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〜国東半島殺人事件〜

大和太郎事件帳:第3話 《 豊後ぶんご火石(かせき 》−後編−

                〜国東半島殺人事件〜 



豊後の火石15

『青服の貴婦人』 岡山県和気町 和気神社 ;6月28日(水)午後3時30分ころ


広田神社を出た大和太郎は、県道82号線に入り、中国自動車道の西宮北インターから高速道路に入った。中国自動車道に入ってしばらく行くと山陽自動車道への分岐路がある。三木サービスエリアで昼食を取り、和気インターを出たのが午後3時を過ぎていた。国道374号線を北上し、金剛大橋を渡って直ぐに右折し金剛川沿いに進み、日笠川で左折し、和気神社に到着したのが午後3時20分ころであった。

太郎は道路に面した藤公園駐車場に車を停めて、徒歩で和気神社に向かって歩いた。太郎が日笠川に架かっている朱色の欄干のある『かすみ橋』に来た時、対岸から淡い青色の半袖ワンピースを身に着けた貴婦人がこちら側に向かって橋を渡ろうとしていた。貴婦人の頭には、淡いピンク色のリボンが着いた、大きな円盤縁のクリーム色をした帽子が斜めに被さっている。目にはサングラスを掛けており、顔立ちははっきり認識出来ないが、上品な色気を発散している。

『かすみ橋』の真ん中あたりで貴婦人とすれ違う時、太郎は思わず「今晩、夕食をご一緒しませんか?」と声を掛けたい気になった。


しかし、心で思って、口には出さなかった。

その時、青いワンピースの貴婦人が「クスクス」と笑って、太郎の横を通り過ぎて行った。


「しまった。この婦人は霊能者だったかな。俺の心を読まれてしまったかな。参ったな。」と云う考えが太郎の頭をよぎった。


かすみ橋を渡って和気清麻呂の銅像の前まで来たところで、太郎は振り返って、貴婦人の方を見た。

道路上に停めたモスグリーン色の英国車『ジャガー』の運転手がドアーを開けて、貴婦人を迎えているのが目に入った。


「うわおー。ジャガーか!」と、自分の愛車である中古バイクのホンダリード80を頭に浮かべながら、思わず太郎はため息をついた。


太郎は、狛犬ならぬ狛猪に守られた拝殿で参拝した後、社務所に立ち寄り神職に訊いた。


「ちょっと、お尋ねしたいのですが、この写真の男性が最近、この神社を訪問しなかったでしょうか。立木源幽という作家ですが。」と太郎が、藤原教授から借りた立木の著書の裏表紙に載っている写真を見せた。

「確か、先週の金曜日ですから、6月23日の午後3時か4時ころお見えになりました。」と神職が言った。

「彼は何か言っていましたか?」と太郎が訊いた。

「この神社のご祭神である鐸石別命ぬでしわけのみことの資料があれば観たいとの事でした。しかし、神社の由緒書の内容以外には情報がありませんでしたので、直ぐに帰られました。」

「その鐸石別命とはどう謂う人ですか?」と太郎が訊いた。

「和気清麻呂の先祖です。11代垂仁天応と京都丹後地方出身の第3妃との間に生まれた皇子(子供)です。腹違いの皇子に12代景行天皇と倭姫がいます。倭姫は天照皇大神を伊勢に鎮座させた人物です。ぬでと云うのは鈴のことです。風鈴や銅鐸と同じで内側にある舌具が内壁をたたく事によって音を出す道具のことです。鐸石ぬでしとは金属鉱石のことで、鐸石別命は金属と石を分離する仕事に関係していたと考えられています。ですから、金属を溶かすために火などを扱う仕事にも関係していたとも考えられます。私見になりますが、神託を受けるために行なう鎮魂帰心法などでは神様を呼び出す為に楽器を奏でたりします。古代では、その時にぬでを鳴らしたりした事でしょう。」と神職が言った。

「火と石ですか。神託と鈴ですか。」と太郎が呟いた。

「ところで、先ほど青いワンピースの貴婦人と神社の入り口にある『かすみ橋』で行き違ったのですが、この神社と関係がある方ですか?」と太郎が訊いた。

「ああ、巫女みこさんですね。大賀杜女おおがもりめという名前で由緒ある家系の方です。全国の神社では神事の時に巫女役を彼女にお願いします。当社ではお願いしたことはありませんが、神社関係者の間では有名です。杜女もりめは呼称で本名は別にあると思いますが、私は知りません。九州大分県の方です。今回は、岡山県内にある修験道の同好会に呼ばれて来られました。和気神社へは挨拶のための参拝という事でした。本殿に上がって頂き、ご参拝いただきました。」と神職が言った。

「英国車のジャガーが出迎えていましたが、貴婦人の所有車ですかね?」と太郎が訊いた。

「ええ。あの車で全国を周られているようです。遠方の場合は飛行機で行かれますが、車は陸送車で運ぶと云ううわさです。藤公園の駐車場にでも停めていたのでしょうかね。ああ、駐車場で思い出しました。先の立木さんですが、男性の連れが居たみたいですね。私が所用で出かける為、駐車場の前を通った時、『じゃあまた、現地で会いましょう』と言って、ふたり別々の車に乗り込んで行かれるのを見ました。」と神職が言った。

「『現地で会いましょう』と言ったのですね?」と太郎が聴き返した。

「ええ。確か、そう謂う意味の言葉だったと記憶しています。」と神職が言った。

「相手男性の車の種類はわかりますか?」と太郎が訊いた。

「車種とかは判りませんが、荒地でも走れる大きなRV車でしたね。黒っぽい車だったですね。」

「男性の年齢はどのくらいかわかります?」

「うーん。服装は覚えていませんが、30歳くらいですかね。若い方でしたよ。顔も横から見ただけですので、よく覚えていませんね。雰囲気的に30歳くらいかなと思いますが。」

「そうですか。話は変わりますが、この男性もこの神社を訪問していないでしょうか?」と曽我教授の写真を見せながら、太郎が訊いた。

「ああ。別府にある大学の先生ですね。昨年の夏に一週間ぐらい、当神社や和気町の和気一族に関する調査をされていましたよ。和気清麻呂に関する研究論文の調査だと申されていましたね。神功皇后と関係する由加ゆか神社の境外にある王子社に興味を持っておられましたね。なんでも、韓国遠征後、神功皇后が応神天皇を九州の宇美で産んで畿内に戻ってきた時、仲哀天皇の子である忍熊王おしくまおうが応神天皇を殺そうとしたようです。清麻呂の先祖である弟彦王おとひこおうがこれを神功皇后に知らせて忍熊王を討ち取った歴史があるみたいです。弟彦王の祠の横に忍熊王の石碑が昭和になってから創られたみたいです。この創建経緯と創建者に興味がありそうでしたね。それから、京都府八幡市にある石清水八幡宮の近くに『足立そくりゅう寺』という清麻呂にゆかりのある寺があった事を先生にお話したら大変興味を示されていましたよ。今は、和気神社となっていますが、無住職です。」と神職が話した。


太郎は神職と別れた後、駐車場前にある『芳嵐園』という公園の木の切り株に腰を下ろしながら、これからの行動計画を考えていた。


「やはり、教授は神功皇后の事跡を追いかけているな。すでに一年前、この地で調査していたのか。もう、ここには来ないだろう。兵庫県の六甲山石宝殿に行くかな。無人社の可能性もあるから、話を聞く人は居ないかな。茶店でもあればいいが。和気清麻呂は奈良の平城京から長岡京への遷都をあきらめさせて、京都の平安京遷都を推進した人物と歴史で習ったな。もしかして、曽我教授は京都の神泉苑か石清水八幡宮に現れるかな。曽我教授は神功皇后の実在の証拠を追いかけている。和気清麻呂と神功皇后の接点が宇佐神宮であり神託か。もし、教授が立木の殺人を知らない場合は、京都の立木家を訪問する可能性があるな。あと、滋賀県の日牟礼八幡、福井県の気比神宮か。奈良に戻る可能性はあるかな。手がかり無しか。藤原教授に曽我教授になったつもりでどう行動するか聞いてみるか。立木氏の夫人にも話を聞いてみたいな。もう一度、京都に戻るとするか。ところで、今日の報告を棚橋刑事にしておこう。」と考えながら、太郎は豊後高田署に電話を掛けた。

「そうか、立木源幽は和気神社に寄っていたか。その連れの若い男の正体はこちらで追いかける。いろいろ有難う。ああ、それから曽我教授の足取りが出たぞ。福井県警からの報告だが、敦賀市気比の松原にある旅館『旅荘立石』に6月26日の夜に一泊している。正体不明の若い男女と同行していたらしい。宿帳に記載されている住所は存在せず、それらしき住所地にもその二人の名前の人間は住んでいない。太田秀美と山上清と云うのだが、心当たりはあるか?翌日、その若者の車で出て行ったようだ。車のナンバーは不明だが、黒色のワンボックス車だったらしい。その後の行方は不明だ。その若者と同行しているかどうかも判らない。」と棚橋刑事が電話の向こうで説明した。

「いや、その名前は聞いたことは無いですね。黒のワンボックス車ですか。判りました。情報有難うございます。それから、立木氏の奥様は遺体確認後、京都に帰られましたか?」と太郎が訊いた。

「ああ、昨日帰られましたよ。まだ解剖が終わっていないので、遺体引渡しは4日後くらいになるので、一度京都に戻られました。こちら大分県で荼毘に賦して、遺骨を持ち帰る段取りを進めています。葬式は京都のお寺で行なうらしいですよ。今頃は京都で葬式の準備に忙しいことでしょう。」と棚橋が電話口で喋った。

