(2)
「え…?」
「あ…」
同じタイミングで訊いた者同士、互いに顔を見合わせる。
最悪だ……
私を驚いた目で見ていたのは、同級生の彼だったのだから。
「あら、二人とも同じ物をお探しですか?昨日棚変えをしたばかりで、分かりにくくて申し訳ありません。オムツでしたら、奥から二つ目の棚とその横のコーナーに移動になりましたので…」
高校の制服を着てる私達にも丁寧に応対してくれる店員には申し訳ないが、私はそれどころではなかった。
私がオムツを買いに来たことを、最も知られたくなかった彼に知られてしまった……
カアッと顔が熱くなる。
どうしようどうしよう、恥ずかしい、格好悪い、学校の人に言いふらされたらどうしよう……
一瞬で気が動転し、私は店員にありがとうございますすら返せないでいた。
するとその時、レジからヘルプ要請の放送が流れ、店員は「すみません。もし分からなければ、奥にもスタッフがおりますので…」と告げ、レジに駆けて行ったのである。
残された私達。
だが徐々に気が落ち着いてきた私は、いや待てよ?と、彼が店員に放った質問を冷静に思い返した。
『すみません、紙オムツってどこにありますか?』
紙オムツってどこにありますか?―――
パチン、と、まるで頭の中で風船が割れたかのように、私は動揺を蹴散らした。
なんだ、彼も私と同じでオムツを買いに来たんじゃないか。
そう認識した途端、私の中にはなんだか同志を見つけたような、ちょっとした高揚と安堵が一気に溢れていったのだ。
「ええと……あなたも、おつかい?」
同志感というのは心の距離も近付けてくれるようで、学校の人気者に対しても、私は気負わずに話しかけられた。
オムツを買いにきたという点では、彼も私も同じ立場だと思えたからだ。
彼が私のことを知ってるかどうかは定かではないが、制服を見たら少なくとも同じ学校であることは気付くだろう。
「そうなんだ。きみも?」
彼はちょっと困惑したような表情を浮かべたものの、すぐに評判の人当たりのいい笑顔になった。
「そうなの。学校から帰るなり、お母さんに頼まれちゃって」
「ああ、うちも一緒だ。それで、この夕立で足止めされて……もしかして傘を持ってなかったところも同じ?」
「正解。夕立だろうし、そのうちやむかなとは思うけど……困っちゃったね」
雨雲が見えるわけではないのに、二人して上を見上げたりして、そして目が合って、何となく笑い合った。
「きみも紙オムツを探してたんだよね?」
そう尋ねられて、いつもなら気構えてるはずの話題にも、同志である彼相手にはゆとりある気持ちで頷けた。
そしてその気持ちが、心の柵みたいなものを溶かしてしまう。
「そうなの。妹のオムツをね」
訊かれてもいないことをつい喋ってしまったのだ。
いや、彼もオムツを買いに来たのだから、きっと弟か妹…もしかしたら親戚の赤ちゃんかもしれないけど、とにかくオムツをしてるくらいの小さな子供が身内にいるはずで、私に妹がいたって珍しがったりなんかしないだろう。
そんな楽観的な考えが過るも、ほんの僅かばかりは、それでももし彼に変なこと言われたらどうしよう…なんて不安が掠めたのは事実だ。
けれど彼は、イケメン度をぐんと上昇させる優しい表情で
「妹さんがいるんだ?へえ、いいな…」
と言ってくれたのだ。
そんな反応は、私の中からあっという間に不安を払拭させた。
「ということは、そっちは弟さん?」
いくらか気楽になった私は流れ的にそう尋ねたのだが、予想と違って彼は首を横に振った。
「あ……ううん、うちも、妹、なんだけど…」
その答え方は、少しぎこちなかった。
「……もしかして、あんまり、仲良くないの?」
「え?」
彼はあからさまに図星をつかれた、という表情をした。
しまった、余計なことを言ったかなと、私は大急ぎでフォローの言葉を探しはじめる。
「ええと…うちもそうだからよく分かるんだけど、年が離れてるとちょっと複雑だよね」
「きみも?」
