさせる事を一度でもすれば、その瞬間に第3王妃と双子殿下は政敵として、排除の対象になるのは明らかだった。
フェレール国第3王妃ベティーナと公爵家第2夫人ミーナは、売春婦や娼婦という言葉で貶められた。それは同じ言葉であったが、全く違う意味を持っていた。
ベティーナへの侮蔑の言葉である娼婦には、国王のという冠詞が付き、体を売ったと罵られたとしても、売った相手は国王である事実を否定される事は無かった。あくまでも王妃の地位を得る事の出来なかった他の貴族達の嫉妬から出る言葉で、そこには羨ましいとの気持ちが隠されていた。
一方のミーナへの娼婦は全く意味が違った。今は貴族籍上の第2夫人で、かつては男爵家令嬢だったが、一度は貴族籍を抜けていた。その間実際に庶民として食堂の女中として働いたミーナに対する娼婦という侮蔑の言葉は、夫以外の男性に身を売った事への嘲りだった。
ミーナへの侮蔑の言葉を聞き流した場合、それは公爵を裏切った売春婦であるという噂話を肯定する事になり、セーラと言う庶子が、公爵の血を引いていないという疑惑を認める事になった。
噂の第2公女が自分達のお世話係である事を知った後、多くの情報を集める中で、ビアンカはセーラに同情して、共感もしていた。悪意に満ちた噂話を流されて、悔しい思いをしたのは、第1王女も同じだった。そして、自分もフェリクスも、セーラが同じ経験をしてきたと考えてしまった事で、彼女が負った傷の深さも重さも理解できなくなっていた。
「もう、泣かないで、ビアンカ。」
「ええ。」
「でも、私のために泣いてくれたことは嬉しい。」
「ありがとう、セーラ。今日は、もう少し、話を聞いてもいい?」
「うん。」
幻想の中でしか存在していなかった異国の姫が、セーラにとって実在の姫として、この日身近な存在になった。思った以上に、2人の心が重なったことをお互いが知るのは先になるが、フェリクス殿下の考えた、セーラとの友好度を高める策は、ビアンカ殿下については大成功だった。