「情報有難うございます。」といって太郎は電話を切った。

「やはり、気比神宮へ行ったか。とすると、27日は藤原教授が言っていた石川県の白山?神社に行ったと仮定して、今日は滋賀か京都か奈良に戻っている可能性が高いな。やはり京都に向かうか。立木が殺された事を知らなければ、立木家を訪問する可能性もあるな。黒色のワンボックス車にはよくよく因縁があるのかな?新潟で死んだであろう北山次郎も黒のワンボックス車に関係していたな。」と思いながら、太郎は駐車場に向かった。



豊後の火石16

京都市上京区 立木源幽宅 ;6月28日(水)午後8時ころ


太郎は忌中と書かれた張り紙のある引き戸の横にある呼び鈴を押した。

中から女性の声がし、太郎は訪問の趣旨を説明した。しばらくして、立木夫人らしき女性が玄関の引き戸を開けた。


「私立探偵の大和太郎と申します。先ほども申しました様に立木先生と関係のあるB大学の曽我教授の行方を捜しております。こちらを訪問する可能性がありますので写真を見ていただこう思いまして参上いたしました。」と、門灯の光で名刺が見えるように差し出し、更に曽我教授の写真を夫人に見せた。

「曽我教授でしたわね。この方、昼間に見えましたよ。主人が殺されたことを申し上げましたら、大変驚かれていました。焼香がしたいと申されたのですが、まだ、遺骨が大分の警察から返って来ておりませんので、そのままお引取り願いました。」と夫人が答えた。

「教授は何か訊きませんでしたか?」

「6月26日に大分県の天念寺の近くで死体が見つかったと申し上げたら、更に驚かれていました。主人の仕事の内容は分かりませんと申し上げましたら、そのまま帰られました。かなり残念がっておられましたね。主人とは一週間前に京都駅前のホテルのロビーで会って話をしたとのことでしたが。」

「一週間前に京都で会って話していたと。どんな話をしていたか判りますか?」

「いえ、そこまでは訊きませんでした。歴史の話でしょうけど、私は興味がありませんので。」

「そうですか、ところで、奥様はご主人の交友関係はご存知ですか?」

「東京の出版社の方は時々来られていましたが、大体は京都市内のホテルで打ち合わせをしていたようです。」

「その出版社の人と云うのは、30歳くらいの男性ですか?」

「ええ、そのくらいの年齢ですかね。まだ若い方ですよ。」

「出版社の名前はご存知ですか?」

「その方の所属している出版社の名前はわかりませんが、三つ目書房、講談書房、ペンギン本舗の方がよく電話をくださいます。このいずれかの出版社の方だと思いますが。」

「ところで、ご主人が九州調査に行かれた目的はご存知ですか?」

「ええ。今年の10月に出版予定の本があり、その本に載せる内容の事実確認に行ってくると申しておりました。」

「そうですか、10月に本の出版をする予定だったのですか。よろしければ、ご主人の名刺ホルダーとかがあれば見せていただきたいのですが?」

「今日の朝、京都府警の方が他の資料と一緒に持って行かれましたのでありません。」

「そうですか、遅かったか。残念。」と太郎が呟いた。

「でも、その前の晩、私が大分から帰宅した時に新聞社の方が玄関前で待っておられて、名刺ホルダーをお見せいたしました。確か、カメラマンの方が写真を撮っていかれましたよ。主人の写真も一枚お貸ししました。」

「朝読新聞の記者でしたか?」

「ええ、そうです。名刺を預かっていますから名前はわかりますが。」

「いえ、結構です。記者の名前を知っていますから。いろいろ有難うございました。」と太郎は礼を言って、岡山みやげの『吉備だんご』を夫人に渡して立木家を後にした。


太郎は、車を停めてある寺町通りの駐車場に向かって歩きながら、曽我教授と立木源幽が京都駅前のホテルで何を話したのだろうかと考えていた。


「二人の会話内容によっては曽我教授が動く方向が変わるな。教授と立木はお互いの研究対象の意見交換をしたとすれば。その場所に第3の人間がいたと仮定すれば。神功皇后から出版社の人間に目的を変更するかな。あるいは、別の出版関係者か?推理に飛躍があるかな?場合によっては、曽我教授も命を狙われかねない。早く教授を見つけないといけないな。何処を探すか。まだ、京都にいるか?東京に向かったか?しかし、何故、教授は自宅に連絡をしないのだろう。うつ病だから、連絡すると直ぐに呼び戻されると思っているのだろうか。そうすると、呼び戻されたくないと云う事になるな。少しでも早く真実に近づきたいと云うことか。何故、そんなに急ぐ必要があるのか。立木の10月に出版する本との競争かな。そうだとすると、立木が死んだ今、それほど急ぐ必要はなくなった。とすると、自宅に連絡を入れている可能性もあるな。自宅に連絡がないとすれば、第3の人間の存在があるかな?この第3の人間は和気町で立木と別れた連れの男と同一人物か?とにかく、朝読新聞の記者に電話をして名刺にある人物を確認しておくとするか。新聞社の住所は烏丸御池だったな。今の時刻は8時30分か。まだ、新聞社内に居るかな。中山隼人だったな。さて、どうするか。藤原教授の意見を聞きたいが、教授を訪問するには遅いな。明日にするか。」


太郎は、京都駅八条口前のビジネスホテルに宿泊予約の電話を入れた後、夕食の為、二条駅近くの御池通りにある神泉苑平八に向かうことにした。藤原教授に電話し、明日のアポイントを取った後、朝読新聞社に電話すると、中山記者は社にまだ居た。事情を話し、神泉苑に行く途中で朝読新聞京都支社に寄ることにした。



豊後の火石17

京都市中京区烏丸御池 朝読新聞社 社会部応接室 ;6月28日(水)午後9時前


「夜の9時だというのに、大勢の人が残業しているのですね。」と太郎が言った。

「いえ、朝刊に載せる記事の原稿締め切りが12時ですから、新聞社では、まだ宵の口ですよ。これが名刺の写真をプリントアウトしたものです。」と言いながら、名刺が沢山写っている写真の印刷紙を10枚くらい渡した。

「こんなに沢山の名刺があるんですか。何人分ですか?」とコピー紙をめくりながら、太郎が訊いた。

「1ページあたり12人ですから、120人足らずですね。最後のページは5人ですから、全部で113人ですか。このうち、今回の事件に関係しそうな人間は40人くらいと、私は推定しています。」と中山記者が言った。

「その40人の調査をされるのですか?」と太郎が訊いた。

「まさか。それは警察の仕事です。我々は、取りあえずマークはしますが、警察の動き次第です。この名刺のコピーは東京本社や九州支社の担当部署にFAXしています。東京本社へ行かれる場合は本社社会部の部長を訪問してください。担当記者を紹介してくれると思います。ところで、新しい情報が入ったとか?」と中山が訊いた。

「岡山県の和気神社に行ってきたのですが、そこでの情報です。九州に行く途中で立木氏は和気神社に立ち寄っています。そこで、若い男と別れたらしいのです。その男が、この名刺の中に居るのかどうかです。また、今回の事件に関係しているかどうかです。」と太郎が説明した。

「和気神社といえば、和気清麻呂と関係のある神社ですか?よく、そんなところが関係すると判りましたね。大和探偵事務所は大きな事務所ですか?東京では有名なのですか?」

と中山が興味有り気に訊いた。

「いえ、私ひとりの小さな事務所です。和気神社の件は棚橋刑事の依頼で調査しました。たまたま、そんな情報に行き当たっただけです。」と太郎が謙遜して言った。

「やはり棚橋刑事か。九州支社連中が棚橋刑事をしっかりマークしているといいのだが。しかし、大和探偵か、棚橋刑事が調査依頼するくらいだから、マークする必要があるな。」と中山記者は思った。


大和太郎は、京都駅で立木源幽が出版社の人間や曽我教授に会っていた事は話さないで、新聞社を去った。結局、太郎は『神泉苑平八』のラストオーダーに間に合わず、御池通りの地下街のとんかつ食堂で夕食を済まし、宿泊予定の八条口のホテルに向かった。



豊後の火石18

京都市内 D大学神学部 藤原研究室 ;6月29日(木)午前9時30分ころ


「今、お話したような状況なのですが、藤原教授が曽我教授だとしたら、どう謂う行動をされますか?」と太郎が藤原教授に訊いた。

「日本古代史は私の専門ではないが、今までにいくらか調査研究はしています。しかし、教授の考えを読み解くのは、なかなか難しい問題ですね。大和君は昔から難しい質問が多かったな。はっはっはっは。」と藤原教授は笑ったあと、しばらく考え込んだ。

「そうだね。立木の特徴は協力者と役割分担をしながら、上手にその協力者を利用すると云ったところがあったね。協力者の得た情報を自分の発見として自著の本や雑誌に発表していたね。その事は曽我教授も研究者仲間から聞いていたと思うよ。10月の著書出版を共同著作として出版しようと曽我教授に持ちかけていたと仮定しようか。これは立木の常套手段だ。とすると、私なら、立木が死んだ今、10月の出版に向けて、立木が担当した部分の追跡調査に入る。この時期、出版社の担当は立木の原稿の出来上がっている部分を持っているはずだ。残りの結論に導く部分をこれから書く事になる。この部分の再調査・追跡に動く。この場合、出版社の人間に立木が書いた内容を事前確認する必要があるな。先ず、その出版社の担当と連絡を取って、それから現地調査に向かう。今までの話から、宇佐神宮と和気一族、神功皇后に関係する本を出版するとして、調査現地が関西か九州になるだろうから、出版社が東京なら、電話でのやり取りで簡単に情報を得てから関西か九州に動くな。まだ、昨日は京都に泊まったとして、関西圏のどこかに動くな。多分、京都なら石清水八幡宮関連、奈良なら東大寺関連、大阪なら住吉大社、兵庫県なら西宮市の広田神社、甲山神呪寺、越木岩神社、神戸東灘区の保久良神社、住吉神社、それから、播磨地方の生石神社の石宝殿。くらいかな。しかし、大和君とこのような推理の話をするのは、聖書に関する君の卒業論文制作のとき以来だね。あの時は聖書に出てくる人物の行動をよく推理したな。確か、宿題が残っていたね、君。」と懐かしそうに藤原教授が言った。

