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爪先の恋

恋をなぞる指

作者: celastrina


 

 

 指先が冷えていくのを覚えた。

 

 それは、彼女の父に殴られた時も、彼女の母に責め立てられた時も、父上にため息をつかれた時も、母上に失望された時も、彼女のーーを聞いた時も、感じなかった。

 

 

 「ーー殿下を、好きにならなければ···よかったっ」

 

 

 泣き腫らした両目を抑えても、手の平から(あふ)れてこぼれ落ちる雫。

 彼女の嗚咽(おえつ)慟哭(どうこく)が、私から温度を奪っていく。

 

 

 「私がっ、私が殿下を好きにならなければ!手の平の中で握ったままにしていれば!あの方がいなくなる事も、なかったのに!」

 

 

 私には、彼女の嘆きが理解出来なかった。

 

 

 「私が、私のせいでっ。私があの方、をーー」

 

 「何故、君のせいになるんだ?」

 

 

 ぴたりと、彼女の慟哭(どうこく)が止まる。

 

 

 「君が彼女を追い落とした訳でもない。彼女は自分の意思で姿を消したのだ。君の何処(どこ)に非があるのだ?」

 

 

 彼女の顔がゆっくりと上がり、私を見上げる。

 その目は、初めて見る暗い色を宿していた。

 

 

 「······殿下は、何とも思わないんですか?自分の婚約者だった方なんですよ?」

 

 「確かに婚約者ではあった。だが、私の妻は君だ。彼女には礼儀に(のっと)って公の場で彼女には非がない事を明らかにし、謝罪し、補償を約束した。私の義務は果たした以上、その後の彼女がどうしようと私の関する所ではないだろう?」

 

 「殿下は、少しもあの方に情がなかったのですか···?幼い頃からの、婚約者だったんでしょう?」

 

 「それが恋情という意味であれば、ない」

 

 

 目の前の彼女に抱いているような愛おしさや庇護欲、身を焦がす劣情を、婚約者であった彼女に抱いた事は一度としてなかった。

 だからこそ、この感情を恋だと。この感情を抱かせる彼女が特別なのだと、知る事が出来たのだから。

 

 

 「じゃあ、あの方が、どうなってもいいん、ですか?」

 

 

 震える声に首を傾げる。

 

 

 「彼女とて私がどうなろうと気にしないだろう」

 

 

 パチンッと、自分の頬から音がした。

 

 

 「あの方を見つけるまで、殿下の顔も見たくありません!」

 

 

 何故彼女が怒っているのか、何故彼女が泣いているのか、何故頬を張られたのか、私には分からなかった。

 

 

 熱を持った頬を撫ぜる指は、氷の様に冷えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 あの日から、指の温度が戻らない。

 

 

 私としては、縁も切れた彼女に時間を割くつもりはないのだが、愛する彼女があのまま実家へと帰り、私が彼女を見つけるまで断固として戻らないと言うのだから、仕方がない。

 

 父上も昔、女性の断固とした我儘(わがまま)は叶えるべきだと言っていた。

 でなければ後が(こじ)れる、と。

 

 

 手始めに彼女が消息を絶った前後の足取りを探らせるが、彼女の両親が血眼になっても見つけられなかったものを、私も見つける事は出来なかった。

 

 仮にも貴族令嬢が単独で姿を消せるはずがない。協力者がどこかにいるはずだ。

 動機も不明のままだ。動機が分かれば行き先も判明するかもしれない。

 

 私は、彼女の周囲の人間に、どんな事でも良いから情報を提示するよう命じた。

 

 

 やがて部下によって書面にされた報告が上がりはじめ、私は執務の時間を割いて目を通し始めた。

 

 人の記憶は新しいものほど鮮明だ。

 それは至極当然の事。

 

 だから報告書は直近の記録から始まっていた。

 

 

 

 

 『弟の証言』

 

 『殿下の結婚式の招待状が届いた時、何様だと思いましたよ。

 他の女が出来て姉上を捨てた癖に式に呼ぶだなんて、面の皮を()いで厚さを測ってみたいものですね。

 

 だから僕は招待状を破り捨てようとしました。

 

 ですが、姉上が止めるのでやめました。

 僕は姉上に詰め寄りましたよ。

 

 あんなクソ野郎に関わる必要なんてもうどこにもない。慰謝料もたんまりふんだくったんだ。姉上はこれからは自由に好きな事をして生きるべきだって。

 

 そしたら姉上は「そうね」って言ったんです。

 

 やっと言ってくれたんですよ!

