序章
外では時折遠雷が鳴り、大粒の雨が窓を勢いよく叩く。
「う……」
少女がベッドから体を起こすとそこは時折クスクスと笑い声が聞こえてくる薄暗い部屋。
少女はブルっと身震いをした。
「ここは……?」
ガチャリ。
突然部屋の扉が開く音がした。
少女は慌てて音がした方を見ると、黒のローブを被った青年がそこに立っていた。
雷光で見えたのは、魔法使いの証である赤い瞳。
長身かつ痩せ型で、両手には黒の手袋をはめている。
その容姿は巷で噂になっている、傀儡使いのグリースにそっくりだった。
少女は思わず後退りをするが、それを追う様に青年はジリジリと距離を詰めてくる。
二人分の重みでギシリとベッドが軋み、いよいよ追い詰められた少女は涙を浮かべ懇願した。
「お願いですから食べないでください!」
『お前の命はオレが拾った。 だからお前はオレのものだ。 好きにさせてもらう』
その声は想像よりもはるかに幼かったが、今は恐怖でそれどころではない。
少女は目を閉じギュッと身を固くした。
『だからって食うわけないだろ』
直後に鼻にふにっと柔らかいものが当たった。
驚いて目を開けると、目の前にいたのは青年ではなくぬいぐるみの狼だった。
よく見るとパペット人形のようだが、その狼はまるで生きているかのように口に手を当てクックッと笑っている。
『やっと目が覚めたか。 具合はどうだ?』
パペットが再び少女の鼻先にズイと近寄る。
少女は一瞬慄くが、殺気が一切感じられないその容姿に少しずつ気持ちが解れていく。
「はい、何とか……」
『何かほしいものとかあるか? 食事とか身の回りのものとか』
「と、突然言われても……ふふっ」
パペットの愛らしい身振り手振りに堪えきれず、とうとう少女の顔から笑みが零れた。
それを見たパペットは一瞬動きが止まったが、直ぐ様少女の視界を遮るように柔らかい手できゅっと顔を覆った。
『かわいい顔して笑うじゃないか。 では祝いといこう』
パペットが離れた瞬間、部屋に明かりが灯され色とりどりの花がぶわっと天井から降ってきた。
『『『我らの屋敷にようこそ!』』』
明るくなった部屋の中にいたのは、ローブを被り狼のパペットを嵌めた魔法使いと、生きているかのように動きはしゃぐぬいぐるみ達だった。
そのメルヘンな光景に、少女は目を見開き思わず息を呑んだ。
「えっと……『ようこそ』って一体どういうことでしょうか?」
『そのまんまだ。 お前は今日からこの屋敷で一緒に住むんだよ』
「えぇ!?」
相変わらず青年の手に嵌められたパペットが手をパタパタと動かしながら話しかける。
『何だ、何か不満でもあるのか?』
「いえ! でも私なんかがここに居たらご迷惑になりますし、それに一応帰る所も……」
『リシュ=エフモント。 確か聖女が生まれるといわれる家系だったな』
「!!」
名前を呼ばれた少女、リシュの顔から血の気が引いていく。
『そんな顔するな。 別に警察に突きだすとかじゃない。 お前はもう死んだことになってるからな』
「え?」
そう告げた青年は部屋に置いてあった新聞をリシュに手渡した。
そこには昨日の日付でエフモント家の長女が滑落事故に遭い亡くなったと載っている。
その記事から自分の事だと理解したリシュは驚いた表情をしていたが、暫くして目を伏せ諦めたかのように呟いた。
「私、とうとう死んだことになったんですね……」
『どういう意味だ?』
「……珍しく街に連れて行ってくれると聞いて馬車に乗ったんです。 でも雨が酷くなってきたからと言って立ち往生していたら……」
どうやら口実をつけてリシュを連れ出し事故と見せかけて何者かが谷へと落としたのだろう。
それ程迄に危険な人物だったのだろうか。
それでも無下に命を奪うなど許される筈がないのに。
リシュは新聞を握りしめたまま大粒の涙を零したが、誰かを責める事も恨み事一つも言わなかった。
こんな少女が一体どう危険なのか、青年には理解できなかった。
『ここにはお前を陥れるやつはいないからもう泣かなくていい。 これから先は楽しい事が待ってる』
青年は嗚咽を上げるリシュの顔を覗き込み、パペットはその柔らかい手を使ってリシュの目尻を優しく拭った。
「お前が望む事なら何でも叶えてやるから」
「えっ……?」
ふと二人の視線がパチリと合った。
互いの瞳に自分が映っている事に気づき二人は慌てて目を逸らす。
すると周りから小さくクスクスと笑うかわいい声がした。
『とにかくっ! 今日からお前はここで新しい人生を始めるんだ、分かったな!』
わたわたとパペットが動き出し、リシュを指差し命令を下した。
「はっはい! えっと……お名前は」
『オレはガブだ』
「後ろの方は……」
『……グリース。 グリース=アーレンツだ』
「やっぱり傀儡使いの!」
リシュは思わず声を上げたが、慌ててその口を手で抑える。
しかし既に手遅れだった。
グリースは一瞬表情を曇らせたが、パペットを外しリシュの顎をすくい上げると、赤い瞳を光らせニヤリと笑った。
「あぁそうだ、俺がお前等が恐れる最強の傀儡使いグリースだ。 逃げようなんて変な気を起こせばお前もこの手で人形にしてやるからな」
そう言ってグリースはすっとリシュから離れベッドから降りると、そのまま振り向くことなく部屋を出ていった。
(私ってば……)
自分の心無い言動に深く後悔する。
リシュは既にグリースに対する恐怖心が薄れていたからだ。
自分を助けてくれた事。
パペットを使って和ませてくれた事。
花を散らし歓迎してくれた事。
自分を慰めてくれた事。
リシュにとってはどれも縁がなかった事ばかりだ。
極めつけはガブとは違う声で『望む事なら何でも叶えてやる』と言われた事だ。
年相応の、体に響くような低音に驚き思わずグリースを見ると、グリースもまた自分を見ていた事に心臓が大きく跳ね上がった。
(もしかしてあの声はグリースさんご本人……?)
リシュは徐々に熱くなる顔を両手で隠すように覆った。
これまでの生活の事もあり、グリースの言葉は思いがけずリシュの心に深く柔く突き刺さったのだ。
(本当にこれから一緒に暮らすんでしょうか……でもその前にちゃんと謝らないと!)
リシュは意を決して立ち上がると、部屋の扉を開けグリースを探しに屋敷の中を歩き始めた。
この度は読んでくださりありがとうございました。
これからも不思議な関係の彼らにお付き合いして頂ければ嬉しいです。
因みに前作の『転生先はウサギでしたが、私は人間になって歌姫になりたいのです〜もちろん恋も諦めません!』も完結していますので合わせて読んで頂ければと思います。
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