「宿題?ええ、そうでしたね。でも、宿題の話は後日にしましょう。曽我教授の場合、奈良県には親戚があるので、奈良、大阪については調査完了している可能性があります。兵庫県の場合は神功皇后関連と云う事で今回の調査範囲でしょう。とすると、曽我教授は兵庫県へ行きますかね。広田神社には、まだ来ていなかったですから、これから訪問するものと推定しましょう。越木岩神社と、保久良神社の場所を教えていただけますか?」と言って、太郎は関西地方の道路地図を開いた。



豊後の火石19

兵庫県西宮市 越木岩神社 ;6月29日(木)午後1時30分ころ


藤原教授から越木岩神社と保久良神社の由緒を聴いたあと、D大学を10時30分ころ出発し

京都南インターから名神高速に入り、西宮インターを出たのが12時前であった。広田神社に向かった時と同じ様に国道43号線から国道171号線に入った。途中『れんらく船』という小さな店で鉄板焼きの昼食をし、越木岩神社への道を教えてもらった。阪急電鉄甲陽園線の苦楽園口駅北方の踏み切りを渡り、六甲山に登る道路に出る途中に神社があった。

太郎は神社の駐車場に車を停めて、本殿参拝のあと社務所に寄って、神職に曽我教授の写真を見せた。


「ああ、この方なら午前11時ころお見えになりましたよ。『剣先真理修験会』の武庫さんが案内人でした。神功皇后と当神社の関係、それから白山菊理媛くくりひめの関係を知りたいとのことでしたが、あいにく、その様な由緒はあじりませんと申し上げましたら、境内を調査されて、帰って行かれましたよ。ああ、神社入り口の鳥居の傍にある直径30センチくらいの大きさで卵形をした『力石』のことを訊かれました。昔、近在の若者が力比べで持ち上げたりしたと謂われている石です。神功皇后が韓国遠征時に子供の出産を遅らせるのに利用した石ではないかと考えたようです。確かに、白山菊理媛を祭る六甲山石宝殿には神功皇后が奉納した石に関するその様な風説が巷にあるようですが、文献の記録はありません。そういえば、市寸嶋比売いちきしまひめを祭る摂社の横に、六甲山石宝殿の遥拝所があります。むしろ、石宝殿は龍神を祭る摂社の奥宮と考えられています。雨乞い神事などの時、石宝殿に向かって神業を行なっていた磐座いわくらが本殿裏にあります。それから、不動明王の石像があるのですが、両横の石像に比べて新しい理由を訊かれました。以前はお不動様ではなく、『役の行者』の石像があったのですが盗まれました。横の2体の石像は役の行者の家来です。あの不動明王は篤志家が寄贈されたものです。当神社も昔は静かな環境にあったのですが、道路事情の変化で騒々しくなった為、行者自身が隠遁したくなったのだと言う方も居られます。先ほどの修験会の武庫さんなどもそう仰っていますね。残念なことです。『役の行者』の話をすると、その教授が大変興味を示されていましたね。何でも、大分県の国東半島にも行者が修行した場所が多数あるのだとか言われていましたね。当社の名前にある『越』の字が北陸の越国と関係ありそうだとか申されていました。」と神職が説明した。

「その後、どこに行かれたご存知ですか?」と太郎が訊いた。

「武庫さんが保久良神社に案内するとか言ってましたね。」と神職が言った。

「その『剣先真理修験会』の事務所か寄合所はどこにあるのですか?」と太郎が訊いた。

「この近くの獅子ヶ口町に本部がありますよ。ご案内しましょうか?」と神職が言った。



豊後の火石19

兵庫県西宮市獅子ヶ口町 剣先真理修験会本部;6月29日(木)午後2時ころ


越木岩神社の神職を自分の車にのせて、修験会本部まで案内してもらって場所を確認したあと、神職を神社まで送って行った。再び、本部前に戻った太郎は、本部事務所に入った。女性の事務員が応対した。

「この人がこちらに居ると聴いてきたのですが。」と曽我教授の写真を見せながら太郎が訊いた。

「ええ。先ほど、保久良神社から戻られました。今、応接室で副会長と談話中ですが。貴方のお名前は?」と事務員が聞いた。

「大和太郎と申します。曽我教授にお会いしたいのですが。」と名刺を渡しながら、太郎が言った。

事務員が名刺を持って応接室に入っていった。しばらくして、曽我教授が名刺を見ながら、応接室から出てきて言った。

「私立探偵さんですか。家内に依頼されて、私を探しに?」と曽我教授が訊いた。

「ええ、そうです。やっとお会い出来ました。」と太郎が答えた。

「ついに見つかりましたか。」と頭を掻きながら、教授が言った。



豊後の火石20

豊後高田警察署 天念寺・川中不動前殺人事件捜査本部 捜査会議;6月30日(金)


「被害者の解剖結果などから死因等について鑑識課から発表してもらう。」と大分県警の本間刑事部長が言った。

「鑑識の宮里と申します。死亡推定時刻は6月25日の午後3時から午後8時と考えられます。死因ですが、窒息死です。後頭部右寄りに3箇所、金属か何かで撲打された傷があります。傷口は血液凝固で塞がっていました。骨折はしていませんが多少の出血があった様です。犯人は中くらいの大きさのモンキレンチを用いたと思われます。髪の毛からマシン油が検出されました。一撃では意識不明に出来なかったので3回撲ったと思われます。打撲力が弱い為、犯人は女性か老人か子供という事が考えられますが、頭部の傷と身長の関係から子供が犯人である可能性は少ないでしょう。被害者が寝ている時に襲われれば別ですが。それと、窒息死の件ですが、肺には川の水が吸い込まれていませんので、頭部撲打されて、意識不明で、そのまま川に落ちたとは考えられません。死亡してから川に投げ込まれたと考えられます。被害者の衣服や毛髪の焼け跡ですが、特別の火器を使った痕跡はありません。松明の火か何かの火で焼け焦げた状況です。それから、棚橋刑事からの依頼でストーンサークルの現場調査した報告を行います。被害者の靴底の溝に付着していた草の破片と、猪群山のストーンサークルに生えている草の種類が一致しました。それぞれの草を分光分析した結果、それぞれの含有元素の種類と分量比が一致したので間違いないと思います。ただ、被害者の衣服や車の室内から同様の草の破片は発見されていません。ストーンサークルで頭部撲打されて倒れたとすれば衣服に草が付着しているはずですが、見つかりませんでした。被害者の靴底の状況から、車内に草があってもいいのですが、ありませんでした。この事から、猪群山の麓かどうかわかりませんが遺体発見現場まで被害者の車を運転した人物が他に居ると推論できます。あるいは、天念寺の現場駐車に車を停めたまま、他の車で猪群山まで往復したとも考えられます。ストーンサークルにあった草の燃え跡の件ですが、灯油などは検出されていません。」と鑑識官が説明した。

「犯人像が女性か老人と謂う根拠ですが、若い男性でも、力の入れられない状況であれば、弱い力でしか撲打出来ないのではないでしょうか?例えば、かなり狭い、天井がきわめて低い部屋の中で撲る場合、腕を大きく振りかぶる事が出来ないでしょう?」と棚橋が訊いた。

「その通りです。椅子に座った状態や足が地面に接していない状態でも力が入りませんね。」と鑑識官の宮里が言った。

「足が地面に着かない状態とは、宙吊り状態という事ですか?」と棚橋が訊いた。

「そうですね。それに近い状態ですね。具体的な状況がすぐには思い浮かびませんが、すいません。」と宮里が謝った。

「そのほか、質問があるか?なければ、高橋刑事から現在まで判明している事を簡単に報告してもらう。」と刑事部長が捜査員に向かって言った。

「被害者、立木源幽は6月23日午前10時に京都市の自宅を出発した後、午後3時ころ岡山県の和気神社に立ち寄っています。ここで、30歳くらいの男性と一緒にいたのが目撃されています。この男の車はラフロード仕様のRV車であった。車種や色は不明です。その後、6月24日夜に宇佐神宮前の『かした旅館』に一泊しています。そして、26日午前11時ころ天念寺川中不動前の長岩屋川で遺体が発見されました。23日の夕方から24日の夕方までの被害者の足取りと25日朝から死亡推定最後時刻の25日午後8時までの足取りが不明です。先ほどの鑑識課の話から25日にストーンサークルに登っていることになります。当初は長岩屋川での水中窒息と考えていましたが、ストーンサークルに関係した場所にて殺害されたものと推定されます。場所詳細は不明。死体遺棄の時刻も不明。立木は『イカロスの羽を捜しに行く』と言っていたようです。この言葉の意味は不明です。また、本年3月、京都国際会議場で行なわれた『日本古代史学会』で別府市にあるB大学の曽我教授に難問を投げかけ、ひんしゅくを買っています。曽我教授は6月11日に奈良県の親戚を訪問していますが、その後は行方不明でした。家族からの捜索願いと、本署からの参考人捜索願いで追跡調査中の6月26日に福井県敦賀市の『旅荘立石』に一泊した事が判明しました。その後の行方が不明でしたが、昨日の6月29日に兵庫県西宮市で家族から捜索依頼を請けた私立探偵によって発見されました。別府市の自宅に戻るのが明日の7月1日の予定です。現在、教授の帰宅時刻は不明です。立木夫人の話によると、立木の旅行目的は本年10月に出版予定の著書の内容について現地調査することでした。現在、6月28日に京都府警から送られてきた立木の交際相手の名刺から出版社の割り出しを急いでいます。また、10月に出版予定の本の原稿や資料が見つかっていません。誰かに預けているのかどうか不明です。盗まれた可能性もあります。以上です。」と高橋刑事が説明した。