 僕と両親だけでなく皆が言っても一度として頷いてくれなかったのに!

 

 やっと姉上はクソ野郎から開放されたんだって、僕は安堵して喜んでしまった。

 ええ、柄にもなくはしゃいでしまいました。

 

 それがきっといけなかったんだ。

 

 姉上はもう自由なんだ。もう、あんな辛い思いをしなくていいんだ。やっと分かってくれたんだ。って、油断してしまった。

 

 だから、気づいた時にはもう手遅れだった。

 

 

 王子の結婚式の後、姉上は姿を消しました。

 

 

 手紙一つ。言付け一つ。足跡一つ。髪の毛一本。残さずに。

 

 突然の思いつきや不意の事故でこんな事はありえません。

 

 間違いなく、以前から計画があったはずなんです。

 

 それはつまり、姉上はちっとも自由なんかじゃなかった。婚約を解消されてもなお、あの王子に縛られていたんだ。

 姉上は分かってなんかくれなかったんだ。いや、分かってて受け入れてくれなかったんだ。

 

 僕達は、何があっても姉上の味方なのに。

 

 

 ああそうだ。編集なんかしないでそのまま上げて下さいね。

 

 知りませんよ、そんな事。

 悪いのはそっちのクソ王子でしょ。

 

 僕も、両親も、クソ王子を許すつもりなど毛程もありませんから。

 

 第一、この程度でガタガタ抜かす様じゃ器が知れるってもんですよ。

 

 

 姉上の行方?

 

 そんなの僕達の方が知りたいに決まってるだろ。

 ねぇ、何で君はそんなに僕の機嫌を逆撫でるのかな?

 殺されたいの?

 王子共々皮を剥いで崖に吊るしてやろうか?

 それともーー』

 

 

 (以降記録不可)

 

 

 

 

 最初の報告書は彼女の弟の証言だった。

 調査の基本は身内から。古今東西当たり前の常識だ。

 

 が、それを後悔せずにはいられない文面であった。

 

 まあ仕方あるまいと、(あきら)める。彼女の家に嫌われている事は元より分かっていた事だ。

 それが当然の(そし)りである事も。······多少、行儀が悪いとは言わざるを得ないが。

 

 文面はさて置き。内容をまとめれば結局の所、情報は皆無だという事だ。

 彼女の行方の手がかりとなる新たな情報はまるで無い。

 

 気になる点があるとすれば、まるで私が彼女を婚約者の座に縛りつけていたかの様な様子である事だろうか。

 

 彼女との婚約は政略ではあるが、両家の平等な合意の元であったはずだ。

 その中には、場合によってはどちらからでも解消が可能である旨もあった。

 

 婚約に不満があったなら解消すれば良かった。それだけだ。

 

 どの様な意図があったにせよ、それをしなかったのは彼女の意思であり選択だ。

 そこに私が責められるいわれは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 『騎士の証言』

 

 『自分は、建国記念日の舞踏会の日に婚約者様ーー申し訳ございません、()婚約者様の護衛を申しつかっておりました。

 

 あの日は舞踏会が一段落した辺りで殿下と元婚約者様がご休憩なされていた東屋(あづまや)の陰に控えておりました。護衛ですので。

 

 元婚約者様が殿下からの問いかけに答えようとなさった時に、殿下が現妃殿下であるご令嬢の方へ駆けて行かれた際も見ておりました。

 

 あの時は我が騎士団の不手際です。大変申し訳ございませんでした。殿下より人払いを命じられていながらご令嬢の侵入を許してしまったのですから。

 その付近の担当であった者には相応の罰を下しましたので、どうかご容赦下さいますよう。

 

 話がそれましたが、その後一人きりになられてしまわれた元婚約者様をお送りしたのも自分です。

 

 元婚約者様は自分に今の出来事の口止めと、謝罪をなさいました。手間をかける、と。

 

 当然そんな事はございませんと返しました。それが自分の仕事ですので。

 

