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「あ、降ってきた…」



残暑とは名ばかりのまだまだ盛夏のような気温の中、買い物帰りに立ち寄ったカフェで涼んでいると、空からは激しい粒が降り注いできた。

夕立だ。



「やだな、今日は新しいサンダルおろしたばっかりなのに」


向かいの席からは気落ちした呟きが。


「夕立だからきっとすぐやむよ。それまで待ってよう?どうせもう用事は全部済んでるんだし」


「そう?じゃ、雨がやむまでもう一つデザート食べちゃおっかな。すみません、オーダーお願いします!」


甘いものに目がない彼女は、チャンスとばかりにメニューに視線を落としていく。

そんな彼女を横目に、私は窓の外を見上げた。

いつの間にか厚くなっていた雲は、すっかり夏の光を妨げている。


すると、ふと、懐かしい記憶が甦ってきて。

今までもこんな突然の夕立に遭遇したことは何度もあるのに、今日に限って、あの日(・・・)のことが思い浮かんでしまったのはなぜだろう?


懐かしくも、ほんのり切なく、当時の自分の幼さを思い知る記憶の一片。



店員を呼び、嬉々と追加注文をしている向かいの席の彼女にはばれないように、私はこっそりと、記憶の中のあの日(・・・)に気持ちを巡らせていったのだった――――






※※※※※※






その日、私は困り果てていた。


学校から帰宅し、母親におつかいを頼まれ、制服のままドラッグストアまでやって来た。

ここまでは何も問題ない。よくある話だ。


だが、よくある話でないこともいくつか生じていたのである。


一つは、店に着いてすぐ、夕立が降りだしたこと。

それはもう、とんでもない勢いで。

家を出るときは絵に描いたような真夏の晴れ空だったので、予知能力などない私は当然傘を持ってきてなかった。

部活用のバッグには折り畳み傘が入ってるのに…

うらめしく思っても仕方ない。

ここは、天気が機嫌を戻すまで待つしかないだろう。

どうせ家にいる母親は忙しくて迎えになんか来られないだろうし。



そして二つめのよくある話ではないことは、このドラッグストアに同じ高校の男子も来ていたということだ。

私と同じ一年でありながら、地味でごくごく一般生徒の私とは違い、彼は、校内で知らない人はいないというほどの有名人であった。

制服のままで手ぶらなところを見ると、私みたいに一旦家に戻ってからここに来たのだろう。

片手にメモっぽい物を持っているから、これも私と同じで、買い物を頼まれたのかもしれない。

そして更に私と同じく、どうやら傘を持ってないようで、この夕立で足止めを食らった様子だった。


イケメンで長身、頭脳明晰スポーツ万能、人柄もよく、男女問わず大人気の彼。

そんな彼の情報は、クラスが違う私にまで聞こえてきていた。

と言っても、近くの席の目立つタイプの女子達が盛り上がってたのを小耳に挟んだだけなのだが。

だがそれによると、確か、彼の家はこの近所ではないはずなのに…

あの情報は誤りだったのだろうか?



いや、今はそんなことどうでもいい。

問題は、私を知る人間がこの店内にいるということだ。

傍から見れば、それの何が問題なのかと不思議がられるかもしれないが、今の私にとっては大問題だった。

なぜなら、私が母親から頼まれた買い物は、オムツだったからだ。

15歳年下の妹のための。



高校の制服を着たままオムツを抱えてる姿なんて、年頃の思春期真っ只中の身としては、恥ずかしいし、できたら自分を知ってる人には見られたくないものだ。

だがだからと言って、私は、別に、年の離れた妹を嫌ってもいないし、その存在を隠してるわけでもない。

隠してはいないけれど、妹のことを知れば必ず年齢差の話題にはなるし、そうしたら、今の母親が義母であることの説明が必要になってくるかもしれない。

いや、別にそれはいいのだ。

父も義母も、亡くなった私の生みの母親のことをとても大切に想ってくれているし、私だって義母のことを時に年の離れた姉のように、時に母のようにと、いい関係を築けているのだから。

だが、自分の物差しでしか物事を考えられない人間とはどこにでもいるもので。



『かわいそう』

『本当のお母さんじゃなきゃ甘えられないよね』

『何か嫌なことあったらすぐ言いなよ?』



彼ら彼女らは、それが余計なお世話だとも気付かず、好き勝手に親切の仮面を被せた刃を私に向けてきた。

そんな人間は、私がいくら否定したところで自分の考えを変えず、だから彼らの中では、私は”継母に育てられてる気の毒な子”という役に据え置かれてしまうのだ。

それが、たまらなく嫌だった。

私は、義母のことが大好きなのに。

生まれたばかりの異母妹も、愛おしいのに。

その私の想いが、きれいさっぱりなかったことにされてしまうのが、どうしても許せなかったのだ。


だから、私は自分の家族のことは、親しい友人との間でしか話題に乗せなかった。

いや、もちろん、そんな無神経な人ばかりでないことは分かっている。

今日この店で鉢合わせた彼だって、噂では優しい人柄と聞くから、私の家庭環境を知ったところで危惧してるような反応はしないかもしれない。


それでもやっぱり、あまりよく知らない相手には打ち明けたくないというのが本音だった。

私は、オムツを持っている自分の姿を、どうしても同級生の彼には見られたくなかったのだ。




それなのに。私の思いなど気にもとめない夕立は、その雨足を強めて強めて。

私は店の中にいながらも感じる雨の気配を追いながら、これはすぐにはやみそうにないなとため息ついた。


彼に見つからぬよう、その動向を探りながら、店を巡回する。

こんな日に限って制服で来てしまったことを後悔しながら。

だって、有名人の彼と違って、地味な私は制服さえ着てなかったら彼に気付かれることはなかったはずだ。

入学以来会話したことも、目が合ったことすらもないのだから。

ああ、早く雨雲が通り過ぎてくれますように……

今はもう祈るしかなかった。



だが、店の中をうろうろと一方的に彼から逃げてる途中で、私はあることに気が付いた。

店の棚が配置換えをしていたのだ。

このドラッグストアは家から近いこともあり、昔からよく来ているので、ほぼ商品の位置は把握している。

なのに、あるべき場所にあるべき物がないのだ。

一番よく利用するのはヘアケア商品の棚だが、それが、3ブロックも移動してたのである。


そうと知るや否や、私は大いに焦った。

雨足が弱まってきたら、すぐに頼まれていたオムツを買って、さっさとこの店から脱出しようと考えていたからだ。

売り場が分からなかったらスピーディに買い物ができないじゃないか。

仕方なく、私は彼の気配を意識しつつ、近くにいた店員にオムツの棚を尋ねることにした。


といっても、あくまでもそれを会計に持っていくのは雨が弱まってからだ。

私がオムツと接している時間は短ければ短い方がいいのだから。

だから前以て棚だけ確認しておき、時が来たらサッと行動に移そう。

そうすれば、万が一彼に見つかったとしても、何とか誤魔化せるかもしれない。

でももし彼に私のことを気付かれてしまった場合は、最悪、彼が帰るのを待ってから、ゆっくりと買えばいいだろう。

もちろん、可能ならば、彼に見つかる前に用を済ませてとっとと帰りたいけれど。

私はそんな野望を胸に、数メートル先に品出しをしている店員を見つけた。

見慣れた赤いエプロンが、なんだか今日は神々しく見える。

サササッとその店員に駆け寄った私は、一思いに尋ねた。



「すみません、オムツの棚はどこに…」

「すみません、紙オムツってどこにありますか?」



けれど、私の問いかけは、横から飛んできた声に重なって、最後まで言わせてもらえなかったのである。











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