「有難う、高橋君。当面の捜査は(1)岡山県和気神社に現れた男性の正体確認、(2)出版社とその担当者の割り出し、(3)立木の足取り調査、(4)曽我教授が自宅に戻ってきたら事情聴取と裏付け捜査、(5)殺人現場と殺害方法の特定とする。行方不明の出版本の原稿や資料に関しては、念頭においておく事。まさか、まだ書き初めていないと云う事は無いだろう。出版社の特定については、警視庁に依頼してある。その結果が出てから、誰かに東京出張してもらう。何か意見があるか?無ければ、各自の役割に沿って捜査してください。解散。」と本間刑事部長が言った。



豊後の火石21

宇佐神宮境内 大尾山登り口;7月1日(土)午後2時ころ


宇佐神宮の境内には、二つの山がある。ひとつは上宮(本宮)のある小椋山おぐらやま、もうひとつは大尾山である。大尾山には大尾神社と護皇ごおう神社がある。大尾神社は八幡大神が奈良の大仏開眼の式典から伊予の宇和経由で帰還した時、穢れを祓い終えるまでの15年間、この山に鎮座されていた。和気清麻呂が弓削道鏡に関する託宣の真偽を確認する神託を受けたのもこの大尾神社であった。護皇神社には和気清麻呂が祭られている。小椋山の神域と大尾山の神域は境内横に流れる寄藻川から分かれた小さな小川(御食川)で分離されている。小椋山の神域全体は寄藻川と御食川に囲まれた神域となっている。大尾山への登り口には大きな石灯籠が左右に二基づつ計四基ある。上り口から急な登りの石段が続いている。この登り口の前には、御食川に平行して細い小さな舗装道路が走っている。


モスグリーンの英国車ジャガーが静かに止まった。鮮やかなオレンジ色のワンピースを着て、淡いクリーム色の小さなファッション帽子を頭に載せた貴婦人が車から降りた。そして、車は静かに走り去った。

サングラスをはずし、それをハンドバックに入れた後、大尾山登り口にある石灯篭の前に立っている男に近づいて行った。

「久しぶり。」と背広姿の男が言った。

「何年ぶりでしょうか?お久しぶりです。」と貴婦人が言った。

「7年くらい会っていないかな。」と男が言った。

「光弘さんと、よくここでデートしたわ。小学校6年生の遠足で来た時のことを覚えていますか?」と婦人が聞いた。

「クラスのみんなが君をからかった時のことかな?」と男が言った。

「ええ。私がこの大尾山に登る階段の上から唐風の礼装をした人霊が降りてくるのを見て、『人が降りてくるわ』といったとき、クラスのみんなには見えなかったのでからかわれたわ。光弘さんが『俺にも見えるぞ、神主さんが降りてくる。』といってくれたのね。私をからかっていたクラスメートは静まり返ったわね。私、うれしかった。私と同じ様に、他の人が見えないものが見える人がいるのだ、と思った。」と婦人が行った。

「ところが、実際は俺には霊が見えていなかった。広子さんをかばう為に俺が勝手に想像して話しただけだった。上宮本殿の横にあるご祈祷待合室にあった和気清麻呂像の姿を覚えていて、その姿を喋っただけだった。」と男が言った。

「後で嘘と判って、私、ガッカリしたわ。私と同じ能力を備えた人がいて、それまでは、訳がわからなく不安だったのが、自分に自信を持てるようなると思ったのに。」と婦人が言った。

「でも、その後、すごく活発になったよね、広子さん。中学3年生で生徒会長をしていた時はすごかったよな。君がリードした、秋の文化祭はいまでも語り草になっているね。危険を恐れて逃げる校長に、学校近くの商店街を巻き込んだ大ファイヤストームの実施を提案した時のことだが。あれ以来、『火の玉会長』とあだ名されるようになったものな。」と男が言った。

「いやだ。そんなことあったわね。そういえば、この大尾山から御許山に続く麓の道を歩いている時、不良グループ3人に絡まれた時があったわね。その時、猪が六頭現れて、不良のリーダーが腰を抜かしたわね。他の二人は走って逃げて行ったのに。その後、15分くらい私たち二人の周りを護るように歩いていたわ。光弘さんが、『もういいよ、有難う。』と言ったら、笹の茂みの中へ消えて行った。この場所は二人にはいろいろの事があった思い出の場所ね。」

「そんなこともあったな。ところで、今日、ここに来てもらった用事のことだが。今、追いかけている殺人事件で猪群山のストーンサークルの謎が絡んでいる可能性がある。その謎について君が知っている事を教えてもらいたいのだが。」と男が言った。

「いよいよ、棚橋光弘刑事の尋問の始まりね。ストーンサークルについては大賀家代々の口伝があるわ。事実なのかどうかは確認出来ていない外部公開禁止の内容よ。お話してもいい部分だけお教えします。」と婦人が答えた。

「いつごろ、ストーンサークルが造られたか、わかるかい?」と男が聞いた。

「口伝では饒速日尊にぎはやひのみことの時代だから神武天皇以前の紀元前だとされています。饒速日尊は別名、天火明命あめのほあかりのみこととも謂われています。私の研究では仁聞菩薩の時代に創られた可能性があります。歴史書には記述がないわ。光弘さんも知っていると思うけれど、仁聞菩薩は718年に天念寺を開基した人であるわ。でも、正体は不明ね、うふふ。」と婦人が微かに笑った。

「ストーンサークルの意味、役目は?」

「一般的には、日嗣ひつぎ神事とか火継神事と言われるように、太陽神からの神託を受ける儀式を行なう場所とされているわ。稲作が盛んになってからは雨乞いの儀式なども行なわれているわ。でも、饒速日尊の時代には、神様からの神託を請ける場所であったようね。天磐船あめのいわふねに乗って高天原から饒速日尊とその子の天香山命が豊国宇佐に降臨されたことになっているわ。所謂、磐座いわくらと呼ばれる神域がそこにはあるはずなの。口伝では、饒速日尊と天香山命は今の近畿地方へ東征の途上、ここ宇佐近くの国東半島で高天原にいる天照皇大神から『十種神宝とくさのかんだから』と『布都御霊剣ふつのみたまのつるぎ』を授かった事になっているわ。奈良時代に天皇の祭礼を担当していた物部氏のご先祖様の事が書かれている『先代旧事本紀』では宇佐の地に降臨したとされているから、宇佐の御許山の可能性もあるけれど、当時の宇佐とは国東半島を含む地域と考える事もできるわ。私の研究では仁聞菩薩の正体とも関係する事項であるけれど・・・。

十種神宝は物品ではなく、人が生きていく上で役立つ十の教えだとされている。大きく分けて、鏡、玉、剣、比礼ひれの四種類の教えで構成されているわ。『鏡』は自分の行いを見つめ、反省する方法、『玉』は自分の心を磨く方法、『剣』は誘惑に負けない為の方法、『比礼』は世の秩序を守る方法、または神を敬う方法といったところかしら。日本書紀では『布都御霊剣』は天香山命(高倉下)が紀伊熊野で倉庫の中で見つけた事になっているが、豊国の石炭で青銅の剣を製作する手法(銅の精錬法)を身につけたと考えられるわね。ここ国東半島で、二人は分かれて、饒速日尊は大和へ向かい、天香山命は紀伊熊野へ向かったようね。口伝では、その神業を行なった場所がこのストーンサークルとされています。私の研究では、仁聞菩薩が八幡大神から神託を受けてストーンサークルを創ったのではないかと考えています。あるいは、饒速日尊の時代に創られたストーンサークルの磐座を見つけ、整備せよとの神託であった可能性もあるわ。」と婦人が説明した。

「最後の質問だけど、殺された被害者は、推理ドキュメンタリー作家で立木源幽と云うのだけれど、その立木が『イカロスの羽を捜す』と言って国東半島に来たらしいのだが、この意味がわかるかな?」と男が聞いた。

「そうね、うーん。饒速日尊にぎはやひのみことが日(太陽神)の御子の印として持っていたのが『天羽羽矢あめのはばや』と謂われています。この矢羽をイメージしたのかも知れないわね。この地へ十種神宝が降された証拠、あるいは饒速日尊や天香山の存在を確認する為に来たとすると、ストーンサークルの神体石近くの石に彫られている刻印を確認に来たのかも知れないわね。それは、古代石文字ペトログラムかもしれないと謂われています。当時の祈祷師が神託の内容を岩に彫ったものかもしれないわ。いずれにしても、証拠が残っていない現在にとって、古代の逸話は推測、推理以上にはならないわ、残念だけれど。どこまで信じるかだわね。しかし、『真実は過去に存在した』のも事実だわ。でも、その立木さんがどのような本を創るのか、読みたかったわね。」と婦人が答えた。

「有難う。今回の事件の背景が見えてきた気がするよ。」と男が言った。



豊後の火石22

豊後高田警察署 捜査本部 刑事部屋;7月1日(土)午後3時ころ


「おい、橘。石橋は何処に行った。」と刑事部長が訊いた。

「石橋って、誰ですか?」と橘直人刑事が聞き返した。

「ああ、すまん。棚橋のことだ。」と部長が言い直した。

「今日は土曜日ですから、午後からは早退で帰宅しました。」と橘が言った。

「バカヤロー。何が早退だ。携帯電話で呼び戻せ。曽我教授が自宅に戻った。直ぐに、事情聴取に行って来い。」と刑事部長が言った。


傍に居た古参刑事の山下が、電話を掛けようとしている橘刑事に言った。


「石橋の意味を知っているか?直人。」

「いえ、知りませんが。」と橘が言った。

「棚橋が捜査一課に転属してきた頃は、新参のもかかわらず、自分がこうと決めたら、なかなか他人の言うことを聴かない、生意気な奴だった。そこで、みんなは石頭野郎と呼ぶかわりに、棚橋と呼ばずに石橋と呼び出した。はじめのうちは、棚橋の野郎、自分が呼ばれているとは知らずに返事しないものだから、情報が奴には伝わらなくなった。しかし、2年目くらいから、奴の実力はみんなも認め出した。3年目くらいから棚橋と呼び戻すようになった。刑事部長殿は、今は県警本部にいるが、そのころは高田署にいて、その頃の呼び名がイメージとして残っているのだよ。」と山下刑事が教えた。