 よくある事です。元婚約者様は大変心お優しく、自分達にも日頃より心を配って下さいました。

 警護に関して直接質問や意見をなさり、自分達の話もよく聞いて下さいました。

 お陰でより効率的に殿下方を警護出来るようになっただけでなく、騎士達の士気も上がりました。

 

 また話がそれてしまいましたが、その時の元婚約者様が一言だけ漏らしておられたのをお聞きしました。

 

 「やっぱり、届かなかった」

 

 と。

 

 何を指すのかは自分には分かりません。

 ですが、元婚約者様が悲しそうにしていらした事は確かです。

 

 自分が覚えている事は以上になります。

 

 残念ながら元婚約者様の行方に心当たりはありません。

 一日でも早く元気なお姿を目にする事を、騎士団一同願っております。

 

 最後に殿下に一つだけ。

 

 殿下は、あの時の質問の答えをお聞き出来たのですか?』

 

 

 

 

 次の報告書は王族の近衛騎士団長の証言だった。

 

 流石は近衛騎士団長なだけあって、礼儀に則った文言である。だが、どこか棘を感じるのは気のせいなのだろうか。

 

 こちらも有力な手がかりは無し。

 

 それにしても、彼女が騎士団長からここまで信頼を得ていたとは。

 一度、白昼堂々の襲撃があった時に警護の見直しを進言されたので任せた事はあったが、どうやら一度に限らずその後も関わっていた様だ。

 

 今日に至るまでも何度か襲撃はあったが、そのほとんどは事後報告ーーつまり、私の下へ辿り着く前に取り押さえられていた。

 単に騎士団の練度が上がったのだと思っていたが、彼女の手腕も影響していたのだろうか。

 

 しかし、騎士を罰したという報告は聞いていない。

 しいて言うなれば、その騎士のお陰で彼女の想いを知る事が出来たのだから、罰する必要性などは感じない。

 建前としては罰しなければならないのだが、あくまで建前として処分しただろう。

 

 確かにあの日、彼女は何と答えるつもりだったのだろうか。

 彼女の告白を聞いた瞬間から、彼女との婚約は解消するつもりだったので、ついぞ聞くことは無かった。

 

 だが、特に聞く必要は無かっただろう。

 

 彼女はいつだって「殿下のお望みのままに」と言うのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 『侍女の証言』

 

 『私はお嬢様の侍女です。お嬢様とは乳姉妹で、幼き頃より仕えさせていただいておりました。

 

 旦那様や奥様、坊っちゃまと同じく私も殿下を許すつもりはありませんが、お嬢様がご無事でいる事が最優先事項(・・・・・)ですので、協力いたします。

 

 お嬢様はそれはそれは健気(けなげ)辛抱(しんぼう)強くあられます。

 私など何度毛を(むし)ってやろうと思った事か···コホン。

 

 今年の殿下の誕生日プレゼントだって、それはもう努力されていたのですよ。

 

 半年前からご自分の足で店を練り歩き、思う物が見つからないと分かれば、職人の方に教えを()いながらご自分でデザインされ、忙しい合間をぬっては工房へ出向き、何度も何度も職人の方と試行錯誤なされながら、プレゼントを完成させられたのです。

 

 殿下が執務をなさるのに、少しでも楽になるようにと、材質から作りから飾りまで全て(・・)お嬢様がこだわりにこだわり抜いたんですから!

 

 「喜んでいただけるかしら」

 

 と、何度も不安そうに私に尋ねられる姿はとても可愛くて愛らしくて。殿下にはもったいないと思いましたわ。

 

 お嬢様は本当は、ご自分で手渡されるおつもりだったのですが、先客がいらしたからと、お戻りになられました。

 どこの馬鹿でしょうね。

 ご自分の誕生日に婚約者でもない阿婆擦(あばず)れを連れ込んだクソ王子は······っ

 

 あら失礼。少々取り乱してしまいましたわ。オホホホホホ。

 

 今年だけではありませんよ。確かに、今年は特に力が入っておられましたが。

 去年は殿下が手先が冷えると言うので、体の温まる生姜湯を。

 その前は殿下が異国の料理が気になると言うので、異国の料理を作れるシェフを。

 更にその前は殿下がずっと椅子に座っているのは疲れると言うので、疲れづらいクッションを。

 

 そうやってお嬢様はずーっと、殿下の事を考えてプレゼントを選んでおられました。

 

 そのくせ殿下からはありきたりなアクセサリーと花束しかないんですから。

 本当に何度禿げろと呪った事か。

 

 私はお嬢様の味方ですから。お嬢様を(ないがし)ろにする殿下なんてクソ喰らえ!ですよ。

 

 

 お嬢様の行方?