「うん。私は仲良くしたいんだけど、これだけ離れてると生活リズムも全然違うし、妹にあわせてばかりいると自分の予定が狂っちゃうし……なかなか上手くいかないのよね」
「そうなんだ……」
家庭の事情はそれぞれで、彼と妹さんの関係性についても、私にはわからないものがあるだろうし、それについて外野がどうこう意見すべきではない。
私は深くは聞かず、共通の話題である“オムツ”に意識を移すことにした。
「それじゃ、とにかく、オムツ売場に行ってみる?」
「……そうだね、そうしようか」
店員が教えてくれた売場は、今私達がいる所とは真反対なのだ。
急いでもどうせ外は雨だし、私達の歩く速度はゆっくりとしたものだった。
その間、黙ったままというのも気を遣うし、けれど私は、ほぼ初対面の相手と芳醇なコミュニケーションを取れるほどの対人スキルも、豊富な話題も持ってはいない。
そして彼の方も、この店で同じ学校の人間と遭遇してしまったことに戸惑っている節がある……
そういうわけで、仕方なく私は、もうひとつの共通の話題である妹の話を、彼に披露することにしたのだった。
「うちの妹はね、まだ上手にハイハイもできないんだけど、私が別の部屋に行こうとしたら追いかけたい素振りをしてくるの。お母さんが、『母親よりもお姉ちゃんが好きなのね』ってよく言ってるくらい」
「へえ、仲良しなんだ」
「でも、私がリビングでゲームしたくても妹が寝てたら音量に注意しなくちゃだし、友達を家に呼ぶのも気を遣うし、お母さんは妹についてるから晩ご飯も一人で食べることが多くなったし、嫌だなって思うことも多いんだけどね」
思いついた愚痴を並べたが、決して本気で疎んじてるわけではない。
日本人にありがちな、ちょっとした謙遜みたいなものだったのだけれど、なぜか彼は大きく反応を見せたのだった。
「やっぱそうなるよね?!めちゃくちゃ気遣うよね?親達は大変だ大変だって言うけど、こっちにも結構負担かかってくるよね?」
「え、ああ…うん、そうだよね」
思わぬ彼の圧にちょっぴりビクついた私は、ぎこちなく頷いてみせた。
けれど、彼も妹さんのことで複雑な心情を抱えているのだと痛いほどに感じた。
それは、私にも心当たりがある感情で。
私は同志でもある彼に、心からの共感と労いを伝えたくなった。
「わかるよ。すごくわかる。親も大変だけど、私達だって大変よね。確かにお姉ちゃんだから我慢しなきゃとも思うけど、それでも、私達だってまだ子供なのにね。だから私はときどきわざと我慢をしないときがあるんだ。ちょっとしたストライキみたいな感じで。でもあなたはきっと、ずっと我慢してるんでしょ?偉いね。いいお兄ちゃんだね」
学校で有名になるくらいの優しい人柄なのだから、きっと彼は、私なんかと比べものにならないくらい“いいお兄ちゃん”なのだろう。
すると、彼はハッとした様子で私を見てきたのだ。
「俺が?いいお兄ちゃん?」
「うん。いいお兄ちゃんだと思う。だって本当に嫌だったら、そんな風に我慢したりしないもん。妹さんのことが好きだから、いつもは我慢してあげてるんでしょ?だからきっと、妹さんも大きくなったらお兄ちゃんのこと大好きになるんじゃないかな?今はしんどいことも、たぶん、ずっとは続かないよ。あ、もし愚痴を言う相手がいないんだったら、私でよければいつでも聞くし」
これほど年齢差のある妹がいるのは珍しいだろうから、これまで、彼の心境を理解できる相手があまりいなかったのかもしれない。
学校の人気者相手に、どうしてこうも上からの物言いができたのかわからないが、この時の私には、彼がただの同志にしか思えなかったのだ。
少し弱音を吐きたくなった、妹が大好きだけどちょっとだけ疲れてる者同志。
「俺が、妹を好き……?」
不思議そうに呟く彼に、私は声に出して笑った。
「やだ、自分で分かってないの?いくらおつかいを頼まれたからって、制服のまま買いに来るなんて、どう見ても大好きじゃない」
頭はいいはずなのに、自分のことになると鈍感になるのかと、彼のことをそんな風に思ったところで、目当てのオムツ売場に到着だ。