「石頭ですか、わかりますね。ははは。」と橘が笑った。

「その石頭のおかげで恋人に振られたとの噂もあったが、真偽は不明だ。」と山下刑事が言った。



豊後の火石23

豊後高田警察署 捜査会議;7月5日(水)午前10時ころ


「曽我教授の話ですと、立木源幽が10月出版予定の出版社は講談書房のようです。京都駅前のホテルで、教授は立木から共同著作の誘いを受けたようです。しかし、断ったと言っています。ただ、研究知識の情報交換を行なったとの事でした。教授はこの国東半島の遺跡情報を立木に与え、立木からは神功皇后に関係する関西圏の史跡情報を聞いたようです。」

「なるほど。警視庁からの報告でも、立木の出版予定会社は講談書房になっている。立木源幽の担当者は豊田功一と云う34歳の男だ。棚橋刑事と橘刑事は、明後日から東京へ出張してもらう。岡山県和気神社で立木と別れた男が東京の出版社のこの男かどうか調べてこい。警視庁の調べでは、違う人間だろうと言っていたが、真実を再確認したい。場合によっては、他の出版社から被害者立木の情報収集もして来て欲しい。」と刑事部長が言った。

「わかりました。」と棚橋が言った。

「それから、宇佐に来るまでの立木の通行経路だが、6月24日午前10時ころ関門海峡トンネルを通過しているのが交通監視システムから判明している。したがって、23日は山口県下関市あたりで宿泊した可能性がある。山下刑事と加賀刑事は下関市近辺の宿泊先を割り出し、同行者がいたかどうかを調べてくれ。」



豊後の火石24

東京神楽坂の講談書房 ;7月7日(金) 午後3時ころ


棚橋刑事と橘刑事は九州大分空港を午前中に飛び立ち、羽田空港に正午前に着いた。

皇居の桜田門の正面にある警視庁に捜査協力のお礼の挨拶した後、桜田門駅から地下鉄有楽町線に乗り江戸川橋駅まで行った。江戸川橋駅から地図を見ながら15分くらいで講談書房に着いた。

10階建のビルディングの中央玄関口を入って、受付嬢に挨拶して言った。


「大分県警の棚橋と申しますが、文庫本出版部の豊田功一さんをお願いしたいのですが。」

「お約束ですか?」

「ええ、3時か4時ころ訪問する約束です。」

「しばらくお待ちください」と受付嬢が豊田に取り次いだ。

「5階のエレベータホールまでお上がりください。そこで豊田がお待ちいたしております。入館バッジを胸ポケットにお付けください。」と受付嬢は言いいながら、バッジを二人に渡した。


二人は5階でエレベータを降り、エレベータホールにある打ち合わせテーブルで豊田から事情聴取をした。


「私が立木先生の担当をしております。6月20日から7月1日まではヨーロッパの地中海へ取材を兼ねた休暇旅行に行っていました。もうひとり、河野と云う者が同行しておりましたので、彼に確認して頂ければ、アリバイ証明になるとおもいますが。旅行後、昨日はじめて出社したときに立木先生の死亡を聞きました。近いうちに京都の奥様か警察に事情を訊きに訪問しようと思っていた矢先に警視庁から電話で事情聴取されました。警視庁の刑事さんにもお話しましたが、6月23日に岡山県に行ける訳がありません。今年の10月出版予定の本の題名は仮称ですが、『国東半島の秘密』でした。原稿はまだ頂いていません。小説は別にして、普通のノンフィクション作家なら少しづつ原稿を渡してくださるのですが、立木先生は用心深いため、全部完成してから一気に原稿を渡していただくのが常でした。8月の上旬に原稿を頂く予定でした。ですから、本の内容詳細はわかりません。私の海外旅行中に九州へ取材・調査旅行を行なう事は立木先生から聞いておりました。先生の自宅から出版予定本の原稿フロッピーが発見されていないそうですが、本当ですか?」と豊田が訊いた。

「ええ。京都府警で立木氏の書斎にあった書類やパソコンのデータ、フロッピー、USBメモリーなどすべてを調べましたが、それらしい物は発見されていません。」と棚橋が言った。

「参ったな。10月の出版は中止だな。立木源幽遺稿作の触れ込みで出版したかったのにな。誰が盗んだのか判っていないのですか?盗みそうな人物の名前は判明していないのですか?」

「こちらが知りたいくらいです。それらしい人物をご存知ないですか?」と橘刑事が訊いた。

「うーん。立木先生は敵が多かったですからね。30歳くらいの男性ですよね。特定できる人物はいないですね。」と豊田が言った。


棚橋と橘は有力な情報が得られないまま、豊田に礼を言って、エレベータで玄関受付まで降りて来た。

先ほどの受付嬢が若い男性と話していたが、棚橋らに気がついて話をやめ、男性はエレベータの方へ向かって行った。

受付嬢に入館バッジを返しながら棚橋が言った。


「デートの約束ですか?」と棚橋が冷やかし半分で言った。

「いえ。あの男性は本日で出版社を退職されるので、挨拶に来られただけです。」

「まだ、お若いから他社へ転職ですね。」と棚橋が言った。

「いえ、フリーのノンフィクション作家を目指すみたいです。」

「よく知っている方ですか?」と棚橋が訊いた。

「豊田さんと同じ文庫本出版部の人です。会社のクラブ活動の仲間でした。」と受付嬢が言った。

「お嬢さん。一度デートしませんか?」と、唐突に橘刑事が言った。


受付嬢があっ気に取られてキョトンとしている。


「お嬢さん、すいません。こいつは美人を見ると直ぐにデートを申し込む癖がありますので、お許しください。では、失礼します。来い、直人。バカヤロー。」と言いながら、棚橋刑事は橘直人の襟首を掴んで、玄関ドアーの方に引っ張って行った。


その受付嬢は、隣にいる同僚の受付嬢と顔を見合わせて、クスクス笑いだした。


地下鉄の江戸川橋駅に向かって歩きながら二人が話している。


「成果なしですね。これからどうしますか?手ぶらじゃ大分県に帰れませんよ。」と橘直人刑事が元気なく言った。

「とりあえず、予約しておいた半蔵門近くのホテルにチェックインしよう。いや、まてよ。その前に、和気清麻呂に挨拶しておくか。」と棚橋が言った。

「和気清麻呂ですか?」とキョトンとして橘が訊いた。

「ああ。俺は和気清麻呂とは気が合うんだ。宇佐神宮の祈祷待合室にある清麻呂の木像のところへ行って話をするといろんなヒントが貰えるんだよ。我ながら不思議だがね。」

「でも、ここは東京ですよ。和気清麻呂像は九州大分県でしょ?」

「皇居の平川門近くのお堀端にあるんだよ。こちらは銅像だけれどね。第二次大戦前の皇紀2600年祭に記念で建造されたようだ。高校の修学旅行の時に偶然見つけたんだが、あの時は懐かしく思った記憶があるよ。遠くの親戚に出会ったような気がしたからよく覚えているよ。」

「へえー。棚橋さん、よく知っていますね。」と感心しながら橘が言った。



豊後の火石25

東京千代田区皇居の平川門近くのお堀端 ;7月7日(金) 午後4時30分ころ


近くにある高等学校の運動部の生徒たちが和気清麻呂の銅像の近くで柔軟体操をしている。

外人観光客人が銅像の写真を取っている。皇居周辺を散歩途中の人も銅像を眺めながら、傍を通りすぎていく。

お堀端の手すりに腰掛けながら、棚橋刑事が清麻呂の銅像を眺めている。橘も棚橋と同じように腕組みをしながら、清麻呂をにらんでいる。


「これから、どうしますか?いい考えが浮かびましたか?」と橘直人が訊いた。

「うーん。判らん。明日は私立探偵の大和太郎と東松山署の林刑事を訪問しよう。大和探偵には岡山県和気神社の調査をお願いしたお礼を言っておかなくてはいけないからな。林刑事は、大和探偵の情報を頂いたお礼を言っておきたいからね。それから何処へいくかだが、うーん、判らん。今夜はホテルの近くの飲み屋で一杯やろうか、直人。とにかく、大和探偵事務所と東松山警察に電話をしておこう。」と言って、棚橋は懐から携帯電話を取り出した。

「彼女は俺の好みのタイプなんだよな。胸の名札には『菊田』と書いてあったな。菊田さんか。一目惚れだな。何とか成りませんかね、清麻呂さん。」と橘直人は和気清麻呂の銅像を見つめながら、講談書房にいた受付嬢の事を考えていた。



豊後の火石26

東武東上線 東松山駅近くの大和探偵事務所 ;7月8日(土) 午前11時ころ


東武東上線東松山駅の改札を出て西口階段をおりると正面に『大和探偵事務所 〜よろず相談、調査を安価でお請けいたします〜』の看板が目にはいる。

棚橋刑事と橘刑事は『事務所ココ→』と看板にかかれた矢印の方向にある3階建ての小さなビルの2階に上がり、大和探偵事務所とかかれた小さなドアーの横にあるインターホンを押した。