 

 坊っちゃまに聞いた通りの無神経な方なんですね。

 それが分かれば私達は毎日嘆いたりしませんよ。

 

 嗚呼お嬢様、どうせなら私も連れて行って下さればよかったのに!!』

 

 

 

 

 三枚目は彼女の侍女の証言だった。

 

 私への悪意を隠そうともしない所は彼女の弟と同じであった。段々隠さなくなっていたとしても、まぁ、マシではあるが。

 

 それにしても今初めて知った。

 この万年筆は彼女がデザインした物だったのか。

 

 数あるプレゼントの内一番地味だったが、とても軽く、かといって繊細な訳でもなく、持ち手部分の独特な(くぼ)みは指にフィットして持ちやすい。

 お陰で最近は腕の痛みや肩凝りがマシであった。

 

 そして、万年筆だけでなく今までのプレゼントも私の希望や悩みを考慮したものだったとは。

 

 彼女は何も言わなかった。

 

 一度もそんな話は聞いた事が無かった。

 

 統一性の無い贈り物に、目についた物を選んでいるのだろうと思っていた。

 

 だから私も深い意味も無く、女性が喜ぶ物を贈れば良いと思っていた。

 

 彼女へのプレゼントを選ぶ時は、喜んで貰えるか不安になりながら昼夜悩んで選んだというのに。

 

 ああ、もしかしたら。彼女もそんな気持ちだったのだろうか。

 

 喜ぶ笑顔を期待しながら、拒絶される恐怖を抱えて。

 

 

 そう考えて、違和感を抱く。

 

 私が知っている彼女と、証言される彼女が一致しない。

 

 私にとって彼女は、礼儀作法に隙がなく、私と対等に話せる程学にも深く、周囲の悪意にも動じず、基本的に心の読めないほほ笑みか無表情で、感情のブレが無い、妃に相応しい令嬢。それだけだった。

 

 だが、証言からは様々な感情が読み取れる。

 

 それが疑問で仕方がない。

 

 彼女は辛さを感じていたのか?

 彼女は悲しみを抱いていたのか?

 彼女は不安を感じるのか?

 

 本当に?

 

 それくらいに、彼女が私に感情を見せた事は無い。

 

 別人なのではとすら思ってしまう。

 

 彼女はいつだって、胸を張り、背筋を伸ばして、私を見上げていた。

 辛さに苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、不安に喘ぐ様には、どうやったって見えなかった。

 

 事実彼女は。

 

 婚約を解消した時ですら、胸を張り、背筋を伸ばして、私をーー?

 

 私を見ていなかった?

 

 俯いてはいなかった。だが、目を合わせた覚えはなかった。

 いや、あの時は私も申し訳なくは思っていた。だから私が目を合わせなかった。

 

 何より、受け入れられないのならば批難するなり、拒否するなりしたはずだ。

 それが無かったのだから、やはり彼女は婚約解消に賛成だったに違いない。

 

 この報告書にも手がかりはなかった。

 

 私は、次の報告書に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 『友人の証言』

 

 『(わたくし)()の方の親友ですわ。幼少のみぎりからの付き合いですのよ。

 殿下よりも(・・・・・)長いお付き合いをしておりますわ。

 

 彼の方はひたむきで、努力家なんですのよ。

 誰よりも真っ直ぐに目標を(かか)げて、誰よりも勤勉に取り組みますの。

 

 お陰で非の打ち所がないほどの素晴らしい女性になりましたわ。

 親友としては少し誇らしく思いますわね。

 

 でも、

 

 欠点があるとすれば、我慢強いせいで内に溜め込んでしまう事と、愛する人を想うあまり自分を疎かにしてしまう所、かしら。

 

 (わたくし)、そこだけはどうしても許せませんの。

 

 だって、折角(せっかく)の彼の方の良さを全て(・・)叩き潰してくれるお方がお相手だったのですもの。

 

 彼の方を愛し、認めてくださる方なら何の問題もありませんでしたのよ?

 でも、そうではなかったのですもの。

 

 彼の方は「私が陰口を叩かれるのは構わないけれど、あのお方が批難されるのはよろしくないから」と、ご自分で泥を被ってまでして(かば)われ、フォローに駆け回っていらしたのよ?

 

 それなのに、お相手が彼の方へ返してくださったのはお礼の真逆ですのよ?

 

 うふふふふふ。

 

 (わたくし)、あの日ほど怒りを覚えた日はありませんわ。

 

 だってそうでしょう?

 

 自分の為に何かをしてもらったら「ありがとう」。

 迷惑をかけたら「ごめんなさい」。

 

 子供でも知っている当たり前のマナーでしてよ。

 

 そんな事も出来ないだなんて、(わたくし)、驚きすぎてついつい、あちこちで口を滑らせてしまいましたわ。

 

 彼の方を嫌う方よりも好いている方の方が多くいらしてるから、皆さんそれはもう同情されて、皆さんで彼の方を支えましょうって、一致団結しましたのよ。

 

 だというのに、その矢先に彼の方が姿を隠してしまわれたのですもの。

 皆さん大変悲しまれていますわ。

 

 (わたくし)は、どちらかと言えば怒っていますの。

 

 どうして(わたくし)に相談してくれなかったのか、どうして一人で抱え込んでしまうのか、どうしてそうなる前にあの駄目男(ダメお)に一撃入れなかったのか!

 

 ······などと、過ぎてしまってから後悔するのは簡単な事ですわね。

 

 今となってはただ、彼の方の無事を祈るだけですわ。

 

 (わたくし)はもちろん今でも彼の方の親友のつもりですもの。

 何があろうと、彼の方の味方ですわ。

 

 彼の方が帰ってこられたその時は、皆様と一緒に歓迎し、大いに甘やかすつもりですものよ。

 それはもうべたべたのでろでろに。

 

 駄目男の事など爪先ほども記憶を残さず、(わたくし)達が甘やかして、もう二度と「私が至らないからいけないの」とか「それがあの方の望みなら」などと言わせませんわ。

 

 彼の方は何一つとして悪くありませんもの。』

 

 

 

 

 彼女の友人は確か、学園で隣のクラスのご令嬢だったはずだ。

 

 手がかりは相も変わらず無かったが、どうやら会う度に(にら)まれていたのは、気の所為(せい)では無かったと知れた。

 

 そして、それ程までに彼女が令嬢達に慕われていたとは知らなかった。

 

 彼女は大抵私の半歩後ろにいて、如才(じょさい)無く私のパートナーを務めていた。

 そうなれば当然、彼女から人へ話しかける事は無く、また友人らに囲まれる事も無かった。

 

 まるで言い訳がましく聞こえるが、彼女の交友関係をわざわざ知ろうとも思わなかったのだから、知る機会など無かったのだ。

 

 そこで、疑問が思考をかすめた。

 

 私は彼女の何を知っているのだろう、と。

 

 彼女の家族構成を知っている。

 彼女の得意科目を知っている。

 彼女の癖を知っている。

 彼女の好む味を知っている。

 彼女の好む花を知っている。

 彼女の好む色を知っている。

 彼女の好きな言葉を知っている。

 彼女の好きな本を知っている。

 彼女のーー

 

 

 「なんだ」

 

 

 意外と、知っているじゃないか。

 

 だが。

 

 私は彼女が結婚式に来た理由を知らない。

 私は彼女が騎士団に慕われていた事を知らない。

 私は彼女が考えてプレゼントを用意していた事を知らない。

 私は彼女がフォローしていてくれた事を知らない。

 私はーー

 

 

 「彼女の事を、表面しか知らなかったのか」

 

 

 彼女の「目標」は何であったのだろうか?

 彼女の「愛する人」とは誰なのだろうか?

 彼女は何を「溜め込んで」いたのだろうか?