「どうぞお入りください。」と太郎がインターホンに向かって言った。


二人が中に入ると、大和太郎の横にもう一人男性が立っていた。


「東松山署の林です。よろしくお願いします。」と林刑事が言った。

「いや、お二人がお揃いとは、恐縮です。」と棚橋が言った。


林刑事と大和太郎に今までの協力に対する礼を言った後、事件の捜査状況を二人に説明した。


「殺害方法が問題ですね。窒息させた方法が何であったか。それと、岡山県和気町付近の道路監視システムの当日の写真から、30歳くらいの男性が乗ったRV車は何台くらい見つかっていますか?」と林刑事が言った。

「43台でした。岡山県警で追跡調査して貰いましたが、ほとんどが県内の車です。30歳くらいの男性に絞ると12人になりますが、立木氏と関係がありそうな人物は居ませんでした。県外の人物も3人いましたが、これも白でした。和気町を中心にして、もう少し地域を拡大した範囲で調査中です。この男は上手に監視カメラが設置していない道路を選んで通ったと思われます。」と棚橋が説明した。

「窒息させた方法は頭を撲打して気絶させた後、ナイロン袋などを被せたと考えています。しかし、殺害場所の想定が出来ません。30歳くらいの男性が立木氏の頭を撲るのに力が入らない状況が不明です。もちろん、犯人が女性や老人の可能性もありますが。」と棚橋が言った。

「先ほど、殺害環境が宙に浮いた状況と言っておられましたね。ちょっと思い当たる事があります。確証はないのですが。林刑事、今日は車で来られましたか?」と太郎が言った。

「ええ。表の路上に駐車していますよ。」と林刑事が言った。

「東松山市から吹上町に行く道にある荒川に架かっている大芦橋に行きたいのですが、時間ありますか、林刑事。」と太郎が訊いた。

「いいけれど、何を調べるつもりだ?」と林が訊いた。

「パラグライダーですよ。テレビ番組で時々でてくるモーターパラグライダーをご存知ですか?」と太郎が言った。

「ああ、モーター付きのパラシュートの事だろう。大芦橋の近くから飛びだして、荒川上空を飛んでいるのを見かけたことがある。それが、どうした?」と林が訊いた。

「殺人現場です。二人乗りのモーターパラグライダーがあればの事ですが。その事を確認する為に、大芦橋でモーターパラグライダー遊んでいる人に訊いてみようかと思いまして。ついでに現物を確認しておけば、殺人が可能かの判断が出来るでしょう。」と太郎が言った。

「なるほど、パラグライダーなら足が宙に浮いているな。判った。直ぐ行こう。」



豊後の火石27

埼玉県大里郡大里村 大芦橋近くの荒川河川敷 ;7月8日(土) 12時前


太郎たち4人の乗った車は舗装された土手の道から、未舗装の砂利道に入り、河川敷のモーターパラグライダー発着場の駐車場に着いた。発着場は芝草だけの平坦な広場で、小さな仮設のプレハブ小屋と簡易トイレがある。車を降りた4人は、上空を見上げながら発着場に近づいた。


「あれ、あそこを歩いている女性は講談書房の受付嬢では?」と橘が棚橋に言った。

「うん。似ているな。声を掛けてみようか。」と棚橋が言った。

「菊田さーん。」と手を振りながら橘が大声をだした。

「おい、いつの間に彼女の名前を調べたんだ?」と棚橋が橘に向かって言った。

「昨日、胸の名札を見ておきましたので。」と橘が言った。

「なるほど。こと女性に関しては抜け目が無いな、直人は。捜査活動にもそのくらいの気構えがあればいいのだが。はははは。」と棚橋は笑った。


お昼の弁当を手に持っている女性が棚橋たち4人の方に近づいて来た。


「あら、昨日の刑事さん。こんなところで何か調査中ですか?」と菊田嬢が訊いた。

「菊田さんはモーターパラグライダーに乗れるんですか?」と橘が訊いた。

「ええ。会社のクラブ活動で、ここには毎週来ています。」と菊田嬢が答えた。

「クラブ活動ですか。そういえば、確か、昨日で退職される男性も同じクラブであったとのことでしたね。」と棚橋が言った。

「ああ、勝田武治さんの事ですね。ええ、パラグライダー部の先輩でした。」と菊田嬢が言った。

「ちょっと教えて欲しいのだが、モーターパラグライダーは二人乗りが出来るのだろうか?」と大和太郎が訊いた。

「ええ。前後に二人で乗る事ができる座席を使用すれば、二人で乗れます。初心者を指導する場合に用います。私も、クラブに入ってはじめてモーターパラグライダーに乗せてもらった時には二人乗りの前席に座っていました。あそこの棚においてあるのがそうです。」と、小屋の横に置かれている大型扇風機のような形をしたエンジン付き羽根車を指しながら、菊田嬢が言った。

「後部座席に犯人、前部座席には立木源幽が座っていれば、後ろからスパナかモンキレンチで撲れば、気絶させられますね。そして、ナイロン袋を被せて窒息死させた、と云う訳か。立木用のヘルメットは準備できなかった事にして、パラグライダーに乗せたな。自分だけヘルメットをかぶったか。」と橘刑事が言った。

「あるいは、上空から写真を撮ろうとすると顔にかぶさるヘルメットは邪魔になる事があるので、立木氏がヘルメットを拒否した可能性もありますね。そうなるように勝田が仕向けた可能性もありますね。」と林刑事が言った。

「勝田さんの住所はわかりますか?」と棚橋刑事が訊いた。

「ええ、部員の住所録が小屋の中にありますから、勝田さんの住所や電話番号が載っているはずです。」と菊田嬢がいった。



豊後の火石28

豊後高田警察署 捜査会議  ;7月14日(金) 午前10時ころ


東京出張から帰ってきた棚橋刑事と橘刑事も出席し、出張報告を含む捜査会議が行なわれていた。


「勝田武治の顔写真を出版社から借りてきました。奴の車は紺色のトヨタ車でランドクルーザーと謂うRV車です。住所は埼玉県和光市で所沢ナンバーの車です。東武東上線の和光市駅近くのマンションに住んでいます。駐車場にある車も確認してきました。独身の32歳で、講談書房で10年間勤めていました。私が出版社を訪問した7月7日を最後に退職したようです。出身地は香川県です。」と棚橋が報告した。

「それで、二人乗りのモーターパラグライダーが犯行場所である可能性はあるのか?」と本間刑事部長が訊いた。

「勝田武治にはまだ会っていません。もう少し情報を得てからの方がいいと思いましたので。電話で車種とナンバーを連絡してありますから、道路監視カメラ写真の調査結果を後で報告ねがいます。それから、荒川河川敷の発着場から草と土を持って帰ってきました。現在、鑑識で成分の分析をしています。猪群山の草と土の元素成分との比較をしてもらう予定です。ですから、勝田のパラグライダーに付着しているであろう草や土、及びランドクルーザーの中にあるであろう草や土を集めて成分分析に掛けたいのです。もし分析結果で猪群山のストーンサークルの草と一致すれば、勝田が犯人ホシであることが濃厚になります。家宅捜索の令状をとって貰えませんかね、刑事部長。」と棚橋が言った。

「勝田が九州大分に来ている証拠があればいいのだが。おい、宮前刑事。道路監視システム写真でのRV車調査で判っていることを報告してくれ。」と本間刑事部長が言った。

「はい。道路監視カメラの写真から、その所沢ナンバーのRV車は6月23日(水)午後4時30分に倉敷から続いている瀬戸中央自動車道を通って四国に入っています。運転者の顔も勝田武治に似ています。そして、6月27日(日)午前10時15分に大鳴門橋を通過して四国から淡路島を通り、明石に出ています。その間、すなはち6月23日から6月27日の間、四国から本州や九州に渡った形跡は記録されていません。フェリーの搭乗車記録にもこのRV車の記録はありませんでした。」と宮前刑事が報告した。

「勝田は道路監視システムをアリバイ工作に利用したか。何か抜け道があるはずだが・・・。」と棚橋刑事がつぶやいた。

「和気神社で立木氏と会っていたのは勝田武治と想定した場合、どうやって四国を出て、九州大分に来たのか。このRV車が関門橋や関門トンネルを通過した記録写真がない。」と宮前刑事が言った。

「ちょっと、よろしいでしょうか?」と高城刑事が手を上げた。

「どうした?高城」と本間刑事部長が訊いた。

「昨日の聞き込みです。6月24日の夜、日出町のホテルの駐車場でRV車の軽い接触事故があったようです。ホテルの従業員の話では、初心者マークの若い女性がホテルに食事に来たようです。その時、駐車場で車をバックさせていた時、隣に駐車していたRV車のバンパーに接触したようです。ホテルのフロントがRV車の運転手を呼び出したようですが、運転手は現れなかったようです。若い女性は食事後、ホテルを去る時に自分の名前と電話番号をフロントに渡して、もしRV車の運転者が来たらそのメモのところに連絡して欲しいと言って帰って行ったようです。フロントの人間はRV車のナンバーを記録しなかったようですが、県外の黒っぽい車だったそうです。女性はRV車のナンバーに関するメモを持っていたとの事です。」と高城刑事が言った。

「その若い女性の電話番号と名前はわかっているか?」と刑事部長が訊いた。

「ええ、大賀美登璃みどりという女性です。」と手に持っている手帳を挙げながら高城が言った。

「えっ、美登璃ちゃん?」と思わず棚橋が漏らした。

「おい、石橋じゃなかった、棚橋。知り合いの女性か?」と本間刑事部長が訊いた。

「ええ、まあ。知人の妹だとおもいますが。」と棚橋が言った。

「高城。その女性に会って、RV車の情報を訊いてくれ。もしこのRV車が勝田の所沢ナンバーだったら家宅捜索の令状を取る。」と刑事部長が言った。



豊後の火石29

京都市内 平安神宮近く 『六盛ろくせ』  ;7月15日(土) 昼12時ころ


平山重夫、曽我教授夫妻、大和太郎の4人が『手をけ弁当』で昼食を取りながら話している。


「今回は京都にご招待いただき、有難うございます。」と大和太郎と平山重夫が曽我夫妻に挨拶した。

「平山先生と大和探偵さんは京都のD大学のご卒業ということでしたので、ここ京都にご招待いたしました。本日はごゆっくり昔話でもなさってください。お宿は三条蹴上げの都ホテルに予約してあります。私たちは昼食後、仲直りの京都見物にまいりますので、夜にまたお会いいたしましょう。今回の主人の失踪騒動ではいろいろお世話になり有難うございました。無事、発見できましてホッとしております。」と曽我夫人が言った。