 

 彼女は私を、どう思っていたのだろうか。

 

 余分な事は何も言わなかった彼女。

 文句一つ言わなかった彼女。

 何も言わずに消えた彼女。

 

 彼女は。

 本当は。

 

 言いたい事が無かったのだろうか。

 

 私に、伝えたい事が。

 

 分からない。

 いつだって彼女は何も言わなかったから。

 

 

 次の報告書を手に取った時、

 

 脳裏に、小さな爪先がチラついた。

 

 

 

 

 

 

 

 『教師の証言』

 

 『私めは学園で教師をしております。ええ、彼の生徒の事もよく存じ上げておりますとも。

 

 彼の生徒は大変優秀な生徒でした。正直に申し上げるならば、学園で学ぶ事などほとんど無いレベルでした。学力はもちろんの事、礼儀作法、社交スキルに至るまで学生のレベルではありませんでした。

 

 当時は流石は殿下の婚約者だと思いました。

 

 ですが、(いささ)かご無理をしておられた様に見受けました。

 何度か声をおかけしたのですが、

 

 「私は殿下の婚約者ですから、このくらい出来なければなりません」

 「殿下を影よりお支えするのが私の役目ですから」

 

 と言ってあまり聞いてはいただけませんでしたーーが、やはり、無理矢理にでも言い聞かせるべきでした。

 そうすれば彼の生徒があそこまで思い詰める事も、ましてやお隠れなさる事も無かったやもしれません。

 

 私めの、人生最大の後悔ですとも。

 

 大切な生徒を、気づいていながら救う事が出来なかった。

 私めはこの悔恨(かいこん)を、一生忘れる事は無いでしょう。

 

 それほどまでに彼の生徒は純粋に一途で、だからこそ痛々しく、哀れでした。

 

 誰の目に見ても、彼の生徒が報われる事は無いと明らかでしたから。

 

 

 ······殿下もまた、私めの大切な生徒の一人です。

 ですから、教師として生徒に教えを()く事に致しましょう。

 

 彼の生徒も殿下もまだまだお若い。

 考えが至らぬ事も、すれ違う事も、(あやま)ちを犯す事も、あって当たり前です。

 

 ですが、互いに話を聞かなければ正しい道を選ぶ事は不可能なのです。

 話を聞かず、話し合わずに、解など導けるはずがありません。

 

 よいですか、これはどちらが悪い悪くないの話ではありません。

 そこは絶対に勘違いなされぬように。

 

 

 私めからはこれ以上は言いません。

 あまり口煩(くちうるさ)くしても、若者は(かたく)なになるだけですから。

 

 そうそう、彼の生徒は泣いておられましたよ。

 

 「届かない」

 

 と。』

 

 

 

 

 この教師は学園で最年長のあの教師だろうか。

 

 学園一厳しいと言われるあの教師がべた褒めとは、本当に彼女は優秀だったのか。

 いや、疑っていた訳では無いが、そこまでとは思っていなかった。

 

 彼女には特段優れている(さま)は見られなかったから。

 

 しかもそれが「婚約者の常識」だと言うのならば、彼女は一体いつの間にそれだけの技量を身につけたのだろうか。

 そこまでせずとも婚約は無くならないというのに。

 

 彼女の言う「役目」だって、あくまで妃の「役目」だ。

 婚約者の内から徹底する必要などは無い。

 

 何故、彼女はそこまでしていたのだろうか。

 教師が心配する程無理を押してまでして、何故。

 

 そんなに王妃になりたかったのだろうか?

 いや、それならば婚約解消に頷くまい。

 

 何故?

 どうして?

 

 嗚呼、教師の言う通りだ。

 自分一人で考えていても答えなど分かるはずもない。

 

 答えは彼女にしか分からないのだから。

 

 

 何より衝撃を受けたのは、彼女が泣いていた事。

 

 

 彼女は泣くのか。泣く事があるのか。

 

 愛しい彼女の涙を思い出し、とっくに熱の引いた頬に指を寄せれば、いまだに氷の様に冷たかった。

 

 あんな風に、彼女も泣いていたのだろうか。

 

 全てを失ったかの様な嗚咽(おえつ)を。この世に絶望したかの様な嘆きを。身を引き裂かれる様な慟哭(どうこく)を。

 

 どこかで、一人、上げていたのだろうか。

 

 

 「届かない」

 

 

 騎士団長の報告にもあった言葉。

 

 一体何が届かないのか。

 一体何に届かないのか。

 一体何故届かないのか。

 

 ああいけない。

 つい先程、一人で考えていても無意味だと気づいたばかりだというのに。

 また同じ事を繰り返している。

 

 でも

 

 私は本当に知らないのだろうか。

 

 私は。

 本当は。

 

 彼女が届きたかった(・・・・・・)事を知っているのではないか?