「うつ病もほぼ回復しておりますので、今後は今までと同じようにご活躍できると思います。しかし、失踪の原因が家出だったとは驚きました。」と平山が言った。

「いや、面目ありません。おはずかしい。女房の小言が、うつ病になってからエスカレートしたもので、ちょっと出来心で旅をしたまでです。長年連れ添っていると、古女房の小言が多くなってね。自宅に連絡を入れなかったのは、独身時代の時と同じように、気ままに研究旅行がしたくなっただけなんですがね。私立探偵に捜索依頼するとは考えていませんでした。2ヶ月くらい旅行していたかったのですが、大和さんが優秀だった為、たったの3週間で見つかってしまいました。あっははは。」と曽我教授が笑った。

「その気ままが私を苦しめているのです。反省してください。」と夫人が言った。

「また小言が始まった。しやあしい(うるさい)な。」と大分弁で曽我教授が言った。

「まあまあ。今回は仲直り旅行と云うことですから、今までの事は忘れましょう。それが重要です。」と平山が言った。

「ところで教授、神功皇后の研究は進みましたか?」と太郎がきいた。

「今回の研究旅行は大いに成果がありました。神功皇后の実在を確信しました。越木岩神社に『力石』があり、白山比め神社の摂社に住吉大神が祭られていました。これは、神功皇后に関係する事跡であると思われます。白山比め神社の近くには獅子吼高原があり、越木岩神社の近くにも獅子ヶ口町があります。また、白山比め神社には白山山頂の奥宮に祭られている菊理媛を遥拝する場所があり、越木岩神社には六甲山菊理媛を遥拝する場所がありました。また、瀬戸内海沿岸の各神社や由加神社、保久良神社、広田神社が神功皇后の事跡を物語っています。」と教授が言った。

「福井県の気比神宮から石川県の白山比め神社、京都までワンボックス車に乗せてもらったとの事ですが、その人たちはどんな方だったのですか?」と太郎が教授に訊いた。

「若い男性と女性のペアでした。結婚はしていないようで、苗字が異なっていました。確か、山上清さんと太田秀美さんでした。大分県の臼杵市に行くとか言っていましたね。親切な人でしたね。特に女性の方は面倒見のいい方でしたね。二人とも、車に乗っている時はいつもサングラスを掛けていましたね。道路事情や車のことはよく知っていましたね。臼杵市までずっと運転していくと疲れるでしょうと聞いたら、『いざとなったら陸送を頼みますから、大丈夫です。』と言ってました。新車や中古の乗用車を運ぶ陸送トラックではなく、小型ブルトーザなどの建築重機を運ぶトラックだと気軽に引き受けるところがあるらしいですよ。自動車の窃盗団などは貨物の大型コンテナやこの重機トラックに幌を被せて運搬するのだそうです。警察の監視カメラは運転席と前のナンバープレートを写すのが多いそうですね。たまには、車の後方から撮影する監視カメラもあるようですが、幌を被せておけば、窃盗車だとは判らないのだそうです。大型コンテナの場合は電磁波シールド壁になっているそうで、発信機での追跡に対抗しているようです。悪党も知能化していますから、警察も大変ですね。」と教授が話した。

「なるほどね。いろいろ考えるものですね、人間は。しかし、考えすぎると、病気になるから要注意ですよ、皆さん。ほどほどにね。」と平山が言うと、4人とも笑った。



豊後の火石30

豊後高田警察署 捜査会議  ;7月18日(月) 午前10時ころ


「大賀美登璃さんからRV車の確認をとりました。車のナンバーと傷つけた場所、傷の程度をメモされていました。しっかりした、几帳面な方でした。美人だったなあ。巫女さんみたいですね。」と高城刑事が言った。

「余計な事を言う必要はない。それで、所沢ナンバーだったのか?」と刑事部長が訊いた。

「はい。ドンピシャです。勝田武治の車と一致しました。ホテルのフロントとレストランの従業員に勝田の写真を見せましたが心あたりはないとのことでした。また、当日の宿泊客の中にもそれらしい人物はいませんでした。単に駐車場を利用しただけのようですね。勝田本人は車のバンパーの傷には気づいていないのじゃないでしょうか。フロントの呼び出しに応じていない事から、ホテルの建物には入っていないと考えてもいいのでは?」と高城刑事が言った。

「それは何ともいえないな。四国に居たと云うアリバイ工作が意味を成さなくなるのを恐れて、無視した可能性もある。勝田武治の出身県である香川県警からの調査報告が入った。実家は高松市内にあったが今はない。両親はすでに死亡している。一人っ子だったようだ。両親の遺産は武治が受け取っている。実家を処分したお金で埼玉県和光市のマンションを購入したようだ。親戚は四国にあるが、あまり交流はない。父親は四国にあるK大学の歴史学の教授だったようだ。父親の出版した本の版権を遺産相続しているが、入る金額は小遣い程度の微々たるものだそうだ。親戚の話では、以前立木源幽とこの父親の間に古代史研究の内容で揉め事があったらしい。結局、民事裁判の判決で立木が勝訴した為、父親がガッカリして病気がちになり、そのまま亡くなったようだ。母親も父親の死後1年で、看病疲れから他界したようだ。武治はこの件で立木を恨んでいた可能性が考えられる。」と刑事部長が説明した。

「そういえば、立木氏の名刺ファイルの中で住所や電話番号が書かれていない作家の名刺がありましたね。名前は何でしたかね?」と棚橋が言った。

「ノンフィクション作家の高幡聖水たかはたせいすいです。私が調査担当でした。多くの出版社に問合わせましたが、知っている人は居なかったですね。名刺から二つの指紋を採取してあります。もちろん、そのひとつは立木氏本人のものです。もうひとつの指紋が高幡のものと推測できます。」と山下刑事が答えた。

「よし。勝田武治のマンションの家宅捜査令状を申請する。」と刑事部長が宣言した。



豊後の火石31

豊後高田警察署 捜査会議  ;8月1日(火) 午前10時ころ


「埼玉県警朝霞警察署の協力の下、埼玉県和光市にある勝田武治の住むマンションの家宅捜索を行なった結果を報告します。勝田所有のRV車内から見つかった枯れ草の含有元素は荒川河川敷の草と猪群山の草の2種類の他、場所不明のものも含まれていました。乾燥した砂の成分からは何処の地域のものであるかの判定は出来ません。また、パラグライダーから採取した枯れ草についても、荒川河川敷のものと猪群山のものが出ています。高幡聖水なる作家の名刺にある指紋は勝田武治のものと判明いたしました。以上です。」と鑑識課員が報告した。

「有難う。大賀美登璃嬢のメモとモーターパラグライダーの飛行目撃及び鑑識結果から勝田武治は犯行が行なわれた時間帯に国東半島に来ていたことは濃厚になったが、勝田本人を見たと言う目撃証人が居ない。朝霞署への任意同行で事情聴取した範囲では九州には行っていないと述べている。これは、大賀メモの存在を勝田には話していないからだ。本人も6月23日夕刻から6月27日朝までは四国に居たと述べている。我々の調査結果を奴に突きつけたとしても、目撃証人がいないと逮捕令状は取れない。また、モーターパラグライダー上が殺害現場としても、その証拠がない。推測に過ぎない。物的証拠がまったくない状態で任意同行から自白に追い込める可能性は小さい。目撃証人を見つけてくれ。以上だ。解散。」と刑事部長が言った。


棚橋刑事は会議室の席に座ったまま、考えをめぐらせていた。


「何か手がかりは無いのだろうか?見過ごしているものはないのか?うーん。」と棚橋は考え込んでいた。その後ろから古参の山下刑事が声を掛けてきた。

「おい、棚橋。昨日の客は誰だ。やたら女性ぽい喋り方の男だったな。男色ではないだろうが、京都の人間か?」と山下刑事が興味ありげに訊いてきた。

「ええ、京都の新聞社の人間です。もらった名刺には朝読新聞京都支社の中山隼人とありました。夏の休暇で九州旅行中に立ち寄ったとの事でした。立木の殺人事件の記事を京都の地方版に書いた、とか言っていましたね。興味ありますか、山下さん。」と棚橋が訊いた。

「いや、わざわざ関西から来るぐらいだから、今回の事件に興味を持っている奴かどうか確認したかっただけだ。立木の事を追いかけている聞屋ぶんやかなと思ったが、やはりな、特種を探しているのか。」と山下は言って、立ち去った。

「そういえば、あいつ面白い事を言っていたな。京都支社の文芸部記者が京都駅前のホテルロビーで立木氏が打ち合わせしている場面に再三出くわして、特種記事を書いている。時々、張り込みもしているようだ、とか言っていたな。自分も特種が欲しいので、今回の事件の捜査状況を説明して欲しいとか、厚かましい奴だったな。しかし、新聞記者は多少なりとも厚かましくないと務まらない商売だろうな。刑事も他人ごとではないがな。しかし、その文芸部記者が何か情報を持っている可能性もあるな。京都に行ってみるか。勝田の写真を中山記者にFAXして訊くのは、ちょとまずいな。刑事部長から出張許可が下りるかな?まあ、試してみるか。」と棚橋は思った。



豊後の火石32

豊後高田警察署 捜査会議  ;8月3日(水) 午前10時ころ


「朝読新聞京都支社文芸部の坂崎記者から話を訊いてきました。勝田の写真を見せて確認してきました。6月3日に立木氏と勝田が打ち合わせしている内容をメモしていました。京都駅前のホテルのコーヒーラウンジで打合わせしている内容を隣の席でメモしたようです。日付もはっきり書かれていましたので証拠価値があります。九州のストーンサークルで雨乞いの写真を取る相談だったようです。千把焚せんばだきを上空から写真撮影する方法の相談でした。火を使うので、草に延焼しない準備の話しや、神体石との関係についても推理していたようです。やはり、モーターパラグライダーを利用すると言っていたようです。時間は夕方の凪の時で煙がまっすぐ上昇している状態を写真に収める計画だったようです。出版原稿の出来具合の話もしていたようです。どうも、勝田が原稿を書いていたようです。立木氏は意見を述べたり、自分の知識を提供しているだけだったようです。だから、立木氏の自宅からは原稿のフロッピーが見つからなかった訳です。しかし、勝田のマンションからも原稿は見つかっていませんから、何処に原稿があるかです。上空で立木氏を殺したあと、ストーンサークルに下りて来た勝田は、犯行に使ったビニール袋か何かを、千把焚の火で燃やした可能性がありますが、ビニールだったら、全部燃えずに焚き火の上昇気流に乗って、上空の舞い上がっている可能性があります。猪群山周辺を探索して燃えかけのビニールが落ちていないか探してみる価値があると思います。ビニールには、立木氏の汗や唾液が付いている可能性があります。それをDNA鑑定すれば、殺害の証拠になると思います。」と棚橋が報告した。

「よし。ビニール発見の為の探索を明日行なう。ところで、中山記者や坂崎記者には、この内容を記事にしないように念押ししてきたか?」と刑事部長が棚橋に確認した。

「もちろんです。編集長にも念押ししておきました。ただし、何らかの見返り情報を与えてやる必要はあると思います。」と棚橋が答えた。

「刑事部長。ちょっとよろしいでしょうか?」と高城刑事が手を挙げた。

「なんだ、またお前か。どうした高城?」と本間刑事部長が訊いた。

「昨日、自宅のパソコンで他人のブログを見ていたら、ちょっと気になる記事があったのです。」

「ブログとは何だ?」と刑事部長が訊いた。

「インターネットに公開された個人の日記みたいなものです。個人のホームページとして利用している人もいます。そのブログによると、6月25日(日)の夕方、猪群山近くの路上を自家用車で走行中にモーターパラグライダーが路上に下りたのを目撃したようです。詳細が書かれていませんので、記事の記入者に確認してみたいのですが、福岡県の人間で日帰り旅行中だったようです。」と高城が言った。

「犯行時間帯だな。よし、高城。聞き込み調査してみろ。やっと目撃証人が出てきたか。勝田の顔写真も見せて確認してこい。この目撃内容によっては逮捕状を請求するかもしれんぞ。」と刑事部長が言った。



豊後の火石33

大和太郎探偵事務所  ;10月7日(土) 午前11時ころ


 探偵事務所の電話が鳴った。D大学神学部の藤原大造教授からの電話であった。


「大和君。大変な本が講談書房から出版されたよ。我々もそろそろ、遣り残しの宿題に取り掛かかろうじゃないか。」と教授が言った。

「どんな本ですか?」と太郎が訊いた。

「『国東半島の真実』という題名で、高幡聖水とか謂うノンフィクション作家が書いた本だ。高幡聖水という名前は初めて聞く名前だ。新人作家のようだね。」

「高幡聖水ですか。どこかで聞いたような気がしますが、思い出せませんね。多分ペンネームでしょう。ところで、どのような内容の本ですか。」

「国東半島にあるストーンサークルは神託を受ける為の場所と断定してるね。ストーンサークルを上空から撮影した写真が掲載されている。千把焚の煙が上昇している写真も載っているよ。ここは仁聞菩薩が宇佐神宮で神託を受け、その指示で古代に創られていた神域を再整備したものと推論している。


仁聞菩薩は鐸石別ぬでしわけ命の子孫で和気清麻呂の先祖としている。それに十種神宝はこのストーンサークルで神より饒速日命に託宣された内容であるとしている。その内容をあらためて神から啓示された仁聞菩薩がその内容を書き留め、子孫に伝え、それが先代旧事本紀に編纂された十種神宝であるとしている。神体石近くの石に彫られたペトログラム(古代文字)と思われるとした写真も載っている。私の判断では、ペトログラフではなさそうだがな。そのほか宇佐神宮と白山比?神社の関係の推論を神功皇后の事跡を絡めながら展開している。それから、巻末のあとがきに立木源幽のアドバイスを受けた旨の文章が入っている。」と藤原教授が説明した。


「立木氏の名前が出てきましたか。そうか、教授、思い出しましたよ。曽我教授の行方を捜していた時に見た名刺の中にありました。立木氏の持っていた名刺ホルダーの中にノンフィクション作家・高幡聖水の名刺があったのを思い出しましたよ。そういえば、先月の新聞記事に立木氏殺害の犯人が逮捕された記事が大きく出ていましたね。」と太郎が言った。

「そうだったね。私の購読している朝読新聞では夕刊の一面に4段抜きで掲載されていたよ。他紙は翌朝の3面記事だったから、朝読新聞の特種だったみたいだね。」と藤原教授が言った。

「そうですか、朝読新聞の特種でしたか。私の購読新聞は毎朝新聞ですから、特種とは知らなかったですね。」と、太郎は京都支社の中山隼人が記事を書いたのだろうと思った。

「どうかね、大和君。近いうちに京都で打ち合わせをしないか。仕事は忙しいかね?」と藤原教授が言った。

「判りました、教授。来週にでも京都に参ります。また、ご連絡いたします。」と太郎は言って電話を切った。

「確か、犯人は以前に講談書房に勤務していた男だったな。荒川河川敷で棚橋刑事が名前、住所を確認していた男だったな。高幡聖水は事件には関係なかったのだろうか?中山隼人に電話して、事件の顛末を訊いて見るか?」と太郎は思い、京都の中山記者に電話を掛けた。


「犯行の動機は、両親の死亡原因を作った立木源幽に対する復讐です。勝田武治は高幡聖水のペンネームで立木に近づき、立木のアイデアを盗む事によって、父親が受けたのと同じショックを立木に与え、殺害するのが目的だったようです。『国東半島の秘密』を共同著作する提案は立木から出されたようです。それは、勝田のねらいでもあったようです。狐と狸の騙し合いといったところでしょうか。勝田はアリバイ工作として警察の道路監視システムを利用しています。通過車両写真に通過時刻、運転者の顔、車のナンバーが写るのを利用して犯行時間帯には四国に居たように見せかけようとしたみたいです。しかし、事件当日に、国東半島のホテルに勝田のRV車が駐車されているのを目撃されていました。このRV車は四国の重機陸送会社に頼んでそのホテルまで運び、駐車場に置いておくように依頼したみたいです。自分はJRの列車で四国の丸亀から倉敷に出て、更に山陽新幹線、日豊本線と乗り継いで、豊後豊岡駅で降り、徒歩でそのホテルにたどり着いた。そのホテルで立木と落ち合い、それぞれの車で天念寺近くの駐車場まで行った。立木氏の車は天念寺の駐車場に置いて、二人はRV車で猪群山に向かった。しかし、勝田がホテルに到着する前にホテルの駐車場でRV車に接触した車があり、その運転者がRV車のナンバーをメモしていたことを勝田は知らなかった。更には、猪群山近くの路上にモーターパラグライダーで降りたところも目撃されていた。決めては、立木氏を窒息死させるのに用いたビニール袋の燃え残りが、猪群山の麓にある飯牟礼神社境内の牛の石像近くで発見された事でしょうか。ビニールに付着していた乾燥唾液痕をDNA鑑定したところ、立木氏のDNAと一致したようです。そして、勝田の指紋もそのビニールから検出された。共同出版に関しては、立木に主導権を与えない為、原稿を書く役割は勝田が行なう替わりに主著者は立木とし、自分は副著者とする事で同意させたようです。今月はじめに出版された『国東半島の真実』の出版を決意したのは家宅捜査があった7月下旬だったようです。急遽、かっての同僚で立木氏担当であった豊田功一に連絡し、8月中旬には『国東半島の真実』出版の準備を終えていたようです。元々、自分が原稿を書いていたからそれほど時間は掛からなかったようです。その後、9月3日に逮捕された。著書出版の推進は豊田功一氏に任せてあったようです。」と中山記者が事件の顛末を電話の向こうで説明した。



豊後の火石34

埼玉県比企郡嵐山町の都幾川沿いの土手  ;10月7日(土) 午後1時ころ


東松山市内で昼食を取ったあと、都幾川土手で散歩をしながら、『国東半島の真実』のことを考えていた。歩いていると少し汗ばむ陽気の中、笠山の方向から初秋の風がさわやかに吹いて来る。


昨年の8月、空手仲間で弓道も訓練している酒田隆一と、白山比口羊しらやまひめ神社で行なわれた石川県下奉納弓道大会に同行した時の事を、太郎は思い出していた。

「さわやかな風を体に受けていると、拝殿隣の祈祷待合室の壁にあった菊理媛が白山の上空に立っている掛け軸の絵画の事を思い出すな。何とも上品で凛々しい美人画だった。宇佐神宮の神様と白山の神様は同一神なのかな?和気神社で出会った青服の貴婦人はあの絵画の菊理媛と雰囲気が似ていたな。清々しい風が吹いて来そうな絵画だったな。」



『風かをる 越の白嶺しらねを 国のはな  翁』

 

    白山比め神社奉納句集・柞原ははそはら集より



     −豊後の化石   完−


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