 

 見て見ぬふりを、していただけで。

 

 だって

 

 先程から、記憶を過ぎる爪先が、気になって仕方がない。

 

 彼女の小さな爪先。

 

 綺麗に手入れをされた爪先。

 

 何故か彼女の表情より、口元より、視線より、記憶に残っている。

 

 それは、いつもーー

 

 

 「わたしーー?」

 

 

 私に、伸ばされていた?

 

 触れる事なく、握りしめられた爪先。

 

 複雑な心境を押し込めた様な瞳。

 

 

 「ああ、なんだ」

 

 

 やはり知っている(・・・・・)じゃないか。私は。

 

 そうだ。彼女はいつだって、何も言わなかった。

 でも。彼女はずっと、私に手を伸ばしていた。

 

 何かを伝えたそうにしながら。

 

 

 「口にしなければ分からないだろう」

 

 

 彼女が何を考えていたのか。

 彼女が何を思っていたのか。

 彼女が私にどうして欲しかったのか。

 

 報告書の文字を指でなぞる。

 

 私の知らない彼女が沢山あった。

 私が目をそらした彼女が沢山あった。

 彼女を想う人が沢山あった。

 

 文字を追い、彼女の爪先を思い出す。

 

 

 「こんなもので気づかせないで、口にすれば良かっただろう」

 

 

 彼女の瞳に映る感情は。

 ひたむきな努力のその先は。

 躊躇(ためら)いがちでも、真っ直ぐに伸ばされた爪先は。

 

 

 「人伝に聞いても意味が無いだろう」

 

 

 それが彼女の「恋」だっただなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騒がしい声。嘆く音。乱れた呼吸。

 

 そのどれもが耳につくのに、意味を成さないただの音だった。

 

 土を踏みしめる自分の足音と、嫌に静かな心臓の音だけが、意味を持っている気がした。

 

 誰にも(さえぎ)られない私の足は地面から足の浮いた彼女の目の前で歩みを止める。

 

 いつも私に伸ばされていた爪先は、力なく垂れ下がるだけ。

 

 私よりも少し高い位置にある彼女の顔を見ても、どれだけ待っても、もう、彼女は何も答えない。

 

 

 「私も君も、愚かだな」

 

 

 伸ばした指が触れる。

 

 

 「話せばよかった。それだけなのに」

 

 

 彼女の頬は、私の指よりも冷たかった。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。


今回は王子の視点でした。

まずは「私」と「彼女」が多くてややこしくて本当に申し訳ありません。なんとか、こう、どっちの「彼女」か頑張って察して下さい。

同じ「彼女」なのに、それぞれに対する王子の温度差みたいな想いの差を感じていただけたらなと、思います。


元婚約者は結構周りに愛されていました。王子が好きで王子のためにたくさん頑張っているのを周りが微笑ましく応援していた感じです。しかし、元婚約者は王子の前では完璧な婚約者像を意識するあまり完璧過ぎて逆に王子には何も伝わらなかった感じです。

王子は元婚約者の事を嫌っていた訳ではありません。ただ、政略であり、感情が見えない事から元婚約者はあまり乗り気ではないのだろうと考え、事務的程度にしか親しくしようとしませんでした。

すれ違いですね。話し合えば二人は良き夫婦となったかもしれません。

そんな時に、王子を真っ直ぐに見て、感情のままに笑い、思ったままを口にする、好意を示してくれる「彼女」が現れたから、そちらに心が傾いてしまいました。

そんな事も有り得るだろう込みの契約だったので、婚約解消自体では元婚約者や王子の立場はそんなに悪くなりません。きちんと義務も果たしたので。

ちなみに、身分の低い令嬢は元婚約者の事を尊敬し慕っていました。丁寧に礼儀作法を教えてくれたり、虐められた所を助けてくれたり、賢くてかっこよくて優しくてステキな女性と結構懐いていました。


以上でこのシリーズはおしまいです。相変わらず拙いものですが、お読みいただきありがとうございました。


また、前話「手の平の中の恋」のあとがきの修正と追記をしました。

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[一言] もう本当にポロポロと泣いてしまいました。 読み進めるたびにポロポロと… 虚しさが伝わってくるようでした。 素晴らしい作品をありがとう。 きっとまた、見に来ます。 ありがとう、ございます… や…
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